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[42] ●『星の王子さま』 Name:道開き Date:2007/07/11(水) 21:41 
世界中であまりにも有名なこの童話を書いたのは、フランスの、飛行士(パイロット)でもあるベストセラー作家サン=テグジュペリです。(1900-1944、代表作には『夜間飛行』『人間の土地』『南方郵便機』等がある)

序文の「・・・・大人は、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない。・・・・・」で始まるこの童話、以前から、本当にすばらしい作品だから読んでみると良いといったことを幾度となく耳にしていたのですが、たまたま2週間ほど前にこの本を買って来ました。

すると、数日前に、BSのHV特集で、『星の王子さま こころの旅 サン=テグジュペリ    愛の軌跡』といった番組が放送されました。・・・偶然といったらいいのか、必然といったらいいのか・・・・

ストーリーは、サハラ砂漠に、エンジン・トラブルによって不時着したパイロットと、遠い星からやってきた王子さまが出逢うところから始まります。(パイロットも、王子さまも、共に、作家のサン=テグジュペリの分身なのですが・・・)

王子さまは、どこからか飛んできた種が芽を吹いた、美しい花に心をうばわれます。その花は、咲いたかと思うとすぐ、じぶんの美しさを鼻にかけてワガママを言って、王子さまを苦しめ始めました。そうして王子さまは、逃げるようにふるさとの星をあとにすることになります。

後に、王子さまは、以下の事に気づくのですが、このときには旅立つしかありませんでした。

「ぼくは、あの時、何もわからなかったんだ。あの花の言うことなんか、とりあげずに、することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。ぼくは、あの花のおかげで、いい匂いにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちぁいけなかったんだ。ズルそうな振る舞いはしているけど、根は、やさしいんだということを汲み取らなけりぁいけなかったんだ。花のすることったら、ほんとにトンチンカンなんだから。だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するって事が、わからなかったんだ」

いくつかの星を旅することとなった王子さま。
命令することでしか他人との関わりを持つことのできない王様の住む星。・・他人から感心を持たれることしか考えないうぬぼれ男の住む星。・・恥ずかしいことを忘れたくて酒ばかり飲んでいる男の住む星。・・“所有”することと“管理”することといった帳簿上の計算しか頭にない実業屋の住む星。・・実際にその場所に出向こうとしないで、机上の学問ばかりをおこなっている地理学者の住む星。・・・
それらの星を後にする度に、大人って、本当に変だな、と王子さまはむじゃきに考えました。
そして、地球にやってきました。

王子さまは、バラの花の咲きそろっている庭にいました。遠くに残してきた花は、自分のような花は、世界のどこにもない、といったものでした。それだのに、どうでしょう。見ると、たった一つの庭に、そっくりそのままの花が、五千ほどもあるのです。

「もし、あの花が、このありさまを見たら、さぞこまるだろう・・・やたら咳(せき)をして、ひとに笑われまいと、死んだふりをするだろう。そしたら、ぼくは、あの花をかいほうするふりをしなければならなくなるだろう。だって、そうしなかったら、ぼくをひどいめにあわそうと思って、ほんとうに死んでしまうだろう・・・・・」
「ぼくは、この世に、たった一つという、めずらしい花を持っているつもりだった。ところが、じつは、あたりまえのバラの花を、一つ持っているきりだった。・・・・・・・」
王子さまは、草の上につっぷして泣きました。


すると、そこへキツネがあらわれました。「ぼくと遊ばないかい?」と、王子さまはキツネにいいました。

キツネ
「おれ、あんたと遊べないよ。飼いならされちゃいないんだから」
「(飼いならすって、つまり、)仲良くなるってことさ・・・・うん、そうだとも。おれの目から見ると、あんたは、まだ、今じゃ、他の十万もの男の子と、別に変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくったっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネと同じなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、お互いに、離れちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・・」

「だけど、もし、あんたが、おれと仲よくしてくれたら、おれは、お日さまに当たったような気持ちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、今日まで聞いてきたのとは、違ったのが聞けるんだ。ほかの足音がすると、おれは、穴の中にすっこんでしまう。でも、あんたの足音がすると、おれは、音楽でも聴いている気持ちになって、穴の外へはいだすだろうね。それから、あれ、見なさい。あの向こうに見える麦畑はどうだね。・・・あんたのその金色の髪は美しいなあ。あんたがおれと仲よくしてくれたら、おれにぁ、そいつが、すばらしいものに見えるだろう。金色の麦を見ると、あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにぁうれしいだろうな・・・」

王子さま
「ぼく、とても仲よくなりたいんだよ。だけど、ぼく、あんまり暇がないんだ。友だちも見つけなけりぁならないし、それに、知らなけりぁならないことが、たくさんあるんでねえ」

キツネ
「自分のものにしてしまったことでなけりぁ、何もわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、今じゃ、もう、何もわかる暇がないんだ。・・・・」

王子さま
「でも、どうしたらいいの?」

キツネ
「しんぼうが大事だよ。最初は、おれから少しはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目で見る。あんたは、何もいわない。それも、言葉っていうやつが、勘ちがいの元だからだよ。一日一日とたってゆく内に、あんたは、だんだんと近いところへ来て、すわれるようになるんだ・・・・」

「いつも、同じ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後四時にやってくるとすると、おれ、三時には、もう、うれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれ、おれはうれしくなるだろう。四時には、もう、おちおちしていられなくなって、おれは、幸福のありがたさを身にしみて思う。だけど、もし、あんたが、いつでもかまわずやって来るんだと、いつ、あんたを待つ気持ちになっていいのか、てんでわかりっこないからなあ・・・・“決まり”がいるんだよ」

「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたの花が、世の中に一つしかないことがわかるんだから。それから、あんたがおれにサヨナラをいいに、もう一度、ここにもどって来たら、おれはおみやげに、ひとつ、秘密を贈り物にするよ」

   (中略)

「さっきの秘密を言おうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラの花のために、暇つぶししたからだよ」

「人間っていうものは、この大切なことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。面倒みた相手には、いつまでも責任があるんだ。守らなけりぁならないんだよ、バラの花との約束をね・・・」


★この作品で、サン=テグジュペリが描いた「花」とは、妻のコンスエロを表したものでした。情熱家の二人は似たもの同士で、その愛の深さゆえに、長い間、葛藤し、互いに悩み苦しんだのだということでした。

サン=テグジュペリは、この作品を自分の「遺書」だと友人に語っています。出版の一月後には、パイロットとして対ドイツ戦に自らすすんで志願し、南フランスの地中海沖で帰らぬ人となりました。

この世における、人と人との出会い・・・つまり、“ご縁”は大切にしなければいけないということ。ある意味、責任が伴うのだということ。そして、それを深めて行くには、共に過ごす時間が、どうしても不可欠となるのだということ。そういったことを、サン=テグジュペリはわれわれに教えてくれました。

[41] 「アンテナ」 Name:道開き Date:2007/07/02(月) 19:38 
「ボーっ!」としてテレビを見ている時、おそらく心は、かなりの“ニュートラル状態”、“オープン・マインド状態”になっている時なのでしょう。それは自分自身に備わっている「アンテナ」も、盛んにこの世に飛び交っている様々な電波を“受信”している時のようにも思えます。止めどもなく自分の大脳に、ブラウン管に映っていない「番組関連の情報」が流入してくるみたいなのです。以前からそのように感じていました。

よって、テレビを見ている時はいつもすぐ側に筆記用具のようなもの置くことにしています。さもないとせっかく受信したものを逸してしまいそうだからです。
もしかしてこれって、プチ「お筆先(自動書記)」なのでしょうか。

違ったケースもあります。
昨夜のことなのですが・・・・
以前、2、3年も前になりますか、自称“名言好き(フェチ)”と語られる春風亭小朝師匠特撰のいくつかの“名言”を、テレビ番組で紹介していたのでノートしておきました。昨夜、考え事がありまして、何となく、本当に何となくその事を思い出したので、その“名言”を記したノートに目を通してみました。自分なりに非常に納得できたので、一件落着ということもあって、また何となく気晴らしにテレビのスイッチをつけてみました。すると何と、・・・・小朝師匠がテレビに出ていらっしゃって色々とコメントされてました。
これに似たようなケースも非常に多いです。

やはり、「人間自身も一本のアンテナなんだ」と思えてなりません。

[40] 古代インドの神々A Name:道開き Date:2007/06/12(火) 16:51 
下の書き込み[39]に続きます。

「仏教」側においても、5世紀頃から、「ヒンズー教」やその他の民間信仰(「タントラ教」等)と融合し、変化が始まります。つまり、「仏教」+呪術儀礼→=「密教」という動きが生じます。

★悟りを得るための“修法”の一つとして呪文「マントラ」や、まじないの言葉「ダーラニー」を唱えたり、指を決められた形で結ぶ「印契(いんげい)」をおこなったり、火を焚いて祈願する「護摩祈祷(ごまきとう)」を行ったりする形態。

「密教」の“密”は、秘密という意味で、「文字や言葉では説くことができない秘密の教え」ということです。これに対して、文字や言葉で解りやすく説かれた教えを「顕教(けんきょう)」といいます。この「顕教」と「密教」という分類は密教側が主張しているもので、つまり、釈尊(お釈迦様)が説いた教えはすべて「顕教」ということのようです。

「密教」では、“大日如来”という仏そのものが宇宙の中心だと考えます。「顕教」でも基本的な考え方は同じです。違うのは、釈尊(お釈迦様)という通訳を必要とするか、自力のみで様々な“修法”を通して仏との交信をはかるか、という点です。


◆◆不動明王◆◆
不動明王は、くわしくいうと“不動威怒(いぬ)明王”、略称で“不動尊(そん)”とも“無動尊”ともいい、密教においては“常住金剛(じょうじゅうこんごう)”とも呼ばれます。

この不動明王のインドでの呼称は“アチャラ・ナ−タ−”で、「ヒンズ−教のシヴァ神の別名」でもあり、“動かないもの”を意味し、このことから不動明王はシヴァ神を起源とするとも言われていますが、その関係は明らかではありません。

★修行者の“守り本尊”
不動明王を初めて日本に伝えたのは真言宗の開祖、弘法大師・空海だとされています。
天台宗の“千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)”でも、必ず不動明王の真言を唱えながら行われます。日本固有の山岳信仰と密教が結びついた修験道においても、もっとも尊崇されているのは不動明王です。
梵語(ぼんご)の「アチャラ・ナ−タ−」は、シヴァ神の別名であり、“動かないもの”、つまり“山の守護者”をも意味しているからと言われます。

 大乗仏教の末頃から不動明王を説く教典が多くなり、七世紀後半に、不動明王こそが仏教の守護神として最高の存在であると説く『大日経(だいにちきょう)』が成立するに至って、「五大明王の主尊(しゅそん)」としての地位を確立しました。

★呪文
 不動明王の「明」は“知識”を意味し、これは、「呪文・真言」を指します。よって、“呪文を司る者たちの王者”、“呪文の中の王”というのが「明王」の意味となります。

★護摩祈祷(ごまきとう)
 不動明王を本尊とする儀式の主なものは“護摩(ごま)”である。古いインド語の「ホ−マ」を漢字に写したものです。「火生三昧(かしょうざんまい)」に住む不動明王と火の儀式“護摩”は最もふさわしい組み合わせで、“護摩”の本尊としても不動明王が信仰されました。
  “護摩”は、「供物(くもつ)を火中に投じて仏に捧げ、仏と交信する儀式」で、災害や苦難、煩悩や罪業など内外の災いを除くための修法とされます。火を焚いてその中に種々の供物を投げ入れ、口に真言を唱え、心に本尊を念じる。このことによって本尊と行者と一切衆生が結ばれ、所期の目的が達成されるといわれています。


◆◆大黒天◆◆
 大黒天は、よく台所に祀られていることからもわかるように、もともとは厨房(ちゅうぼう)の守護神でした。伝教大師・最澄が、中国の寺院の厨房で祀られていたのを日本に持ってきて寺の庫院(こいん・台所)に祀ったのが始まりとされます。

 仏教の大黒天の起源は、古代インドの破壊神シバァ神で、その名を「マハ−カ−ラ」という。マハ−は「大」、カ−ラは「黒」を意味します。カ−ラには「時間」という意味もあって、時が経てば死に至ることから、死の神としても畏怖されていました。“破壊”と“死”をもたらす神をなぜインド人が崇拝したかというと、それは死の後に来る“再生”を期待しているからです。この大黒天は、初めはその神威により戦闘神として敬われ、やがて仏教の守護神となって、自由自在な神通力によって世の人々に無量の富と財を与える神さまとして信仰されました。


◆◆弁財天◆◆
 七福神の中でも唯一の女神は、「弁天さま」こと弁財天です。その起源は、インドの聖なる河の神霊であるとされています。一説にはインダス川の神格化されたものとも言われている。“水の神”、“豊饒の神”として尊ばれてきました。たいていは川や湖、海の近くに祀られているのもこの為です。
水神というのは蛇体と信じられていたこともあり、弁天さまの縁日は巳(へび)の日と定められ、又、蛇は弁天さまのお使いともされています。

 又、弁天さまのインドの呼称サラスバァティ−は、バァ−チュ(“言葉”という意味)という女神と同一視され、ここから“学問、芸能の神”でもあると考えられました。音楽の神さまというのは、河の水の流れる音に由来しているといわれています。よって、「妙音天」、「美音天」、「大弁才功徳天」といった別名があります。

奈良時代に日本に伝わり、鎌倉時代に現在の様な琵琶を持つお姿に定着しました。今日でもインドでは、弁天さまは人気があって、教科書の扉などに載せられているといいます。
ヒンズー教ではブラフマン神の配偶神とされています。


◆◆毘沙門天◆◆
毘沙門天は、中世、武将たちの間に広く信仰されました。
足利尊氏や上杉謙信は、毘沙門天を“守り本尊”として祀りました。謙信に至っては「毘」の字を旗印にし、戦の際には城内にある毘沙門堂に独り籠もって戦勝祈願を行い出陣していたのは余りにも有名な話です。

今年のNHKの大河ドラマ『風林火山』でも、ぼちぼち、Gackt(ガクト)さん演じる謙信の毘沙門堂での祈願シーンが出てくる当たりまで話が進んで来たようです。

忠義の武将として知られる楠公こと楠木正成は、両親が毘沙門天に祈願して授かった子だといわれ、幼名は多聞丸(毘沙門天の別名)といいました。  

★北方世界の守護神
 毘沙門天もインドの軍神で、サンスクリットでは「バイシュラバナ」といい、仏教の守護神として、千年間の苦しい修行の後、北方世界の守りを梵天(ぼんてん)から命ぜられたとされています。そして、毘沙門天は、釈尊(お釈迦さま)の言葉を集大成したと伝えられている『阿含経』(あごんきょう)に、四天王のひとりとして登場します。
◎四天王  
・持国天(じこくてん・東)
・増長天(ぞうちょうてん・南)
・広目天(こうもくてん・西)
・多聞天(たもんてん〈毘沙門天〉・北)

[39] 古代インドの神々@ Name:道開き Date:2007/06/12(火) 16:48 
インドの総人口の約8割に当たる八億人余りの人々が「ヒンズー教」の教徒だとされています。インド人にとっては、ほとんど「宗教」という意識はなく、インドの文化や生活そのものとして受け止められているようです。日本における「神道」(神〈かむ〉ながら)のようなものとも言えます。

ヒンズー教の基礎は、「バラモン教」にあるとされますが、どちらかというと、より自然発生的に生まれたものであるとされています。

BC15 世紀頃、インダス文明が衰退した後、アーリア人が侵入します。彼らは支配体制を確立するために、自らを司祭(バラモン)階級と称し、先住民を隷属させる“ ヴァルナ”という階級制度を設けます。BC6世紀頃にかけて“ヴェーダ”を編纂し、「バラモン教」という宗教形態が成立しました。あらゆる自然現象を神格化した多神教です。

やがてBC5世紀頃、「仏教」や「ジャイナ教」が起こり、「バラモン教」の階級制度を鋭く批判したため衰退します。ところがそのまま消滅することなく、仏教やジャイナ教など様々な信仰をも吸収し、9世紀以降、より大衆的、普遍的な形に発展拡大し、現在の様な形態の「ヒンズー教」となります。

★★★★“デ−バァ”と“アスラ(阿修羅)”
 バラモン教の神々を大きく二つにわけて、“デ−バァ”と“アスラ”と呼んでいます。“デ−バァ”は正統な神さまたちの集まりで、“アスラ”はいわば本流から外れた神さまたちのことを言います。そして、アスラの中にはデ−バァに敵対する者がいたため、次第にアスラは魔神として扱われるようになっていきます。しかし、「仏教」では、デ−バァ、アスラのどちらも仏の教えにふれて荒々しい性格を捨て、仏教を守るよい神々に変身したとし、“如来”、“菩薩”より下位にこれらの“天部の神さま”を置いている。主だったものに以下の神々が存在します。

◎梵天(ぼんてん)  
インドでは「宇宙の創造神」とされる。

◎帝釈天(たいしゃくてん)  
リグ・ヴェ−ダの中で活躍する英雄神「インドラ神」のこと。“神々の帝王”と呼ばれる。                                                                    

◎緯駄天(いだてん) 
シバァ神の子。火葬された釈尊の遺骨の歯を俊足の悪魔が奪って逃げたのを、この韋駄天
が追いかけて取り戻したというのは有名な話。

◎鬼子母神(きしもじん) 
前世の恨みから、人の子をさらってきては食べる鬼女となっていたが、釈尊の諭しによって「子供の守護神」となる。日蓮宗では、あらゆる祈願は如来、菩薩になされるのではなく、総てこの鬼子母神に対して行われているという。

◎水天(すいてん)     
「天体の運行、社会の正義をつかさどる神」。やがて、「海の神」、「水の神」、そして、「安産の守り神」となった。

[38] A「大天使ミカエル」の“起源”って??? Name:道開き Date:2007/05/27(日) 16:08 
下の書き込み[37]に続きます。

現在の「西洋占星術」は、古代オリエント(現在の中近東、イラク、シリア、レバノン、イスラエル等)に起こった1つの科学で、3200B.C頃に起こったシュメールから、アッカド、バビロニア、アッシリア、カルデアといった各王朝で発展を遂げました。それらを継承したのは“カルデア神官団”で、同時に、バビロニアの「天地創造神話」も伝わることとなりました。

こうした古代オリエントの地にイラン人(メディア人、パルティア人、ペルシア人の三部族からなる)が南下します。
バビロニア、小アジア(現在のトルコ)地域に定住したのはメディア人で、“マゴス”(“マギ”の複数形で、今日の英語の“魔術師〈magician〉”の語源です。)と呼ばれました。
これらは彼らの「火の教え」(拝火教)がギリシア人にはたいへん神秘的に見えたからです。彼らの教えは至高神ズルワンと正義の執行者ミトラを中心としたものでした。《ミトラ教》

イラン人は、インド人と共通の先祖を持ち、紀元前2000年ごろには中央アジアに住んでいたそうです。よって、インド最古の『リグ・ヴェーダ』にもミトラが登場しています。
メディア人とパルティア人はミトラとズルワンを崇拝し、東に定住したペルシア人はアフラ=マズダーを崇拝していました。

この古代バビロニアの地で、“カルデア神官団”と“マゴス神官団”が融合し、ミトラ、アフラ=マズダー、アーリマンといった《ミトラ教》の神々が、古代シュメールの神々と一つになります。“マゴス=カルデア連合神官団”は、ゾロアスターを自分たちの教えの始祖と考えました。
…《ゾロアスター教》

彼らは大宇宙では光と闇が壮大なスケールで戦いをくり広げていると考えていました。よって、星々からの指令を正しく解読して、闇の軍団が引き起こす災いを避け、何をしたら光の勝利に寄与できるかを知るための方法を研究しました。

アケメネス朝ペルシア帝国では、《ミトラ教》ズルワン派が国教ともなりました。
北シリア、小アジア(現在のトルコ)では、ネルガル信仰と結び付き、ミトラ=ネルガル信仰を産み出します。
そうして、ミトラは、霊界にいて地上の悪を見張り、正義の鉄槌を下す神であると同時に、霊界の秘密を知る神となり、至高神ズルワンの化身となり、ズルワンの意志を代行する者となった。その結果、ミトラはアフラ=マズダー、アーリマンの上位に来ることとなる。小アジアのフリギア人たちは、この偉大な神を“ペルセウス”(ペルシアから来た神)と呼びました。
各地でミトラ騎士団が結成されるようになります。これは中世ヨーロッパのテンプル騎士団、マルタ騎士団の基本形と言われています。


◆◆◆◆◆
やがて、小アジアの地において“マゴス=カルデア連合神官団”と古代ギリシアの哲学者たちの間で活発な交流が起こります。中心都市タルソスやロードス島を中心に、“バビロニア=ストア学派”が誕生し、バビロニアの宗教思想をギリシア=ローマへ導入する窓口となります。
この学派により、「ミトラ神学」に「プラトンのイデア論」が導入されたため、しばしば「プラトン神学」とも呼ばれます。
また彼らは、この神の真の名前がミトラであることは知っていましたが、それを秘密とし、「ペルセウス」(ペルシアから来た者)と呼んでいました。
なぜミトラという本当の名前を呼ばなかったかというと、みだりに口にしてはならない秘密の名前だったからです。

バビロニア=ストア学派の神智学者は、バビロニア=ペルシアの光と闇の戦いを心理学的に解釈して、「西方ミトラ神話」を作りました。つまり、バビロニア=ペルシアの伝説とギリシア神話を融合したものです。例えば、ペルセウスはゼウスの子とされました。

〈※バビロニア=ストア学派の思想を継承しているのは、H.P.ブラヴァッキーの創設した「神智学協会」と、ルドルフ・シュタイナーが創設した「人智学協会」で、全世界に支部があり、現在、活発に活動を展開しているようです。〉

やがて、「西方ミトラ教」はローマ帝国内に広がっていきます。そして、後期バビロニア=ストア学派を代表する哲人・マルクス・アウレリウス帝 (121〜180年A.D.)は、ミトラ教を「ローマの国教」としました。帝はみずからがミトラ教の最高神官となります。彼の他にもディオクレティアヌス帝など多くの皇帝たちが熱烈なミトラ教信者となりました。


◆◆◆◆◆
3世紀になると、バビロニアから第二の波がやって来ます。つまり、バビロニアが生んだ天才マニの神智学に基づく《ミトラ教》です。
マニは、新プラトン学派が大成した理論をもとに、これまでのミトラ伝説に新たにキリスト伝説と仏教伝説をとりこんで理論化しました。

マニの神智学は、全ユーラシア大陸に広がっていきます。
例えば、ミトラのインド音は「マイトレーヤ」で、漢字で書くと弥勒(みろく)で、弥勒菩薩(ぼさつ)ということになります。
また、中央アジアにいたブルガリア人たちは、8世紀にバルカン半島に移住しました。彼らは「東方ミトラ教」を信仰していましたが、先住民の「西方ミトラ教徒」と結びつき、“ボゴミール派”が誕生します。
彼らは、キリスト教の用語を使って、ミトラ伝説を語ります。その結果、ヨーロッパでは、アフラ=マズダーを“キリスト”、アーリマンを“サタン”、ミトラを“ミカエル”と呼ぶようになります。

ユダヤ教の神秘主義にはメタトロンという大天使が登場しますが、これもミトラがユダヤ教に取り入れられたものだとのことです。

[37] @「大天使ミカエル」の“起源”って??? Name:道開き Date:2007/05/27(日) 16:03 
最近観た二つの“悪魔祓い映画”があります。
『エミリー・ローズ』、そして『エクソシスト・ビギニング』です。

“光”と“闇”の存在、“善”と“悪”、そして、“天使”と“悪魔”・・・その根底にあるのは「二元論」です。これには古代ペルシアの宗教・《ゾロアスター教》の影響が大きいようです。

『エクソシスト・ビギニング』は、メリン神父の若かりし頃のお話。悪魔(堕天使)・ルシファーとの対決の始まりのお話です。
その悪魔祓いは、「主(父なる神)とキリスト」の御名を唱えるのみならず、「聖霊、聖母マリア、すべての大天使(特に、大天使ミカエル)、すべての聖人、そして殉教者たち」にまで祈りを捧げながら行われていました。

本当に、ローマン・カトリック(旧教)は一神教というよりも、まるで多神教の様です。われわれの神道に非常に近いものがあります。
〈プロテスタント(新教)はマリア信仰も、天使信仰も希薄なようだし、ただただ聖書至上主義を取っているようです。〉

キリスト教は、ヨーロッパに伝搬した際に、多くの土着の信仰を取り込みましたし、後世になってからも東方オリエントの信仰が何度も流入したようです。



ところで、「大天使(特に、大天使ミカエル)」とか「悪魔ルシファー」って、いったい何者なんでしょうか?
ちなみに、ネットで「大天使ミカエル」「四大天使」「ルシファー」で検索すると、下記のようなことが詳しく書かれていました。

★★★大天使ミカエル
◎ 最強の天使
もっとも人気が高く、常に天使たちのトップに立ってきた彼は、“力天使の指導者”、“大天使の指導者”、“神の御前のプリンス”、“正義の天使”、など、数々の称号を持つ。知力はもとより、彼の優れた能力は鞘から抜かれた剣が示すように、戦うための天使として武勇において語られることが多い。ミルトンの失楽園の中では、サタンとの戦いが始まったとき、『天軍の指揮者ミカエルよ、汝もゆくのだ!武勇においてミカエルに次ぐガブリエルよ!汝も共に…』と神から指令を受けている。

◎ドラゴン退治
『わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から下って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上諸国の民を惑わさないようにした』(『ヨハネの黙示録』)

◎サタンとの一騎打ち
両軍の兵の見守る中、ミカエルとサタンは自然の調和と秩序が破れるかと思われるほどの激しい攻防を重ね、ついに決定的な一撃が決まる。『その攻撃力においても、瞬時に敵の攻撃を避ける早業においても、どちらにも遜色はなかった。ただ、ミカエルの剣は神の武器庫から賜ったものだけに、さすがに鍛え抜かれており、その刃にはどんなに鋭い剣も硬い剣も刃向かうことはできなかった。一挙に屠り去ろうと、真っ向から激しい気負いで振り下ろされたその剣を、サタンの剣がはっしと受け止めたが、その次の瞬間、真っ二つに切断されてしまった。それどころか、ミカエルは目にも止まらぬ速さで己の剣を後方に弧を描いて振りかぶり、再びサタン目がけて振り下ろすと、今度は彼の右の脇腹を深くえぐった。この時、サタンは初めて苦痛を知り、身をよじって転々と転げ回った』(ミルトン『失楽園』)

◎霊魂を秤にかける
 中世において、ミカエルは魂を冥界に導く者だった。メルクリウス神を崇拝するガリア(現在のフランス)の異教徒たちを教会が引きつけたがったため、冥界の神の属性の多くがミカエルに与えられた。マリアへ死を伝える役割も請け負っている。
 またもう一つの重要な役目に、最後の審判の日にラッパを吹き鳴らし、審判の場で人間の魂を秤にかけるとされている。

◎イスラエルの守護聖人
『ダニエル書』で、ダニエルはイスラエルの民に襲いかかる大きな困難、終末について知らされる。しかし、『その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する』そうだ。さらに、『我を助けて彼らにあたる者は汝らのミカエルのみ』と語られている。

◎カトリックでのミカエル
 カトリックではミカエルは「天使の王子」と呼ばれ、彼以上の位の天使は存在しない。煉獄の門番でもあり、煉獄の魂のためにミカエルへつくられた祈りがあるという。
 カトリックの伝説には、カイロトパの泉を沸き出させたのがミカエルで、この泉は病を癒す効果があるという。この水を浴びて、三位一体とミカエルに加護を祈る。


★★★ ルシファー 
◎かつての大天使長
 Lucifer(ルシファー、ルシフェル)は「明けの明星」を意味し、「光を掲げる者」、「朝の子」などの称号を持っていた。「明けの明星」とは金星のことで、この星が夜が明けてからも最後までその輝きを残すことから。
 このような称号にふさわしく、ルシファーは堕天する以前は天使たちの中でもトップの地位にいた。大天使長という最高位にいて、かつ神からもっとも愛されていた天使であった。唯一神の玉座の右側に侍ることが許され、天使の中でも最高の気品と美しさを備えていた。

◎神への反抗
 これほどの境遇にいたルシファーがなぜ神に反抗したのか、その理由は驕り、もしくは嫉妬によるものとされている。
 ○驕り:最高の権威と力を与えられたルシファーはそれにうぬぼれてしまい、そこに彼の心に魔が差した。自分は他の者に服従するべき者ではないと。すなわち、自分が神を追い越せるのでは考えたのだった。そして彼は味方になる天使を集めて神に反旗を翻した。
○嫉妬:ルシファーの反乱は嫉妬から来ているとする解釈もある。神は人間を創り人間にこの上ない寵愛を注ぎ、なおかつ天使以上の優遇を与えようとした。このことが彼の不満となり、同様にそのことへの不満を抱いていた天使たち、または彼を慕っていた天使たちを集めて反乱を起こすにいたった。
 ほかに、父なる神がルシファーとは兄弟になる御子を生みだし、御子に最高の栄誉を与えられたことがルシファーの嫉妬をあおったという解釈もある。この時、怒り狂うルシファーの頭から「罪」が生まれ、彼はこの娘との間に交わって「死」を誕生させたという。御子とは後に人類の原罪を償うために受胎して地上に降り立つイエス・キリストのことである。

◎サタンとなったルシファー
 神へのクーデターは結局失敗に終わり、彼ら反逆の天使たちは神が彼らを罰するために創った地獄へと追い落とされる。地獄でルシファーとしての称号を失った彼はサタンと呼ばれるようになり、堕天使たちを率いる地獄の君主となる。
 堕天した天使たちからはかつての霊質は失われ、物質化した肉体を持つ。


★★★大天使ガブリエル
◎唯一の女性
 ガブリとは、シュメール語で総督、統治者を意味する。天啓、智恵、慈悲、贖罪、約束の天使であり、エデンの園の統治者であり、“智天使の支配者”である。
 天使とは両性具有の存在であるため、男性でも女性でもないが、このガブリエルだけは絵画においても女性の姿で描かれることが多い。ガブリエルが女性と考えられる理由は、『トビト書』でガブリエルが神の玉座の左側に座していたことにある。昔のユダヤの習慣では主人の左に座を占めるのは女性ということになっていたからだ。しかし、この説はユダヤ、キリスト教では認められているものの、敬虔なイスラム信者には否定されている。

◎受胎告知
 ガブリエルはナザレの町のダヴィデ家ヨゼフの婚約者であるマリアの前に現れ、イエス・キリストの懐妊を伝える。『マリア、恐れることはないあなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい』『精霊があなたに降り、いと高き力があなたを包む。だから生まれるものは聖なるもの、神の子と呼ばれる』(『ルカによる福音書』)
 また、これに先立ちザカリア司祭の妻エリザベトの前に現れイエスの洗礼者となるヨハネの誕生も告知している。
 キリスト生誕の受胎告知の場面を描いた絵画はあまりにも多い。そこに現れるガブリエルは必ずと言っていいほど、百合の花を持っている。百合の花は聖母マリアの象徴であると同時に、ガブリエルの象徴であり、処女の性を表す。
 ほかに、ガブリエルは天国から離れ生まれ変わる魂を導き、魂が母親の子宮にいる九ヶ月の間見守るという。

◎聖書の中のガブリエル
 ガブリエルは聖書正典中では、旧約では『ダニエル書』、新訳では『ルカによる福音書』において計四回名前があがっている。前者では大災害が起きることを知らせる幻視をダニエルに見せ、後者はマリアへの受胎告知である。これらの重要な役割を担ったことが、ガブリエルをカトリックでの天使崇拝で特筆すべき地位に当たらせている。
 その他ガブリエルは多数のヘブライ語文献や民話に登場することになっている。『創世記』の記述には特定されていないが、ユダヤ教ではソドムとゴモラの街を滅ぼしたのはガブリエルとされている。

◎コーランの伝達
 ガブリエルはイスラム教では聖霊と同等と考えられている。ムハンマドに『コーラン』を口頭で伝えたのは百四十組の翼を備えたガブリエルだという記述がある。洞窟で瞑想に励むムハンマドのもとに大天使ガブリエルは現れ、神秘的な文字の記された一枚のショールを示した。そして神の言葉を伝え、それをムハンマドに書き取らせた。それが『コーラン』という聖典だという。
 イスラム教ではガブリエル(ジブリール)は“真理の天使”と呼ばれている。

[36] ♪♪ブラザ−・サン&シスタ−・ム−ン♪♪ Name:道開き Date:2007/05/08(火) 07:55 
映画の主題歌を歌っていたドノヴァンの澄んだ歌声が何とも懐かしいです!
私がこの映画を観たのは確か中学2年生の時です。聖フランチェスコを題材にした映画でしたので、将来、自分も神様に関わる仕事をするのであろうから何らかの参考になるのではなかろうかという、幼い者なりの向学心からこの映画を観に行ったのでした。

監督は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を現代的感覚で描いて当時の話題をさらっていたフランコ・ゼフィリッツです。(ジュリエット役のオリビア・ハッセ−は前の布施明夫人です。・・・・・・・)

フランチェスコが、ほんの好奇心から参加した戦いで深手を負ってしまい、家に運ばれてきたところから話が始まります。生死の境をさまよい続けた或る朝、鳥のさえずりで目を覚まし、人生観、世界観が一変してしまった自分を見出します。“弱肉強食”の世界を何の疑問も持たずに暮らしてきたフランチェスコでしたが、その朝から、人、鳥、花、「この世の総てを慈しむ人」へと“人格転換”が起こっていました。
まさに、「ブラザ−・サン&シスタ−・ム−ンの境地の人」となっていたのでした。

これはつまり、典型的なシャ−マン体験〈“成巫”過程(せいふかてい)〉を聖フランチェスコが踏んだことになります。シャ−マンとなる際の“基本的パタ−ン”です。

これもシャ−マンとなった人たちに共通するのですが、周りの人たちからは、「フランチェスコは気が触れたのだ」と蔑まれたりもしました。しかし、しだいに仲間たちも集まり始め、貧しい人たちと共に、古い廃墟と化した教会の再建に取り組むこととなります。

雨の中、仲間たちと共に裸足で町々を托鉢(たくはつ)して歩くシ−ン、自然の移ろいの中、多くの貧しい人々の手によって教会が再建されていくシ−ンに、当時、中学生だった私もただただ感動の涙を流したものでした。今でもそういったシ−ンがまぶたに焼き付いています。ライ病の人たちにパンを施す少女クララ(ジュディ・パーカー)には、スクリ−ンの中に妖精を見た思いでした。

信仰と組織(ヒエラルヒ−的階層)、迫害、異端問題、貧富・・・・いかなる宗教においても起こり得る、根本的な問題が、実にさわやかに解りやすく描かれた秀作でした。

さらに、この映画が思い出に鮮明に残っているのにはもう一つの理由があります。先にも書きましたが、この映画を観に行ったのは中学2年生の時で、一人で仙台まで行きました。当時は、「中学生の電車利用による外出は学制服着用のこと」と学校で決められていましたので、校則に従って学ラン姿で行きました。

映画を見終わった時にはすっかり暗くなっていましたし、雨もひどく降っていました。不覚にも、傘を持っていませんでした。さらにあろう事か、帰路、道に迷ってしまったのでした。(今は無くなってしまいましたが、駅から歩いて3、40分ほどかかる遠い場所にあった映画館だったもので・・)

ずぶ濡れになりながらアーケード街の人混みの中を出たり入ったりしながら、30分〜1時間ほどもさまよったでしょうか、まるで、聖フランチェスコがどしゃ降りの雨の中を濡れながら托鉢をして歩いたシーンのように。・・・(苦笑い)・・・(現在、「道開き」を名乗っている身でありながら)・・・(周りの人にたずねれば何でもないことなのに)・・・・・

はたから見れば、ずぶ濡れの学ラン姿で、かなり不安げな表情でさまよってたのでしょう、大学生風の男の方に「迷っているのなら案内してやるよ」と声を掛けられました。「自分も仙台に来て長くないので、あまり詳しくはわからないんだけれど・・」と。こちらもおそらく「ハイ、お願いします。」と答えたのでしょうか、一緒に傘の中に入れてもらい、駅まで連れて行ってもらいました。

そのような事もあって、今になって思い出してみても、何ともすっぱいレモンのような味のする、そして、人情の暖かみに触れることができた、思い出の映画となりました。

[35] “呪い心”と「いじめ社会」 Name:道開き Date:2007/04/26(木) 22:37 
“呪い心”とは、一言でいうと、「人の心が、神仏から最も遠ざかってしまっている状態」であるとも言えます。

職務上、これまでに「ある人から呪われているのでお祓いしてください。」といった内容の依頼を何度か受けたことがあります。

相手側の「呪い心」(「生き霊」と化している)により、顔中が巨大なホクロのように黒ずんだもので覆われてしまい、身動きもままならなくなってしまった方とか、大蛇の姿になって現れた魑魅魍魎(ちみもうりょう)に日夜襲われ続ける方とか・・・・その形態は多様です。

(ちなみに、こういった「お祓い」「ご祈祷」は確実に効いていますので、我われ「神主」の・・・・いや、「神々」のお力を、決して侮ったりしてはいけません。)

好機を得たとばかりに、人の「呪い心」に乗っかり、“連動”して動き出す「悪霊」や「モノ」といったものが、見えない世界では実際に存在しています。こういった連中の、“連動した動き”こそが怖いのです。

つまり、ゴロツキ霊のようなものが食客として自分の身辺にたむろするようになるということになるのです。そういったモノたちにとっては、恨みや憎しみの想念にドップリと浸っている状態は非常に居心地が良いので、「類は友を呼ぶ」で、どんどん、どんどん、似たような仲間が増えていきます。

よって、たとえ相手を呪い倒したとしても、「人を呪わば穴二つ」で、自分で自分の墓穴を掘るということにもなりかねません。

こういったことは、“イジメ”の構造ともかなり共通しているように思われます。
一対一のイジメの内はそれほどでもないのでしょうが、周りの者たちが連動して動きだしてイジメに加わったりすると、イジメがどんどんエスカレートしてゆきます。そして、イジメていた側の者が、突然、イジメられる側になったりもするようです。・・・・・

現在の「イジメ社会」(「虐待」も含まれる)は、結局のところ、「呪い社会」なのではあるまいかとも考えられます。
つまり、神仏から遠ざかった心を持つ人たちが多くなった“現れ”が、社会にこういった形で映し出されているように思われるのです。

よって、一人でも多くの人たちが「神仏」に対して心を向けることにより、少しでも世の中の“浄化”をはかってゆくしか他に方法はないのではと思われるのです。

「こんな事をしたなら、神様のバチが当たる。」「誰もいないところでも、神様やご先祖様が見ておられる。」といった、現代社会において希薄になってしまっているこういった感性こそが、「イジメ社会」を治していく特効薬になるものと考えられます。

[34] ●河図(かと)と洛書(らくしょ) Name:道開き Date:2007/03/28(水) 17:53 
●Origin・・・起源 Part3 「ファイナル・エディション」です。
この図柄模様こそが、「易学」「気学」の起源であり、『陰陽五行説』における“数理”の元のもと、総ての始まりとなります。
神話・伝説によって、その“数理”の起源が語られていますが、とにもかくにもこの「原理」は、天からこの人間界にもたらされた啓示であると解されます。

★河図(かと)
太古の中国、伝説上の伏犠(ふくぎ)が王であった頃、黄河流域の河上で龍馬(りょうま)を捕らえた。不思議なことにその背中には旋毛(せんもう)が見え、その模様をヒントとして易(えき)の八卦(はっか、はっけ)を画したとされる。
下の図がそれです。

★★★ すみません。この掲示板に書き込むと、下の図の【河図】も【洛書】も西側の○(しろまる、陽)と●(くろまる、陰)が、縦に真っ直ぐにならず、歪んでしまいます。本当は縦に真っ直ぐな形です。掲示板にこの図を書くのは、とてもとても、難しいです。何度もトライしましたが・・・

【河図の図】 →「先天盤」の元となる

        南
    ○○○○○○○
       ●●
●               ○
●      ● ●    ● ○
● ○  ●  ○  ●  ● ○
● ○  ●○ ○ ○●  ● ○ 西
● ○  ●  ○  ●  ● ○
●      ● ●      ○
●               ○
●               ○
        ○
     ●●●●●●
        北

○・・・奇数、陽を表す
●・・・偶数、陰を表す

《数理》で言うと、
北   1と6
東   3と8
中央  5と10
南   2と7
西   4と9


※『易経(えききょう)』の「繋辞伝(けいじでん)」下・第2章
には別伝が記されています。
「古え、包犠(ほうぎ)氏の天下に王たりしや、仰(あお)いでは則(すなわ)ち“象”(しょう)を天に観(み)、伏しては則ち“法”を地に観、鳥獣の文(あや)と地の宜(よろ)しきとを観て・・・是において始めて八卦(はっけ)を作り、以て神明の徳に通ず。以て万物の情に類す。」

つまり、包犠(ほうぎ)氏が森羅万象を観察して易の八卦(はっけ)を生み出したというのです。


★洛書(らくしょ)
中国の古代王朝「夏(か)」の禹(う)王が、舜(しゅん)の命によって黄河(洛河)の治水工事を行った。禹王は洛河のほとりに腰を下ろし、小石を並べて水の流れの状態、土地の高低、天候との関係などについて研究を重ねていた。するとたまたま河から亀(神亀)が這い上がってきた。みるとその亀の甲には一から九までの数を負うているのが見える。兼ねてから王が考えていた計画と符節を合わせたように一致した。そこで王は決心して「九類」を作り上げた。
下の図がそれです。


【洛書の図】→「後天盤(運勢盤・家相盤・方位盤)」の元となる

        南
    ○○○○○○○○○
●●             ●●
●●               ○
        ○        ○
○     ○ ○ ○      ○
○       ○        ○ 西
○                ○
                 ○
●●●●         ●●● ○
●●●●         ●●●
        ○
        北

《数理》で言うと、
   9
4    2
3     7
8    6
  1

(北)   一白水星
(東北)  八白土星
(東)   三碧木星
(東南)  四緑木星
(南)   九紫火星
(西南)  二黒土星
(西)   七赤金星
(西北)  六白金星

[33] Origin・・・起源  Part 2 ・・・映画『怒りの葡萄(ぶどう)』& Name:道開き Date:2007/03/22(木) 11:48 
1940年、スタインベックの小説をジョン・フォード監督が指揮をとり、アカデミー監督賞を受賞し映画史上不朽の名作となった『怒りの葡萄(ぶどう)』。
今から100年も前のアメリカの農地を襲った度重なる砂嵐による不作。農地や家を銀行に取り上げられ、家財道具の一切をボロトラックに積み込んで、ただただ仕事を求めて移動を続ける農民一家を描いています。

格差社会、派遣社員(手間取り仕事)、ウォーキング・プア、社会の吹きだまり、ホームレス・・・・貧しくて弱い者たちが、更に弱い立場の者たちを滅多打ちに叩く(まるでブルー・ハーツの『TRAIN-TRAIN』の歌詞のようです・・)といった、ここ十数年間の不況下の日本で起こった多くの事柄が、100年前のアメリカでも起こっていました。
というか、洋の東西を問わず、昔から同じようなことが繰り返されて来たと考えられます。
孔子が言った、「苛政は虎よりも猛なり」とはこのような状況をいうのだと考えられます。

こういった社会の歪みを描いた多くの映画やドラマの原点は、案外この作品にあるのではとも考えられます。一昨年前にNHKで五夜連続で放映された、日本からのブラジル移民一家を描いた『ハルとナツ』なんかもそうでした。同じく橋田壽賀子さん原作の『おしん』などもそのように思われます。

特に、おしんが恋心をいだいた耕太(この漢字で良いのかは不明??又は幸太?孝太?)は、極貧生活を強いられている小作農の待遇改善を求めて、小集会での遊説を重ね、官憲に追い回され、拷問を受けて足を不自由にしてしまったほどの活動家として描かれていました。彼の描き方は、映画『怒りの葡萄(ぶどう)』でヘンリー・フォンダが演じた主人公トムが、リンチを受けて撲殺された説教師のケーシーの言葉から受けたインスピレーションを母親に語るラストシーンにつながっているものと感じられてなりません。

ちなみに、放浪の旅を続ける一家を支える主人公トムの母親の、どんな強風が吹こうとも倒れることのない大地に根を張りめぐらした大木のような強さと、乾燥しきった大地に降り注ぐ慈雨のような優しさは、もう一つの大いなる救いを感じさせてくれ、この映画の大きな柱の一本となっています。
おそらくは、おしんの描き方も、この母親を見本にしているのではとも考えられます。

更に、映画『靴みがき』の話に移ります。
1940年代〜50年代のイタリアでは、社会の悲惨な現実を凝視する映画が数多く生まれました。それは“ネオレアリズモ”と総称され、この作品はその旗頭と目された『自転車泥棒』でも有名なヴィットリオ・デ・シーカ監督の秀作です。

非行、少年犯罪、そして、少年鑑別所、刑務所といった虐待やイジメなどが行われやすい、いわゆる「風通しの悪い密閉された縦社会」が描かれた映画やドラマは、必ずといっていいほどにこのイタリア映画の『靴みがき』が手本にされているように思われます。
ショーン・ペンが主演していた『バッド・ボーイ』やマンガの『明日のジョー』なんかはそのもの。

二人の 純真な少年たちは、刑務所の中で大人たちから小突き回され、鞭打たれ、他の本物の不良少年たちの悪影響を受けながら、刑務所の中での生活をよぎなくされます。少年たちを更生させるはずの施設が、少年たちの人間性を破壊して行くという逆説が描かれています。

今になって考えてみると、若い頃にこれらの映画を観てしまったために、万事において、希望的観測のみの甘い先の見通しを立てることができなくなった自分がいるように思われます。「万事、世の中のことは、何がどうなるかはわからないもの」とついつい考えてしまうクセがついてしまいました。

それにつけても、今後、明るい未来に向かって社会の改革を推し進めていく上で、こういった作品は良い参考になるものと考えられます。

[32] 運 勢  2007・・・・少し遅れてしまいました。 Name:道開き Date:2007/02/10(土) 08:21 
今年の立春は、2月4日の14:18頃が「節入り」となりました。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。 立春は雑節の基準日で、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「干支」「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を移動します。つまり、「年回り」が変わります。

今年は《二黒土星》の年です。またまた「干支・九星術」の《二黒土星》年生まれの方の月ごとの特徴を少しばかり上げてみます。


●《二黒土星》年「二黒土星・寅(とら)」月生まれの男性
〔今年は2月4日の14:18〜3月6日の08:17までの生まれの男性)

・高橋秀樹、石塚英彦、草野仁、前田吟・・・・といった方たちです。

・外見的にはがっしりとした体格の人が多いようです。
親切丁寧な心を持ち、現実的に物事を考え、積極的な行動をとる人が多いです。悪意はないが単刀直入型なため敵視される場合もあります。正義感が強く、ボス的な一面を持ち目下の者を可愛がります。他人の意見は聞かず、自説を曲げないところがあるので若い時代は失敗を重ねることがあります。上司や先輩に反抗することがあるので注意が必要です。認められると忠実に働きます。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「一白水星・卯(う)」月生まれの男性
〔今年は3月6日の08:18〜4月5日の13:04までの生まれの男性)

・豊川悦司、筒井道隆、つぶやきシロー、ユースケ・サンタマリア、木梨憲武・・・・といった方たちです。

・自尊心高く、計算高いところもあります。お世辞や愛想で物事を進めることを好まず出世や功績を求めるタイプではありません。地味に働き、思慮深く、企画・考案にも優れていますし、有力な人に認められると責任を持って頑張ります。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「一白水星・卯(う)」月生まれの女性
〔今年は3月6日の08:18〜4月5日の13:04までの生まれの女性)

・竹内結子、純名里沙、川原亜矢子、木村多江、芳村真理、松村和子・・・・といった方たちです。

・正直で潔白な人が多く、もの事丁寧に扱いますが、時折小心でデリケートな性格をみせることもあります。自尊心高く世俗的なものは好まず、割に高尚で高価なものを欲し、着飾ったりして心を慰め、涙もろい面をもっています。人の面倒をみるのは上手です。夫の前でも他人行儀的な側面を出したりする時があるので注意が必要です。時として価値の低い人に魅力を感じたりする場合があるので注意が肝要です。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「八白土星・巳(み)」月生まれの男性
〔今年は5月6日の06:20〜6月6日の10:26までの生まれの男性)

・美輪明宏、川津祐介、米良美一・・・・といった方たちです。
映画『黒蜥蜴(くろとかげ)』ではご共演なされていましたネ。そういえば川津さんも10年ほど前に、確か『ワンダー・ゾーン』だったか、不思議系のテレビ番組のコメンテーターとしてご出演されていました。
美輪さんと米良さん、映画『もののけ姫』ではお声の方でコラボなさってましたネ。これも御縁だったのでしょうネ。

・表面は柔和ですが、根は剛情で、義侠心も強く、自律の気質を持った人が多いです。美しい物を欲し、高尚な考えを持ち、工夫して自分独特のものを作り、流行を器用に取り入れて行きます。楽しいことや好奇心をもったことにはためらわずに溶け込みます。・・・・畏れ多いので、詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきます。


●《二黒土星》年「八白土星・巳(み)」月生まれの女性
〔今年は5月6日の06:20〜6月6日の10:26までの生まれの女性)

・島田陽子、井上和香、光浦靖子、裕木奈江、中嶋朋子、田中麗奈・・・・といった方たちです。

・手先の器用な人が多く、神経は細かで、独創力に富んだ人が多いです。話し方は上手な方ではなく意識的に飾る気質があります。外見はおとなしそうに見えますが意地を張って自説を曲げない面もあり、堅実な性格を持ちながら行動が逆の方向に走りがちなところがあります。心労を背負った人が多いです。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「三碧木星・戌(いぬ)」月生まれの女性
〔今年は10月9日の01:12〜11月8日の04:24までの生まれの女性)

・千秋、谷川真理(マラソン)、阿川佐和子・・・・といった方たちです。

・清潔家で、交際好きで楽しいムードを好みます。行動的で迷いは少ないです。失敗してもすぐに立ち直ります。外見は派手で賑やかですが、内面は孤独で内向的な地味なところも持っています。茶目っ気で冗談を言う反面、気に障ることが返ってくるとふさぐところがあります。粗忽な面もあり、物忘れをしたり大事なことを仕損じたりすることも多いです。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「九紫火星・丑(うし)」月生まれの男性
〔来年の1月6日の08:25〜2月4日の20:00までの生まれの男性)

・平井堅、ルー大柴、石原良純、川合俊一、河野太郎(国会議員)、ロンドンブーツ亮、山口達也(TOKIO)・・・・といった方たちです。

・外見的には、いわゆる“濃い”人が多いようです。自負心強く、頭脳明晰ですがトラブルを起こしやすいところもあります。活動的で、仕事に忙殺されていないと落ち着かないところもあります。先見性を持ち仕事熱心ですが、人のあら探しをすると墓穴を掘ることがあります。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《二黒土星》年「九紫火星・丑(うし)」月生まれの女性
〔来年の1月6日の08:25〜2月4日の20:00までの生まれの女性)

・松原智恵子、ユーミン、新山千春、乙葉、久保純子(女子アナ)、野際陽子、根岸季衣、市原悦子、小林浩美・・・・といった方たちです。

・気位は高い方ですが苦労性で、堅実型で物事は慎重です。言葉が的を射るようにキツイ所があります。男に負けない働きをし、上司の受けは良いが同僚からは好感を持たれない面があります。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・

[31] 江原さん Part 2 Name:道開き Date:2007/01/25(木) 19:26 
私の母親が帰幽(きゆう)してはや十日が経ちます。
その日の夜に、何となくつけてみましたテレビでは『オーラの泉』が放映されていました。あまりテレビを見みない母でしたが、『オーラの泉』は好きで録画したものを見ていました。

以前、この掲示板に、10年ほど前に目黒の某会館で江原さんと偶々お会いする機会を得て、ベランダに出て外の景色を眺めながら、二人きりで色々とお話しをすることができたということを書きましたが、その時の第一印象は、とにかく大きな方だということでした。

その江原さん、お身体とお顔のみならず、お心もかなり広く大きい方でいらっしゃるようで、そのお話は、世間一般の非常に多くの人たちから「死に対する恐怖」を取り除いてくださっていると考えられます。本当の意味でスピリッチャル・カウンセラーの役割を果たしていらっしゃると思われます。

私個人としましては、スピリッチャリズム関係の本を数多く読んできましたこともあり、何となく死後の世界のことをイメージすることはできますが、現在、多くの一般の方たちは、テレビでやっている『オーラの泉』とか、『天国からの手紙』を見ることによって、“死”を学んでいるとも言えるでしょう。

戦後の日本では、「唯物論」がはびこり、人は死んでしまえば“無”になるのだという考え方が蔓延してしまいました。以前までの日本人が、巷(ちまた)のシャーマンなどの言葉や、祖先からの言伝えなどによって得ていた“死”とか“死後の世界”の知識が、バカげた戯言としてどこかに追いやられてしまいました。

しかし、世の中は何が起こるかわからない。文明の利器テレビの電波を通して、現代のシャーマン・江原さん、美輪さんにより、イッキイッキに「死後の世界」の“再確認運動”が進行していると言っても過言ではないでしょう。

ちなみに以下は、以前この掲示板で取り上げた“死”についての書き込みを再度取り上げたものとなります。どうぞご一読ください。

[131] 大女優シャ−リ−・マクレ−ンの“脱魂”体験
投稿日:2001/12/20(Thu) 19:33

下記の[130]の書き込みの続きとなります。
シャ−リ−は体験した“脱魂”の状況を詳細に記しています。それは、南米ペル−はアンデスの山奥の高地にある鉱泉(こうせん)にひたりながら、ロ−ソクの灯を見つめておこなった瞑想中に起きたと言います。

その始まりは、まず、ぼんやりと辺りを照らしていたロ−ソクが、わずかづつわずかづつ輝きを増してきたのだそうです。やがて、まばゆいばかりの輝きとなり、その状況に見入っていると、突然、自分の体が(霊体が)宇宙空間に漂っていたのだそうです。足下の方には地球が在って、自分の体からは“銀色の紐(ひも)“の様なものがユラユラたなびきながら地球に向かって伸びていたと言います。
「帰らなきゃ」と思った瞬間、今度は鉱泉にひたっている自分がいたのだそうです。ほんの一瞬の出来事だったと言います。

この自分の体から伸びていた“銀色の紐”の様なものは、日本では昔から、“霊(魂)の紐”(たまのお)と呼ばれているもので、自分の身体と霊体とがこの紐で繋がっている限りは死に至らないと言われています。

この“霊の紐”、そして“死”についての記述が詳しい一文を紹介します。それは、日本のスピリッチャリズムの草分けとして有名な浅野和三郎氏の夫人で、優れた霊媒でもあった多慶子さんの、守護霊・小桜姫(こざくらひめ)からの通信を入神状態で書き記した『小桜姫物語』の中の13章「母の臨終」というところに書かれています。

小桜姫が、死んでからのあの世における修行中に訪れた現世における母の死に当たっての記述です。「臨死体験」という言葉がありますが、これはあの世から見た「臨死体験」の状況です。
けっこう長くなりそうなので、次回の[132]に書き込むことといたします。では。



[132] “あの世の住人”から見た「臨死」・・投稿者:道開き 投稿日:2001/12/21(Fri) 19:57

[131]に続きます。多慶子夫人の守護霊になる以前のあの世での修行中に起きた、小桜姫から見た「母の臨終」の様子が描かれています。

「それは私が亡くなってから、もう余程経った時・・・かれこれ二十年近くも過ぎた時でございましょうか、ある日私が例の通り御神前で修行しておりますと、突然母の危篤(きとく)の知らせが胸に感じて参ったのでございます。こうした場合には必ず何らかの方法で知らせがありますもので、それは死ぬる人の思念が伝わる場合もあれば、又神様から特に知らせて戴く場合も在ります。その他にもまだいろいろありましょう。母の臨終の際には、私は自力でそれを知ったのでございました。

私はびっくりして早速、鎌倉の、あの懐かしい実家へと飛んで行きましたが、もうその時にはよくよく臨終が迫っておりまして、母の霊魂はその肉体から半分出たり、入ったりしている最中でございました。人間の眼には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起こる、あの悲惨な有り様しか映りませぬが、私にはその他にもまだいろいろの光景が見えるのでございます。なかんずく一番目立つのは肉体の外にも霊魂・・つまりあなた方のおっしゃる幽体が見えますことで・・・・・・・・・・

もう一つおかしいのは肉体と幽体との間に紐(ひも)がついていることで、一番太いのが腹と腹とをつなぐ白い紐で、それは丁度小指ぐらいの太さでございます。頭部の方にももう一本見えますが、それは通例、前のよりも余程細いようで・・・・。無論こうして紐でつながれているのは、まだ絶息し切らない時で、最後の紐が切れた時が、それがいよいよその人の死んだ時でございます。

母の臨終の光景について、もう一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人たちと同時に、こちらの世界の見舞い者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約10人余り、いづれも眼を泣きはらして、永の別れを惜しんでいましたが、それらの人達の中で私が生前存じておりましたのはたった二人ほどで、他は見覚えのない人達ばかりでした。

それからこちらの世界からの見舞い者は、第一が、母よりも先に亡くなった父、つづいて祖父、祖母、肉親の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、司配霊、産土の御神使(うぶすなのおつかい)〈あの世から遣わされてきたお使いの神さま〉、・・・・いちいち数えたら余程の数に上ったでございましょう。とにかく現世の見舞い者よりはずっとにぎやかでございました。

第一、双方の気分がすっかり違います。一方は自分たちの仲間から親しい人を失うのでございますから、沈みきっておりますのに、他方は自分たちの仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、むしろ勇んでいるような、陽気な面もちをしているのでございます。こんな事は、私の現世生活中には全く思いも寄らぬ事柄でございまして・・・・。

他にも気づいた点がまだないではありませぬが、下手な言葉でとても言い尽くせぬように思われますので、母の臨終の物語は、一とまづこれくらいにしておきましょう。」

[30] “アイリッシュ”映画  Part 2 Name:道開き Date:2007/01/25(木) 07:42 
ごく最近、安倍晋三総理の著『美しい国へ』を読みました。
すると、「ナショナリズムとはなにか」を説明した第3章に、“「ミリオンダラー・ベイビー」が訴える帰属の意味”という記述がありました。

映画『ミリオンダラー・ベイビー』については、当サイトの「白鬚神社窓口」の中のメニュー[目安箱]の2006/11/15日の書き込み、映画『硫黄島からの手紙』の中で私なりに触れてみましたが・・・・・

安倍総理は、映画『ミリオンダラー・ベイビー』は、「アイルランド系というアイデンティティへの帰属」「カトリックという宗教への帰属」、そして「家族への帰属」という、重たいテーマが横たわった映画だと記しています。

監督のクリント・イーストウッド自身もアイルランド系だとのことです。

評論家の松本健一さんによると、中国人も韓国人もヒスパニックも、アメリカをすでに「理想の国」であると考えて移民したが、アイルランド移民だけはアメリカを「理想の国」につくりあげようとしたのだそうです。

[29] “アイリッシュ”映画 Name:道開き Date:2007/01/02(火) 22:37 
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

前回の書き込み[28]においては、西部劇の神様と称えられたジョン・フォード監督の作品はそれほど好きでもないと書きましたが、西部劇の傑作中の傑作と言われる『駅馬車』『荒野の決闘』はそれなりには好きな作品です。

しかし、私的にジョン・フォード監督作品で好きなのは、監督が故郷のアイルランドに帰って、同じくアイルランド出身のジョン・ウェインとアイルランド系女優のモーリン・オハラと共に、アイルランドの風土と独特の“アイルランド気質”を撮った名作『静かなる男』です。

昨年の大ベストセラー『国家の品格』の中で、著者の藤原正彦さんは、アイルランドのことを以下の如き不思議な国として紹介しています。

●天才の出る風土
面白いことに、天才は人口に比例してあちこちから出現しているわけではありません。一定の国、一定の地域からしか生まれていない。
例えば、国の人口が四百万人にも満たないアイルランドという国は、数学、文学の面でもキラ星のごとき天才を生み出しています。

天才を生む土壌には三つの共通点がある。
その第一は、「美の存在」です。美しい田園風景、壮麗な寺院・・・が回りにあること。

第二は、「跪(ひざまず)く心」があるということ。“神仏”や“偉大な自然”、“伝統”といったものに跪けるかどうかです。

第三の条件は、「精神性を尊ぶ風土」です。“役に立たないことをも尊ぶという風土”です。文学、芸術、宗教など、直接に役に立たないことをも重んじる。“金銭や世俗的なものを低く見る”。そういう風土です。


※ちなみに、アイルランドと同じ“ケルト”の地・イングランドのウェールズ地方の炭坑夫一家の家族愛を描いたジョン・フォード監督の作品で、1941年のアカデミー作品賞、監督賞等の五部門を獲得した名作『わが谷は緑なりき』も好きな作品です。
(この頃のモーリン・オハラは本当に美しいです。)

ゲーリー・クーパーも『真昼の決闘』でアカデミー主演男優賞を獲得しましたが、彼もアイルランド移民の子だったとのことです。

本当にアイルランドって、不思議な国です。ヨーロッパ西端の島国ですが、まるで日本における沖縄に当てはまるような感じがしてなりません。

[28] 西部劇・不朽の名作『シェーン』 Name:道開き Date:2006/12/10(日) 20:01 
また映画の話になります。
ここ数年、何度も何度もネット検索しては、西部劇の名作『シェーン』のDVDを探してきましたが、何処のサイトにも見あたらずほとんどあきらめていました。それが何と、何気なく立ち寄った本屋の500円DVDコーナーで見つけることができました。おそらく映画の著作権の期限が切れたのでしょう。実にラッキーです。

西部劇というものはほとんどの作品が、一時だけの爽快感を味わい、何となく気持ちをスッキリさせるために観ればそれでいいような作品がほとんどのように思われます。西部劇の神様と言われたジョン・フォード監督作品でも、別に何度も観たいとは思いません。

ですが、この『シェーン』と、ゲーリー・クーパーの『真昼の決闘』だけは別物。観た後すぐにもう一度観てみて、映画の中のセリフや描かれたシーンをあれこれと何度でもチェックしてみたくなります。

この映画『シェーン』は、冒頭のシーンに総てが語られています。流れ者が遙か遠くから馬に乗って近づいてくるのを入植地の少年がじっと見つめています。そのジョーイ少年にシェーンが話しかけるところから話が始まります。

「こんにちは、僕 !  俺のことを見てたな」
「きちんと物を見る子はいい 将来大物になるぞ」

酒場での大喧嘩のシーン、少年の母親への秘めた思い、少年の父親の大地に根ざした男としての強さ、まわりの入植者たちの動揺、シャイアンから呼ばれた殺し屋ウィルソンとの決闘のシーン(このウィルソン役のチャック・パランスも実に“はまり役”)

このジョーイ少年は、大きな目を見開いて、しっかりとこれらの物事の推移を見通します。その澄んだ眼差しの鋭さ、これが凄いんです。この映画の重要なポイントなのです。
最後に、傷を負ったシェーンがジョーイ少年に次の言葉を残して去っていきます。

「真っすぐで 強い男になるんだぞ」
「お父さんとお母さんを大切にするんだぞ」

とにかくこの映画、ファースト・シーンから、余りにも有名な「シェーン ! カムバック」の“遙かなる山の呼び声”のラスト・シーンまでの2時間というものは、まさに“パーフェクト”に思われてなりません。
この作品はおそらく、「神様からこの世に贈り届けられた名画」なのではないかと私的には解しています。

生前、黒澤明監督がよく語られていた「本当に良い映画というものは、ストーリーが実にシンプルなもの」という、そのままの映画です。その単純なストーリーの中に、“珠玉の”のセリフや名シーンが数多くちりばめられています。

“不朽の名作”という言葉があります。何年経っても朽ちることなく輝き続ける作品ということですが、この言葉は『シェーン』の様な映画の為にあるように思われてなりません。
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