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[360]  ●会津藩士のミタマを送る   Name:道開き   Date:2020/07/24 (金) 11:04
◆Hさんの妹さんの転居先アパートでの出来事 〈平成20年8月23日〉

この度、Hさんの妹さんがアパート暮らしを始めることになり、新居となるアパートの部屋のお祓いと、神殿を奉斎するための神事を執り行なうこととなった。その3日前に、Hさんから別件で電話がありました。

(Hさん)「Tさんが、子ども連れの夏休みということで会津に行った際に、白虎隊のような方達の霊からコンタクトを受けたらしいです。どうやら、神社で三人で行っている神事のことを知っているようで、自分たちも神社で神事を執り行ってもらいたいと、憑いて来たそうです。その後、電話している内に私の所まで来てしまいました」

(私)「会津藩士の皆さんは、それは立派な方々で、藩を守るために壮絶な戦いをなされて亡くなられた方たちです。しっかりとした道徳教育を受け、厚い道義心を持たれた方々だから、先日、生霊が送り込んでよこしたようなチンピラ霊たちから、そのまま暫く守っていただいていれば良いかと思われます」と話しましたところ、

(Hさん)「亀廼井さんの今のお話を聞かれて、皆さん、涙を流されてます」と言う。


その後、23日に神事を執り行う。会津の皆さんは、本日は自分たちと関係のない事と思われてか、アパートの外にいて部屋の中には入ってこられなかったらしい。
そして驚いたことに、この日のHさんは、いつもの神社における霊能とは全く異なり、まるでTさんのような霊能が働いて、神事の際の霊的光景の一切が見えたと言います。

大麻(おおぬさ)でお祓いをしている際には、金粉のようなものがキラキラと光り輝いている様子が見え、祭壇の両脇には、男神と女神がお立ちになられているお姿が見えたといいます。そして神事が始まるや、何事が始まったのかと、窓やベランダの所に多くの迷える霊たちが集まってきているのも見え、土地に関係した古い邪霊たちが、神殿の上にポッカリと開いた穴のようなものの中に吸い込まれていく様子も見えたそうです。

神社に行きたいと言っている迷える霊たちは、私の後に付いて行こうとして、ドアに向かってバス待ちをしているように一列に並び、会津の方たちは、自分たちは次回でよいと語っているという。

神社に戻り、神事を終えた後に、Tさんに電話をしてみました。

(Tさん)「本当は、新潟の水族館に行くのが目的の旅行でした。たまたま途中の会津に一泊しただけなのに、宿泊先のホテルの風呂場で、ソフトでやさしい金縛りに遭い、それが始まりでした。もしかしたら今回の旅は、この方たちに呼ばれていたのかもしれません」と語る。




◆会津藩士のミタマを送る  〈9月20日〉

Hさんが懐妊中で、どうしても体調が今一つ良くないということもあって、今回はTさんと私の、二人での神事となりました。涌谷のBさんのお祓いもおこない、Hさんの子ども達の世話をする為に、境内にもう一人の方もいらしていました。今回はいつもと異なり、Hさんの“口寄せ”がないので、始めにこれまでの経緯をTさんに詳しく話してもらい、Tさんに語られた会津藩士の霊たちの思いを十分に伺い、その後に祈祷を行うといった形式を取りました。


★今日までの経緯
「夏休みなので子ども達を連れて水族館に行こう」と、Tさんの旦那さんから話しが出た。Tさんの故郷・青森の、浅虫の水族館に行こうと希望するが、どういう訳か、旦那さんは新潟を言い張るので、そちらに決まった。8月16日と17日の二日間の予定を組む。

これも旦那さんの希望で、途中の会津に寄りたいと言うので、16日には飯盛山の白虎隊記念館などを見学し、宿泊には東山温泉の“くつろぎの宿”を取った。当日はキャンセルがあって、一部屋だけが空いていたという。今になって思うと、何らかの見えない力の働き掛けがあって、始めから段取りされていたような事ばかりであったという。

当日の夜は、温泉街の祭りがおこなわれており(おそらくは「送り盆」)、各々の宿泊施設にはそれぞれに祠(ほこら)が祀ってあったという。
夜中の12時を過ぎた頃、Tさんは二度目の入浴をしようと子ども達を連れて浴場に向かい、自分一人は露天風呂に浸っていた。すると、湯女や、ふんどし姿の三助の霊たちが見え始め、その奥の方には、血の付いた装束姿の15、6人の侍たちの霊も姿を現わした。侍たちは、白鬚神社において三人で執り行っている神事のことを知っていると語ったという。

もう既に、かなり浄化している霊たちの様で、会津であった戦が負け戦であったこと、家族や親族の者達が葬儀をあげて、弔ってくれたことも知っていた。
侍たちの多くは成仏しているが、女、子ども、田、畑、河川などで亡くなった民百姓たちで成仏できないでいる者たちも多く、それら未浄化の霊たちを自分らが集めるので、一つのケジメとして、白鬚神社できちんとした形でもう一度、会津戦争で亡くなった者達の為の神事を執り行ってもらいたいと語ったという。
その中の、15才位に見える若者(白虎隊?)の一人は、かなり、何かを語りたい様子だったのが特に印象に残ったらしい。

就寝し、午前2時30分頃に目が覚めた。すると、昔風の家の中の様子が見え、刀の手入れをする侍の霊と、ひたすら夫の旅支度をする女性の霊の姿が見えた。どうやらこの侍は北の戦場に向かったらしい。その戦場で亡くなった時の光景も見えた。

翌日、佐渡島を見て、喜多方経由で帰る。これも旦那さんが言い出した事らしく、そこでも多くの侍たちの霊を拾い集めて来る事になったという。

帰宅後は、それら会津藩士の霊たちとの共同生活みたいな状態になったが、彼等の崇敬心の篤さには驚かされることばかりで、Tさんが神棚を拝むと、一緒になって全員揃って手を合わせた。すると、それを不思議に思ってか、多くの迷える霊たちも集まりだし、Tさんにとっては霊的にかなり苦しい状態となり、家の中が煤けだし、やたらとホコリが溜まり始めた。
Tさんが苦しくなって、「近々、お寺に足を運ぶので、仏式でおこなってはどうか」と伝えると、「もっとよく勉強しなさい」と勿(しゃく)の様な物で強く叩かれ、激しく叱責されたという。


白鬚神社での神事の当日、「Hさん抜きで神事を執り行いますので、ひとまずあの世へと赴いていただき、Hさんの体調が整ったら、“口寄せ”の為に降りて来てもらい、自らの言葉で語ってはいかがか」とこちらから申したところ、即座に承諾していただいたらしい。

神事が始まるや、会津藩士の霊たちは、他の集まって来ていた行儀の悪い迷える霊たちにも正座をさせ、自分たちは最前列に整然と並んでお祓いと祈祷を受け、そして神事が終わるや否や、あの世へと赴いて行ったということでした。



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◆この一年間に渡る神事の総括  〈平成20年〉

★映画『コンタクト』と“言霊(ことだま)”

自分なりにこの一年を振り返ってみた。沖縄戦の犠牲者たち、中国ウイグル自治区の弾圧で亡くなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、何故に、遥か遠くに位置する当神社までやってこられたのかをよくよく考えてみました。

SF映画に『コンタクト』という作品があります。宇宙の生命体からの通信を得ようと研究に取り組むジョディー・フォスター演じる女性科学者が、ある日突然、宇宙からの通信をキャッチします。それは人類初のテレビ放映電波、つまり、ヒットラーが国威宣伝(プロパガンダ)の為に行ったベルリン・オリンピック開会式のテレビ映像でした。ここから映画のストーリーは急展開していくのですが、私が最も興味を引かれたのは、我々が日々使用している様々な電波は宇宙の果てまでも波及し続けるという事でした。

「言葉」を“光透波(ことば)”と解釈されている古神道家、言霊研究者も居られるようですが、こういった“言霊”信仰というものは、決して日本だけのものではありません。『聖書』のヨハネ伝には「太初にコトバあり、コトバは神とともにあり。コトバは即ち神なりき、万のものこれよりてなる」と書かれています。インドのウパニシャド哲学の奥義書『リグ・ベェ−ダ』においても、創造主は“言葉の主”となっています。

今年の1月の20日は、暦の二十四節気の「大寒」でした。今年も例年通り、大寒禊(みそぎ)に参加しました。褌(フンドシ)一つになって、気温が氷点下6、7度以下にまで下がった日の出直前の海に入ります。「神事」の時間は20〜30分ほどです。

今年はどういう訳か、一番最後まで「斎場」に残っていたからなのか分かりませんが、4社のテレビ局からのインタビューを受けることになってしまいました。それも1社ずつ個別にでした。各テレビ局とも「どういった気持ちで禊をされましたか?」といった内容のものでした。

こちらは寒さで意識を失う寸前の朦朧とした状態だったので、それどころではなかったのですが、あまり深く考えずに思いつくままに「おのれのミタマを清め、世の中を清め、世界中が平和であることを願って禊を行いました」と答えました。後でテレビを見ましたら、かなりドデカい事を口にしてしまったな〜とも思えました。

どう考えを廻らせてみても、この出来事以外に、白鬚神社で偶然に行われ続けることになった“口寄せ”神事に、沖縄戦の犠牲者たち、中国のウイグル自治区の拷問でなくなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、“コンタクト”してきた理由が思いつかないのです。

人は一本の「アンテナ」だというのが私の持論です。禊(みそぎ)によってアンテナの感度が高まると、“受信”のみならず、“発信”の性能も高まるようです。禊をしたことにより増幅された“光透波(ことば)”が、更にテレビ電波に乗って発信されたことにより、遥か遠くまで伝播して起こった出来事だったように思われるのです。


とにかく、「言葉」−“光透波(ことば)”の持つ力によって、世の中を祓い清めていきたいと思っています。見えない世界から改善していかないと、この日本はどうにもならない所まで来ているようにも思われます。


※「行」について
「行(ぎょう)」というものは必要ないものだと語られる宗教者もおられます。ここ数年、よくテレビでお見かけする“青森の神さま”こと、木村藤子さんの本なんかを読んでみても、全くそのように書かれていました。

しかし、人々の願い事を神さまにお伝えする「祝詞(のりと)」を奏する(発信する)ことを生業(なりわい)としている私ども神職にとりましては、“禊”や“鎮魂”といった「行」は大切なもののようにも思えてなりません。そういった、意味のあるものだからこそ長い歴史を経て、現在にも受け継がれているのだと考えています。しかし、必要としない方については、それはそれで良いのだとも思います。天才肌の方にとっては、それで十分に間に合っているということなのでしょうから。

今から12年ほど前(平成8年頃)の話になりますが、当時、興味を持っていましたスピリチャリズムに関連した「サイキック・フォーラム21」という集会に参加した際に、今をときめく『オーラの泉』の江原さんと、東京は目黒駅のすぐ近くにある目黒会館でたまたまお会いする機会を得ました。これも今思うと、かなり不思議な異人との“コンタクト”だったとも言えるのですが、ベランダに出て目黒の街を眺めながら二人きりでお話をすることができ、私の守護霊である行者さんからのメッセージを伝えていただきました。

「頸椎がズレかかっているので治療した方がよい。・・・これまでも、たびたび繋がってきてはいるのだけれども、もっと、しっかりとした繋がりを得たいので、“行”を積んでくれるように」といった内容でした。

その時は、話の内容をあまり信じておりませんでしたが、2、3年後には本当に頸椎がズレてしまい、首が回らなくなり、ようやく伝えられたメッセージを信じられるようになったのでした。

そういった経緯もあってのことか、特に大寒禊の前夜から当日の朝にかけて、私の守護霊の行者さんからも“コンタクト”を受けているみたいなのです。
数年前、危うく寝過ごしてしまいそうになった際には、誰かに太股の辺りを揺すられ、「はい、わかりました」と、その存在と会話を交わしている自分の言葉で目を覚ましました。「あれ、私は今、誰と話をしていたのだろうか?」と不思議に思ったものでした。
今年も、前夜、灯りを消して布団に入ると、枕元でしばらくの間、“衣擦れ(きぬづれ)”の様な音がしていました。「はい、わかりました」と心の中で返答しましたところ、直ぐに治まりました。



[358]  ●全くもって意外な氏神様の“お使い”   Name:道開き   Date:2020/06/21 (日) 08:48
Name:道開き Date:2010/04/29(木) 18:06

〈平成22年4月23日〉

21日の朝、S町のOさんという方から、当方宛に下記内容のメールが届きました。

「御祓いの依頼なのですが。昨晩、霊感の強い娘に二人の霊が憑依し、その一人が申しますには、我が屋敷裏の柿の木付近に三本の尾を持った白狐のような、犬のような悪霊がおり、日々成長しているのでその内に禍が起きるとの事でした。すでに私は、5年前からうつ病で治療中、三年前に父も柿取りをしていて倒れ、くも膜下出血で急逝。娘も2年前より病気がちな状態でいます。それで、憑依霊が強調して申しますには、1週間以内に御祓いをしていただくようにと、御神職様をご指名でありました。何卒お引き受け賜りますようお願い申し上げます」というものでした。

その後すぐに連絡を取り、翌々日の23日にお祓いに出向する運びとなりました。

当社から車で40分ほどの距離の所に在るそのお宅近くまで来たとき、ふと、「あれ、ちょうど1年前に他家の地鎮祭に向かう途中、この家の前を通ったな」ということが思い出されました。そして、神事を執り行う前に、その家の方たちから事の詳細を訊いてみるや、更に驚かされることとなりました。

20日の夕刻、父親と娘さんが居間でくつろいでいると、突然、娘さんに憑霊現象が起こり始めたらしく、憑(かか)ってきたその霊は、初めの内はうまく話せないようでしたが、いくらかの宗教知識を持っていた父親が話を少しずつ誘導してみると、次第にシッカリと普通に話せるようになったと言います。

その霊は男の霊で、2年ほど前に病で亡くなった自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんという方でした。「この娘さんは、この辺りで一番の霊能を持っている生まれなのだが、今の状態は非常に心配される。屋敷裏の柿の木付近に、三本の尾を持った白狐のようなモノが住みついており、日々成長しているのでその内に禍が起きる。この娘にも見えるはずだ。決して側に近づいては行けない。とにかく1週間以内に御祓いをしていただくように」と語り、そのモノの絵まで描いて見せました。

「お寺に頼めばいいのですか、神社ですか、それとも祈祷師さんですか」と尋ねると、そのTさん霊は「この鳴瀬川の下流、河口地域の野蒜にある神社の神主さんに連絡を取りなさい」とハッキリと語ったということでした。
(※注意 ― 当方の宣伝用にホラ話を創作しているのでは決してありません)

そして、自分の生前の頃の話をしたり、少しだけお酒を飲ましてくれなどと語ったりし、その時点で家に不在だったOさんのお母さんが帰宅するのを待ち、挨拶してからあの世に戻って行ったそうです。
おかしなもので、Tさんの家族の現況については全く知らない様子で、Oさんとお母さんが、ご家族の皆さんが無事に暮らしている話をしてやると、非常に喜んでいたとのことでした。

さらに、そのTさん霊の憑依の合間、合間に、幾度か娘さんに入り込んで話そうとする、もう一人の別人格の霊がいたそうです。娘さんと同じくらいの年齢の女性の霊らしく、名前は名乗りませんでしたが、「私がこの人の側に憑いているから病気がちなのではないかしら」と語ったとのこと。
その憑霊現象は、時間にしてまる2時間くらいの出来事だったといいます。

さらに詳しく話を伺ってみると、Oさんの娘さんの体調がおかしくなりだしたのは、2年ほど前に車の追突事故を起こした頃からだということでした。それ程の大きな事故ではなかったのですが、精神的なショックが非常に大きく、当時は、かなりの落ち込みだったそうです。おそらくは、精神的に弱っていた状態の時に、迷える女性の浮遊霊に憑依されてしまったのではなかろうかとも考えられました。又、その際にお世話になったのが、自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんでした。


そして、一月ほど前に、近くの神社の神主さんにお願いして、屋敷内にある邸内社(氏神社)を新しくお祀(まつ)りしたとのこと。その頃から娘さんの方も、インターネットで自動書記などのスピリチュアルな事柄を調べ始めるようになったということでした。

おそらくは、O家の“霊系の集合体そのもの”をお祀りする邸内社を新しくしたことにより、今回のように事態が大きく動きだし、憑霊現象の準備が整えられ始めたのではなかろうかとも考えられました。

「有名な大社の神さまや、当社の白鬚神社の神さまに手を合わせる以前に、先ずはお宅の邸内社の神さまを第一にお祀りした方がよいです」と話して聞かせました。

また、その娘さんが、ネットの関連サイトにアクセスした或る夜には、何者かの霊に首を絞められたこともあったということでしたので、「ネット上を移動している霊もいるようなので、あまりその種のサイトでチャットなんかしないほうが良いです」と話して聞かせました。「ホラー映画まがいの事を語るな」と叱られそうですが、実際にそうなのです。

それにしても、氏神さまのお使いが先祖霊などではなく、近くの車屋さんの霊であったというのは全くもって意外な展開でした。とにかく、こういった時にいつも感じられることなのですが、「“あの世の存在”(神さま、先祖霊、他の霊たち、神使の動物霊・・・)と“この世の存在”(人、動物、植物・・・・)は、別個に存在しているようでいて、まるでインターネットのように総てのものが繋がりあっている」ということです。


★西洋のキリスト教社会の場合、こういったTさんのようなお使い霊は、「天使」として扱われているようです。
そういった内容を描いた映画には、『素晴らしき哉、人生!』『オールウェィズ』『シティ・オブ・エンジェル』などがあります。



[357]  ●おキツネさんの タロ?・・・ or ジロ?   Name:道開き   Date:2020/06/19 (金) 16:01
投稿者:道開き   投稿日:2006/11/02(Thu) 19:48

ごく最近あった“キツネ憑き”に関する話になります。どうも、映画『南極物語』に対する、ここしばらくの私のこだわりの想念との間に、何らかの“リンク”なり、“シンクロ”なりが起こっていたのかなぁ〜、とも考えられる出来事でした。

ある氏子から電話があり、「親戚の娘が“キツネ憑き”になっているので、お祓いしてもらえないものか」という内容の相談を受けました。翌日、家族共々、神社に来てもらいましたところ、その娘さんの、口もとを動かしたり、時折、のけぞったりするその仕草は、うちの飼い犬の行う仕草とかなり似たものでした。

しかし、その様子が、それ程タチの悪そうなキツネにも見えなかったので、まずはご神前において御祈祷をしてからと考え、神事を執り行いました。その間、そのおキツネさんは、幾度となくのけぞったり、“雄叫び”をあげたりしながらも、ご神前にきちんと正座をし、合掌もしていました。

「御祈祷」を終えた後、いろいろと問い尋ねてみましたが、「帰りた〜い、帰りたい。帰りた〜〜〜い」と、涙を流しながら繰り返し訴え続けるだけでした。付き添って来た父親の話では、どうやら現在、その少女の父方の実家のある土地に、一家が40年ほど前に越してくる以前から、古びたお稲荷さんの祠(ほこら)が祀られていたようで、その土地を更地にする際に、祭祀を執り行わずに、ただ撤去してしまった事に原因があるようだと言います。

そのおキツネさんは、神様のお使いのキツネで、お使えしていた神様・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・通称「お稲荷さん」)の祠が無くなった状態になっており、今回、何らかの拍子に、たまたま霊媒体質だった孫娘さんに憑依することになり、自分のこれまでの思いをひたすらに語りだしたというのです。

その父方の実家の土地というのは、私がよくビデオを借りに行くレンタル・ショップのすぐ近くにありました。見えない世界においては、私のミタマとそのおキツネさんとの間で、何らかのシンクロが起きていたのでしょうか。その一週間ほど前に、やたら『南極物語』が観たくてどう仕様もなくなり、借りて来て観たばかりでした。

そのおキツネさんに、その場所にきちんと“お稲荷さんの祠”をお祀りしてあげることを約束したところ、「どうも、ありがとうございます」と大変嬉しそうにお礼を言ってきました。

その二日後、その家に稲荷さんの祠をお祀りしに出向しました。その家の氏神として、先祖代々の霊(ミタマ)も、共にお祀りしました。
その間、少女に憑いていたおキツネさんは、何度ものけぞりながら、“雄叫び”の様な、“呻り(うなり)”の様な声を繰り返し上げていました。

神事を終えてもまだ少女に憑いたままでいるので、離れ易くしてやろうかと考え、「十種の神寶(とくさのかんだから)の御名」と「神言(しんごん)」を唱えながら、“鎮魂(たまふり)”の業(わざ)を施してやりました。
すると、そのおキツネさんの、のけぞりながらの“雄叫び”の様な、“呻り”の様な仕草が、少しずつ、少しずつ、収束して来て、まるでマッサージやエステでも受けているような、今にも寝入ってしまいそうな、そんな気持ちの良さそうな様子に変わってきたのでした。

これは“神使のおキツネさん”と“野狐(やこ)”のような“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”“モノノケ”の類との違いであって、“野狐”の場合は、「この野郎!そんなことはするな、お前を殺してやるぞ〜」などとこちらを罵倒しながら、苦しみ藻掻くものなのですが、“神使”の場合は、神言(しんごん)と“鎮魂(たまふり)”の業(わざ)を受けて、本当に気持ち良さそうにしています。そして、“神使のおキツネさん”は、イタズラっぽいところはまだまだ残っていても、本気で、お祀りする家を守ろうとします。

そうしている内に、突然違う人格に変わりました。数ヶ月前に他界したばかりの、その家の親戚が降りて来て、残された者たちのことを心配して様々なことを語り出したのでした。どうやら、親族同士の争いが絶えない家系らしい。その後また“おキツネさん”にもどりました。おそらくは、氏神、祖先神として、先祖代々のミタマも共にお祀りしたことによるものなのでしょう。

その日は、その“おキツネさん”がなかなか抜けて行かなかったので、途中でお祓いをやめました。しかし、私が帰った後に、家の人たちに、「“神使のキツネ”は二匹いて、一匹は、今回お祀りしたお宮を守るために少女の体から抜け出た。もう一匹は、そのまま少女の回りに残って、霊媒体質の少女の中に入ろうとする様々な魔(ま)から、彼女を守っているのだ」と語ったという。


その後、十日余りが過ぎ、再度、少女の父親から連絡が入りました。今度は、その少女の自宅の「お祓い」を、今すぐに来て、してもらえないかというものでした。

夕刻、準備を整えて、その家に向かい、話の詳細を伺いました。すると、その日の朝、父親が車の運転をしていると、ブレーキが壊れて効かなくなり、もう少しで命を落とすところだったとのことでした。直ぐに家まで戻って、家族にその事を話したところ、少女に例の“おキツネさん”が憑(かか)って来て、「すぐに、先日の神主さんに連絡を取って、この家を祓ってもらいなさい。良からぬモノがいる」と語ったらしい。

そのまま家族に揃ってもらい、「お祓い」を執り行いました。神事を終えると、それまでは自身の人格だった少女が、突然、“おキツネさん”の顔と仕草に変わりました。またまた、うちの飼い犬と同様の、斜め下を見るような目遣いで、初めて会った時と全く同じ様に、「どうも、ありがとうございました」と、丁重な御礼を申し述べてくれました。
その後、すぐに少女の人格に戻りましたので、家族共々に、今後のことをいろいろと指導し終えてから、帰路に就きました。

『マンガ日本昔話』に出てくる様な、まるでテレビアニメのキャラクターみたいな、トボケたキツネもいますが、今回の“おキツネさん”は、かなりシリアスな感じのする、非常に生真面目な性格のキツネだったというのが印象です。その分、「どうも、ありがとうございました」と御礼を申し述べられた時の顔が、何とも表現できない程に恐ろしくもありました。


[356]  ●太陽暦も「ナイルの賜物」???   Name:道開き   Date:2020/06/12 (金) 15:19
エジプト発の「太陽暦」も或る意味、「ナイルの賜物」でした。

[190] ●“ヘリアカル・ライジング”・・太陽暦も「ナイルの賜物」??? Name:道開き Date:2014/05/14(水) 10:11 

今日、世界的に普及しているグレゴリオ暦は、古代ローマ時代のジュリアス(ユリウス)・シーザーが制定したユリウス暦を改暦したものです。そのユリウス暦はというと、カエサルの遠征先のエジプトで使用されていた太陽暦を基にして策定されたものになります。

「エジプト文明はナイルの賜物」と云われますが、毎年同じ時期に起こるナイル川の氾濫は、古代エジプト人に穀物を生産するために必要な肥沃な土壌のみならず、1年を365日とする太陽暦をももたらしました。それは偶然の賜物でした。


◆ソティス(シリウス星)

古代エジプト人が何故、シリウス星を重要視したか。それは、全天で一番明るい星であったということもありますが、もう1つ、当時はシリウス星が太陽に近接していて、日の出直前に現われるようになると、程なくしてナイル川の増水が始まる現象が確認されていたからです。このシリウスの“ヘリアカル・ライジング”(太陽と共に出現)する日が、エジプト暦の元旦とされました。ユリウス暦でいうところの 7月19日頃です。

シリウスは、太陽神ラー(アテン)の娘で、エジプトのみならず古代地中海世界で最も信仰を集めた女神イシス(ソテイス、ソプデト)の化身ともされていました。


しかし、エジプト暦が生まれた当時はナイルの氾濫予測に有効であったシリウスの“ヘリアカル・ライジング”でしたが、シリウスは、エジプト文明の黎明期にたまたま偶然に洪水予測に適する位置にあったのでした。つまり、時代が少しでもずれていたならば、古代エジプト人は1年を365日とする太陽暦(正確に言えばシリウス暦〈恒星暦〉)を手に入れることはできなかったということになります。

実際にファラオが使用した公式の暦は、1年=365日で、4年毎に生ずる1日のずれは考慮されておらず、「閏(うるう)日」の概念はありませんでしたが、エジプトの神官達はそのことを知っていました。4年に一度の「うるう日」を入れるようになったのはBC. 238年のことです。

その後、元旦は、4年に一度の「うるう日」が考慮されていなかった為、シリウスの出現、及びナイルの増水からどんどんずれてしまいました。それが再び一致するまでの365×4 = 1,460年を「ソティス周期」(シリウス周期)といいます。「ソティス」とはエジプトでのシリウスの呼び名です。

なお、元旦の日の出とシリウスの出現がきちんと重なった記録としては、紀元139年があり、これの逆算により、太陽暦(ソティス暦)の発祥は、BC.1,321年、BC.2,781年、あるいはBC.4,241年頃ということになりますが、BC.4,241年頃という説が最も支持されています。


◆古代エジプト暦

古代のエジプト暦は、30日を一月とする12ヶ月と、最後の月に付け足される 5日間の余日をもって 1年としていました。(12ヶ月 × 30日 + 5 = 365日)
1年を12ヶ月に分けている点を見れば、もともとの原始エジプト暦も太陰(たいいん)暦であったことが推察出来ます。



※参考

★“聖母マリア”信仰

地中海世界が「ローマの平和」の中に統合されていくとき、各地域の“女神信仰”はエジプト伝来の“イシス信仰”に集約されていきます。キリスト教はそれをさらに“聖母マリア信仰”に読み替えていきます。マリアとイエスの「聖母子像」などはイシスとホルスの像の転用だとされています。これら女神たちがまつられていた神殿の場所に教会を建立することを奨励しました。

しかし、それは“女性原理”の受容としては不徹底であり、そこに一神教宗教の最大の課題が残されたとされているようです。
いく度かの宗教会議を経た後、マリア信仰を認めないネストリウス派(景教)が分離したりもしましたし、プロテスタント(新教)諸派も聖母崇拝の観念は薄いです。



[354]  ●「天地人」   Name:道開き   Date:2020/05/22 (金) 09:29
「天・人・地」は、易の少成卦(しょうせいか)でいうところの「三才」であり、『易経』にも、「天の時」「地の利」「人の和」の3要素がうまく組み合わされると大事が成就するとある。孟子は、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と、一番大事なのは「人の和」だとしている。

『天地人』という、上杉家の家老を務めた直江兼続が主人公のNHK大河ドラマの中に、極めて印象に残った台詞があった。「家臣とは枝葉であり、お家という幹を太らせて、やがて散っていくのがお役目だ・・・・」みたいな内容だったと記憶している。なぜ記憶に残ったのか?・・・「何よりもお家が大事」という封建社会を言い表していたからなのか?・・・・ハッキリとは分からなかった。

人生の後半期を迎えた今、やたら脳裏に浮かんで来る言葉になっている。若い頃には、巨万の富や高い地位、名声を求めて、その事に生き甲斐を感じていられる人がほとんどだと思う。が、人生のある所まで来ると、それだけでは生きる目的にはならなくなってくるのである。国・故郷・地域・家など、自分が死んでからも残っていくであろうものの為に、残りの、我が身、我が人生を活かし、捧げたいと考えるようになってくる。又、その様に考えると生きる意欲が湧き上がって来るから不思議だ。



[353]  ●「インスピレーション」   Name:道開き   Date:2020/04/16 (木) 19:29
[263] 時の氏神 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/03(Fri) 12:14  

生前の黒沢明監督はよく周りの人たちに、
「映画は創るものではなく、生まれるもの」
「映画の製作に取りかかってどうすることもできない壁にぶち当たっていると、私には決まって“時の氏神” が降りて来る。そうやって作品が自ずから出来上がっていくんだ」
と語られていたそうです。

※【仲裁は時の氏神】
喧嘩や争いごとの仲裁に入ってくれる人は、氏神さまのようにありがたいものだ、という喩え。

作詞家のなかにし礼さん(『長崎ぶらぶら節』で芥川賞を受賞された作家でもある)も、
「自分は“時代の巫女”だと思う」
「創作中、まさに天から歌詞が止めどもなく降りてくる時があるんだ」
とよく人に語って居られたそうです。

どちらも、ある事に於いて「極限の状態に追い込まれ」、めげずに「努力に努力を重ねている」時にインスピレ−ションが湧いて(降りて)来るというもの。
そして、その事に対して“誠実”でなければならない、という“絶対条件”も加わるみたいです。

つまり、あることに対して、正しく確かな“知識”と豊富な“経験”、そして“純粋な心(誠心)”を持っている人が、そのことで極限の状態に追い込まれた時、そこにある種の“鎮魂状態”が生まれて来るということなのでしょう。

“自我を入れず”に“ニュ−トラルな心”、つまり“オ−プン・マインド”にしていると「神我一体」「彼我一体」「神人合一」境に入りやすくなるということらしい。

これって、「易占」にも通じることに思われます。自分が当てるのではなくて、当たるもの。「祓い」においても同様で、祓うのではなくて、祓われていく、という認識が必要となるのでしょう。



因みに、谷村新司さんが名曲『昴』を創ったのは、引っ越し作業をしている時だったらしいです。そういう時は自分でも、「あっ、来る来る」と分かるそうです。



[352]  ●「リインカネーション」   Name:道開き   Date:2020/03/20 (金) 16:24
本来はキリスト教におけるイエスの再来が語源とされているが、現在は、死者の魂が別のものとして生まれ変わる「輪廻転生」として訳されている。

19世紀以降の西洋近代思想である、スピリッチャリズム(心霊主義)、神智学、人智学においては、イエス・キリストの教えを完全なものにするのが輪廻転生の教えだとし、輪廻転生は罪の償いと、魂の進歩の為にあるとされた。

「ニューエイジ」と呼ばれる、1980年代以降アメリカ発祥の精神文化においても、「リインカネーション」「カルマ(業〈ごう〉、因果応報)」「ソウルメイト」「チャネレング」は主要概念となっている。

日本においても、『幻魔大戦』『美少女戦士セーラームーン』『君の名は。』などのアニメをみてもその影響の程が窺い知れる。


※参考

[203] リ・イン・カ−ネイション 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/14(Sat) 17:33

「輪廻転生」を意味します。先日、NHKの番組『アクタ−ズ・スタジオ・インタビュ−』を観ましたところ、その日はなんと、シャ−リ−・マクレ−ンがインタビュ−に答えていました。シャ−リ−と言えば、“ニューエイジ(精神世界)のバイブル”ともいわれる『アウト・オン・ア・リム』を世に出した、一風変わったアカデミ−賞女優です。その本(映画にもなっています)の大きなテ−マは輪廻転生でした。彼女は公然と、「自分は日本人としての過去世を持っている」と言い切っています。

哲学者・梅原猛氏の『日本人の魂』という本を読んだことがあります。氏は「仏教哲学」が専門なのですが、仏教が入って来る遙か以前の「縄文時代の思想」にも、大変興味を持たれておられます。古代日本人の世界観を簡単に表現すれば、それは“循環”なのだそうです。ですから、「魂も不死であって、この世の生もすべてその魂の再生であり、つまり、生まれてきた生命は先祖の誰かのよみがえりと見ていたようだ」とのこと。これは氏神信仰にも繋がっていそうです。

よって日本には、仏教を迎え入れる素地は遙か昔より存在していたということです。ただし仏教のように、人間が他の生き物に生まれ変わるという見方はしていなかったようで、人間は人間にしか生まれ変わらないと見ていた。それも子孫に限定されていたということです。

西欧でもやはり似たような考え方がなされていたようで、古代ギリシアのプラトンの哲学においても、魂の不死が、その教説の中心をなしているらしい。魂は、この世とあの世を往復し続けるというものです。プラトンによれば「魂が一回帰ってくるのに千年かかる。もっとも道徳的な生活を送った人間のみ、三回の輪廻を繰り返し、すなわち三千年経つと、星の世界に入っていける。星の世界に行けない魂は、永久にこの世とあの世の往復運動を千年単位で続ける」としている。


[348]  つのだじろう氏は何処に   Name:道開き   Date:2020/02/15 (土) 15:57
20年前に自分は何を考えていたのだろうと、その当時のこの掲示板への書き込みをあらためて見直してみましたら、どうやらスピリッチャリズムにハマっていたようでした。だいぶテレビにはお目見えしていませんが、ネットで検索したかぎりでは、つのだじろうさんは現在でも御存命らしく、今年で84歳になられるみたいです。


● 『うしろの百太郎』       投稿日:2002/08/20(Tue) 15:28
余りにも有名な「心霊研究家」で「マンガ家」の、つのだじろう氏の代表作である。
現在の日本では、地縛霊、浮遊霊、背後霊、守護霊、ポルタ−ガイスト、エクトプラズム・・・・といった用語はごく一般の人たちの間にも知られるようになったが、それには氏の『うしろの百太郎』によるところが大であったと言われている。
私も、ちょうど中高生の頃でしたので、恐怖で鳥肌を立てながら夢中になって読んだことを記憶しています。

世論調査によると、『うしろの百太郎』の連載をはじめた昭和48年頃は、「霊魂の存在を信じる」或いは「存在するかもしれない」と答えた人は全体の3分の1だったのが、それから10年後の調査では約7割の人が「不思議なものは存在する」と答えるようになったと言います。

つのだじろう氏もやはり、マンガの聖地“トキワ荘”の出身者であり、同じ不思議現象に興味を持っていた仲間の一人、故・石ノ森章太郎氏から、「お前がやったことは、すごいことなのだぞ。十年間で国民の意識を百八十度、変えてしまうってことは、たとえば共産党支持者を自民党支持に変えたり、社会党の人を自民党的な考え方にするってことだ。どんな政治家だってできないことなのに、お前は、それをやったのだ」と言われたそうです。
反面、当時のマスコミや神秘的なことを嫌う学者・評論家たちからはこっぴどく叩かれたといいます。

又、氏が『うしろの百太郎』を書かれた当時は、すでに15年ほどの心霊研究の後のことだったそうです。私も仕事がら、数多くの内外の心霊科学・スピリッチャリズム関係図書を読んでいますが、今になって『うしろの百太郎』を読み返してみますと、氏の心霊に関する知識の豊富さには驚かされてしまいます。守護霊の分類とか、交霊の方法・・・とか。
たとえば“エクトプラズム”という「半物質」、つまり、霊と物質の中間に当たるものの存在を最初に取り上げたのはフランスのノ−ベル賞受賞の生理学者シャルル・リシェ博士です。心霊現象が起こるところには必ず霊媒体質の人がいて(少年少女の場合が多い)、その人の体内にあるエクトプラズムを利用することによってはじめて霊たちが物を動かしたり(ポルタ−ガイスト現象)、霊の物質化現象を起こしたり(自分の姿を現すこと)が可能になるといったこととか・・・・。
さらに、氏の凄いところは知識の習得のみに終わらずに、自らも実験台になり、数々の体験を踏まれておられるという点です。今後とも、氏の更なる御活躍を心より期待いたしております。

日本心霊科学協会のとりおこなう交霊や浄霊、その他の儀式は、ほとんどが神道形式で行われます。神道とスピリッチャリズムはかなり近いものだとされているからなの、それとも日本にスピリッチャリズムを根付かせた英文学者の浅野和三郎氏が神道人だったからなのでしょうか、詳しいことはわかりませんが、今後、神道とスピリッチャリズムがうまく習合して行ってくれればな〜と考えているのは私だけでしょうか。古神道系の教団の多くが、スピリッチャリズムによって理論構築を行っていることも事実なのですから。



●つのださんの主護霊との交霊体験    投稿日:2002/08/31(Sat) 21:24
私もそれなりの体験はありますが、少々恥ずかしくもありますので、前述の書き込みに続いて、つのだじろうさんの体験内容を記させてもらいたいと思います。つのださんはその時の体験を、多くのテレビ番組や著書でも述べられています。
つのださんが、当時、日本有数の物理霊能者だった故・竹内満朋先生から教わった主
護霊との交霊法をおこなった際の体験談になります。

まず、竹内先生は「たいていの人は、真剣に主護霊にお願いせず、たいして用事もないのに遊び半分で呼ぼうとする。そのため、主護霊が来ず、雑霊がかかって来て主護霊の名を語り、デタラメを言うケ−スもあり、本当に主護霊と交霊したいのか、よく考えて行う必要があります」と注意されたそうです。

霊感度の弱い人でも、いちばん交霊しやすいのは、人間が眠りに入る寸前の状態のとき(私の場合も、いつもそうです)。霊界からの波動が人間に伝わりやすいのでそれを利用する。
霊にお願いする場合、必ず何か対象になるものが必要で、主護霊を呼ぶ場合は、神棚の前で精神統一をするのがいい。神棚のない一人住まいの場合は寝る前に風呂に入って、全身くまなく洗い、最後に冷水をかぶって自身の体を清め、布団に入って、上を向いて横になる。そして、両手を軽く腹の上に置き、左右の親指と、人指し指をそれぞれ合わせ、その指のひし形の部分におへその中心がくるようにする。これは、精神統一のひとつの形です。

そして、自分の枕元に守護霊がいらっしゃると思って、そこに心を集中させてお願いする。守護霊の名前を知っている場合は、その名前に「○○○之命(のミコト)」というふうにつけて呼びます。名前を知らない人は、「私の守護霊さま」でも十分だそうです。
お願いごとは欲張らず、一つにした方がよい。姿を見たい人は「お姿をお見せ下さい」でもいいし、「私が眠っている間、夢の中で修行をさせて下さい」でもいい。
その場合、「もし、お姿を見せて下さったら、私は必ず何々をします」と願掛けをするとなおいい。その人の霊感の強さ、真剣さ、あるいは守護霊が姿をあらわす必要があるかどうかなどによって個人差がありますが、何日か後、或いは何週間後かには姿を現して下さるそうです。

つのださんの場合は三日目の夜だったといいます。その頃(今から30年近く前)、まだ神や守護霊の存在をあまり信じていなかったそうで、「私は神や霊魂の存在など、心の底からは信じられません。もし、本当に霊が存在するなら、その証拠を見せて下さい。どうか、わたしに姿を見せて下さい。そうしたら、私は霊魂の存在を信じ、神棚をまつることを約束します。出てこなかったら、守護霊なんて金輪際(こんりんざい)信じねえぞ!」とむちゃくちゃな頼み方をしたそうです。
そんなふうに交霊を始めて、およそ30分か1時間ほど過ぎた頃に枕元の左側にあったロッカ−のところに光が現れて、五つの人の顔(中央の青い光に浮かぶ武士のような厳しい顔が特に大きかったそうでこれが主護霊、それを取り巻く他の赤く光る小さい顔の霊は守護霊たち)となぜか大きな猫の顔が現われました。時間にして、ほんの2、3分だったといいます。

後日談ですが、この交霊の時におこなった“願掛け”、つまり、神棚を祀るということを、気にはしながらも忙しさにまぎれて一年以上も延ばしてしまったところ、やはり寝ている最中に主護霊に幽体離脱を体験させられ、お叱りの制裁を受けてしまったといいます。どうか神さまや守護霊、そして人との約束は守るようにしたいものです。



●つのださんの守護霊との交例体験A    投稿日:2002/09/05(Thu) 14:08
引き続き、つのだじろうさんの守護霊との交霊体験についてです。一月ほど前に、つのださんがあるお盆向けのテレビ番組に出演された際のお話になります。或る著名な霊能者に教わった方法で、守護霊を自らの体の中に入れたときの経験談だそうです。

先ず自分の意識というものを詰め、体の下半分ぐらいまで押し詰めて、上半身をカラッポにする。「そこにどうぞ入ってきて下さい」と霊に対して話しかけたところ、入ってこられたといいます。首の後の盆のくびあたりが出入り口になっていたらしく、何事も経験だと考え、自宅に一人いた時にやってみたそうです。恐いやつに入り込まれたら嫌なので自分の守護霊をお呼びしておこなったといいます。高位の主護霊は遙か高い次元のところにいらっしゃって、いざという時にやってくるので、常々すぐ側にいるのは、守護霊でもかなり初心者というか、パシリ(使い走り)のような守護霊となるらしい。

やがて、そのパシリの様な守護霊が体の中に入ってきたといいます。首の盆のくび辺りから太いゴムの棒のようなものが「ズルッ、ズルッ」と入ってきて、背骨を伝わって、腰骨の辺りで止まったそうです。つのださんは直接的に霊との会話はできないし、入ってきた守護霊も、死後、身体をなくしてからだいぶ経っている霊らしく、筋肉の使い方も忘れてしまっているようなので、「イエス、ノ−」をつのださんが首を振ってやってみせて、このようにして答えてくれと頼んだところ、その様にしだしたといいます(これを「間接交霊」というのだそうです)。

そこでつのださんは、自分が心霊に関わる仕事をしているので、いろんな変な霊が自分の周辺に寄ってきているだろうから、常々自分をガ−ドしてくれている守護霊がどのくらいいらっしゃるのかを、首を縦に振ってその数を教えて下さいと頼んだところ、首が14回もひとりでに縦に振られたといいます。

そして、抜ける時には、「どうぞ抜けて行って下さい」とお願いしたところ、今度は逆に腰骨の辺りから「ズルッ、ズルッ」と首の方に向かっていったそうです。そして、首の辺りで引っかかったので、そういった場合どうしたらいいかを、以前に霊能者の方から教わっていたので、その通り、おもいきり首を後ろにそらしたところ、「ポカッ」と切れていったといいます。

人というものは、日常生活においても多かれ少なかれ、神さまや守護霊たちと「間接交霊」をしながら、仕事をしたり、人と接したりしているのだということでした。



[347]   ●運勢 2020   Name:道開き   Date:2020/01/01 (水) 10:10
今年の立春は2月4日の18:15頃で、この日が「節入り」となります。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、立春が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。 立春は雑節の基準日でもあり、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を遁甲(とんこう・・・移動)します。つまり、「年回り」が変わるのです。


今年は《七赤金星》の年です。今回もまた、「干支・九星術」の《七赤金星》年生まれの方の、月ごとの特徴を少しばかり取り上げてみます。



●《七赤金星》年「八白土星・寅(とら)」月生まれの男性
〔今年は、2月4日の18:15〜3月5日の12:01までに生まれる男性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。

【Aタイプ】財津和夫、隆大介、菅田将暉
【Bタイプ】薬丸裕英、小出恵介

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・感受性強く、自分本位に物事を考える人が多いが、ユーモアを持ち、人を喜ばす術を備えている。
・目新しいことが好きで、お天気屋のむら気がみられるが、理想を高く持ち一途に猛進するところがある。
・理想を追うところがあって失敗することもあるが、くよくよはしない。
・勤勉に努める心の働きがやや足りないところがあるので、金銭面で多少苦労する。
・浮気心があるので家庭円満にはほど遠いようである。




●《七赤金星》年「八白土星・寅(とら)」月生まれの女性
〔今年は、2月4日の18:15〜3月5日の12:01までに生まれる女性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。

【Aタイプ】都はるみ、香里奈、吉岡聖恵(いきものがかり)、相川七瀬
【Bタイプ】佐久間良子、吉瀬美智子、越智志帆(Superfly)、小泉今日子、有村架純、石川佳純(卓球)

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・小事に安んずることを嫌い、大きい願望が強く、自分の才能や力量のほどを考えない人が多いようである。
・強情で欲深く、自尊心はあるが締まりがない。派手好みで、人の世話もするが、クセがあって人から敬遠されるところもある。
・理想と現実に開きがあって物事チグハグになりやすい。
・家庭の主婦ともなれば蓄財に努め、交際も如才なくするようになる。




●《七赤金星》年「七赤金星・卯(う)」月生まれの男性
〔今年は、5月5日の09:49〜6月5日の13:53までに生まれる男性〕

・五木ひろし、今田耕司、スティーブ・マックイーン、桑野信義

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・明朗活発で文化的な好みを持ち、自尊心強く、保守的な面を持っている。
・目新しい物を好み、気分の良い時は人を笑わせる陽気な面がある反面、不機嫌に黙り込む面もある。
・器用な人が多く、良いセンスを持ち、発明する知恵も持っているので、協力者に恵まれるとそれなりに成功する人である。
・調子に乗りやすい面があるので注意していった方がよい。
・家庭にあっては良い父親となる。




●《七赤金星》年「七赤金星・卯(う)」月生まれの女性
〔今年は、3月5日の12:01〜4月4日の16:47までに生まれる女性〕

・外見的に三つのタイプに分けてみます。

【Aタイプ】神田うの、土屋アンナ、ベッキー、ビビアン・スー
【Bタイプ】尾崎亜美、山田花子、安藤和津、新田恵利、野村佑香
【Cタイプ】いしだあゆみ、篠ひろ子、RIKAKO、里田まい、大沢逸美

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・苦労性の人が多いようであるが、我慢強く、不平不満があっても外面にはあまり表さない。
・困った人を見ると心を痛めるが、行動に移して助けることは積極的ではない方である。
・派手な面もあって如才なく振る舞うが、頼まれたことは几帳面にやり遂げる。
・金銭面にややルーズなところがみられるが、家庭の主婦ともなれば家庭を大切にするが、どちらかというと仕事を持つことを好む方である。




●《七赤金星》年「五黄土星・巳(み)」月生まれの男性
〔今年は、5月6日の05:23〜6月6日の09:27までに生まれる男性)

・外見的には四つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】古尾谷雅人、福士蒼汰、クリント・イーストウッド
【Bタイプ】泉谷しげる、江夏豊、野田佳彦(元総理)
【Cタイプ】森末慎二、神木隆之介、加藤晴彦
【Dタイプ】山田涼介、安藤政信

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・潔癖性が強い方であるが、呑気な面も持っている。
・自分勝手な行動もみられるが、抜け目なく、相手が上手に物事を成し遂げたりすると腹を立てて激しく怒ったりするところもある。
・片意地を張るところもあり、頼まれるとこころよく引き受けるが、義理を欠くと怒る。
・巧言令色な人に欺まされやすい傾向にあるので注意が必要です。
・金銭面には恵まれた方で、蓄財にも心がけ家庭内を明るくします。




●《七赤金星》年「四緑木星・午(うま)」月生まれの男性
〔今年は、6月5日の13:53〜7月7日の00:01までに生まれる男性〕

・外見的には、かなりの振り幅がある生まれのように思われます。

沢田研二、都倉俊一、笹野高史、山本晋也(監督)、パパイヤ鈴木、斉藤静六

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・自己顕示欲が強く負けず嫌いで、支配していたい独占欲を多分に持っている。
・人目を惹き付け、教養あるところを見せびらかしたがる性格がある。
・人と相対しているときは知性あるかのように思慮深く気取り、受けが良いように振るまいますが、自分の意見と合わない人とか、自分より地位の高い人の側には近寄ることをしたがらない面があり、態度の変化も激しい方である。
・理想を追いやすく中途半端に終わりやすい面があるから、しっかりした考えと行動を取ることが大切である。




●《七赤金星》年「四緑木星・午(うま)」月生まれの男性
〔今年は、6月5日の13:53〜7月7日の00:01までに生まれる女性〕

・外見的に三つのタイプに分けてみます。

【Aタイプ】大竹しのぶ、眞野あずさ、中村あゆみ、杉山愛(テニス)、高城れに(ももクロ)、松居一代
【Bタイプ】左幸子、山田優、板谷由夏
【Cタイプ】ミムラ、木之内みどり

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・如才なく振る舞い派手な行動を取るが、手八丁、口八丁で初対面の人には受けが良い。
・よく働き、世話ごともよくするが、一言多いため失敗することがあるから気を付けた方がよく、個性が強い面があるので他人の反感を持たれやすいところがあるので注意した方が良い。
・言葉づかいに気を付けた方が良い。




●《七赤金星》年「三碧木星・未(ひつじ)」月生まれの女性
〔今年は、7月7日の00:01〜8月7日の09:51までに生まれる女性〕

・外見的に四つのタイプに分けてみます。

【Aタイプ】中村玉緒、葉月里緒奈、栗原恵(バレーボール)
【Bタイプ】中山千夏、渡辺美里
【Cタイプ】日吉ミミ、山本彩(AKB4)、丘みどり
【Dタイプ】米倉涼子、鈴木蘭々、能年玲奈(のん)

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・よく気がつく人が多く、熱心に働くタイプで愛嬌もある。
・プライドも高く負けず嫌いで、一度言い出したら後に退くことはしない剛情さを持っている。
・感受性が強く、自分勝手な気ままな面を持っている。
・恋愛と結婚を一緒にいない方がよく、無軌道なことをしない限りは安泰にゆきます。
・家庭の主婦となれば良いセンスで家庭を作ります。




●《七赤金星》年「二黒土星・申(さる)」月生まれの男性
〔今年は、8月7の09:51〜9月7日の12:57までに生まれる男性)

・外見的に二のタイプに分けてみます。

【Aタイプ】前川清、速水もこみち、平岡祐太、山本コウタロー
【Bタイプ】井上陽水、デビット伊東、若林豪
【Cタイプ】藤岡琢也、孫正義
・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・口うるさくズバリ物を言うタイプで、人によっては協調性の欠ける人もいるようである。
・人の意表を突き、上役や目上の人に媚びへつらうところがある。
・欲深い面があり、ソロバン勘定は強い方で負けず嫌いであるが、人の世話もよくやってのける。
・目先もよくきく方で勘も良く、アイデアも豊富に持っているから事業主の方が成功しやすい。
・物質的な面には割に恵まれている方で、金銭的にもそれなりの利得がある方である。
・強がりを言ったり、皮肉を言ったりするところがみられるが、仕事は熱心にやるので信用はある。




●《七赤金星》年「九紫火星・戌(いぬ)」月生まれの女性
〔今年は、10月8日の04:48〜11月7日の08:08までに生まれる女性)

・外見的に二のタイプに分けてみます。

【Aタイプ】栗山千明、ユン・ソナ、木村カエラ
【Bタイプ】五月みどり、岡田可愛、関根麻里、misono、黒木千晶(女子アナ)

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・勝ち気であるが、人あたりがよいので信望を集める人が多く、寛容の心も大きいので交際は上手にやる。
・落ち着いた雰囲気を持ち、仕事もまじめにやるので上司や同僚の受けもよく重宝がられる。
・金銭面の関心は強く、にぎり屋の人が多い。
・家庭の主婦としては家庭を大切にし、家計のやりくりも上手にやっていく。




●《七赤金星》年「六白金星・丑(うし)」月生まれの男性
〔来年の、1月5日の18:12〜2月4日の05:56までに生まれる男性)

・外見的に二のタイプに分けてみます。

【Aタイプ】竜雷太、山崎弘也(ザキヤマ)、デーブ大久保
【Bタイプ】時任三郎、さとう宗幸、市村正親、海部俊樹(元総理)

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・気位と見識高く威張ったところがあり、ファイトを燃やして行動するが時折勇み足になる。
・弁舌は上手で人を引きつける術を持っており、交際は如才なくやる。
・まじめで、仕事は几帳面にやり、時間や規則を守るので上司や雇用主の受けは良い。
・気高い精神を持っており、哲学的理念があり、支配欲もある。
・金銭面は地位向上とともに恵まれてくる人が多い。




●《七赤金星》年「六白金星・丑(うし)」月生まれの女性
〔来年の、1月5日の18:12〜2月4日の05:56までに生まれる女性)

小川知子、石川さゆり、中谷美紀、市川由紀乃、hitomi、宮崎緑(元NHKキャスター)

・・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・外見的には、目元と頬から口元にかけての感じが似た人が多いように思われます。
・人をえり好みする人が多く、交際面にも片寄りが見られる。
・派手好きであるため浪費するところがある。
・短気でもあり、企画や発想は上手にやるが、自己本位に動きやすいので勇み足となるときがあり、周囲から嫌われることもある。
・自負心が強いため、人の忠告を素直に聴くことをしない。
・呑気な面が有り他人の世話は好まない。
・物事打算的に運びケチくさいところもあり、子供でも苦労しやすい。


[346]  ●クリスマス(聖誕祭)   Name:道開き   Date:2019/12/14 (土) 10:32
自分の場合も子供の頃からそうだったのですが、北欧、ゲルマン民族と同様に、クリスマスには「冬至祭」的な捉え方で親しんできました。決して、キリストの誕生をお祝いしたわけではありませんでした。



ユール(冬至祭)〈北欧語〉は、古代ヨーロッパのゲルマン民族の間で、冬至の頃に行われた祭りのこと。のちにキリスト教との混交が行われたが、北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼ぶ。北欧のユールには、キリスト教伝来以前の習慣と結びついた、独自の様々な習慣がみられる。

ユールは、元々は北欧を含むゲルマン民族の祭りだった。太陽が再び力強い生命を持つ日を新年とし、北欧神話の神々、それも豊穣と平和の神ヴァン神族ではなく、オーディン(北欧神話の主神にして戦争と死の神。詩文の神でもあり吟遊詩人のパトロンでもある。魔術に長け、知識に対し非常に貪欲な神)にビールや猪や豚などを捧げた。クリスマスの料理を並べたテーブルは、「ユール・ボード」といい、この日に現れる霊たちに特別に用意された。季節や農作業の変わり目、特に冬至は、死者の霊、悪魔、魔女などが大挙して現れるといわれ、夜は、ユールレイエン(ワイルドハント)が現れた。

中世には何日もかけて宴会をし、火を焚き、生贄をささげた。たき火(ボーンファイア)は暗闇や寒さと戦う太陽の象徴であった。人々は火の回りで歌ったり、飲み食いをしたりし、亡くなった人々の霊も宴席に参加するとされた。

ノルウェーではガンドライド(魂の騎乗)とも呼ばれ、過去1年間に亡くなった人々の魂が空を駆け抜け、駆け抜けた地域の土地は肥沃になると信じられた。



以下は、8年前の当掲示板への書き込みとなります。



●“グローバリゼーション”への対応 

アレキサンダー大王の大遠征によりヘレニズム文化が起こり、インドや中国西域にギリシア文化を伝え、ギリシア・ローマにはオリエンタル文化をもたらした。イスラム勢力が南ヨーロッパに広がったり、逆に、キリスト教勢力が北アフリカや中東に広がった。民族や宗教が広範な活動を始めると、様々な形で文化融合が起こり、グローバリゼーションが進展します。

クリスマスも近いので、以下に、北欧におけるキリスト教の伝搬にともなう宗教融合を表わす様々な祭りを取り上げてみます。日本に仏教が伝わり、神道的民俗信仰を取り込んでいった流れと全く同じ事が起きていました。日本古来の小正月行事や田植え前の様々な祭りと北欧の太陽信仰に関わる様々なお祭りは非常に類似しています。

仏教やキリスト教、イスラム教等の世界宗教と呼ばれるものは、土着の信仰を取り込んでグローバリゼーションを展開させようとします。それに対して、土着の信仰は、もたらされて来るものを取り込んで、グローバリゼーションに対応します。我が国古来の信仰を伝える神道(神ながら)は、長い歴史において、道教や陰陽道、仏教、キリスト教的なものを取り込みながら今日に至っています。

外来信仰が入り込む以前の古い信仰を追求していく国学的アブローチは、私的には、非常に興味深く、面白極まりないことではあるのですが、あまりそのことにこだわり過ぎると世の中のグローバリゼーションの動きに対応できなくなります。純粋培養ほど脆弱なものはないですから。「それはそれ、これはこれで、いいものはいいのだ」として、他宗教の良いところをどんどん取り込んでいけばよいのだと思われます。インドのウパニシャド哲学における「輪廻転生」「因果応報」などの思想は、仏教を仲介して、日本人の精神の奥深いところにシッカリと根付いています。おそらくは、もともとそのように考えられていたから定着したのかもしれません。私も経験的に信じています。「それは、古くから神道が説いて来たことではない」などと否定してしまったのなら、我々のような、様々な信仰が交錯した土壌に接する場所に身を置いている末端の神主などは、世の人たちとどの様に接していったらよいのでしょうか。


※参考

●聖ヨハネ祭
夏至祭では、町や村の広場に横たえられた柱に、樹木の葉や花の飾りがつけられ、若者たちが中心になって柱を立てる。この祭は、ドイツやイギリスで行われる五月祭の柱(メイポール)と類似しているが、北欧(スウェーデン、フィンランド、で)では5月初旬には花が乏しいため、夏至の時期に祭を行うようになった。人々はその周りを一晩中踊り明かし、たき火をたいて、その上を飛び越える。これには恋占いや、縁起かつぎの意味が込められている。民族衣装姿の人、花の冠をかぶる女性も多い。

祭りは、洗礼者ヨハネの祝日に行われる。ヨハネはイエス・キリストより半年早く生まれたという言伝えから、クリスマスが12月25日と決められた後に、ヨハネの祝日が設置された。つまり、現在の夏至祭は、キリスト教の聖人の日と北欧伝統の季節の祝祭が一緒になった社会的文化的現象である。

また、この日の前夜に摘む薬草には、特に効果があると信じられている。特に、セント・ジョンズ・ワート(セイヨウオトギリソウ)を、イブの夜に枕の下にしいて寝ると、夢に現れる聖人のご加護があるとも、また、未婚の女性の場合、未来の夫が夢枕に立つともいわれる。 全体的な特徴としては、

・聖ヨハネの日のあたりに行われる
・薬草や朝露の神聖視
・花や葉で冠を作る(1年間の健康が約束される)
・男女の縁結びや占い
・たき火をたく
・祭りの後、川に冠を流し、それで将来を占う



●ハロウィン
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたが、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。31日の夜、カボチャ(本来はカブ。スコットランドではカブの一種の「スウィード」を用いる)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。

「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」(古くは「万聖節」とも)の前晩にあたることから、諸聖人の日の英語での旧称"All Hallows"のeve(前夜)、"Hallows eve"が訛って、"Halloween"と呼ばれるようになったとされている。

諸聖人の日は、7世紀頃までは5月13日に祝われていたが、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したとされている。カトリック教会では諸聖人の祝日は祭日としているが、10月31日のハロウィンは祭日ではなく典礼暦(教会暦)にも入っておらず、教会の宗教行事・公式行事として行われることはない。カトリック教会を含めキリスト教の多くの教派・教会では、信徒が民間行事として楽しむことを容認しているが、プロテスタントでは多様な見解があり、いくつかの福音派は否定的である。



◎ハロウィンのために魔女やお化けに仮装した子供たち
アイルランドや英国の古代ケルトの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭にあり、ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。

ドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー」と呼ばれる。女の妖精は「バンシー」と呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。

ハロウィンがアメリカの年鑑に祝祭日として記録されたのは19世紀初頭以降のことである。ニューイングランドのピューリタンなどはハロウィンに強く反対する立場であり、19世紀になりアイルランドおよびスコットランドからの大量の移民があるまでは、これが本格的にもたらされることはなかった。ハロウィンは19世紀半ばまで特定の移民コミュニティ内部のイベントとして行われていたが、徐々に主流社会に受け容れられ、20世紀初頭には、社会的、人種的、宗教的背景に関係なく、あらゆる人々によって東海岸から西海岸へ、そして全世界へと広められていった。



●イースター(復活祭)    
十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭。

復活祭を表す英語「イースター」およびドイツ語「オーステルン」は、ゲルマン神話の春の女神「エオストレ」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト」に由来しているともいわれる。つまり、ゲルマン人の春の到来を祝う祭りに起源があるということです。



●カーニバル(謝肉祭)
語源は、一つに13世紀のイタリア語(ラテン語)のカルネ・ウァレ(「肉よ、お別れじゃ」)に由来するといわれる。「断食の前夜」の意で、四旬節の断食(大斎)の前に行われる祭りであることをも意味している。

もともとカトリックなど西方教会の文化圏で見られる通俗的な節期で、四旬節の前に行われる。仮装したパレードが行なわれたり、菓子を投げる行事などが行なわれてきたことから、現代では宗教的な背景のない単なる祝祭をもカーニバルと称することが少なくない。

謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来し、キリスト教の中に入って、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったという説もある。



[345]  ●アニミズム   Name:道開き   Date:2019/12/05 (木) 16:21
日本は古来、“言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国”とされて来ました。
神道とはそもそもが、原初的なアニミズム (この世の総ての物に魂が宿っているという信仰)なので、山、海、川、土、石、木、日、月、火・・・・といった自然は勿論、森羅万象を神と仰ぎ〈実際に大和言葉(古語)による神名を付けて〉、祝詞(のりと)を唱え、お祭りを執り行ってきました。

神様としての名まで付けてもらい、山も、川も、木々も、さぞかしや嬉しかったことでしょう。そこに音楽や舞が加えられれば、更なることは言うまでもありません。そういった心に答える為に、神として姿を現すことだって当然あったわけです。

[344]  ●「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」   Name:道開き   Date:2019/11/11 (月) 11:04
新天皇が即位の後に、最初に行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。
「嘗(なめ)」という漢字には、「口に含んだものを舌で味わう」という意味があります。


◆「まつり」の基本構造
「まつり」の基本構造はというと、「神を迎え−饗応し−送る」というもの。そうして共同体の活力を再生・更新させるものである。「まつり」とは本来、厳格な「物忌(い)み」により清まった、神事に携わる資格のある者だけが参加して、深夜などにひっそりと行われるものでした。


◆「神人共食」(しんじんきょうしょく)
その中で最も本質的で重要な儀礼は「相嘗(あいなめ)」、つまり、神と人とが共に食事をすることにある。それは国家を挙げて行ってきた最高の祭りから、村の鎮守の小社の祭り、そして、盆・正月、節句、月見の宴・・などの家庭の祭りに至るまで共通している。


◆祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)
これから農作業が始まる二月に、宮中や日本全国の神社では、年穀の豊穣を祈るお祭りをおこなった。民家の宅神祭の「春祭り」も同じもの。                


◆新嘗祭(にいなめさい)
天皇が、皇祖神(=日神)の恵みを受けて生育した新穀をいただき、自らの霊性の更新をはかられる祭。全国の神社、民家の宅神祭の「秋祭り」も同様の意味がある。 
               
                             
つまり、 十一月の新嘗(ニイナメ)の夜に、稲魂(いなだま)を身に体することは祖霊神を迎えることに他ならなかったのです。
         

[343]  ●「易」という文字   Name:道開き   Date:2019/11/11 (月) 10:24
下の書き込み〔342〕に続きます。

「易」とは、陰・陽の変化の具合を観て、あらゆる事象を占っていくという占術である。
その漢字は「トカゲ」の象形文字であり、トカゲは光の具合によって色が“変化”“変わる”ように見えることに由来している。

秦の始皇帝は、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」と呼ばれる儒教弾圧を行ったが、五経のの中でも『易経』だけは大切に保護したという。それ程に内容が優れているからである。陰陽の変化で、政治経済は勿論のこと、森羅万象の総てを説いているからだ。

文化大革命当時の中国共産党一党独裁体制は、それすらも許さなかったのである。つくづく、ろくでもない時代だったのだと思う。

[342]  ●「易占」の方法論   Name:道開き   Date:2019/11/01 (金) 15:14
下の書き込み〔341〕「乾坤一擲(けんこんいってき)」に続きます。

日本で「易」と言えば、スポンジケーキのパン生地の形をした帽子(利休帽、宗匠帽、茶人帽、和尚帽、易者帽等と呼ばれるらしい)を被った松尾芭蕉風の格好をした易者さんが、筮竹(ぜいちく)をジャラジャラ鳴らしたり、割ったりしながら得卦(とっか)しているイメージが強い。

実際は、一枚のコインがあれば易占は可能である。表が「陽」、裏が「陰」と決めて投じればよいだけで、三つの爻(こう)の陰陽の組み合わせが八卦(はっけ)であり、それを2回繰り返せば六十四卦が得られる。

中国では八面賽〈はちめんさい〉を投じて易占が行われて来たらしい。その後は文化大革命により一切が抹消されてしまい、今では何のノウハウも残っていないのだろうが、筮竹をジャラジャラさせて数えたり、コインを何度も投じたりする手間を考えたら、雑念が入りにくく、一瞬で得卦できる八面賽が優れていると考える。2個の八面賽を投じればよいだけなのである。爻辞(こうじ)も得たければ、一個の六面賽(サイコロ)を加えて投じればよいだけだ。

「梅花心易(ばいかしんえき)」といって、一切の道具を使用せず、占う瞬間に目に入った事物を六十四卦に判じて行う「易」もあるのだが、八面賽を投じて得られる易断が一番間違い無いと考えられるのだ。

[341]  ●「乾坤一擲(けんこんいってき)」   Name:道開き   Date:2019/09/26 (木) 15:37
「乾坤(けんこん)」の「乾」は天、「坤」は地を意味する易(えき)の八卦(はっけ)である。「一擲(いってき)」は、サイコロを一回だけ投じて勝負すること。つまり、天下を賭けるような、のるかそるかの大勝負をすることをいう。


これはまさに易占(えきせん)が行われ、八面賽〈はちめんさい・それぞれの面に易の八卦が書かれているサイコロ〉を投じて命運を賭けた大勝負に臨んだという、「易断」が投影されている故事成語、ということにもなるのだろう、おそらくは・・・

※参考
【易の八卦(はっけ) 】
乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)


前漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)の戦いを謳った韓愈(かんゆ)の漢詩『鴻溝を過ぎるの詩』の中に、由来となった一文がある。

力を合わせて秦(しん)王朝を倒した後、劉邦と項羽は相譲らずに対峙するも、鴻溝を境界に西を漢(かん)、東を楚(そ)と定めて、一端は戦を終結する。
しかし、漢へ帰ろうとしていた劉邦が、「今こそ項羽の楚を滅ぼすとき」と馬首を東に向ける決断を促されたことが描かれている。




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『乾(けん) 』

○象意    天・白・充実・完全・太陽・上等・高級品・強硬・堅固・円・車・多忙・ボランティア

○方位    北西〈戌(いぬ)・亥(い) 〉

○人物   父・聖人・天皇・高貴な人・総理大臣・社長・主人・僧侶

○人体   頭・肋骨・左肺・肋膜・骨・汗・はれもの

○場所   御殿・神社仏閣・教会・ビル・市場・競技場・雑踏・山岳


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『坤(こん) 』

○象意    大地・迷い・鈍重・心労・温厚・従順・受ける・従う・頑固・慎重・労働・貯蔵
               
○方位    南西〈未(ひつじ)・申(さる) 〉

○人物    母・老婆・主婦・妻・副社長・助役・次官・労働者

○人体    脾臓・腹部・腸・臍・胃・腹膜・にきび・しみ

○場所    地球・平地・野原・公園・田畑・倉庫・工場・埋め立て地




[340]  ●「世界の始まり」   Name:道開き   Date:2019/08/18 (日) 10:31
人気グループSEKAI NO OWARIは、曲調も良いし、歌声も良い。そして“似合わな格好良い”感じの金髪の女性メンバーに象徴されるスタイリッシュさも良いと思う。

ただ、グループ名だけが良くないと思われます。何で「世界の終わり」なのか、キリスト教の“終末思想”“最後の審判”の影響を受け、「神の世界の始まり」といったニュアンスを含んでいるのだろうか。

陰陽五行・八卦(はっけ)・九星の世界観に於いては、森羅万象、この世のあらゆる事象を、二、五、八、九の数で分類する。

よって、易(えき)の「八卦」でみた場合、艮(ごん)の象意「始めであって終わりである」から説明でき、終わりと始まりは同一線上にあるということになります。スクラップ&ビルドはセットなのです。

『艮(ごん) 』

○象意  山・変化・変わり目・結び目・止まる・始めであって終わりである・終始混合・接続
       ・節目・親戚・知己・相続

○方位  北東〈丑(うし)・寅(とら) 〉

○季節  一年の結び目となる立春前日の「節分」

○人物  少男・幼児・相続人・兄弟・親子・強欲の人・不動産業者

○場所  家屋・物置・ホテル・駐車場・土手・高台・門・交差点


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以下の[104]は東日本大震災の一月前の書き込みで、[242]はその書き込みを振り返って書いた3年半前の書き込みになります。「始めであって終わりである」という艮(ごん)の象意がそのまま現れた出来事でした。


[242] ●新しい野蒜の町の“黎明期”を迎えて Date:2016/01/18(月) 11:43 

東日本大震災から早5年、被災地となったこの野蒜の町もすっかりリニューアルが進んでいます。
昨年5月のJR仙石線の全線開通は、真っ暗闇の中での「七つ立ち」。そして現在はというと、辺りの景色が薄っすらと見え始めてきている状態の「明け六つ」、まさに町の“黎明期”を迎えています。この5月からは、分譲された土地に家々が建ち始めます。

震災が起こる一月ほど前に、岩崎宏美さんのチェコのプラハでのコンサートを扱った番組をBSで見ていて、その中で歌われていた『始まりの詩(うた)、あなたへ』という曲が、やたら心の中に染み入って来てどうすることもできず、震災当日までの間に5、60回も繰り返し聴くことになってしまいました。

その曲が、新潟県中越地震の被災者を励ます為に大江千里さんが作った歌だということを知ったのは、東日本大震災後数ヶ月が経ってからの事でした。そして、この曲の題名の中の「あなた」というのは「私(自分)」のことで、つまり、「神さまからのメッセージとして受信していた」のだと考えるようになったのは更に後のことでした。

この春からは、新たなる境内地に白鬚神社新社殿の建築が始まります。BSで曲を聴いたあの日以来、『始まりの詩』が流れ続けている中での着工です。自分は、大震災後の神社の再建事業を成し遂げる為に、この野蒜の地の神主の家に生まれて来たのだとも考えています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

※参考

[104] ●名曲は時代も超えるし、国境も越えていく  Date:2011/02/01(火) 17:47 

つい数日前、チェコ共和国の親善大使に任命されているという歌手の岩崎宏美さんとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との、プラハのドボルザーク・ホールにおけるコラボレーションと異文化交流を描いた『 岩崎宏美 プラハに歌う 〜35年目の挑戦 』という番組を見る機会を得ました。BSは、こういったレアな映像を提供して下さるので本当に有り難いです。   

重厚な東ヨーロッパの音楽文化の中にあるチェコの人たちには、日本の歌謡曲は全くと言っていいほどに馴染みの薄いものらしく、岩崎さんがアイドル時代に培った日本独自の芸能タレントの身振り、手振りなどは(本人は意識して押さえぎみにしていたようですが・・・)、初めて目にする不思議で魅力的なものに映ったようです。さらには、トークの際についつい滲み出てしまう、チャキチャキの江戸っ子の下町娘ぶりなども、親しみやすい人柄として受け取られていた様でした。

現在、日本独特の“アイドル文化”はアニメと一緒になって、アジアからアメリカへ、そしてヨーロッパへと広がりつつあるようですが、保守的で、伝統色の強い東ヨーロッパ方面にも次第に伝播していくことは間違いないでしょうし、インターネットが普及している今日では、おそらく若い人たちほど簡単に飛びつくことになるでしょう。 戦後の日本に、ジャズやポップスが入って来た時のように。

選曲も良かったです。オープニングに使われた小坂明子さんの名曲『あなた』も良かったし、岩崎さんの代表曲の一つになるであろう『始まりの詩、あなたへ』も感動的でした。作者の大江千里さんが、こういった曲を書ける方だとは想像もしておりませんでした。(「 失礼 ! 」) おそらくは、高位の音楽の神様が降りてきた状態で作られた曲なのでしょう。
欲を言ったならば、『竹田の子守歌』のような日本独特の古い旋律の曲なども披露して欲しかったです。

聴衆の中には、“東京オリンピックの華”と謳われた女子体操のチャスラフスカさんなどもいらっしゃって、涙ながらにコンサートでの感動を語られていたのも印象的でした。


年末、やはりBSで、『今夜よみがえる! 夢の紅白名歌手たち 名勝負・名対決』という特番が放映されたようです。録画して、年が明けて時間に余裕が出来た頃に見てみましたが、田端義夫さんの『島育ち』、三沢あけみさんの『島のブルース』にハマってしまい、繰り返し、古い白黒画像に見入っています。どちらも、自分が3、4才の頃に流行っていた曲のようなのですが、島唄系の曲ということもあってか、やたら懐かしさを感じます。

去年の『紅白歌合戦』も録画したものを見ましたが、朝ドラ『ゲゲゲの女房』の数々の名シーンがスライドされて映し出されたのには甚く感動しました。NHKもシャレた試みをして下さるものだと感服した次第です。


[339]  ● 赤道(緯度0)地域の“お彼岸”の太陽   Name:道開き   Date:2019/07/15 (月) 16:28
地球の地軸(自転軸)が23.4度傾いていることにより、1年かかって太陽を回る地球の公転がそれぞれの地域に季節をもたらすようになる。つまり、「地軸が傾いているから季節(春夏秋冬)がある」のだ。このことについては中学校の地理の教科で学習している。

彼岸(秋分・春分)には、太陽が真東から昇って真西に沈んでいくため、昼と夜の長さが同じになる。それは太陽の周囲を公転している地球の、23.4度傾いている自転軸が、太陽に垂直になるからだ。


◎「春分・秋分」における南中高度  90度−その地点の緯度

◎「夏至」における南中高度     90度−その地点の緯度+23.4度

◎「冬至」における南中高度     90度−その地点の緯度−23.4度



つまり、赤道(緯度0)地域の“お彼岸”の太陽は、そこで暮らす人々の頭上(90度)を通過することになります。


「太陽と地球と月」の関係は本当に不思議で面白い。単なる偶然なのか、神様がその様に創ったのかは分かりませんが、お陰で暦学が発達しました。「暦」とは、「太陽と地球と月」の関係を詳細に記したものなのです。一家に一冊は「暦」を常備しておきましょう。折に触れて、暦に目を通してみることはとても楽しいものです。


[338]  ●北欧の「夏至祭」(げしさい・げしまつり)   Name:道開き   Date:2019/06/21 (金) 09:11
古代からの人類の信仰形態といえば、“太陽崇拝”と“祖先崇拝”が主となる。
そして“太陽崇拝”の中心にあるのが、「夏至」と「冬至」の祭りです。

キリスト教伝搬後のヨーロッパでは、夏至祭は「聖ヨハネ祭」と、冬至祭は「クリスマス(生誕祭)」と習合し、今日に至っていますが、その本質は“太陽崇拝”です。

町や村の広場に横たえられた「柱」に、ポプラや白樺の樹木の葉やスズラン、ナナカマド、ライラックなどの花の飾りがつけられ、若者たちが中心になって柱を立てる。この祭は、ドイツやイギリスで行われる五月祭の柱(メイポール)と類似しているが、北欧では5月初旬には花が乏しいため、夏至の時期に祭を行うようになった。

人々はその周りを一晩中踊り明かし、「焚き火」をたいて、その上を飛び越える。これには恋占いや、縁起かつぎの意味が込められている。 花や葉で「冠」を作り(1年間の健康が約束される)、祭りの後に川に冠を流し、それで将来を占う。また、この日の前夜には薬草を摘み、朝露を神聖視する。



◆ノルウェーとデンマーク

北極圏に位置する地方では、真夜中の太陽がみられ、この地域の人々は、暗い闇を切り裂く太陽を見るために一晩中起きている。「たき火」は暗闇を引き裂くシンボルであり、トロールのような「妖精」は祭りの主役である。「楽隊」による行列が行われることもある。また、たき火の回りで「ホットドック」や「ソーセージ」を食べる 

※デンマークによる東日本大震災後の支援が御縁となり、東松島市はオリンピックでのホストタウンになっています。



◆スウェーデン

ポールに飾るための、「つる草」のハートや輪の飾りを持ってボートに乗る。
町の広場で、「夏至柱」を立て、人々が手をつないで回りながら歌ったり、踊ったりする。「民族衣装」姿の人、花の「冠」をかぶる女性も多い。夏至はスウェーデンで最も大事な日で、この時期に合わせて「夏休み」を取る人もいる。緑が美しく、花が咲き乱れる中、家族で夏の「別荘」に向かう。花輪を作るための花を摘むため、近くの森に行き、また祭りの中心となるポールを据え付ける。

夏至祭りの宴には、「ニシンの酢漬け」「ジャガイモ」をゆでたものや「サーモン」や「スペアリブ」を食べ、食後には、この夏初めてとれた「イチゴとベリー」が登場する。



◆フィンランド

「乳製品」や「ソーセージ」や「ジャガイモ」が供され、「白樺」の葉と草花で町中が飾られる。そして一晩中野外での踊りが続く。

「スズラン、ナナカマド、ウワミズザクラ、ライラック」といった花が花瓶に挿して置かれる。これは今でも、祭りの間中は田舎や別荘でよく見られる。地域によっては、若い男性が、白樺の枝で「あずまや」を作る習慣がある。乳がよく出るようにと、牛にも木の葉やスズランで飾りつけがされる。白樺の小枝は、束ねて、サウナの時に体を叩く道具にも使う。

夏至の夜は、昔から神秘的かつ超自然的なものと結びついている。夏至を過ぎると、再び日が短くなり、夜が長くなっていくためで、悪霊がそのあたりを歩き回るとも信じられたり、また、財産や結婚を占う行事が行われたりした。


•ハーブや薬草を、露が下りる前の、活力のある時間帯に摘む。また、夏至の露には病気を治す力があると考えられていた。

•牛小屋の天井からナナカマドの枝を吊り下げると、牛が悪いものから守られる。

•夏至の夜、家の屋根の上で3回場所を変えて座る、または古いリンゴの木の下に座ると、未来が見える。

•夏至の夜、「鬼火」に目を凝らすと財宝がたまる。鬼火が、財宝のありかを教えてくれるのである。

[337]  ●「多チャンネル時代」   Name:道開き   Date:2019/06/20 (木) 10:31
地上波から、歌謡番組、時代劇、洋画劇場が姿を消し始めてから久しいです。それらの番組はBSに引っ越した観がありますが、ほぼ毎日放送されています。

うちの父親を見ていて思うのですが、世の高齢者にとって多チャンネル時代は、大いなる救いになっていると思われます。テレビのスイッチをONにさえすれば、人の姿も見られるし、歌や話も自由に聴けるのですから。テレビもラジオも無かった昔、高齢者達たちは何を思い日々を過ごしていたのでしょうか。それを思うと現代は、間違いなく幸せな時代だと思います。

[336]  ●「AI&ロボット」   Name:道開き   Date:2019/05/15 (水) 08:16
人類は、AIやロボットとどのような形で折り合いを付けていくべきなのか、これは大問題だと私なんかですら思います。人が行う仕事がどれだけ残るのかということです。

下は映画『A.I.』を観た時の感想なのですが、正直、未来に対して希望は持てないと思いました。それでは良くないとも思いました。




[79] 問題の映画『A.I.』を観て 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/20(Fri) 10:29

近未来社会を舞台に、“愛”をインプットされてしまった少年ロボットの苦悩と、2000年を越える母への思いを描いたSF作品である。
いい映画だった。考えさせられる映画だった。そして、怖い映画だった。さすがスピルバ−グ監督だ。

映画のファ−スト・シ−ンは「地球温暖化によって多くの地域が水没し、先進国はどうにか生き延び、後進国の多くは飢餓に苦しみ・・・・・」といったナレ−ションで始まる。
地球温暖化で水没してしまったニュ−ヨ−クのマンハッタンのシ−ンはゾ〜っとさせられる。
中世の“魔女狩り”を彷彿させる“ロボット狩り”のシ−ンも怖かった。神を忘れ、科学技術のみを盲信してしまうとああいうことになってしまうのだろうか。

アメリカでも多くの観客を動員しているそうなので、京都議定書は間違いなく発行されるでしょう。映画の影響力には凄いものがあるから。やはり、政治経済的に行き詰まって判断が出来ずにいる時は、見えない世界からのインスピレ−ションを受けたア−ティストや宗教者のメッセ−ジは世を正しい方向に導くものだと信じたいです。

(→アメリカは参加しませんでした。)


[335]  ●「デュアル(dual)」   Name:道開き   Date:2019/05/13 (月) 14:56
「二重」「二者」を意味する英語で、ラテン語のduo(デュオ・2を表す)に由来するらしい。

AI、SNS、ロボット、リニアモーターカー・・・と、社会の進歩的動きは誰にも止められないと思われます。

可笑しな話に思われるかもしれませんが、それとは逆の動きも同時に進んで行くと思うのです。それは原初性への回帰、つまり自然への回帰であり、農水産業、田舎暮らし、地方への回帰ということです。AI、SNS、ロボット、リニアモーターカー・・・といったものが、それを手助けしてくれることになるのでしょう。

このことについて、あるテレビ番組で取り上げていました。私も前々からそう感じていました。教育だってデジタル化はどんどん進むでしょうが、「ボーイスカウト」的教育も取り入れられていくことになるのでしょう。

[334]  ●「笛の音」   Name:道開き   Date:2019/04/14 (日) 10:37
学生時代に読んだ吉川英治原作の小説『宮本武蔵』の中に、武蔵の後を追うお通さんの吹く笛の音が、辺り一帯を清めている云々・・・という描写があり、「笛の音には清める力が備わっているのか」と、そのことに強い印象を持ったことを記憶している。
子供の頃に放映されていた『笛吹童子』というテレビドラマでも、主人公の吹く笛の音には不思議な力が備わっていた。

私がこれまでに幾度となく行ってきた「清め祓い」神事の中に、お祓いが全く効かないケースが何度か有った。当初は、その家、その土地、その人に、何十、何百体の死霊が取り憑いていても、「トホカミエミタメ」の神言を唱えることでお清めできたのに、「何でだろうか」と不思議で仕方が無かった。それが生き霊の仕業なのだと知ってからは、「生き霊祓い」の方法を模索し、ようやく辿り着いたのが以下の祓い言葉の言霊だった。


「しかしくま つるせみの いともれとおる ありしふえ つみひとののろいとく」


これを3回唱える。そうすると生き霊は苦しくて近づけなくなる。

但し、3回までで、それ以上唱えると相手も自分もどうなってしまうか解らない。劇薬中の劇薬なのだ。少し間を置いて繰り返す分には構わない。

「お祓い」の対象が、生きている人間の邪な思いなので、そうやって静まっていくのを何日でも、何ヶ月でも、何年でも待ち続けるしか仕方ないのだ。




★参考

●[131] 「トホカミエミタメ」 投稿者:道開き 投稿日:2005/06/27(Mon) 15:26

どんな意味の言葉なのだろうか?
「遠つ神 笑み給え」という説もあるが、ちょっと信じ難い。

この「トホカミエミタメ」という言葉、古えの日本においては、
亀卜(きぼく)や鹿卜(ろくぼく)などの“占い”を行う際に唱えられた言葉とされている。
つまり、「神ながら」の状態(「鎮魂」状態・トランス)」に入境して、“占い”によって見えない世界からの情報を得ようとする時に唱えられた言葉なのである。

そもそも、禁厭(呪い・まじない)の「まじ」は、「交り・混じる」ことで、「是(これ)と彼(かれ)が入り合いて、同一になる」「甲の霊力が乙の霊界に入り合いて同化せしむる」意ともされている。

この言葉、「清め祓い」の儀式を行う際にも唱えられた。
古代より、天皇家の霊性を守り続けてきた「白川神祇伯王家(しらかわじんぎはくおうけ)」の神道・「伯家(はっけ)神道」に伝わってきた“三種祓詞(みくさばらいし)”がそれである。

「吐菩加身依美多女(とほかみえみため) 祓い給い 清め給え」

「トホカミエミタ」に続けて、
「寒言神尊利根陀見(かん・ごん・しん・そん・り・こん・だ・けん) 祓い給い 清め給え」

と唱えると“三種大祓(みくさ・おおはらえ)”となるが、
これは、易の八卦(はっけ、坎・艮・震・巽・離・坤・兌・乾)に基づくものなので、純粋な古神道を志向した復古神道系の神道家らは“三種大祓”を退け、“三種祓詞”のみを重視する。

やはり、「祓い」を行う際にも、「“神ながら”(鎮魂・トランス状態)」に入り込む必要性があると考えられたので「トホカミエミタメ」が唱えられたのであろう。

この「トホカミエミタメ」の唱え言葉、幕末期にはかなり広く世の中で唱えられたようである。当時の、「吐菩加身(とほかみ)神道」の創始者・井上正鐡(かね)などは、「トホカミエミタメ」を唱える“鎮魂行法”まで確立した。現在でも、多くの古神道系の教団では唱え続けられている。

私の場合も、この“三種祓詞(みくさ・ばらいし)”が好きで、なんとも表現できないくらい自分にマッチするので、毎朝の「鎮魂行」を行う際にも、「易占」を行う際にも、「祓い」を行う際にも唱えている。

特に、急激な“ギァ−・チェンジ”を要する場合の「憑き物落とし」の様な祈祷を行う際などには、本当に便利な「唱え言葉」である。一気に“トップ”まで持って行くことができるからだ。

つまり、「トホカミエミタメ」とは「鎮魂」状態に入るための言葉、と考えると理解しやすい。



●[136] 縁は異なもの・・ Part2  投稿者:道開き 投稿日:2005/10/23(Sun) 22:06  

これまでの経験から言っても、自分の人生を一変させてしまう程の影響力を持つような人、本、音楽、映画・・・との“出会い”といったものはやはりあると思う。よって、「アンテナはいつも高くしておきたい」ものだとも考えている。

例えば、“場所”との出会いだってある。本日、BSの番組を見ていたら、三宅島の小さな祠(ほこら)に手を合わせる山の学校から泊まりに来ていた子供たちの姿が映っていた。三宅島というと、数年前の火山噴火による島民の全島避難が思い起こされるのだが、島民の苦難は現在でも続いているようだ。

二十年以上前になるが、大学三年のとき、三宅島で少林寺拳法部の合宿が行われ、一週間ほど滞在したことがある。その時は、島中をランニングし、海岸で“突き”や“蹴り”の稽古をしたり、夜には“肝だめし”をしたりといったように、ごくごく一般的な大学の体育会の合宿生活を送っただけのように思えた。

ところが、時がたち、現在は東北の片田舎で神主をしている身ではあるのだが、毎朝行っている“言霊の鎮魂行”や“祓い”の際に唱えるようになった「トホカミエミタメ」という「言の葉」(私にとっては極めて重要な言葉)との出会いの下地は、案外、その頃に出来上がっていたのではなかろうかと思われる節もあるのである。

というのは、書き込み〔131〕にあるように、「吐菩加身(とほかみ)神道」の創始者は井上正鐡(かね)なのだが、彼は、江戸時代の度重なる飢饉の中で多くの人々が飢え、たくさんの子供たちが「間引かれ」て行くという社会状況を憂いた。「我一飯を残して 人の飢えを救わん」と発願し、“世直し”思想の布教活動を始めたが、寺社奉行に異端視されてしまい、三宅島に流され、その地で没している。

私的に考察してみると、もともと少林寺拳法というものは、中国の崇山(すうざん)少林寺のお坊さんたちが、易筋行(えっきんぎょう、静の座禅に対しての、動の“行”)として始めたものなのだ。
よって、どやら私、三宅島で少林寺拳法の鍛錬をしているうちに、井上正鐡(かね)のミタマと“シンクロ”してしまったような気がしてならないのだ・・・いかがなものか




[333]  ●春霖(しゅんりん)・菜種梅雨(なたねづゆ)   Name:道開き   Date:2019/03/28 (木) 11:19
3月下旬から4月にかけてしとしとと降る長雨のことを「春霖」という。ちょうど菜の花が咲く頃なので「菜種梅雨」ともいう

菜の花を詠んだ有名な俳句に、

「 菜の花や 月は東に 日は西に 」 与謝蕪村

がある。

昔の人の季節感は本当に素晴らしいです。竹の子が出てくる晩春から初夏にかけての長雨だと「竹の子梅雨」で、初夏から仲夏にかけてだと「卯(う)の花腐し(くたし)」といい、もう少し季節が進むと「梅雨の走り」などという。


[332]  ●「復活祭(ふっかつさい)」を正す目的で改暦が行われた   Name:道開き   Date:2019/03/28 (木) 11:17
イエスが、十字架刑による死後3日目によみがえったことに因むキリスト教の祝日。英語で「イースター」という。春分後の最初の満月(旧暦15日)のあとの日曜日と定められている。
ジュリアス(ユリウス)・シーザーがエジプト暦をもとにヨーロッパに広めた太陽暦・ユリウス暦では、春分が3月25日だったが、4世紀のニケーア公会議で3月21日に改められた。

しかし、4年に1度の閏(うるう)年を置くユリウス暦では、1年を365日とし、4毎に閏年を置き、1日を加えて366日として補正する。つまり、一太陽年を365.25日としている。
〈実際は365.2422・・・・日と複雑なのだが〉
これでも春分が1600年間で10日もずれてしまい、やはり復活祭の日付が春分を基準に正しく決めることが出来ない。

そこで1582年にローマ法王グレゴリウス13世が改暦したのが、現在も世界的に使われているグレゴリオ暦である。


◆グレゴリオ暦の特徴
現在のグレゴリオ暦では、オリンピックが開催される年の2月の日数を29日と定めて閏年としている(ここまではユリウス暦と同じ)が、100年目ごとの年は、その西暦年数が400で割り切れるときだけを閏年とする。即ち、一太陽年は、平均365.2422日だが、長い年月の間に生じる狂いを、400年の間に3日間を閏年としない決まりによって調節している。それ故、1700年、1800年、1900年は閏年とせず、1600年、2000年は閏年となる。


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