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[90] 『千と千尋の神隠し』を観て@・・・・生きる力 投稿者:道開き 投稿日:2001/08/11(Sat) 12:41

昨日、宮崎駿監督作品の最新アニメ『千と千尋の神隠し』を観て来ました。
監督は、「冒険とはいっても、正邪の対決が主題ではなく、善人も悪人もみな混じり合って存在する世の中ともいうべき中へ投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、知恵を発揮して生還する少女の物語にした。」
「かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供たちはひ弱な自我を肥大化させるしかない。」
「けれども現実がくっきりし、抜きさしならない関係の中で危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧きだし、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分がかかえている事に気づくはずだ。」
「もっとも、ただパニックって“ウソ−ッ”としゃがみこむ人間がほとんどかもしれないが、そういう人々は千尋の出会った状況下では、すぐ消されるか食べられるかしてしまうだろう。」とのこと。

今の子供たちは、早くからテレビゲ−ムやパソコンといったバ−チャルな世界にドップリと浸ってしまっている。友達との遊びの中から経験によって体得して行くべき「生きる力」「生きる知恵」が萎えてしまっている。それにつけても宮崎駿監督は良い作品を作ってくれるな−と思う。

やはり、「よく学び、よく遊べ」は真実を簡単に言い表した素晴らしい言葉だとつくづく思う。

この掲示板の   [63]の『原始的感知力』

そして、メイン・メニュ−の《よもやま知識》の中の
『儒教と道教−理性と感性の二つの大流−』

をもお読みになって下さい。同じ事を言っていると思います。


[89] お知らせ 投稿者:道開き 投稿日:2001/08/11(Sat) 07:27

「白鬚神社の窓口」の中の〔メニュ−〕に
“マンガ”のペ−ジを増設しましたので
どうぞ、ご覧になって下さい。


[88] ようこそいらっしゃいました。 投稿者:道開き 投稿日:2001/08/09(Thu) 19:26

こんにちは。ようこそいらっしゃいました。
貴HPには、何とも言いようのない不思議なワ−ルドが広がっていますね。やはり、アニメならではの世界ですね。
今後とも気軽に遊びにいらして下さい。


[87] 初めまして 投稿者:紅 巫琴 投稿日:2001/08/08(Wed) 23:00

こんばんは、メールでのご招待ありがとうございます。
とても、綺麗なところですね。
名前に神社と書かれているので少し驚きました・・・。
よろしければ、リンクをお願いします

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Cell/5791/


[86] お久しぶり 投稿者:道開き 投稿日:2001/08/06(Mon) 07:15

福猫さん、お久しぶりです。
私は、まだ『千と千尋の神隠し』は観ていません。
観てきたら、私も掲示板に感想を書き出してみますね。
また遊びにいらして下さい。


[85] 千と千尋の神隠し 投稿者:福猫 投稿日:2001/08/05(Sun) 21:37

映画「千と千尋の神隠し」面白いですよ。

日本にある言霊信仰をファンタスティックに表現していますね。

言葉には力がある事を感じさせる作品です。


パンフレットに載っている宮崎監督の言葉を紹介致します。

〜〜〜〜〜〜宮崎監督の言葉〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ボーダーレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、

もっとも軽ろんぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。

歴史を持たない人間、過去を忘れた民族はまたかげろうのように

消えるか、ニワトリになって喰らわれるまで玉子を産みつづけるしか

なくなるのだと思う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
隠されたメッセージ、解かれないままの謎等の奥の深い部分も

ありますが、和み系?の面白い作品ですのでどうぞ見てください。


[84] お知らせ 投稿者:道開き 投稿日:2001/08/01(Wed) 09:25

〔メイン・メニュ−〕に

・「四柱推命」の命式図の例
・「気学・傾斜法」の判断例
・占星術

のペ−ジを増設しましたので、どうぞ、ご覧下さい。


[83] WA(わ)風がやってきたA −小休止− 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/24(Tue) 17:45


http://komasa.moon.ne.jp/enka/fusetsu.html

◆風雪ながれ旅♪♪♪

破れ単衣(ひとえ)に三味線だけば よされよされと 雪が降る

泣きの十六 短い指に 息をふきかけ 越えてきた

アイヤ− アイヤ− アイヤ− 津軽 八戸 大湊


三味が折れたら 両手をたたけ バチがなければ 櫛でひけ

音の出るもの 何でも好きで かもめ啼く声 聞きながら

アイヤ− アイヤ− 小樽 函館 苫小牧


鍋のコゲ飯 袂(たもと)でかくし 抜けてきたのか 親の目を

通い妻だと笑ったひとの 髪の匂いも なつかしい

アイヤ− アイヤ− アイヤ− 留萌 滝川 稚内



[82] Re[81]: 誤字がありましたね、ごめんなさい 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/23(Mon) 17:46

どうも、初めまして。
アクセスしてみましたがなかなか立派なHPですね。
どうぞ、今後とも気軽に遊びにいらして下さい。よろしく。


[81] 誤字がありましたね、ごめんなさい 投稿者:和貴水 唯 投稿日:2001/07/23(Mon) 00:30

先ほど投稿した和貴水 唯です。
ごめんなさい、誤字がありましたね。
失礼しました。

http://www7.big.or.jp/~o-maru


[80] リンクさせていただきました 投稿者:和貴水 唯 投稿日:2001/07/23(Mon) 00:22

和貴水 唯と申します。先日、斗蛍稲荷神社HPの管理者の方よりご紹介されて、貴HPを訪れました。
私は占いを職業にしておりますが、HPに占いを学ぶ初心者の方の役にたつと思われるサイトを集めたリンク集を作っております。
こちらのHPもリンクさせていただきましたのでご挨拶申し上げます。本来ならば事前にお願いするべきでしたが、お許し下さいませ。
ご紹介のコメントを添えておりますが、もし不都合がございましたらば、訂正・削除いたしますのでご連絡いただければ幸いです。
掲示板の記載、とっても興味深く読ませていただきました。ついつい、前を見たくなるような記載ですね。掲示板の内容を集めて、一つの読み物にしていただきたいような内容でした。
この後も楽しみにして下ります。
今後ともよろしくお願いします。

http://www7.big.or.jp/~o-maru


[79] 問題の映画『A.I.』を観て 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/20(Fri) 10:29

近未来社会を舞台に、“愛”をインプットされてしまった少年ロボットの苦悩と、2000年を越える母への思い゜を描いたSF作品である。
いい映画だった。考えさせられる映画だった。そして、怖い映画だった。さすがスピルバ−グ監督。
世界的に大ヒットしているそうだ。映画のファ−スト・シ−ンは「地球温暖化によって多くの地域が水没し、先進国はどうにか生き延び、後進国の多くは飢餓に苦しみ・・・・・」といったナレ−ションから始まる。
地球温暖化で水没してしまったニュ−ヨ−クのマンハッタンでのシ−ンはぞ−っとする。本当に考えさせられる。
中世の“魔女狩り”を連想させられる“ロボット狩り”のシ−ンも怖かった。
神を忘れ、科学技術のみを盲信してしまうとああいうことになってしまう。

アメリカでも多くの観客を動員しているそうなので、京都議定書は間違いなく発行されるでしょう。映画の影響力には凄いものがあるから。やはり、政治経済的に行き詰まって判断が出来ずにいる時は、見えない世界からのインスピレ−ションを受けたア−ティストや宗教者のメッセ−ジは世を正しい方向に導くものだと信じます。


[78] エクソシスト 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/18(Wed) 20:23

下の[77]の書き込みに続く内容です。いわゆるオカルト映画の不朽の名作『エクソシスト』。悪魔が少女に取り憑くきっかけとなったのは、やはり、少女が「キャプテン何とかにたずねてみる」といっていた様に、ウィジャ−盤を使った霊界交流が始まりでした。
あの映画はある実話に基づいているそうです。
但し、少女ではなく少年に悪魔が取り憑いたのだそうです。やはり、ウィジャ−盤を使用したのがそのきっかけだったそうです。その悪魔は、しつこくてしつこくてなかなか去ろうとはしなかったといいます。法王庁?から派遣された神父さんが、何日も何日もかかって、ヘトヘトの状態になって“悪魔払い”をしていると、突如、大天使ミカエルと名乗る神霊が現れて、その悪魔を追い払ってくれたのだそうです。
日本的に言えば、ミカエル大明神?それとも、ミカエル大権現?

とにかく、何れにせよ霊界交流というのは、それ程に危険と隣り合わせなのであるということを忘れてはならないということです。
つまり、やらないに越したことはないのです。


[77] 霊界交流の方法 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/18(Wed) 11:08

〔66〕〔67〕の書き込みに続きます。
岡本天明、『霊界研究論集』−「霊界交流秘伝」−より

交流開始に先だって神(仏)前に額づき、その守護、指導を頂くことはもちろん、先づお許しを願ひ、かつ総てを御報告申し上げねばならぬ。(心霊科学者から見れば、余りにも宗教臭く迷信的にうつるであろう。)
しかし、この神前の行事こそ最も重要なものであって、この行事を抜きにして行う場合は、ほとんどが幽界(地獄)霊との交流となるのである。さて、神前の行事とは如何なるものか。


(1)祓い清め〔はらいきよめ〕の行事
先づ、神前又は仏前(どちらもない時は産土神社「うぶすなじんじゃ」の御神名を書いて御神体をつくり御降神を願うこと)に向かって以下の如き意味のことを奏上(申し上げる)する。
 只今から霊界交流の行事を行はさせて頂きます。何とぞこの行事が神々様の御旨に添ひますよう、祓い清めて弥栄(いやさか)にお守り、お導き下さいますようお願い申し上げます。
奏上後、北、東北、東、東南、南、南西、西、西北の順に拍手を打つ。(一方向、四拍手)次に、霊具に向かって、次に参会者に向かって拍手を打つ。(一回にてよし、四拍手)


(2)献饌〔けんせん〕の儀
神前にお供え物を上げる。神式の形式にてよし。


(3)サニワの祈願
祈願の言葉は一定して居りませんが、大体次のような内容のもの。
「謹んで大神(仏)様に申し上げます。只今から大神様の御旨のまにまにサニワの神事をとり行わせて頂きます。そして大神の御子としての本来の姿に立ち返らせて頂きたい念願であります。天地不二、霊現一体の御旨に添ひ奉るつとめの一つとしてこの行事を弥栄(いやさか)にお導き下さいませ。」
「ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆらひふみゆらゆら、ひふみゆらゆらひふみゆらゆらひふみゆらゆら」

以上が神前の行事となります。引き続いて交流が行われます。

(1)サニワ、先づ心を静め座を正し、大神に行事開始の旨奏上(八拍手)


(2)次に、天〔あめ〕の数歌を奏上する。

一ひと、二ふた、三み、四よ、五いつ、六むゆ、七なな、八や、九ここの、十たり(百もも、千ち、万よろず)

   三回繰り返し、三回目のみ(百千万)を奉唱する。


(3)送霊
次に、霊媒に向かって送霊(浄霊)する。送霊は、正副二人に行うため、左右両手を使用する。


(4)  (2)と(3)を繰り返す。この間岩笛〔いわぶえ〕を吹いてもよし。


(5)交流が始まれば、先づ適当な質問を発すること。例えば、
「あなたは何と云われるお方ですか」と云う風に神名からおたずるするのが普通。


(6)送霊の時、黄色の布を指先に巻き付けて行えば霊流が強くなって効果的です。また送霊は霊媒の腹部に向かって行うのがよい。


★交流時の心得
交流が始まると、何となく、肉体にも特別な感じが起こってくる(サニワにも感応する場合がある。)
先づ肉体の前側、顔面、特に前額の部分に、何となく暖かく感じてくる場合と反対に背筋の辺にゾッとするような冷たさを感じてくる場合がある。この場合、前方から感じるもの、または何となく暖気を覚えるものは正霊(天国霊)であり、背後、首すじ辺から感じるもの、または冷気を感じるものは邪霊(幽界霊)でありますから、十分に注意が必要です。(邪霊の場合は、一時中止する方がよい)
統一融和の状態に入りますと、霊媒は何事も判らなくなる場合があります。(普通の場合は自分が何を為し何を語っているかよく判っている。)また霊媒によっては、次にどんな字を書き、如何なる行動をするかと云うことが前にちゃんと判る場合もありますが、それに慢心してはならない。その慢心に、必ず邪霊がつけ込むものです。


以上の書き込みは、実践されてしまうと危険なので、ほんの大枠を記しただけのものです。実践に当たっての重要なポイントの説明ははずしてあります。
結局言いたいのは、日々神さまに手を合わせて、そのお守りの中で暮らすのが一番いいということを言いたかったのです。そういった形での霊界交流が最も理想的だと云うことを言いたいのです。くれぐれもコックリさんやウィジャ−盤などで霊との交流を計るなどとはつゆも考えないで下さい。そういった事をやってしまって邪霊の虜になってしまうという例は本当に多いのです。「生兵法は怪我のもと」です。

次回は、同じ『霊界研究論集』から「審神者(サニワ)秘伝」を取り上げてみます。
     


[76] 〔75〕に加えて 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/12(Thu) 15:57

「天津祝詞の太祝詞(あまつのりとのふとのりと)論」の件については、学者の間でも、定説が無く、いまだに議論がなされていることです。やはり、こだわらずに、そのまま唱えればよいと考えられます。


[75] 本日は奥松島の“海開き” 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/12(Thu) 15:50

本日は奥松島の全海水浴場の“海開き”の神事が行われました。
町長さんを始め、町の議員さんたち、漁協関係者、観光関係者、
警察、消防、海上保安庁、JR・・・・多くの方々の参列がありました。鳴瀬の町を挙げての一大イベント?(神事)なのです。
ほのぼのとしていいなぁ−と、奉仕している自らが、いつもそのように感じます。本当にいい伝統だな−と感じるのです。
テレビカメラが2台と新聞社も一社来てました。最近、少々太ったので、アップにたえられなかったな−とも思っています。


冗談はさておき、昨日、大リ−グのオ−ルスタ−・ゲ−ムが開催されました。イチロ−も、地元宮城出身の大魔人ササキも大活躍でした。
野球そのものもさることながら、イチロ−の打席に立つ前の準備運動(あの大股開きの四股スタイル)が、アメリカでは相撲ストレッチと呼ばれて大受けしているそうです。そして、試合前に食べる由美子夫人が作る“おにぎり”(ライス・ボ−ル)が話題となっているそうです。
やはり、米人も自分たちと異なる文化が気になるようですね。


太田さん、今日は。
前にもメ−ルで申し上げましたが、神職同士の質疑応答は、専門に過ぎて、一般の方々にとっては難解なものとなりがちです。掲示板に書き込むに当たって、一般の方々に危険をもたらす内容に触れなければ成らないことだって有ります。ですから、できるだけメ−ルでお願いいたします。よろしくお願いいたします。
今回の件ですが、私はかねてより、神霊の世界のことは、かなりインタ−ネットに似ていると考えております。
インタ−ネットを設定すると、突然知らない方からアクセスがあったり、また無かったり。素晴らしいサイトにこちらからアクセスできたり、逆にコンピュ−タ−・ウィルスを送ってよこされることがあったり、それを削除することもできる。やられてしまうこともある。

但し、ここからが最も神霊世界とネットと違うところなのですが、神さまにアクセスするには、直接、URLを入力する(神名を唱える)のが一番なのでしょうが、案外、そうでなくとも、細部にこだわらなくとも大丈夫な様です。
ある程度のポイントさえ押さえて、心を込めて行う時は十分に神さまにつながります。自動的に、リンク、リンク、リンクで目的の神さまにつながっていくようです。神さまの名前が解らなくとも、「以前にお参りした何々町の何々神社の神さま」でも、「天地に坐す八百万の神々さま」でも、十分につながって行きます。余り詳しく書くと、素人にとって危険な内容にも踏み込まなければならなく成ってしまいますので止めときますが。

「天つ罪だって、国つ罪」だって、その内容をひもといてみますと、当時の農耕に関連するものや、現代でいえば差別にあたるものだってあります。つまり、時代にそぐわないものだってあります。ですから「天つ罪、国つ罪」と唱えるだけで、その細部までは唱えなくとも構わないと思います。かえってリンク、リンクで罪全部がリンクされていくと考えます。

私は、学者の説は参考にはしますが、どちらかというと実際に試してみたりして、その効果、実践結果なりに重きを置きます。
“大祓(おおはらい)”の元は、道教なり、陰陽五行なりの影響を強く受けて出来た“中臣(なかとみ)の祓い”です。朝廷の「神祇(じんぎ)官」で唱えられました。当時の「陰陽寮(おんみょうりょう)」では解除(げじょ)の詞として“中臣の祭文(さいもん)”と呼ばれものを唱えました。その際は、祓戸(はらへど)の四柱の神々の御名ではなく、それに代えて道教の神々の御名を唱えます。炎魔法王、五道大神、泰山府君、司命司禄神の御名です。
それら道教の神々の御名を唱えないと、大祓詞は効かないようなことを書いていらっしゃる学者先生もいらっしゃいますが、実際にそんなことはないです。祓戸の四柱の神々の御名を唱えても十分に効き目はあります。「何々神社の大神様、祓い給い、清め給え」だけでも十分に効きます。しかし、形式がありますから、私としましては常々は、「大祓詞」を唱え、「ひふみ祓い」を唱え、「三種(みくさ)祓い」を唱え、といったことはしています。とくに「十種(とくさ)の神寶(かんだから)」の御名を唱えるパワ−は絶大だと考えております。

除霊、浄霊だって、よくテレビに出てくる尼さんたちの集団が、大勢で“ボッケン加持”を行って、野狐の霊を追い出すとかやっていたり、織田無道さんがオドリャ−と声を張り上げているのを見たりしますが、どうも私には、パフォ−マンスにしか見えません。案外、2、3秒でできたりもしますよ。本当に。
できるという表現を使うと、自我が入ってしまっている様でいささか気になるのですが、とにかく、神さまがそれらの霊なり、何なりの障りを正しきところへ(行くべき所へ、向かうべき所へ)と導いてくださるのです。

私としましては、神職が一番に気を付けなければならないのは、神主としての神霊知識なり、鎮魂力(霊力)なりといった事柄だと考えます。結局は、全てがそこに掛かってくると考えております。
よって、神職は日々研鑽に勤めるべきであると考えております。

どうも、長くなってしまいました。


[74] 天津罪国津罪 投稿者:太田伝也 投稿日:2001/07/12(Thu) 02:37

自粛を破ります。ある国学者、八神邦建殿から大祓詞には、天津罪國津罪が抜け落ちているし、天津祝詞の太祝詞にも言及していないから唱える意義も半減すると言う意見がありました。確かに我々本庁の神職は教わっていません。いかがですか。

http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya


[73] アバandイチロ− 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/07(Sat) 20:49

どうも、太田さん、今後ともよろしく。


イチロ−の活躍は日本人として、本当に気持ちがいいです。本日も大活躍していました。
〔71〕の書き込みに続く内容なのですが、
アバが、全く相手にされていなかったスウェ−デンの音楽界から世界へ飛び出したのは、イチロ−が、日本の野球界から大リ−グに飛び出して、大活躍しているのとかさなりますね。
やっぱり、共に実力があったんですね。本物でなければあの様にはならない。


[72] いつもお世話になります 投稿者:太田伝也 投稿日:2001/07/07(Sat) 15:27

たくさんのお手紙ありがとうございました。まだ読みかけですのでご容赦願います。
ところで神道は、その独自性も大切ですが、普遍性にも注目すべきですね。同じ考えのお方が見えて嬉しいです。私の拙い持論ですが、神道はシャーマニズム(神憑り)とアニミズム(自然崇拝)それとトーテミズム(神のお使いの動物)が絶妙のバランスで渾然一体と溶け込んだ素晴らしい思想だと思っております。
勉強不足で申し訳ありませんが、今まで原始野蛮などとレッテルを貼られてきた信仰の中にこそ人類全体を貫く普遍的な素晴らしいものがあるように思われます。これからもいろいろご教授願います。まずはお礼まで。
谷わたる 風に吹かれて こだまする ケイナの笛に 荒鷲の舞う 丁度スペインに滅ぼされる前のインカの民はこのような気分だったのでしょう。想像ですが。

http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya


[71] ちょっとだけ洋風の話を・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/06(Fri) 15:25

“ABBA(アバ)”

数日前に、アバを特集したテレビ番組を見る機会を得ました。
スウェ−デンという北欧の田舎から世界に飛び出したポップ・グル−プのアバ。’80年に解散するまでのほぼ10年間の活躍は本当にすごかった。
アバ・サウンドを生みだしたヴィヨルンとベニ−、そして天使のような歌声を聞かせてくれたアグネタとフリ−ダの四人から成るグル−プです。

私も、学生時代にはよく聞きました。「ダンシング・クィ−ン」なんかはテ−プが磨り減るくらいに繰り返し聞きました。当時のレコ−ド売場などでは、アバのコンサ−トの模様を映し出したデモ・テ−プが
よく放映されていました。

そのアバが、20年の時を超えて、現在の日本の若者の間で大ブレ−クしているそうです。

そして、その番組の中でとても感動的なシ−ンを見ることが出来ました。そのシ−ンというのは、黒ずくめの、暴走族の中年とでもいったようなパンク・ロック派の雄“U2”のボ−カルなのかな?ボノさんがインタビュ−に答えていたシ−ン。そして、’92年に行われたU2のスウェ−デン公演にベニ−とヴィヨルンの二人を招待し、ダンシング・クイ−ンを観客と共の合唱し、ボノさんが観客に対して二人のために拍手を求めていたシ−ンです。本当に感動的でした。

そのテレビカメラの前でのインタビュ−の内容は次の通りです。
「アバはいつしか憎むべきものの象徴になっていたよ。パンク・ロック派にとっては、アバは体制の象徴だった。
僕は、偉大なポップ・グル−プだったアバを少女趣味(商業主義の象徴)ということで完全に無視してしまった。
けれども、結果的には“時代を超えて生き残った”。アバの音楽には純粋な喜びが満ちあふれている。」

実に感動的でした。やはり、本物は時間がたつと正当な歴史的評価を受けていくものなのでしょうね。アバの歌は、これから100年先、200年先も、人々の間に歌い継がれていくことでしょう。欧米でも、日本でも。

ちなみに、私はその日以来、不良おじさんとでも言ったらいいのか、ロック・スタ−に対して申し訳有りませんが、U2のボノさんのファンになってしまいました。U2の歌も聴いてみよう。


[70] Re[69]: 始めまして 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/04(Wed) 17:21

こんにちは。
了解しました。
これから書き込みに向かいます。


[69] 始めまして 投稿者:太田伝也 投稿日:2001/07/04(Wed) 16:01

初めて投稿いたします。私は岐阜県に在る神社の神主です。これからも同じ道を歩むもの同士、いろいろとご鞭撻いただきたいと想います。女性のための神職から飛んで来ました。私もあの掲示板に書き込みしておきましたので、ひょっとしてご存知かも。もしよろしければ私の掲示板にも書き込みをお願いいたします。まずは、ご挨拶まで。

http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya


[68] 結局のところは・・・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/03(Tue) 14:07

[66][67]のところに、“神憑り”、“審神者(サニワ)”について長々と書き込みました。
けれども、結局のところは、実体験を踏んでみなければ何とも言えない事柄です。とりあえず頭の片隅にでも置いといてみて下さい。
はたして、それらの知識が役に立つときがあるかどうか。


[67] 審神者(サニワ) 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/03(Tue) 13:52

下記[66]の神示の内容は、『太神の布告』という題名で岡本天明も本をだしています。『日月神示』の題名で中矢伸一氏等も数冊出しています。
内容が、『ヨハネの黙示録』、エドガ−・ケ−シ−の予言的で怖いところも多いので、“審神者(サニワ)”についての記述のみを紹介します。
神示に、「霊眼(ひがん)で見たり霊耳(れいじ)で聞いたりすることは間違い多いぞ。心せよ」ともあり、
例えばA→B→Cという事象が霊の世界に起こるとする。そうすると、現界で起こる場合は、様々な要因によって、A→C→Bと順番が変わる場合もあるし、又最初にA→Bと続けて出ても、Cだけ遅れて現れたりする。その現れ方も百のものが百と移ることはまずなく、十と出たり、時には一としか出ないときもあるという。

また、この世からあの世に対しても働きかけることもでき、この世からあの世を浄化していくことも可能だという。
そして、個人的レベルの事柄については比較的当たりやすいが、社会規模の事柄に関しては当たりにくいという。

まあ、とにかく審神者(サニワ)にかんする一部の神示を抜粋してみます。

「目に見えぬところからの通信は、高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ。ドタンバタン、大声で怒鳴り散らすのは下の下」

「神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん。高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてならんぞ。下級霊は現実界と紙一重のところに住んでいるのであるから、その感応は極めて強く、いかにももっともらしく人民の目に映るものであるぞ。高度のものは、その人民のミタマ如何によって、それと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。」

「霊界と申しても、神界と幽界とに大別される。幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊憑かりのほとんどは、この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。霊憑かりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは、必ず下級霊であるぞ。インチキ霊にかかるなよ。たとえ神の言葉でもなお審神せよと申してあろう。迷信であっても、それを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部を作り出すことがあるから気付けておくぞ。無きはずのものを生み出し、それがまた地上界に反映してくるのであるから、心して下されよ。今の人民、九分九厘は幽界とのつながりを持つ。胸に手を当てて、よくよく自分を審神せよ」

「霊的良識とは、神示、神典類、によって、または体験によって養われ、また高度な科学書も参考となるものぞ。科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度の霊のものともなれば、神界の高度の神霊と区別することが難しいぞ。初歩の審神の誤りやすいところであり、また霊眼するものの誤りやすいところ。注意しなければならん。例えば霊光のごときものも、強く大きくて、なかなか審神できないぞ」

「竜体を持つ霊は、神界にも幽界にもあるぞ。竜体であるからと申して神界に属すると早合点ならん」

「霊界に住むものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が統べての霊界であるかの如く思うものであるぞ。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対照とならないからである。人民界のことよく知っている霊は、人民界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでいた動物霊か、人民に憑依していた霊であるぞ。特別な使命をもつ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では、天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風、狸風、猫風などが大部分であるから気つけおくぞ」

「動物霊が人間の言葉を使うことは、フに落ちないと申すものが沢山あるなれど、よく考えて見よ、例えば他人の家に入って、そこにある道具類をそのまま使用するのと同じ道理じゃ。判りたか。動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉をある程度使いこなせるのであるぞ。故に日本人に感応すれば日本語、米人なれば英語を語るのであるぞ。」

「時に、例外として、人間の魂と動物の魂と入れ替わっていることもあるぞ。この場合は肉体に入り込んだと考えてよいぞ。こういう場合、例えそれが狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐに判るなれど、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代時代の流れに合わせて化けているから、なかなか見破ることも難しいぞ。心得なされよ。
ある種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を持って断言する場合が多い。人間が知らぬ世界のことを、自信を持って強く告げられると、多くのサニワは参ってしまうぞ。」

「幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それはただ申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ。よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとえ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈じゃ。甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。真の善言真語は心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。偽りの言葉は、落ち着いて聞けばすぐ判るぞ、同じ「ハイ」という返事でも、不満を持つ時と喜びの時では違うであろうがな。われはむ天照大神(あまてらすおおみかみ)なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの」

「はじめに出てくる霊は、ほとんど下級霊であるぞ。玄関にまず出てくるのは玄関番であるぞ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ。浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応はほとんど無いぞ」

「霊の要求じゃと申して、そのままに受け入れてはならんぞ。よく判断した上で処理せねばならん。下級霊、動物霊の場合は酔いどれのように箸にも棒にもかからんことを申すものぞ。とくにその霊が病気に関連を持っている場合は微妙であるから、よく心得なされよ。悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちに決めつけてはならん、やんわりともちかけて、善きに導かねばならんぞ、悪を嫌う心があってはならん、悪抱き参らせと申してあろうがな。邪道的要求を入れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返すぞ。この呼吸大切」

「どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない。馬鹿にすると反射的に審神を馬鹿にして始末におえんことになるぞ。霊覚者や行者の中には、奇跡的な行動をする者がよくあるぞ、一般の人民はそれに騙かされることがよくあるぞ、いずれも下級霊の仕業であるぞ。正神に奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ。」


[66] 神憑かり(一つの例) 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/03(Tue) 11:28

ここに興味深い有名なお話を載せてみます。

東京の原宿に日本の古代史を研究するグル−プ、修史協翼会があった。そこで、昭和19年4月18日「フ−チ」の実験会が行われた。
フ−チとは、10センチほどの厚さに砂を敷いた砂盤の上に、T字型のチボク(木)を渡し両端を二人の霊媒がもち、御神霊の降霊を賜って砂の上に文字を描き出すという、自動書記現象のことである。

中国では古くからフ−チによって御神意をうかがう方法がとられていたようで、シャ−マンを表す巫女(みこ)の「巫(かむなぎ)」という字は、この神秘的な行事をかたどってできたものだという。

この日のフ−チ実験会には、太陽工業社長の高井是空氏、陸軍少将の小川喜一氏、O女子大創設者のO女史ら十数名が集まった。
審神者(サニワ)兼司会者の役をつとめたのは、当時、千駄ヶ谷の鳩森八幡宮で留守神主をしていた岡本天明である。
岡本天明は、画家であり、神道研究家であり、大本教時代に鎮魂帰神法の審神者役をなさっていた、日本心霊科学協会の創設者・浅野和三郎氏にその能力を見いだされて、数多くの降霊現象を身に受けた優れた霊媒でもあった。

参加者はいずれも科学陣営の人々で、心霊現象や神憑かりなどといった類のものは全く信じていなかった。しかし、歴史的に不明な点があったので、それでは神霊に伺ってみましょうということで、天明が行った実験であった。
審神者(さにわ)というのは読んで字のごとく、神を査定する者という意味である。こうした降霊実験などでは、どのようなレベルの神霊が感応してくるかわからない。動物霊などの低級霊による感応の場合も多く、正しい神霊と邪な霊とを見分ける役が必要となる。そして神霊と言葉を交わし、御神意をうかがわなければならない。当然、審神者(さにわ)には豊富な霊的体験と幅広い知識、的確な判断力が要求される。

この実験で最初にチボクを持つ霊媒役となった二人は、前出の高井氏と某夫人であった。
実験開始数分後、感応があり、T字型チボクがゆっくりと砂の上に線を描き出した。
まず、大きな文字で「天」と記された。
そして次に「ひ」。
さらに「つ」「く」という文字が、砂盤の上に描かれた。
「御神名だろうか・・・・?」
そう思った天明が、そのようにたずねてみたが、それに対する返事はなかった。次に前出の小川少将とある人が霊媒役となって試みたところ、今度は「日月のかみ」と記された。つづいて何組かが実験したが、いずれも「ひつきの神」とか「天之日月神(あめのひつくのかみ)と示されるのみで、他の質問には返答がなかった。
しかし、実験に参加した人たちは異常な興味を持った様子であった。「天之日月神」などという御神名は聞いたことがない。神名辞典などを手当たり次第調べてみたが、載っていない。結局、その日はそのまま、ウヤムヤになってしまった。
数日後、参加者の一人から天明に連絡があり、平凡社発行の百科辞典に、「天之日津久(あめのひつく)神社」があることを発見したのである。それによると、「千葉県印旛郡公津村台方(現在の成田市台方)に延喜式内社の麻賀多(まがた)神社があり、その末社に天之日津久神社がある」とのことであった。

それから約2月後の6月10日。ある知人からの誘いで、彼の家を訪ねることになった。そして道順を確認するために住所を訪ねたところ、何と、そこが奇しくも天之日津久神社のある公津村だったのである。これは御神霊の招きに違いないと直感した天明は、迷わず麻賀多神社を訪ね、境内末社である天之日津久神社に参拝した。

本来、画家である天明は、当然画仙紙(がせんし)と矢立(やたて)を持ち歩く習慣があり、この日も例外ではなかった。参拝後、社務所で休んでいると、突然、天明の右手血管が怒張し、激痛が走った。
そしてやむをえず、持っていた矢立を画仙紙に当てたところ、勝手に手が動き出し、自動書記現象が始まったのである。これが「日月神示」、又は、その神示が多くの数字によって記されていることから「一二三(ひふみ)神示」とも呼ばれるものである。
以来む、この自動書記(お筆先)は16年間にわたり、断続的に続けられていく。

その内容は、あの世のこと、神のこと、霊のこと、あの世とこの世の関係、正しい生き方、正しい食事の取り方等、多岐に渡っている。


★皆さん、くれぐれもふざけ半分で“コックリさん”などはやめましょう。とんでもないことに成りかねません。


[65] 日本の心(和風)   投稿者:村田英雄ング 投稿日:2001/06/30(Sat) 13:33

“王将”♪♪♪

吹けば飛ぶよな 将棋の駒に

賭けた命を 笑わば笑え

生まれ浪花の 八百八橋

月も知ってる 俺らの意気地


あの手この手の 思案を胸に

やぶれ長屋で 今年も暮れた

愚痴も言わずに 女房の小春

つくる笑顔が いじらしい


明日は東京に 出ていくからは

なにがなんでも 勝たねばならぬ

空に灯がつく 通天閣に

おれの闘志が また燃える


“夫婦春秋”♪♪♪

ついて来いとは 言わぬのに

だまって後から ついて来た

俺が二十で お前が十九

さげた手鍋の その中にゃ

明日のめしさえ

なかったなァ お前


愚痴も涙も こぼさずに

貧乏おはこと 笑ってた

そんな強気の お前が一度

やっと俺らに 陽がさした

あの日涙を

こぼしたなァ お前


九尺二間が 振り出しで

胸つき八丁の 道ばかり

それが夫婦と 軽くは言うが

俺とお前で 苦労した

花は大事に

咲かそうなァ お前


“柔道一代”♪♪♪

いかに正義の 道とはいえど

身にふる火の粉は 払わにゃならぬ

柔道一代 この世の闇に

俺は光を 投げるのさ


人は力で 倒せるけれど

心は情けは 力じゃ取れぬ

春の夜風に 吹かれる柳

見たぞ誠の 男ぶり


若い内だよ きたえておこう

今にお前の 時代が来るぞ

泣きたかったら 講道館の

青い畳の 上で泣け 


[64] 予告編 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/29(Fri) 21:50

ほんの少し気分を変えて


       “和風がやって来る”


乞うご期待!


[63] 「原始的感知力」 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/22(Fri) 12:05

下の〔62〕に続きます。

『あなたの細胞の神秘な力』−バイオ・コミュニケ−ションが発見し た生命の謎− より  
 ロバ−ト・B・スト−ン(科学ジャ−ナリスト)著  祥伝社

◎森も会話している。植物も恐怖や喜びや安心の感情を示す(バクスタ−効果)。C・バクスタ−がウソ発見器の使用によって、そのことを発見した。「原始的感知力」それは、いかなる生物の体細胞にもある力である。アメ−バ−とかゾウリムシ、野菜や果物の細胞、表土内の培養菌、人間の体の細胞、血液、精子などは、いずれも私たちの考えや感情に反応する。
(例)
たった今、一人の男性から取り出した、その人の生きた細胞をポリグラフ(ウソ発見器)につなぐ。そこで被験者の男性はとなりの部屋にいってもらい、完全にドアを閉め、隔離状態にし、やはりポリグラフをつなぐ。そこで男性は『プレイボ−イ』という男性誌を手渡され、1ペ−ジづつ、ゆっくりとめくりながら見ることを告げられる。男は言われた通りにめくってゆき、ある時ヌ−ド・グラビアがでてくる。当然、その男はポリグラフに何らかの反応を示すが、全く同時に、彼の“細胞”が大きく反応する。つまりこの実験は、細胞というものはその人の一部でなくなった状態であっても、それでも情報を受け続けているということの証明といえる。ヌ−ドを見てドキンとするのも、イメ−ジの世界だ。そして瞬間に空間を超えて細胞に、ドキンという情報が伝わっている。

◎愛に応えた楡(にれ)の木
三枚の楡の木の葉をガラス板に載せ、毎朝目が覚めると、両側に置かれた二枚の葉に意識を集中し、「長生きしてくれよ」と励まし、真ん中の葉は、全く無視した。一週間経つと、真ん中の葉は枯れて茶色くなったが、外側の二枚の葉は、まだ枯れずに青々としていた。

◎ニュ−・サイエンスの旗手フリチョフ・カプラは、『物理学の道』で、「量子論では、宇宙を物質の集合体だとは考えず、部分部分が相互に入り組んだ、複雑な関係を持つひとつの世界であると捉えている」と述べている。個々の生物をつなぐ意識の世界があるとしたら、全世界を結ぶ、知性の「場」のようなものがあるとしたら、植物の「原始的感知力」も、「全体」の「一部」にすぎないのかもしれない。つまり、植物が細胞のレベルにおいて、原始的「感知力」だけでなく、原始的「知性」をすら持っている可能性がある。

◎あらゆる生物の細胞は大いなる意志とつながっている。

◎ブドウはストレスで甘くなる。ストレスは受ける人の受け取り方次第で違う効果をもたらす。一大事と思えば一大事になるし、脅威だと思えば本当に脅威となる。逆に一つの挑戦だと思えば、むしろ励みとなるであろう。「ピンチはチャンス」。

◎“希望”は細胞を勇気づける。

◎この「原始的感知力」は、距離を超えて他人と交信する人間の能力に影響してくる。これによって、透視能力や遠隔治療も説明できる。

◎イメ−ジは免疫システムを活性化する。心の力で自然治癒力は高まる。すべては心の愛の力による。細胞を傷つけるネガティブな心のエネルギ−。

◎宇宙の知性を通じて、すべては一つになる。

◎宇宙に広がる「無意識の集合」。

◎すべての生物の背後にあるたった一つの世界。

◎私たちの意識は、広大な宇宙意識につながっている。

◎宇宙は意識(あるいは知性)によって満たされ、細胞も宇宙を持ち、意識と知性で満たされている。細胞や生体が全宇宙を満たす意識と交流を持っている。

◎アインシュタインの座右には神智学会創設者のブラバッキ−夫人が書いた『秘密の教義』が置かれていたという。神智学の基になっているその教義は、人間はそれぞれ別の知性を持っているのではなく、人類共通の巨大な知性の一部であると説かれている。これこそが、一体化を求める右脳の思考なのである。左脳は物事を二つに区別してみる。

◎右脳の領域である精神世界は、ものの源である原因の世界であり、物質世界はそれから出てくる結果の世界である。

◎物質世界とは、ニュ−トンが言ったように、小さな物質の破片を積み重ねた世界だ。精神世界は、物質を生み出すエネルギ−の世界である。

◎哲学者のジョゼフ・キャンベルは、各地に伝わるすべての神話・伝説が、一つの基礎となる伝説から派生していることに気づいた。想像上の話(右脳の働き)は、同一の智恵の源から流れて、民族や地域の違いにもかかわらず、統一された知性の存在をハッキリと示している。


[62] 細胞の神秘な力 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/21(Thu) 21:09

万物に霊魂が宿るとしてこの世を捉える“アニミズム”の科学版といったものを紹介します。

“バクスタ−効果”。1966年、ふとしたことから植物の意思なるものを発見したというクリ−ブ・バクスタ−。テキサス大学で工学を、テキサスA&Mで農業と心理学を専攻し、CIAで活躍した‘ウソ発見器’の権威である。
単なる偶然に、皮膚の電気反応を測定する検流器を観葉植物につなげてみたところ、その植物は何と、彼の行動、心の動きに、その都度反応を示したという。それどころか、植物同士、我々には解らない力で会話をもしているらしいというのだ。
そして、最も単純な生物の細胞にも、人の心を読む力があるらしいという事に至った。

神道にも、大祓詞(おおばらいし)という祓(はら)いのための一文がある。その中に「語問志磐根樹立草之垣葉乎毛語止弖(語問いし、岩ね木ねたち、草のかきはをも、語止めて)」という一節があって、どうもその内容が連想されて来る。

その語る内容は、ユングの「集合的無意識」、シェルドレイクの「形成形態場」、ピ−タ−・ラッセルの「グロ−バル・ブレイン(地球的頭脳)」といったものとも同じである。

よって、次の〔63〕の書き込みには、植物や細胞の持つ“原始的感知力”について記します。


[61] ホタル 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/20(Wed) 12:42

男は黙って“健さん映画”、女も・・・・

http://hotaru.toei.co.jp/index.html


[60] ガイア・シンフォニ−(地球交響曲) 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/20(Wed) 11:46

下手な説明は必要ないと思います。
URLをクイックしてご覧になって下さい。
映画も是非一度ご覧下さい。いいですよ。
http://www.246.ne.jp/~hiima/gaia/gaia.html


[59] 地球生命体“ガイア” 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/17(Sun) 19:40

イギリスの科学者ジェイムズ・ラブロックが提唱した概念です。
これは地球を一個の生命体として捉えるというものです。ガイアとはギリシャ神話の大地母神の名。

たとえば地球の酸素濃度は現在21%ですが、これは生命体にとって安全の上限ぎりぎりの濃度だそうです。この濃度は35億年間ほとんど変化していないという。もし、酸素濃度が1%上昇すると、落雷による山火事の危険性は70%も増加する。さらに25%を超えると熱帯雨林や極地のツンドラも破壊されるといわれています。ほかの水蒸気や炭酸ガスなども生命体が生きられるように組成がうまく調節されている。

この地球の驚くべき絶妙なバランスの維持は、生命体の持っているホメオスタシス(恒常性)の機能とほとんど同じ。つまり、地球生命圏は一つの巨大な自己有機体システムとみなすことができ、その中で環境と生物が互いに補完しあって来た。文字通り、「地球は生きている」のだという。

この発想は、ギリシア神話に限らず、古くからの世界各地に残存するアニミズムの考え方と同じですね。つまり、万物には霊魂が宿るという捉え方です。神道でも国魂(くにたま)という概念があります。古事記や日本書紀においては、日本列島の各島々にはそれぞれに神名が付けられています。
家を建てる時や、土木工事を行う前に“地鎮祭”(じちんさい)を行うのはそこから来ているのです。ご神体の‘おからだ’の一部に手を加えたり、使わせてもらったりするのですから、一言ご挨拶をする訳です。様々な神事にはそれなりの意味があるのですよ。

※ジェイムズ・ラブロック
イギリスの科学者。ガス・クロマトグラフィ−の専門家として、NASAによる火星の生命探査に参画。火星探査の結果と比較して、地球それ自体が生命体でなければ、地球の循環系の安定性が説明不能であるという結論に至る。


[58] ヒトラ−とハルマゲドン 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/17(Sun) 11:53

ヒトラ−の開く集会は夜が多く、火を使った演出がよくなされていたと言われています。これは宗教儀式と同じですね。ドイツの民衆はその独特の雰囲気に陶酔してしまった。
ヒトラ−の持つ“カリスマ性”は、政治カリスマではなく、宗教カリスマだったと言われています。

第三帝国の末期には、反対勢力が幾度となく暗殺を試みましたが、紙一重のところでその難を免れています。その不死身さは、或る意味ではかなり“神懸かり”的だったといいます。ヒトラ−自らも、「誰も私の命を奪うことなど出来ない」と語っていたと言います。これはどういう意味なのかは定かではありませんが。結局はその預言通り?に自殺して自らの命を絶ちました。

ヒトラ−の起こした戦争は、最終戦争ハルマゲドンを起こそうとしたのだともいわれています。これはかなり“ム−”的な発想ですが。そして、彼は宗教、特に中東の宗教と深く関わっていたとも言われています。よって、ユダヤ人をホロコ−ストに送り、この世から抹殺しようとした、まさに“ジェノサイド”は、経済というよりもかなり宗教的な政策だったようです。
某教団の教祖は、ヒトラ−を研究していたといいます。彼も、自らハルマゲドンを起こそうとしました。

善と悪との決戦の地“ハルマゲドン”。これは『聖書』の「ヨハネの黙示録」に記されています。西欧の神秘主義、オカルトは、このヨハネの黙示録と深く関わっています。そして、それは中東の宗教の影響を強く受けています。
映画『エクソシスト』、『オ−メン』なんかの内容もそうだったでしょ。悪魔は中東の悪魔だったでしょ。どうゆう訳か。舞台となっているのは現代のアメリカやヨ−ロッパなのだけれども。




そこで、ここからは「為になる宗教のワンポイント知識」をかきこみます。“ゾロアスタ−教”について記します。

BC1400年頃、イランの預言者ゾロアスタ−により始まったと言われるゾロアスタ−教は、世界最古の宗教のひとつ。別名「拝火教」。唯一神マズダは火の神で、火は神の子、または神の代理として神聖視されています。祈りも、火そのものに対して捧げられます。
なんといってもその教義が特徴的で、“善と悪”、“光と闇”という二元論に集約されます。

教典の「アヴェスタ−」によれば、唯一絶対神アフラ・マズダが創造した双子は、彼らの意志で善と悪を選び、一方が善神に、もう一方が悪神になって対立を繰り返します。そして、終末まで突き進んだとき、悪は打ち負かされて善が勝つという教えを説いています。人間も同じように個人の意志で善悪を選ぶわけです。悪神の誘惑や攻撃をしりぞけて善神にしたがうことが、信者に課せられた務めです。

「この世は善と悪が拮抗する世界だ」という二元論は当時としては非常に革新的な思想で、これをもとに、キリスト教やイスラム教が「天国と地獄」「天使と悪魔」を説いたと言われています。シヴァ神が世界の危機を救うというヒンズ−教の考えも、ゾロアスタ−教の影響を強く受けています。
ちなみに、火の神マズダのスペルは「Mazda」で、自動車メ−カ−・マツダの社名は、ここからきているそうです。

《知性のBasicシリ−ズ  
   『3日でわかる宗教』より  ダイヤモンド社》


[57] 外法(げほう)使い 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/09(Sat) 12:35

下の[56]の書き込みにおいて注意しなければならない点があります。
私、他の箇所でも繰り返し説いています「人を呪わば穴二つ」ということ、ただこの一点です。

犬神(犬)、猿神(猿)、長縄(蛇)といった言葉が残っているように、動物の魂魄(こんぱく)を操作する“蠱毒(こどく)”という呪法が闇の陰陽師たちによって行われていたようです。
つまり、下級のモノたちを使う“外法(げほう)”を行う陰陽師たちもいたということです。

良いことはしましょう。悪いことはやめましょう。ただそれだけです。詳しくはメイン・メニュ−の「よもやま知識」の中の“陰陽五行の話”を読んでみて下さい。


[56] アマゾンの呪術師(シャ−マン) 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/09(Sat) 12:13

1994年に、NHKテレビで放映されたシリ−ズ人体U『脳と心−無意識と創造性』。その中で紹介された南米ペル−の元シャ−マン、現在は“シャ−マンの世界を描く画家”として有名なパブロ・アマリンゴの口述が記された本を読む機会を得た。題名は『アマゾンの呪術師(シャ−マン)』。著者は永武ひかる氏。他に『アマゾン漢方』、『マジカル・ハ−ブ』といった著書もあり、南米、特にアマゾン川流域をフィ−ルドにしている写真家である。

ペル−の呪術師たちは“アヤワスカ”という蔓(つる)植物を飲むことによって、精霊たちとコンタクトをとり、病気治療を行ったり、異界を旅したりしているという。彼らによると、アヤワスカは“宇宙の眼”であるといいます。

他にも、メキシコではシャ−マンたちが“シロシベ”というキノコを使って精霊たちとコンタクトしているとのことです。
同じく、南米の或る地方のインディアンのシャ−マンは“ピヨ−テ”というサボテンを使用しているそうです。

このピヨ−テは、ナチスの総統ヒトラ−がよく使用し、インスピレ−ションを受けていたという噂が当時から伝わっていました。ヒトラ−と呪術との関連性が現在でもよく取りざたされています。あのヒトラ−の顔は典型的な呪術師の顔だそうです。話が脇にそれてしまいそうなので元に戻します。

以下に、本の内容の数カ所を抜粋して書き込みしてみます。目を通してみて下さい。

○アヤワスカとの出会い
それで私はアヤワスカを飲んだ。すると、とても奇妙なことが起こったんだ。自分が別の人間になったり、ものに変身したり、ピュ−マになったりした。私の頭はぐらんぐらんとして、いろいろなものが現れてくるのが見えた。さまざまな色、失われた都市・・・子供や天使がやってきたり、円盤が飛び交ったり、人々が交わしている知らない言葉も聞いたりした。

父さんはイカロ(精霊の歌)を歌って、私にアヤワスカを飲ませた。すると、女性の姿をしたアヤワスカの精霊たちが現れた。私にかしずき、医者のチ−ムさながらに、私の心臓を手術した。彼女たちは心臓を取り出すと、悪い部分を取り去って縫い、再び心臓を入れた。・・
・・・さらに、私を癒しただけではなく、息吹きかけ、祝福してくれた。

○精霊に祝福されて呪術師(シャ−マン)になる
その時だった。精霊たちが私の前に現れてきた。ほとんどが女性の姿をしていた。彼女たちは、見事な冠、ベルト、靴を私にくれた。そして私の身にそれぞれを飾り付けたかと思うと、私を祝福し、キスをして行ってしまった。・・・後になって、それは私に力を授けてくれたのだということがわかった。・・・女呪術師が歌っていたのとまったく同じ歌が、耳に聞こえてきた。そして、学ぶこともなく歌が唄えるようになった。・・・私はこの時から他者の痛みをそのままに感じるようになった。

○シャ−マンの修行
呪術師の世界で学んでいる時は、すべてを遠ざけ、精霊が告げるきまりごとを守る。・・・・他の呪術師が伝えてきた知識を学ぶ。いろいろなことが実現できるようになるのは、自身で何かができるのではなく、精霊とともにあるからだ。その守護がなくなれば力や強さをとられてしまう。

○呪術師の闘い
呪術師には人を助ける者もいれば、呪いをかけて、人を殺そうとする者もいる。善良な呪術師が、呪いで病気になった人を治そうとすると、呪術師同士の闘いになる。
呪術師は呪いの技を磨いて闘いを挑む。挑まれた方の呪術師も負けてはいない。力の歌を歌い、バリアを築いて、精霊を呼ぶ。
天空から、大いなる精霊の援助がやってくる。呪術師の呪いをはねのけて、大地のエネルギ−が満ちてくる。そして呪いで病んだ患者が癒される。
世の中には人の想念が渦巻いている。邪悪な念もたくさんある。妬み、恨み、怒り・・・心がよくない、ひねくれた奴もいる。ものごとがうまくいくこと、健全なこと、そういうことが嫌いな奴もいる。

植物の精霊も、いいことと悪いことを教える。智恵には二種類あって
、よいことを知りたい者には、すべてのよい智恵を授け、悪いことを知りたい者には、すべての悪いことの智恵を教える。

悪い呪術師には、たった15日でなれるが、よい治療師になるのは難しい。1年、2年、3年とかかるんだ。

○ビジョン
霊的な世界は、私たちさえ切り離していなければ、かけ離れた存在ではない。私たちがその存在を知ろうと集中できないだけだ。

ビジョンを受け取るには、耳に騒音が入らないような静かなところに身をおかなければならない。身体をリラックスして目を閉じる。肉体の奥へと、内へと入り込み、霊的なものと交信する。この世は精霊や霊的なものに満ちている。

○精霊との旅
ふだん私たちには見えなくても、さまざまな世界がある。呪術師が集中すると、徐々に肉体を離れ、精霊のようになっていく。・・・そして好きなところに行くのではなく、ちゃんと精霊に導かれて旅をする。そうじゃないと、違う世界の精霊や住人に殺されてしまうことがあるからね。・・・・・偉大な呪術師や、古代の賢者、銀河系の精霊などに迎えられて話をした。聖なるものたちだけが住む世界もある。輝く妖精、天空に舞う天女たち。魔女の世界もある。

かつて、アヤワスカの儀式をしていた時に、オリオンとプレアデスの星々の間にある神聖な世界を訪れた。あまねく宇宙に存する法があり、さまざまな任務を持つ天使たちがいた。非常に強力なスピリット(精霊)の目が宙に浮かんでいて、私の治療儀式に力を貸してくれた。




[55] 禁厭(まじない)と祈祷(いのり) 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/03(Sun) 12:14

●禁厭(きんえん、まじない)
  
  ○禁は「禁止の義」であり、厭(えん)は「鎮圧の義」。
   災いを抑え、害を止めること。

  ○「まじない」の「まじ」とは、「交わり、混じる」の意味で
   「まじ」の下に「なひ、なふ」という語を添えて活用してい
   うのは「商」を「あきない、あきなう」といい、「占い」を
   「うらなひ、うらなう」というのと同様である。つまり、
   「混じるとは“これ”と“彼”とが入り合って一つになるこ
   とであり、甲の霊力が乙の霊界に入り合って同化せしむるこ
   と」である。

●祈祷(いのる、きとう)

  ○「いのる」の「い」は、「斎く(いつく)、祝い、忌串(い
   ぐし)」などいう「い」と同じく、「忌み清め慎む」の意。
   「のる」は「詔勅(みことのり)、祝詞(のりと)」の「の
   り」と同じく、「言う、告げる」の意味。つまり、「神に斎
   宣(いみのり)て願い請(こ)うこと」である。

★禁厭は「人または物に対しての方術で、神力を施し加えるものであり祈祷は「神に対しての請願(せいがん)で、神力を請い願う時に行うもの」である。

[31]に続く。  「施術自在まじないの研究」より


[54] [50]の訂正です。あわて者です。 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/28(Mon) 11:08

[50]の書き込みの中に映画『スリ−パ−』とありますが、『スリ−パ−ズ』です“ズ”が抜けてしまいました。
『スリ−パ−』だと、『ボギ−!俺も男だ』、『カメレオンマン』等の作家で、監督で俳優の、異才ウッディ−・アレンの作品になってしまいます。

「シェ−ン、カムバック」のワイオミングの山々に響き渡る少年の呼び声。
これはシャイアンから招かれた殺し屋チャック・パランスやライカ−一家を倒した後にシェ−ンが、少年の家族を気遣い(特に少年の母親への思いを振り切って)、去っていくラストシ−ンでのことですね。


[53] “あの世とこの世”の関わり合い 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/24(Thu) 07:10

“目に見えない世界”から力を授けられるか、
逆に、障りを受けることになるか、では、
全く“この世での生活”が違ってきますよね。

つまり、“この世”から“あの世”に対して、「常に正しい働きかけを心がけて」いればよいと思われます。
それは、神祀り(かみまつり)、祖霊まつり、先祖供養といったことをきちんと行うということです。


[52] “見えない世界”の事こそを第一に 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/23(Wed) 17:46

家事についても、国事についても同じこと。
目に見えない世界のことをきちんと行っていないと(神まつり、祖霊まつり、先祖供養etc.)、目に見えない世界から崩れていく。
経済的繁栄ばかりを追い求めても、それだけでは危うい。

これは下の[50]の書き込みに続く見解です。


[51] お知らせ 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/22(Tue) 12:09

メイン・メニュ−の

『よもやま知識』のところに「言霊(ことだま)」

『占いについての話』のところに「太占(ふとまに)の原理」

のペ−ジを増設しました。どうぞ、ご覧下さい。


[50] “男”健さん、久々の登場 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/22(Tue) 10:12

5月26日に封切りとなる高倉健主演の映画『ホタル』。『鉄道員(ぽっぽや)』以来、2年ぶりの“健さん映画”です。
今回は特攻隊の生き残りの男性を演じているとのことで、実に楽しみです。

私、かなりの健さんファンで、好きな“健さん映画”をあげるときりがありませんが、中でも特に好きなのが、『唐獅子牡丹』(からじしぼたん)ですね。なぜ好きかというと、殴り込みのシ−ンが好きなのです。
私、神職ですから、職業柄あまり良いことではないのでしょうが、同じく映画『スリ−パ−』に登場していた、ロバ−ト・デ・ニ−ロ演じる神父さんみたいな方もいらっしゃるようなのでそれはそれで勘弁して下さい。

そのシ−ンというのは、小雪のちらつく闇の中を、着流し姿の健さんがたった一人、静かに静かに、殴り込みに向かう実に長−いシ−ンなのです。
そこに、助っ人(すけっと)の梅宮辰雄(現在はアンナ・パパとして有名)が、塀の陰で待っています。
出会い頭、「お前も来たのか」とか、「俺も助っ人するぜ」といった言葉は一切交わされません。辰っつぁんは健さんの脇にピタリと並び
今度は二人で黙ったまま、静かに静かに小雪の降る中を、殴り込みに向かうのです。男ながらにたまらないな−と思うシ−ンです。
西部劇の不朽の名作『シェ−ン』のアラン・ラット演じるシェ−ンが、ジャック・パランス扮する殺し屋を倒しに向かうシ−ンともだぶります。(但し、ここには、少年の「シェ−ン、カムバック」の“遙かなる山の呼び声”は有りませんが)

これって、状況は違っても、今回、健さん自らが選んだというテ−マ“特攻隊”と同じ心境が描かれているのではないでしょうか。
水盃を交わし、両親、兄弟、愛する人たちの住む日本を守るために、一切の思いを断ち切って、片道分の燃料しか入っていないゼロ戦に乗り込んで敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。
昨日の国会答弁で、小泉総理も「私は常々、疲れたな−と思ったりした時は、特攻隊の人たちのことを考える。そうすると、力が湧いてくる。」といったことを語っておられました。

そういった方々の犠牲があったからこそ、今日の日本があるのだということを、健さんは映画にしたかったのだそうです。
どうか英霊のミタマはきちんとお祀(まつ)りしてさしあげましょう。それが国民の義務です。
今日のような日本精神のすさんだ状況を作るために、彼らは自らの命を犠牲にしたのではないと思います。彼らの死を、犬死ににしないようにするためにも、我々は日本国を立派な国にして行くように頑張っていきましょう。


[49] “東西文明融合”の時代がやって来た 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/16(Wed) 18:22

世界の急激なグロ−バル化によって、東西の文明、あらゆる文化が急激に融合しつつあります。医学だって、政治経済だって、宗教だってそうです。お互いを補足し合う“良い関係”で進展して行くとよいですね。
ハンチントン博士の「文明論」が参考になりますよ。


[48] 下の[47]に続きます。 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/16(Wed) 18:06

・「気場」を整える為に、親から受け継いだ「先天の気」と“天の気”と“地の気”を受け入れて「後天の気」を養わなければならない。

◆養生(ようじょう)の二本柱は「呼吸法」と「食養(しょくよう)」である。

◆私たちは、大自然にすっぽりと包み込まれることによって、肺呼吸と皮膚呼吸によって、大自然の「気」と交流することができ、「大自然の気」の秩序性まで自分の「気場」のそれを高めることができる。
→山ごもりをしていると、病気が治ったり、特殊な力がつく(山伏・修験者)。

・その土地で、その季節に取れる作物が、その「土地の気」を伝える最高のものです。だから旬(しゅん)のものが一番尊いのです。

◆養生とは「気場」を整えることによって心を養い、体を養うこと。

・気功(きこう)の三要
       調身  調息  調心
   「気功」とは自らの努力で、自分の「気場」を整える方法論。

・「養生法」の中に「気功」があって、気功の中に「呼吸法」がある。

・「私たちの生命場」を「永遠の生命場」につなぐのは呼吸である。「呼吸法」は自己実現の道。

◆気功的生活の進め。一切の計らいを捨てて、大自然の摂理に従って生きること。

◆大自然の偉大さと恩恵の前に、“謙虚(けんきょ)”さと、“感謝”の念を持つこと。そのことが「最高の気功」。

◆養生の基本は“敬”の一字。「自分の生命場」は呼吸や皮膚によって「外界の生命場」とつながっている。そして、「他人の生命場」ともつながっている。「他人の生命場」を敬うということは、とりもなおさず「自分の生命場」を敬うこと。

・気功とは、他人の悪口を言わないことである。

◆声を出す。汗を出す。笑いを出す。親切を出す。すべてを出す。
「ハイッ」という返事も気功。笑うことは本当に良いこと。

◆いつも精一杯に“いきいき、わくわく生きる”ことを心がける。家で言えば基礎工事に当たる。

・肉体は滅びても、「生命場」は死後も「永遠の場」につながる。生きている間にこつこつと「生命場」を高めていき、最後は「虚空の場」と一体となる。

●「念死(ねんし)」、つまり死を念ずるということ。いつも死のことを思うことによって死の恐怖を克服していく。常に死と直面していた“武士の生き方”。“一期一会”、“一回一生”。この生き方には“競争の原理”なども入りようがない。


[47] ホリスティック(全体的)なのは“東洋の知恵” 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/16(Wed) 17:06

“気”という概念のル−ツは中国の文化、特に道教にあります。
現代においても、高い評価を得ている“気功”は、もともとは道士たちの「行法」の一つでした。
漢方医学の理論は『陰陽五行説』によって成り立っています。つまり、“易”や“四柱推命”と同じ理論に立脚しているわけです。
インド医学のバイブル『ア−ユル・ヴェ−ダ』、チベット医学等、東洋の医学はかなり宗教に近いです。実にホリスティックです。

以下は、日本におけるホリスティック医学の権威で、元都立駒込病院外科部長をされていた帯津良一氏の数多くの著書よりの抜粋となります。
そこに出てくる「気場」とか「生命場」という言葉をそのまま「霊」とか「魂」に置き換えると“古神道”の説明になってしまいます。

・“本当の命”は「生命場」に存在する。

・「ひとりひとりの生命場」は果てしなき「虚空(こくう)の場」と
“つながっている”。

・「この世の命」は「永遠の命」に“つながっている”。

・体は小宇宙、私たち一人一人が小宇宙。

・一つ一つの臓器は、海上にあらわれた氷山の一角。本当は、氷山の浮かんでいる海の情報の方がもっと大切。つまり、「生命場」「気場」の状態こそが重要。

・人体とは、「生命場」「気場」にひとつひとつの臓器や細胞が浸っているもの。銀河系、太陽系、さらには地球が、宇宙という偉大なる「場」の中に浸っているように。

・「生命場」は常に自分の力で秩序を整えている。

・“自然治癒力”というのは「生命場」の本質。

・「生命場」は、呼吸や皮膚を通して、外界と交流している。

・「虚空(こくう)」というのは、何十億という宇宙を生み出したくらいだから“生命力に富んだ、きわめて秩序性の高い「場」”。

・私たちの「生命場」は「虚空の場」のごくごく小さい一部分。本来は、これは私の「場」、あれは誰の「場」といったハッキリした境界がない。

・「生命場」は、三十六億年前に地球に生命が誕生した時から、ずっと続いて途切れることなく現在に至っている。これから先も、未来永劫、時間と空間にまたがる、いわゆる時空を越えた存在。私たちの意志とは関係なく、個を越え、死を超えたもの。

・私たちの一生は、この永遠の命の表現型である。「生命場」の状態をある期間、映し出すために、神さまが与えて下さったものが、この世。実際の人生が「生命場」で、舞台の上の役柄が、この世の人生なのかもしれない。

・仮のものの、この世の人生を精魂こめて勤めることによって、自分の「生命場」の秩序性を高めることになる。仮の舞台に当たる、この世の人生をしっかりと生きることによって、本当の命を養うこととなる。

・「生命場」は「気場」で形成されている。私とは「気場」である。

◆心が乱れると、「気場」が乱れる。心を整えることが「気場」を整えること。

・「気功(きこう)」で発せられた「気」によって、大腸菌(だいちょうきん)の繁殖が抑制される。ガン細胞に変性破壊が起こる。

◆「気」を発する人の脳波と「気」を受ける人の脳波が同調する。

・「気」は、現在の、物質を構成する最小の粒子とされる“クオ−ク”を構成する微小な粒子として発見されそう。

◆「気」と「心」はかなり重なり合っている。

・「気」のきわめて微小な粒子が、私たちの空間にびっしりと分布して「気場」を形成している。「気場」は、皮膚を越えて、外界の「気場」と交通している。その大海のような「気場」の中に私たちの一つ一つの細胞が小島のように浮かんでいる。「気場」も臓器も一緒にしたものが、私たちの体である。

・「気場」のゆがみによって生じる病気の方が多い。

    ★書き込み疲れしましたので、小休止させてもらいます。


[46] 下の[45]の補足です。 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/12(Sat) 07:37

下の[45]で書き落とした点があります。
どういて、静岡からわざわざ宮城までやって来たのか?という点です。
それは、青年(キツネ?)が宮城の○○稲荷神社の境内にお祀(まつ)りしているキツネの霊をまつった社をお参りしたいと言い出したからだそうです。
静岡に居ながらにして、見たこともないはずの社のご神体としてお祀りしている石の宝珠(ほうじゅ)をそのままに描いていました。
驚きです。
以前に、本で読んでいたことのある事例ですが、憑いていたあるキツネは、人の財布の中身をまるごと、紙幣が何枚、硬貨の種類、枚数がいくらと、いくらとまで言い当てたそうです。
でも、どの程度まで信じていいかは疑問もありますが。こうした事って本当にあるみたいですよ。

くれぐれも、こうした書き込みをした私を馬鹿にしないで下さい。嘘つき扱いしないで下さいネ。よろしく。


[45] キツネ憑き(体験談) 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/11(Fri) 20:47

以下は私の体験談です。奇妙な話ですから、くれぐれも私を変な神主、ほら吹き神職、過去に社会を騒がせた某教団の尊師と同類の者とはとらないで下さい。お願いいたします。
白鬚神社のペ−ジのメイン・メニュ−の「目安箱」に先程書き込んでおいた「“祀り上げ(まつりすて)”と“祀り棄て(まつりすて)”」の実体験です。

5〜6年も前の出来事です。県内の某稲荷(いなり)神社にお手伝いの助勤奉仕にいっていた時の話です。
静岡県から25〜26才位の青年が、母親と拝み屋さんの二人に連れられてやってきました。一ヶ月ほど前から、キツネに憑かれ、以前の人格がまったく無くなつてしまっているとのことでした。私も話しかけてはみたのですが会話にも何にもなりませんでした。
静岡にいる時、屋敷内にキツネの置物が埋まっているから、ここを掘ってくれというので、掘ってみたらキツネの置物が出てきました。
「隣の家で300年程前にはやま(葉山?)というところから稲荷神社の分霊を勧請して祀(まつ)っていたのが、埋もれた状態になっているのだ」と、青年に憑いているキツネ?が語ったというのです。

鎮魂帰神法のようなことは、不慣れな人がやると危険きわまりないということは知っていましたのですが、一ヶ月もこの様な状態では家族がかわいそうと思い、そっと送霊をしてみて、憑いているモノに話をさせてみました。すると、その憑いているモノが「おれは、白笹大明神だ!」と大威張りで勢いよく話し出しました。
憑いたキツネが偉い神さまの名を名乗って大威張りすることがあるということを本では読んで知っていましたのですが、まさか自分の目の前でそういうことを目の当たりにするとは考えたこともございませんでした。憑いているモノが低級霊であっても馬鹿にしたり、変に怖がったりすると、どったんばったん大暴れをして手に負えなくなるということも知っていましたので、それなりに丁寧な言葉で丁重に応じました。
赤飯はどうですか?油揚げはいかがですか?と食べ物をすすめたりもしました。すると、のどが渇いているのだと水を茶碗10杯以上飲み干しましたし、うまいうまいと生の油揚げをばりばり食べましたし、赤飯もたんと食べました。本当にすごかったです。

そして、頃合いを見計らって、話をしてみました。「これからはきちんとお祀(まつ)りしてさしあげますから、夜の守り昼の守りに、この家の人たちを一心にお守りしなさいよ。いいですか、ここは稲荷(いなり)の大神様のご神前です。もし約束を違えるようなことがあったらどのような仕置きがあるかご存じですね?と、念を押しました。」すると、その憑いているキツネは、「わかった、わかった」と実に素直に答えておりました。

「以上、これにてお帰り下さい。」と私の方で申し上げ、柏手(かしわで)を大きくパン、パンと2回打ったのです。
すると、何か話そうとしていたそのキツネなのですが、一瞬、頭上に巨大な掃除機でもあって吸い込まれるようにして消え失せてしまいました。自分で去ったと言うよりも、神さまに引っ張り上げられてしまったようでした。
キツネが離れたあとの青年は、やはり、例の如く、「何で俺はここにいるのか?」とご多分に漏れず、頭をかしげていました。そして、気持ちが悪いと言って、トイレに駆け込み、生の油揚げをゲ−ゲ−と吐いていました。
とにかく、マンガ昔話にでてくるキャラクタ−のようなキツネだったな−というのが私の印象です。
どうして、キツネが人の言葉を話すのだ、ウソをつくなとお思いの方もいらっしゃることと思います。
霊が、キツネでも、タヌキでも、いったん人に憑くと、盗人が空き屋に入り込んで、勝手に家の中の物を使うように、その人の脳の言語や知識の一部をも使うそうです。
実際はキツネのような性格の人霊だという人、宗教教団もありますが、私には“キツネっこ”にしか見えませんでした。喜ぶのも心の底から喜び、怒るのも単純に心から怒っていました。やはり、所詮、“四つ足”のものだな−、という感想です。

私の知り合いで、小さい頃から、霊が見えて見えて、さんざんな目に遭ってきたというスピリッチャリストがいます。神職の資格をとり、イギリスにスピリッチャリズム研究の為に留学もしたことのある人ですが、、その人の書いている本によると、
人として生まれた経験を持たない自然霊、つまり、精霊、モノノケ的なものが、その国の文化に合わせて、現れているということです。つまり、日本では、キツネ、タヌキ、ヘビ、天狗などです。
西洋では、悪魔という形をとって現れるそうです。

今ではその知人は、自分の守護霊に、その様な霊が見えないようにしてもらっているそうです。とても楽になったそうです。
このことについては、私、自分の体験を話しているのではなく、そういった人に、そうなんだと説明を受けて、それではそうなのかな−と
なっとくしているだけのことです。

それにしても、私が関わったキツネ?はタチの悪いやつでなくてよかった。当然、お稲荷さんのお側に使えようとしていたキツネですから、霊格を高めようと一生懸命にお稲荷さんの元で修行中のキツネだったのでしょう。中にはタチの悪いのもいるみたいです。

神さまはお祀りしたら、きちんとお祀りしましょう。何かにつけお守り下さいますよ。

くれぐれも私を馬鹿あつかい、ほら吹き扱いはしないで下さいね。本当に体験した話なのですから。


[44] バランス感覚   ・ 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/06(Sun) 20:33

「独自性」と「多様性」
グロ−バル化が急速に進んでいる現代社会は、相反するものの“バランス”を上手にとって進んでいかなければならない社会でもある。
人も、組織も、国家も、本当に大変だな−と思われる今日この頃です。


[43] この御時世、“価値観の画一化”は危険を招く。 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/06(Sun) 18:57

世界の“グロ−バル化”が急速に進み、人の意識も、大衆生活の様式も、一切が“多様化”している現在、“規制”とか“画一化”といった動きは、逆に危険を招いてしまいそう。

ルネッサンスが興るまでの中世ヨ−ロッパにおけるキリスト教会のドグマ主義、ヒエラルヒ−(階層社会)による重圧は、世界史でも習った通り、“暗黒の中世”とまで表現されています。
ルネッサンスが興る契機となったのは、十字軍遠征により、異教、異文化に触れた事による。つまり価値観の多様性を知るに至ったからです。
ごく最近のヨ−ロッパでも同じ事が起きました。共産党一党独裁下のソ連、東ヨ−ロッパで、いったいどの様な事が行われていたかを見れば判るはずです。とにかく価値観が画一化されてしまうとあのようになってしまう。

人も、組織も、国家もオ−プンな広い価値観を持ちましょう。それはそのまま力となるはずです。そうでないと世の中の動きに対応しきれなくなってしまいそう。


[42] 神符(お札)・お守りに効力が働くためには・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/06(Sun) 18:14

これは全くもって、ひとえに「神さまのお力」と「神主の鎮魂力」によるものです。どちらが欠けても、お札・お守りの効力は無くなってしまうでしょう。

メイン・メニュ−の『よもやま知識』のところにある「本田霊学と鎮魂帰神法」に書かれている“鎮魂の定義”は、

@日常的な霊魂の訓練のようなもの
A帰神=憑霊(神憑り)のための準備的行法
B自他の霊魂を外部の物体に憑依集中させること
C自己の霊魂が天御中主神のもとに至ることによる神人感応
  (これはむしろ脱魂に近い)
※神が自らの霊魂を草木に付けることも鎮魂であるとしている

つまり、一言で言ってしまえば「霊魂の運転活動の操作技術・能力」
とでも言えるのでしょうか。

神符・お守りの「御神(ごしん)入れ」、つまり、神符・お守りに神さまの分霊を勧請する際には、それを執り行う神主の鎮魂力に総てが係ってくる。
つまり、神主がいい加減なやつだとお札・お守りが効かなくなってしまう。同様に、お祓い、ご祈祷も効かなくなってしまう。

お札・お守りとは、神社でお祀(まつ)りしている神さまに繋がるアンテナ装置ともとれるし、神社の神さまの大きなロ−ソクから灯を分けてもらったもう一本のロ−ソクのようなものともとれる。

しかし、その効力の根元にある力は総て一切が神さまのお力。効き目があったからといって、そこに奉仕者である神主の自我(私の技が、俺の力で・・・といった)が入ってしまうと、その人自身がまともに災いを被ってしまったりする事にもなるようです。危ない、危ない。


[41] お知らせ 投稿者:道開き 投稿日:2001/04/28(Sat) 08:03

メイン・メニュ−の「よもやま知識」に


     「行法」あれこれ  −行法と鎮魂力−

      儒教と道教 −知性と感性の二つの大流−


のペ−ジを増設しました。興味のある方は是非ご覧になって下さい。


[40] 神ながら(古神道)=スピリッチャリズム(神霊主義)? 投稿者:道開き 投稿日:2001/04/24(Tue) 11:34

どうして、欧米の神秘主義者たちが、日本の神道に興味を抱くのであろうか?

それは、膨大な量にのぼる「霊界通信」からもたらされる様々な情報の内容が、キリスト教の教義より遙かに、神道の、遠い昔より蓄積されてきた不文律(ふぶんりつ)や神道系教団の“お筆先”(神さまからのお告げ)といったものの方に近いからなのです。

日本に限らず欧米のスピリッチャリストたちは、キリストの批判は行わないのですが、教会批判は激しいものがあります。そして、神道には非常に好意的です。
神道には、ドグマ(教義)で人を縛りつけたり、わざと強迫観念を植え付けたりといつた人為的、作為的な面が少ないからなのでしょう。


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