[掲示板にもどるHOME]

[216] 「正月行事」について・・・・かなり早いけど 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/14(Thu) 11:32

正月は様々な行事が集中して行われるときです。それら「正月行事」の目安と考えられたのが「事八日(ことようか)」と呼ばれる十二月八日と二月八日である。この十二月八日から、正月を中心とする特別の時間・空間の世界へと移行し、二月八日をもってそれが終了する。以後は、通常の、農耕を中心とした仕事の時間・空間世界にもどるのである。

十二月八日を過ぎた頃から、一年のケガレを祓い落とす「煤払い」や「道具納め」、松飾り用の「松迎え」、「餅つき」などの一連の正月を迎えるための行事が行われる。正月行事の基本は、「年神」と呼ばれる神格を家々に迎え祀ることにある。この神の性格は複雑で、農耕を行って来た人びとの間では「農耕神(穀霊神、田の神)」としての性格が強く、他にも、個々の先祖としての性格が浄化され大いなる神へと高まった「祖霊神」としての性格も見られる。十二月の大晦日にやって来て、ほぼ半月間家々に滞在し、「小正月」と呼ばれる一月の十五日の朝に、松飾りを焼く「ドント焼き」の煙に乗って、神の世界へと帰って行くとされた。

正月の「松飾り」は二つの役割をもっている。一つは、年神の「依代(よりしろ)」で、訪れて来る神さまの依る座としての役割。もう一つは、「松飾り」、「注連(しめ)飾り」を張った内側、つまり、家の中が聖なる空間になることを示す「結界(けっかい)」としての役割である。

人々は餅や若水で作った「おせち」などを供えて年神をもてなした。年神に供えた「鏡餅」には年神の霊が宿り、それを食べることで一年の無病息災が保証されると考えた。「お年玉」も同様に、年神の魂(タマ)を分与してもらうことに由来する。
 他にも伊勢神宮の大麻(たいま)や様々な神々を祀ったり、「氏神参り」や「恵方(えほう)参り」と称する近隣の神社仏閣への「初詣」を行ったりするようにもなりました。

興味深いのは、一月十五日の「小正月」行事である。年神が神の世界へと帰って行く日の夜に行われる「鬼追い行事」。「ナマハゲ」に代表される鬼たちが、なぜに喜びをもって人々に迎え入れられたかというと、彼らが村々、家々のケガレを一身に背負って退散する役目を負って登場する邪悪な存在の象徴であったからです。


[215] Re[213]:お札とお守り 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/03(Sun) 12:39

こんにちは。
基本的には、「お札」は家や特定の場所の守り、「お守り」はそれを所持している人の守り、と考えればいいかと思います。どちらも神さまの“分霊(わけみたま)”が勧請(かんじょう)されている神さまの“依り代(よりしろ)”です。

榊(さかき)については、[白鬚神社窓口]の方に入って行っていただいて「神道の豆知識」のメニュ−の中に詳しく説明されています。ここから先は神さまの領域に入りますという意味合いから榊を門のようにして二本立てるのだと考えられます。鳥居と同様のものといえるでしょうネ。


[213] お札とお守り 投稿者:春二番 投稿日:2002/11/02(Sat) 14:20

いつも楽しく拝見しております。少々お聞きしたいのですが、
お札とお守りの違いについて教えて欲しいのです。お札は神様の依り代として神棚へお祀りしているのですよね。お守りも依り代なのですか?。詳しく教えて欲しいのですが。
また、榊についてお伺いしたいのですが、なぜ家の神棚に榊を立てなくてはならないのですか?。神社で拝殿に榊を立てている所は少ないと思うのですが・・・・。伊勢神宮の鳥居には榊が立てかけてありますがなぜなのでしょうか?。
宜しく御願い致します。


[212] {合気道 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/01(Fri) 19:30

合気道の創始者の名は植芝盛平(うえしばもりへい)である。ご存じの方もいらっしゃるかと思うがそんなに多くはないでしょう。大本教の聖師・出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)の弟子の内の一人であった。(「生長の家」の谷口雅春氏や「世界救世教」の岡田茂吉氏なども同様)武道家として、王仁三郎のボディ−・ガ−ドみたいなこともしていたこともあったという。
植芝盛平翁についての有名なエピソ−ドがある。生前、何度か拳銃を持った相手と戦ったことがあったという。〈戦前・戦中の話〉その際には弾道が(おそらく相手の殺気が)レ−ザ−・ビ−ムのように見えて、それをかわしながら相手に接近して行って倒したのだそうだ。まるで映画の『マトリックス』のようだ。
翁は猿多毘古〈さるたひこ〉大神からその合気の道を伝授されたのだという。猿多毘古〈さるたひこ〉大神とは、うちの神社の御祭神・猿田彦大神(「道開き」の神)のことである。

合気とは、猿多毘古〈さるたひこ〉大神が皇大御神〈すめおおみかみ〉のミコトモチとして植芝盛平翁に下した道なのだそうです。そして、合気とは、“合気道の守護神”・天之叢雲〈あめのむらくも〉クキサムハラ竜王(又の名を速武産〈はやたけむす〉大神)の「働き」なのだそうです。
〈・・・・・解りづらいでしょうが〉

猿多毘古大神のご教示により茨城県岩間町に“合気神社”と本部道場を建てたのだという。
その当初の、小さな社殿の前にゴザを敷き植芝盛平翁自らが祝詞を奏上している写真や、同じく御神前でゴザを敷いて演武をしているところを写した写真を掲載した本を蔵するが、そのお姿が実に凛(りん)としていて、見ている側のこちらの心までが引き締まる感じがしてくるから不思議だ。

植芝盛平翁の説明によると、
合気道とは、宇宙の万世一系の理であります。
合気道とは、天授の真理にして、武産(たけむす)の合気の妙用であります。
合気道とは、天地人、和合の道であります。
また、合気道とは、万有の処理の道であります。
合気道とは、言霊(ことだま)の妙用であり、宇宙ミソギの大道であります。
とのこと。〈・・・・・・ここまでくるとかなり解りづらい。〉


[210] “長州の暴れん坊”高杉晋作の信仰 について 投稿者:道開き 投稿日:2002/10/23(Wed) 21:38

下記の書き込み[207][208]に更に続きます。

高杉晋作といえば幕末の長州に現れたヒ−ロ−です。“長州の暴れん坊”とも称され、司馬遼太郎氏の歴史小説などでは革命家としての一面のみが強調されているように思われます。二度にわたる幕府の討伐軍から、奇兵隊ほか諸隊を編成してまるで鬼神の如き獅子奮迅の大活躍によって長州藩を救い、明治維新への道を開き示した人物です。

でも、ほんとうに単なる革命家だったのだろうかという疑問が湧いてきます。もしかしたら「黒住教」を信仰していた“宗教戦士”だったのではなかろうかとも思える節もあるのです。司馬遼太郎といえば歴史小説の大家で、私のような者がとやかく言えるような方ではないのですが、氏の作品には志士たちの宗教的側面が描かれていないことは、たびたび指摘されるところでもあります。坂本龍馬についても、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通についても、信仰的な側面は全く描かれていません。逆に、そういったものとは程遠いところに生きた人たちのようにさえ描かれています。社家出身の志士だった真木和泉だったか、平野国臣だったか、どちらだったかは忘れてしまったが、志士たちからは信頼はされていたようだが、笛が上手で、和歌を詠む素養を持った大したことのない平凡な人物として紹介されていたことも記憶します。
やはり、私としましても司馬遼太郎氏の志士たちの信仰的側面の描き方には、大学生当時より満足のいかないところがあったのは確かです。氏は幕末の黒住教の隆盛についてはあまり深く知らなかったであろう、というか、おそらく全く興味がなかったのでは無かろうかとさえ思われます。


天誅組(てんちゅうぐみ)の乱の首領として大和十津川にやぶれて自害した藤本鉄石が、自決した時に肌につけていた腹巻には「宗忠の七ヶ条」が巻き付けられていたと伝えられます。

晋作が、馬関の砲台を占領した四カ国艦隊との和議に長州藩の全権代表として臨んだ際も、日本国が神代よりの神国であることを古事記、日本書紀の神代巻からの引用で、相手を煙に巻いたのだとして司馬遼太郎は小説に書いているのだが、本当に煙に巻く為に神さまの話を持ち出したのだろうか?真剣に、信仰的にそれらを引用したのではないだろうか?

晋作が、病身を投げ打って、近代化された幕府の艦隊に夜襲をかけて粉砕に向かった際に乗った木造のボロ船の名は、晋作自らが名付けた“お天道さま(おてんとうさま)丸”でした。

晋作が、死の直前に詠んだ“辞世の句”も
「面白き こともなき世を 面白く 棲みなすものは 心なるかも」
である。死の床に集う人たちに向かって、ただ一言、「面白いの−」という言葉を残して世を去ったと伝えられています。晋作の死因は宗忠も若い頃に患った労咳(肺結核)だったのですからなおさら黒住教信仰が連想されてきます。・・・・


[208] “道づれ” 投稿者:道開き 投稿日:2002/10/22(Tue) 18:58

下記の書き込み[207]に続きます。
 門人のことを宗忠自身は、「道連れ」と呼びました。この関係を端的に示すものとして以下の言葉が伝わっています。

「この左京(宗忠のこと)が瀬踏み(せぶみ)をいたす。皆々ついておいでなされ。」

※「瀬踏み」とは、川を渡る前に瀬をふんで水の深さを試すことから、物事をする前に試してみること。

わたし、宗忠のファンでして、個人的には「没後の門人」の一人だと考えています。


[207] 宗忠(むねただ)さま 投稿者:道開き 投稿日:2002/10/22(Tue) 18:56

 江戸期の文化年間、岡山の今村宮という神社に代々神職を務める黒住家に生まれた黒住宗忠。労咳(ろうがい、肺結核のこと)を患うが、その病のどん底の、三十五才の冬至の朝、日拝(日の出の太陽を拝む神事)の最中、起死回生の天照大御神よりの「天命直授(てんめいじきじゅ)」の神秘体験を得る。以後、講話と禁厭(まじない)によって布教を行い、数々の奇跡を現し多くの人々を救った。
 武士階級の門人も多く、死後、室町期以降の近世を通じて神祇界に君臨した吉田家から、宗忠あてに「大明神」の神号の下賜を受ける。京都の神楽岡には宗忠神社が建立され(旧社格でいう「府社」)、関白九条尚忠をはじめ、明治維新の大立物たる三条実美など公家の中にも信者が増える。やがて、宗忠神社は孝明天皇の勅願所として指定され、そして、尊王運動の拠点として、志士たちの崇敬を集める。岡山の生地にある宗忠神社にも御祭神として祀られている。門人たちによって、現在の神道教団・黒住教が創設された。

◎天(あま)てらす 神の御心(みこころ) 人心(ひとごころ)
     一つになれば 生き通しなり

◎何事も 有り難いにて 世にすめば
     むかふものごと 有り難いなり

◎有り難〔き〕 また面白〔き〕 嬉し〔き〕と
     神酒〔三き〕を備うぞ 誠なりける

◎有り難や かかるめでたき 世にいでて
     楽しみ暮らす 身こそ安けれ

◎何事も ただ楽しむに しくはなし
     ねても起きても 天の心を

◎何事も 心のままに かのうゆえ
     ねてもさめても 有り難きかな

※宗忠は、「有り難い」「ありがとう」といった“感謝の心”こそが「神心」なのだと説きました。


[206] ♪♪流れてたら“アジア”♪♪♪ 投稿者:道開き 投稿日:2002/10/10(Thu) 14:07

急激なグロ−バリゼ−セションの進展により、「古今東西」の宗教・文化が入り乱れているのが現状です。これこそが“今風”みたいです。

10月7日、仙台の某ホテルにおいて、県内の宗教者たちが集って、研修会が開催されました。神社界、仏教界、様々な教団の宗教者たちが多数集まりました。
講師は、この掲示板の[159]〜[166]に書き込まれている“シャ−マニズム“研究の第一人者で駒沢大学・名誉教授の佐々木宏幹先生でした。

日本宗教の「基本は“アニミズム”(一切の存在・現象に“霊性”、“いのち”を感覚する信仰)」であり、日本宗教の「特性は“シンクレティズム”(混交、合成、重層、複合)」だそうです。
日本人の、結婚式は神社・教会で、葬儀は寺院でといった“重層”信仰は、欧米人には全く理解できないそうです。この“重層”という信仰形態は、日本のみならず、「東アジアの宗教の特徴」でもあるとのことです。
そして、そこには、今後の世界の更なるグロ−バリゼ−ションの進行にともなう「21世紀の国際宗教時代」における“宗教モデル”としての型が見て取られるのだそうです。

“複雑系”文化の再評価・・・・まさに「♪・・流れてたら“アジア”!・・♪♪♪」ですね!


[205] 朝ドラ『まんてん』 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/30(Mon) 18:44

NHK最新の朝のドラマ・シリ−ズ『まんてん』の第一回を見ました。
印象はというと、宇宙、アポロ、NASA、天体観測、宇宙開発事業団
そして、満天の星、奄美地方、屋久島、縄文杉、海、島唄(主題歌を歌っているのが島唄歌手からポップスにきた元ちとせさん)でした。
一見、対極に位置するように思えるものがうまくリンクしていますね。
これって、まったくもって“今風(いまふう)”ですね。
ここ数年の朝ドラを見ているとつくづく感じます。


[204] リ−・イン・カ−ネイションA 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/14(Sat) 17:34

さらに、スピリッチャリズム的に考えてみます。
世の人々が、この輪廻転生(りんねてんしょう)についてもっと本気で考えるのであれば、もう少し、他の国家の人々を思いやる気持ちを持つようになるのではないかとも思われます。だって、もしかしたら来世に自分がアフリカの難民たちの中に赤子となって生まれることだってあるだろうから。自爆テロ(本当にテロなのだろうか?民族の自由への抵抗にも見える)によって亡くなったイスラエル人が、同じ居住地区のパレスチナ人の赤子となって生まれることだって考えられるし、その逆の場合だって考えられるだろうし。

人がひとたびあの世に帰ることとなれば、今生で得た一切のものがキャンセルされてしまうのだから(人は裸で生まれ、死ぬときも何も持たずに、今生で得た一切の物を残して、魂のみとなってあの世へ帰っていくということ)。
ただし、この世での行いは、そのまま「あの世の行き先」や「来世の生まれ場所」を左右するとされますから。それが事実だとしたらやはり「良いことはやりましょう、悪いことはやめましょう。」で、自分の心の中におられる神様と十分に話し合って(良心に照らし合わせて)事に当たるべきでしょう。


[203] リ−・イン・カ−ネイション 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/14(Sat) 17:33

輪廻転生(りんねてんしょう)。
先日、NHKの番組『アクタ−ズ・スタジオ・インタビュ−』を見ましたところ、その日はなんと、シャ−リ−・マクレ−ンがインタビュ−に答えていました。シャ−リ−と言えば“精神世界のバイブル”ともいわれる『アウト・オン・ア・リム』を世に出した一風変わったアカデミ−賞女優です。その本の(映画にもなっています)大きなテ−マは輪廻転生(りんねてんしょう)でした。彼女は、公然と「自分は日本人としての過去世を持っている」とも言い切っています。

哲学者・梅原猛氏の『日本人の魂』という本を読んだことがあります。氏は「仏教哲学」が専門なのですが、仏教が入って来る遙か以前の「縄文時代の思想」にも、大変興味を持たれておられるとのこと。古代日本人の世界観を簡単に表現すれば、それは“循環”なのだそうです。ですから、「魂も不死であって、この世の生もすべてその魂の再生であり、つまり、生まれてきた生命は先祖の誰かのよみがえりと見ていたようだ」とのこと。よって日本には、仏教を迎え入れる素地は遙か昔より存在していたということです。ただし仏教のように、人間が他の生き物に生まれ変わるという見方はしていなかったようで、人間は人間にしか生まれ変わらないと見ていた。それも子孫に限定されてです。
西欧でもやはり似たような考え方がなされていたようで、プラトンの哲学においても、魂の不死という説がその教説の中心をなしているそうです。魂は、この世とあの世を往復し続けるというものです。プラトンによれば「魂が一回帰ってくるのに千年かかる。もっとも道徳的な生活を送った人間のみ、三回の輪廻を繰り返し、すなわち三千年経つと、星の世界に入っていける。星の世界に行けない魂は、永久にこの世とあの世の往復運動を千年単位で続ける」とのこと。


[202] 奉祝!H2Aロケット打ち上げ成功 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/14(Sat) 17:29

今回で三回連続の成功とあいなりました。少々遅れましたが「やった、やった」。


[201] 神社信仰とスピリッチャリズム 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/07(Sat) 08:06

神道における「氏神信仰」とは、“血縁的”な「あの世」とのかかわり方の形とその歴史ということが言えるでしょう。「産土信仰」とは、その“地縁的“なものということになるでしょうね。


[200] つのださんの守護霊との交例体験A - 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/05(Thu) 14:08

下記[199]に続いてのつのださんの守護霊との交霊体験についてです。一月ほど前に、つのださんがあるお盆向けのテレビ番組に出演された際のお話です。或る著名な霊能者に教わった方法で、守護霊を自らの体の中に入れたときの経験談だそうです。

先ず自分の意識というものを詰め、体の下半分ぐらいまで押し詰めて、上半身をカラッポにする。「そこにどうぞ入ってきて下さい」と霊に対して言うと、入ってくるのだそうです。首の後の盆のくびあたりが出入り口になっているという。何事も経験だと考え、自宅に一人いた時にやってみたといいます。恐いやつに入り込まれたら嫌なので自分の守護霊をお呼びしたそうです。高位の主護霊は遙か高い次元のところにいらっしゃって、いざという時にやってくるので、常々すぐ側にいるのは守護霊でもかなり初心者というか、パシリ(使い走り)のような守護霊となるそうです。

やがて、そのパシリの様な守護霊が体の中に入ってきたといいます。首のぼんのくび辺りから太いゴムの棒のようなものが「ズルッ、ズルッ」と入ってきて、背骨を伝わって、腰骨の辺りで止まったそうです。つのださんは直接的に霊との会話はできないし、入ってきた守護霊も、死後、身体をなくしてからだいぶ経っている霊らしく、筋肉の使い方も忘れてしまっているらしいので、「イエス、ノ−」をつのださんが首を振ってやってみせて、このようにして答えてくれと頼んだところ、その様にしだしたといいます。(これを「間接交霊」というのだそうです)

そこでつのださんは、自分が心霊に関わる仕事をしているので、いろんな変な霊が自分の周辺に寄ってきているだろうから、常々自分をガ−ドしてくれている守護霊がどのくらいいらっしゃるのかを首を縦に振って、その数を教えて下さいと頼んだところ、首が14回もひとりでに縦に振られたといいます。

そして、抜ける時には、「どうぞ抜けて行って下さい」とお願いしたところ、今度は逆に腰骨の辺りから「ズルッ、ズルッ」と首の方に抜け出していったそうです。そして、首の辺りで引っかかったので、そういった場合どうしたらいいかを、以前に霊能者の方から教わっていたのでその通り、おもいきり首を後ろにそらしたところ、「ポカッ」と切れていったといいます。

とにかく人というものは、日常生活においても多かれ少なかれ、間接的には、神さまや守護霊たちとの間における「間接交霊」をしながら、仕事をしたり、人と接したりしているのだということですね。


[199] つのださんの主護霊との交霊体験 投稿者:道開き 投稿日:2002/08/31(Sat) 21:24

私もそれなりの体験はありますが、少々恥ずかしくもありますので、下記[198]の書き込みに続いて、つのだじろうさんの体験内容を記させてもらいたいと思います。つのださんはその時の体験を、多くのテレビ番組や著書でも述べられています。
つのださんが、当時、日本有数の物理霊能者だった故・竹内満朋先生にうかがった主
護霊との交霊法をおこなった際の体験です。

まず、竹内先生は「たいていの人は、真剣に主護霊にお願いせず、たいして用事もないのに遊び半分で呼ぼうとする。そのため、主護霊が来ず、雑霊がかかってきて主護霊の名を語り、デタラメを言うケ−スもあり、本当に主護霊と交霊したいのか、よく考えて行う必要があります」と注意されたそうです。
霊感度の弱い人でも、いちばん交霊しやすいのは、人間が眠りに入る寸前の状態のとき(私の場合もそうでした)。霊界からの波動が人間に伝わりやすいのでそれを利用する。
霊にお願いする場合、必ずなにか対象になるものが必要で、主護霊を呼ぶ場合は、神棚の前で精神統一をするのがいい。神棚のない一人住まいの場合は寝る前に風呂に入って、全身くまなく洗い、最後に冷水をかぶって自身の体を清め、布団に入って、上を向いて寝る。そして、両手を軽く腹の上に置き、左右の親指と、人指し指をそれぞれ合わせ、その指のひし形の部分におへその中心がくるようにします。これは、精神統一のひとつの形です。
そして、自分の枕元に守護霊がいらっしゃると思って、そこに心を集中させてお願いする。守護霊の名前を知っている場合は、その名前に「○○○之命(のミコト)」というふうにつけて呼びます。名前を知らない人は、「私の守護霊さま」でも十分だそうです。
おねがいごとは欲張らず、一つにした方がよい。姿を見たい人は「お姿をお見せ下さい」でもいいし、「私が眠っている間、夢の中で修行をさせて下さい」でもいい。
その場合、「もし、お姿を見せて下さったら、私は必ず何々をします」と願掛けをするとなおいい。その人の霊感の強さ、真剣さ、あるいは守護霊が姿をあらわす必要があるかどうかなどによって個人差がありますが何日か後、或いは何週間後かには姿を現してくださるそうです。

つのださんの場合は三日目の夜だったといいます。その頃(今から三十年近く前)、まだ神や守護霊の存在をあまり信じていなかったそうで、「私は神や霊魂の存在など、心の底からは信じられません。もし、本当に霊が存在するなら、その証拠を見せて下さい。どうか、わたしに姿を見せて下さい。そうしたら、私は霊魂の存在を信じ、神棚をまつることを約束します。出てこなかったら、守護霊なんて金輪際(こんりんざい)信じねえぞ!」とむちゃくちゃな頼み方をしたそうです。
そんなふうに交霊を始めて、およそ三十分か一時間ほど過ぎた頃に枕元の左側にあったロッカ−のところに光が現れて、五つの人の顔(中央の青い光に浮かぶ武士のような厳しい顔が特に大きかったそうでこれが主護霊、それを取り巻く他の赤く光る小さい顔の霊は守護霊たち)となぜか大きな猫の顔が現われたそうです。時間にして、ほんの二、三分だったといいます。

後日談ですが、この交霊の時におこなった“願掛け”、つまり、神棚を祀るということを、気にはしながらも、忙しまぎれに、一年以上ものばしにしてしまったところ、やはり寝ている最中に主護霊に幽体離脱を体験させられ、お叱りの制裁を受けてしまったといいます。どうか神さまや守護霊、そして人との約束も守るようにしましょう。


[198] 『うしろの百太郎』 投稿者:道開き 投稿日:2002/08/20(Tue) 15:28

余りにも有名な‘心霊研究家’で‘マンガ家’の、つのだじろう氏の代表作である。
現在の日本では、地縛霊、浮遊霊、背後霊、守護霊、ポルタ−ガイスト、エクトプラズム・・・・といった用語はごく一般の人たちの間にも知られるようになっていますが、それには氏の『うしろの百太郎』によるところが大であったと言われています。
私も、ちょうど中高生の頃でしたので、恐怖で鳥肌を立てながら夢中で読んだことを記憶しています。
世論調査によると、『うしろの百太郎』の連載をはじめた昭和四十八年頃は、「霊魂の存在を信じる」或いは「存在するかもしれない」と答えた人は全体の三分の一だったのが、それから十年後の調査では約七割の人が「不思議なものは存在する」と答えるようになったと言います。
つのだじろう氏もやはりマンガの聖地・“トキワ荘”の出身者であり、同じ不思議現象に興味を持っていた仲間の一人、故・石ノ森章太郎氏から、「お前がやったことは、すごいことなんだぞ。十年間で国民の意識を百八十度、変えてしまうってことは、たとえば共産党支持者を自民党に変えたり、社会党の人を自民党的な考え方にするってことだ。どんな政治家だってできないことなのに、お前は、それをやったんだ」と言われたそうです。
反面、当時のマスコミや神秘的なことを嫌う学者・評論家たちからこっぴどく叩かれたと言います。

又、氏が『うしろの百太郎』を書かれた当時は、すでに15年ほどの心霊研究の後のことだったそうです。私もその後、仕事がら数多くの内外の心霊科学、スピリッチャリズム関係図書を読んでいますので、今になって『うしろの百太郎』を読み返してみますと、氏の心霊の知識の豊富さ、正確さには驚かされてしまいます。守護霊の分類とか、交霊の方法・・・とか。
たとえば“エクトプラズム”という「半物質」、つまり、霊と物質の中間に当たるものの存在を最初に取り上げたのはフランスのノ−ベル賞受賞の生理学者シャルル・リシェ博士です。心霊現象が起こるところには必ず霊媒体質の人がいて(少年少女の場合が多い)、その人の体内にあるエクトプラズムを利用することによって始めて霊たちが物を動かしたり(ポルタ−ガイスト現象)、霊の物質化現象を起こしたり(自分の姿を現すこと)が可能になるといったこととか・・。
さらに、氏の凄いところは知識の習得のみに終わらずに、自らも実験台になったりと、
数々の体験を踏まれておられるという点です。今後とも、氏の更なる御活躍を心より期待いたしております。

日本心霊科学協会のとりおこなう交霊や浄霊、その他の儀式は、ほとんどが神道形式で行われます。神道とスピリッチャリズムはかなり近いものだとされているからなのでしょうか、それとも日本にスピリッチャリズムを根付かせた浅野和三郎氏が神道人だったからなのでしょうか、詳しいことはわかりませんが、今後、神道とスピリッチャリズムがうまく習合して行ってくれればな−と考えるのは私だけでしょうか。古神道系の教団の多くがスピリッチャリズムによって理論構築を行っていることも事実なのですから。

スピリッチャリズムを詳しく知りたい方は、この掲示板の書き込み[112]〜[116]「スピリッチャリズムにおける守護霊の定義」「スピリッチャリズムの概要」、メイン・メニュ−の〔よもやま知識〕の中の「古神道と心霊科学」等をお読みになって下さい。


[197] 『歴史街道』   投稿者:道開き 投稿日:2002/08/12(Mon) 20:18

 下記[196]の書き込みに続く「衰亡の歴史に学ぶ−「閉塞の時代」はどこへ向かうのか−」 の内容です。

(ロ−マ帝国)  京都大学教授 中西輝政
・失われていった「自立」の精神
・歴史は常に変化してやまない
・「外来の思想」が古代ロ−マを滅ぼした
・食満ち足りて国滅ぶ
・ニンニクを嫌って力を失う  −金流失を招いたスパイス−

(カルタゴ)  評論家・森本哲郎
・何のための「富」なのか
・文化は経済を引っ張り、経済は文化を育む

(大英帝国)   東京大学名誉教授・木村尚三郎
         和歌山大学名誉教授・角山榮
・超大国から普通の国へ
・天と線の幸せ」から「面の幸せ」へ
・産業革命の光と影
・繁栄から停滞・後退へ
・イギリスの敗因−遅れた技術革新
・問題はジェントルマン的価値観

(スペイン)     京都大学教授 中西輝政
・思想なき海外進出の結末
・短期間に限度を超えた異常な富の流入

(中国・歴代王朝)      中国文学者・守屋洋
・「創業」と「守成」とではどちらがむずかしいか
・「興」の理は「強力なリ−ダ−の存在」にあり
・「亡」の理は「内憂外患」にあり
・ムダな兵員と余剰な役人が財政を圧迫
・裏目に出た「夷をもって夷を制す」

(日本)   慶應義塾大学教授・笠原英彦
       上智大学名誉教授・渡部昇一
・こうして官僚は腐敗していった
・政・官・業のサ−クル
・藩閥政治が生んだセクショナリズム
・エリ−ト教育が国家を衰亡させてきた
・なぜ、アングロサクソンのエリ−トコ−スには弾力性があるのか


[196] 盈(み)つれば欠(か)ける“十五夜の月” 投稿者:道開き 投稿日:2002/08/12(Mon) 20:13

最近、日本の現況と今後の成り行きを“文明論”といった観点から読みとり、対応策を考えて行こうといったテレビ番組や本がやたらと目立ちます。そんな中、
『歴史街道』5月 特別増刊号  
「衰亡の歴史に学ぶ−「閉塞の時代」はどこへ向かうのか−」
といった本を読む機会を得ました。
第一部  大国はいかに栄え、滅びたか
第二部  地球環境と文明崩壊の不思議な関係
第三部  現代日本はどこへ行くのか

●偉大なる歴史学者・トインビ−博士は
「どの様な文明、国家も、その繁栄のまっただ中に、衰亡の
種子をはらんでいる」
といった内容のことを記されておられます。

●『易経(えききょう)』というのは文字通り、易占の経典ですが、占いとリンクされた形式で政治、経済、人倫の道が詳細に説かれています。欧米でも、『聖書』に比類する程の人類にとっての精神的財産であるといった高い評価を受けたりもしています。秦の始皇帝などは、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」で儒学者を弾圧し、関連する書物を焼き尽くしましたが、この『易経(えききょう)』だけは大事に残したと言われています。
その『易経(えききょう)』の一番最初に出てきます卦(か)に
「乾為天(けんいてん)」という卦(か)があります。
“易”の六十四卦(ろくじゅうよんか)の中で
「六爻(こう)」の全てが“陽”だという特別な卦(か)です。
「完全」とか「完成」を表すよい卦(か)ではあるのですが、
その片隅に、「衰亡の兆し」をも意味しています。
つまり、 「盈(み)つるものは必ず欠ける」道理 を表している
卦(か)でもあるのです。

○盈(み)つれば欠ける十五夜の月
○盈(み)つるは欠くる兆し(きざし)なり

という説明が「乾為天」には付与されています。

「バブル」絶頂期の中に「破裂の兆し」は十分に見受けられたそうです。
でも、破裂後のことを考える官僚、政治家、経済人はほとんどいなかったと言われています。 日本中の人々が欲に浮かれて、正常な物の見方が“許されなかった(or出来なかった)”状況だったようです。
そういった状態とは、「日本の古くからの知恵が希薄になっていた状態」とも考えられます。
とにかく、「歴史」や「先人たちの知恵」から多くを学び、 早い内から今後の対応策をはかっていくのは 実に有益なことだと思われます。

そう言えば「 アクセルだけで突っ走った西欧文明は崩壊も早かったが、アクセルとブレ−キをうまく使いこなしていたエジプト文明などはかなり長寿であった」と、早稲田大の吉村作治教授のあるテレビ番組でのコメントが記憶に残ります。


copyright(c) 2000-2010 お祓い/占い/四柱推命/五行易/風水 白鬚神社 all rights reserved.