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[312] 総てあるものは神 投稿者:道開き 投稿日:2005/05/19(Thu) 09:14  
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)から派生して八百万神々が生まれ、土、岩などの山川草木、人や動物なども生み出されたのだから、森羅万象いっさいのものが繋がっていて、総てのものには神性が宿っているということになります。これは太古の人たちの宇宙観、自然観であり、つまり、アニミズムの考え方です。

よって、起こり得る総ての事象、物事にも総て意味があることにもなります。
つまり、時空を超えた一切のものが関連性を持つ。(この考え方は、ニュ―・サイエンスなどでは常識になっている〈エドガ―・ケ―シ―がはじめて唱えた〉“アカシックレコ―ド(宇宙の記憶)”とも同じ概念です。)

だからこそ、サイコロを転がしたり、筮竹(ぜいちく)を引いたりして観る“易(えき)”や、その人の生年月日時によって観る“推命(すいめい)”などの「占い」も成り立つし、禁厭(まじない)や祈祷(きとう)などの呪術も成り立つことになるのです。


[311] “天体の運行”と『運命学』 投稿者:道開き 投稿日:2005/05/19(Thu) 09:13  
 メソポタミア、エジプト、インド、中国、マヤ等の古代文明においては、高度な天体観測技術とそれに伴う高等数学が発達していたことが今日では広く知られています。又、それらの天体観測と並行した形で各文明ごとに、様々な「暦」や「占星術」の発達もうかがえます。

つまり、「天の運行(森羅万象)」と「人の運勢」とには関連性があるという『万物照応(ばんぶつしょうおう)の世界観』は、西洋では「ミクロコスモスとマクロコスモスの理論」、東洋では「天人相関(てんじんそうかん)説」として発展を遂げ、過去数千年に渡って幾度となく互いに影響し合い、融合を繰り返して今日に至っています。

ことに古代中国においては、様々な「推命(すいめい)学」や手相、人相、家相といった「相学」、そして、「易学」が生み出され『運命学』として発展をとげました。


[310] 『となりのトトロ』 投稿者:道開き 投稿日:2005/02/26(Sat) 19:43  
宮崎アニメの代表作と言っても過言ではないでしょう。『となりのトトロ』の“トトロ”って、樫の木の精霊なのだろうか、ビデオを借りてきて確認のため観てみましたが、おそらくそうなのでしょう。
古いお稲荷さんの祠(ほこら)の脇にある樫の大木に住んでいるようです。

以前、人を九人も殺したと自ら語る悪霊に憑かれて、当社までお祓いを受けにきた青年がいましたが、現在では、県内でも有名な某ホテルの板前として、立派な社会人としての生活を送っています。
その青年の話になります。彼は、それ以来、様々なものが見えたり聴こえたりするようになっています。ある日の夕方、たそがれ時、お寺で育てられたという、やはり生まれつき霊感の強い彼女を伴って、当白鬚神社にわざわざ一時間もかけて参拝に来たといいます。

たそがれ時ですから、あたりの景色はハッキリとは見えなかったそうです。御神前の鈴を鳴らして手を合わせようとしたら、お賽銭箱の前に、巨大な頭のキツネの様な、オオカミの様なモノが、でっかい口を開けて二人を見ていたのだそうです。二人は驚いて、恐る恐る、そ〜と後ずさりしてその場を離れたといいます。
二人は、いま目にしたモノのことを確認し合ったそうです。「今、・・・・・なのが居たよナ!」「大きな口の右側の奥から二番目の歯から、血みたいのが出てたよな・・・」「うん。」

二人はそのまま仙台のアパ-トに帰ったのだそうです。
すると、部屋の中まで、その大きな頭のモノがやって来て、「デングリっこして遊ぼ!
」と言って二人に甘えてきかなかったそうです。二人がそのまま無視していると、やがて、その大頭のモノは諦めて帰って行ったといいます。

後日、二人で当社に御祈祷を受けるためにお参りに来た際にその話がでました。「神主さん、あれはいったいなんだったのでしょうか」と。
「おそらく、神社に住みついている精霊のようなものでしょう。二人が、自分の存在を知ってくれたので、嬉しくてしょうがなくて、アパ-トまで行ったんでしょうね。でも神様のおそばにいるモノだから悪いものではないから心配する必要はありませんヨ」とお話しました。


[309] 環境NPO 投稿者:道開き 投稿日:2005/02/25(Fri) 20:49  
今回、「リンク集」に追加しました[環境NPO]サイトの中の

「みんなでうたったよ」コ-ナ-

での、鈴木重子さん、しらいしみちよさんと子供たちとの、

様々な場所におけるコンサ-トを御覧ください。

http://www.handinhand.jp/song/index.html

加えて、映像「かえで二十四節気」も御覧ください。


[308] “ 立春 "・・・「年変わり」の節気 投稿者:道開き 投稿日:2005/01/31(Mon) 17:43  
新暦2月4日頃、冬から春に移る時節にあたり、天文学的には太陽が黄経315度の点を通過する時を言います。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。「立春正月」を伝統的に守る中国では、立春は「春節(しゅんせつ)」と称され盛大に祝われています。
立春は雑節の基準日で、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。

今年の立春は、2月4日の02:43頃が「節入り」となります。
“運勢学”上の「干支」「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を移動します。つまり、「年回り」が変わります。


今年は《四緑木星》の年です。久しぶりに「干支・九星術」の《四緑木星》年生まれの方の月ごとの特徴を少しばかり上げてみます。

●《四緑木星》年「七赤金星・卯(う)」月生まれの女性
(今年は3月5日の20:45〜4月5日の01:34までの生まれの女性)
持田香織、芳本美代子、熊谷真美、チェリッシュの悦ちゃん、浅茅陽子、有働由美子(NHK女子アナ)、あき竹城・・・・といった方たちです。
外見上は、つややかな黒髪の持ち主で身だしなみがよいといった特徴を持ちます。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


●《四緑木星》年「五黄土星・巳(み)」月生まれの女性
東ちづる、扇千景(元国土大臣)、EPO(エポ)・・・といった方たちです。
明朗で活発な人が多く、頓知(とんち)があって洒落気(しゃれっけ)を持っています。
詳しい性格的、運勢的特徴はここでもひかえさせていただきますが。・・・・


●《四緑木星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの女性
川島なお美、十朱幸代、浅香唯、椎名林檎、石田えり、ダンプ松本・・・・といった方たちです。
お顔がポッチャリされているのが特徴です。詳しい性格的、運勢的特徴はここでもひかえさせていただきますが。・・・・


●《四緑木星》年「七赤金星・子(ね)」月生まれの女性
ペギ−葉山、大黒摩季、岸本加世子・・・・といった方たちです。
眉毛から目にかけてキリッとしていて、そして、頬から口元にかけてのシャ−プさに特徴のある容貌です。詳しい性格的、運勢的特徴はここでもひかえさせていただきますが。・・・・


●《四緑木星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの男性はというと、
長瀬智也、宍戸錠、平幹二郎、松任谷正隆、堀内健(ネプチュ−ンの堀ケン)・・・・といった方たちです。
何とも個性的で、変わったセンスを持った方たちです。短気に、口べたに、直言的に物事を言うところがあります。でも、協力者の意見を取り入れる仁徳を持ち合わせた方たちです。
詳しい性格的、運勢的特徴はここでもひかえさせていただきますが。・・・・


[307] 姉崎さまへ 投稿者:道開き 投稿日:2005/01/16(Sun) 10:04  
こんにちは。昨日はどうも。
あれからすぐにFAXは届きましたが、送付先の詳しい住所が書かれてませんでした。このままではお送りできませんのでご連絡ください。どうぞ住所をお教えください。


[306] 『まんが日本昔話』 投稿者:道開き 投稿日:2004/12/10(Fri) 20:24  
下記の書き込み[305]に続きます。
後でよくよく考えてみましたら、“笠地蔵”はかなり広く知られている日本の昔話でした。
そう言えば、『まんが日本昔話』の主題歌の歌詞に出てましたっけ。

「♪人の情けが 幸せを〜♪  そおっと〜 運んだ〜  “笠地蔵”おぉぉ〜♪♪」
って。

ネットで検索してみましたら、『まんが日本昔話』の主題歌を聴けるサイトを見つけることができました。
次のURから入って

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Name/1423/mnmb/

【EPコレクション】
A面:にっぽん昔ばなし

をクイックすると歌を聴くことができます。


[305] 「陰徳を積む」 − 「昔話」の“いましめ” 投稿者:道開き 投稿日:2004/12/09(Thu) 07:59  
「陰険」「陰湿」「陰鬱」・・・・と言った様に“陰”の字が使用される熟語は数多くありますが、余り良くない場合に使われることの方が多いようです。
但し、「陰徳」だけは別です。その意味する範囲は、人の見ていない所で道端のゴミを拾ったり、家の中に迷ってきた蝶を外に出してやったりといったちょっとした事から、自然保護、地球環境、そして、様々な“人助け”のボランティア活動にまで及ぶかとも考えられます。

人知れず誰も見ていない所で行われた、一切の結果や見返りを求めない“善行”は、おこなったその人自身の魂をキレイにします。
それは何故かというと、その本人が自分自身の中に実在している神仏とのみ向き合った行いとなるからです。
さらに、その善行は、死ぬまで、いや、死後においても、他の何人にも知られることのないものであったのならば全くのベストです。

以前までは、こういった「陰徳」といったものの考え方は、ごくごく一般の人たちの心の中にも至極当然のこととしてあったように思われます。
「陰徳」といった様な、あまり難しい言葉は使われなくとも、「昔話」の中に組み込まれたりして、年寄りや親たちが、子どもに対して“寝物語”として自然に伝えた「教え」です。
「笠地蔵」「乞食のくれた手ぬぐい」「花咲爺さん」・・・・といった陰徳を教え伝える昔話がたくさんあります。


まずは「笠地蔵」の話。
ある老夫婦がおりました。もうすぐお正月を迎えるというのに、お供えするお餅や昆布がない。焼いた炭を売ってなんとかお正月を迎えたいと考え、お爺さんは炭を担いで出かけます。途中、六体の地蔵さんが雪をかぶって立っていました。
何とも寒そうに見受けられたお爺さんは、炭を売ったお金で餅を買わずに笠を買い、お地蔵さんにかぶせました。笠は五つしか買えなかったので自分のかぶっていた笠もかぶせました。家に帰って、そのことを言い出しにくかったお爺さんでしたが、お婆さんは、それは良いことをしたと言ってくれました。
年取りの大晦日の晩、そのままご馳走も食べずに早めに布団にもぐっていた二人に、ヨイショヨイショと重い物を運ぶ数名の声がしました。声が遠のいた後、外に出てみると餅やお酒、大判小判が山のように置いてありました。お地蔵様が笠の御礼に置いていった物でした。


次に「乞食のくれた手ぬぐい」の話。
あるところに顔は醜いが、心根の優しい娘が大店に奉公してました。ある日、乞食がやって来て食べ物を乞いました。大店の女将は追い払いましたが、その娘は、そっとご飯をめぐんでやりました。乞食は、御礼に手ぬぐいを置いて行きました。その後、女将にいじめられたその娘はもらった手ぬぐいでそっと涙を拭きました。すると綺麗な娘の顔になったのでした。
そのことを娘から聞き出した女将は、乞食が来るのを待って、娘と同様なことをしました。そして、手ぬぐいを無理矢理もらい顔をぬぐってみましたら、綺麗な顔になるどころか、馬になってしまい、駆け足でどこかに走り去ってしまったということです。

「花咲爺さん」はあまりにも有名な話なので、ここでの説明の必要はないと思われます。


こういった“善行”といったものは、神さまの御心に叶った、神さまの代行とも言えるような「尊い行い」です。よって、神さまがその行った人の魂を清めてくださったり、なんとも言いようのない至福感を味わわせて下さったりするのだとも考えられます。
世の中、何でもかんでも効率性のみを追求したり、経済至上主義であったり、欲・欲・欲のみで動いてしまったのなら、何の潤いもない、非情な世の中、いわゆる“弱肉強食”社会になってしまいます。

つまり、陰徳を積む行いとは、「人の世をぎくしゃくさせない為の、圧迫感を回避させる為の“安全弁”とも、“潤滑油”ともなる神さまの代行となる神聖なる行い」ということにもなるのでしょう。
今の日本社会、この陰徳といった観念が薄らいでしまっているから、どうもしっくりしなくなっているように思われてなりません。皆が皆それぞれに、老若男女を問わず、ひどい圧迫感にさいなまれているようです。 まるで“遊び”の全く無い、効きすぎるブレ−キのような危険な社会。気の休まらない世の中です。

かといって、あまり神さまを意識しすぎたり、神さまに見返りを求めてしまっている善行であっては、それは「陰徳」とは呼ばれなくなってしまうのではとも考えられます。


[303] Re[302]: こんにちは 投稿者:道開き 投稿日:2004/11/14(Sun) 20:20  
こんにちは。  お久しぶりです。
宮城はほんとうに寒くなりました。

ご質問の件についてですが、
単に「神宮」といえば、伊勢神宮を示す正式名称として用いられます。
他にも「○○神宮」の社号を付されている神社もありますが、多くは皇室と関わりの深い御祭神をお祀りする神社で、霧島神宮、平安神宮、明治神宮などがあります。
そうでない場合もありますが、石上(いそのかみ)神宮や鹿島神宮、香取神宮など特定の神社に限られます。
「神社」は、一般の神社に対する社号として広く用いられています。

「大社」という場合は、出雲大社をさすときに用いられています。本来は、古い時代に、神社の社格を大・中・小に分けたときの、第一にランクされた神社のことです。三島大社、諏訪大社、松尾大社、住吉大社などがあります。

神棚に祀られた神殿の“扉”の件については、開けられたままになっている場合がほとんどですね。家に不幸が起きた場合などは、ケガレにふれられなくする為に扉は閉じられますが。


[302] こんにちは 投稿者:風のささやき 投稿日:2004/11/14(Sun) 16:38  
こんにちは 道開き様お元気ですか
いつも 質問ばかりで申し訳ございません
○○神社と○○宮の違いについてお教え下さい
また、神棚の扉は開けたままでよろしのでしょうか?
宜しくお願い致します
宮城もだいぶ寒くなってきているようですね
どうぞ ご自愛下さいね


[301] 『織江の唄』 投稿者:道開き 投稿日:2004/11/03(Wed) 23:34  
今年の夏、「NHK・思い出のメロディ−」を観ましたところ、山崎ハコさんの『織江の唄』を久々に聴くことが出来ました。作詞は作家の五木寛之さんです。実に懐かしい。
五木寛之さんといえば、私ども、小説『青春の門』を読みふけった世代で、高校の柔道部仲間で、「お前も読んだか?俺はここまで読んだ。」と話し合ったことを今でも記憶しています。

『織江の唄』
遠賀(おんが)川  土手の向こうにボタ山の 
三つ並んで見えとらす。
信ちゃん  信介しゃん
うちはあんたに逢いとうて カラス峠ば越えてきた。
そやけん 逢うてくれんね 信介しゃん
すぐに田川に帰るけん  織江も大人になりました。

月見草 いいえそげんな花じゃなか
あれはセイタカアワダチ草。
信ちゃん  信介しゃん
うちは一人になりました 明日は小倉の 夜の蝶。
そやけん 抱いてくれんね 信介しゃん
どうせ汚れてしまうけん  織江も大人になりました。

あまりにも懐かしく思ったので、昔みた映画『青春の門・筑豊偏』、『青春の門・自立偏』のビデオ2本をレンタルで借りてきて久しぶりに観てみました。

今では大女優になられた大竹しのぶさんの16、7才頃の織江役が何とも痛ましい。
昔の日本の社会は実に貧しく、そして日本人も、実にピュアに、ストレ−トに、命を張って生きていたのだな〜とつくづく考えさせられるものがありました。テレビもなし、携帯もなしの時代のこと。
現代はあまりにも便利になりすぎてしまって、逆にあらゆる人間関係を複雑にし、空虚なものにしてしまっているのかと、何とも悲しく思われた二編の映画でした。

ちなみに、「織江の唄」は「おりえの唄」と読みます。「ゴリエの唄」とは決して読みませんから。


[300] 「旧暦リズム」の暮らし 投稿者:道開き 投稿日:2004/11/01(Mon) 19:45  
「旧暦」リズムとは、「月」の“満ち欠け”の織りなすリズム。つまり、「無意識」のリズム、「人間本来の精神生活」リズムのこと。

ちなみに、「新暦(カレンダ−)」リズムとは、「太陽」の打ち出すリズム。つまり、「顕在意識」のリズム、日中の「仕事」リズムのことです。


[299] 『Shall we ダンス?』アメリカを行く 投稿者:道開き 投稿日:2004/10/18(Mon) 20:48  
映画『Shall we ダンス?』が公開された当時、映画館には三度も足を運んだと記憶しています。それ程までに私的には面 白い映画
だった。その後何年かして、ふと、本屋で、 『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』 という題の本を目にした。

その内容はというと、邦画の『Shall we ダンス?』がアメリカで非常に受けていて、これまでの外国映画で(アメリカにとっての)最高の公興収入を挙げているというものだった。ちなみにそれまでのトップはというと、あのトト少年の瞳と音楽の素晴らしさに世界中が涙したイタリア映画の秀作『ニュ−・シネマ・パラダイス』であったという。
こういった日本にとって誇らしいと思われることでも、その当時の日本のマスコミはあまり取りあげようとしなかった。
最近は、かなりそういったことでもきちんと取りあげるようになってきているとも思われるが。

その驚異の日本映画『Shall we ダンス?』が遂にハリウッドでリメイクされるという。それも役所広司が演じた役をリチ−ド・ギアが、草刈民代が演じた役をジェニファ−・ロペスが演じるのだそうな。

日本の人気女性ディオのパフィ−が現在アメリカでは大人気で、アニメにまでなっているといったニュ−スも最近テレビで目にしたし、日本アニメのファンが集うイベントに、アメリカの若者たちが数万人も集まっている映像なんかも目にすると、一昔前には全く予想だにできなかった事が起こっているのだなとつくづく実感させられる。

やはり、“驚異のハイテク”を生み出している日本人の、歴史、信仰、文化、ものの考え方等に興味がそそられるのだろうし、そういったものを端的に現している映画やアニメに、自然と興味が向くのだろうか。


[298] 江原さん 投稿者:道開き 投稿日:2004/08/29(Sun) 22:34  
今からちょうど10年前のことです。東京は目黒の某会館で開かれたあるフォ−ラムに参加した時のことです。

この人、相撲取りだろうか、プロレスラ−だろうかと思われるほどの巨漢と知り合う機会を得ました。
その人は、私とは初対面でしたのに、いろんなことを話しかけてきました。

「お祓いをなされているのですね。・・・・守護霊である行者さんが、あなたに言伝してくれとおっしゃってますヨ。
第三頸椎(首)がズレかかっていますから早めに病院に行った方がいいです。・・・・・・・そして、これまでにもちょくちょくつながってはこれたのだけれども、もっとシッカリとしたつながりを持ちたいので“行”を積んでくれるように頼んでくれとおっしゃってます。・・・・・」

そして、ベランダに出て二人きりで話をすることも出来ました。その方も神職の資格を持っていること、英国に留学してスピリッチャリズムの勉強をしてきたこと、今は東京で研究所を主宰していること、・・・・・・・・どういう訳か國學院大學の前学長・神道神学の上田賢治先生の授業のことも話に出ましたっけ。・・・何でそんな話になったのだろうか?????その経緯は忘れましたが。

とにかく、まるで映画『ゴ−スト/ニュ−ヨ−クの幻』に出てきた ウ−ピ−・ゴ−ルドバ−グが演じた霊媒役のような人、それが江原さんに 対して懐いた私の第一印象でした。

それから二年ぐらいして、その人が言ったとおり徐々に首が回らなくな ってきて、一年ほどカイロプラティック通 いもしました。 そして、今ではしょっちゅうテレビでお見かけしますが、3年ほど前に 初めてテレビに出ているお姿を見たときは、痩せていらしたので別人だと 思いました。(最近は、また体が大きめになられていらっしゃるようです)

江原さんのサイトを見つけましたので、少々思い出話を書き込みして しまいました。

http://www.ehara-hiroyuki.jp/index.html

ちなみに、このすぐ下の掲示板の書き込み[297]は江原さんの著書から の抜粋を解りやすく纏めてみたものです。

http://www.michihiraki.org


[297] スピリッチャリズムの概要 投稿者:道開き 投稿日:2004/08/29(Sun) 22:32  
●スピリッチャリズムにおける「守護霊」の定義
私たちが、あの世において、魂を磨き直すためのこの世における再生を決意したその日から、現世における生涯、死後の世界に至るまで離れることなく、神様から遣わされた心の親として指導してくれる存在、それが守護霊、背後霊と呼ばれる存在です。悪運や悪霊が災いをなすことはあっても、それがあなたの為になると思えば、守護霊が試練をあたえることもあるのです。そして、致命傷にならないように注意深く見守っているといいます。大きく四つに分けられます。

◎主護霊(ガ−ディアン・スピリット)
私たちの守護霊の中心的役割を果たしている霊魂です。統計的にみると、四百年前から七百年前に他界した先祖の霊魂がこの主護霊であることが多いようです。
少数の例外を除き、男性には男性の守護霊が、女性には女性の守護霊がついて、私たちを守り指導しています。
この主護霊は、私たちがこの世に生まれる前、そして、現世、死後も本人とは切っても切れない間柄となります。

◎指導霊(ガイド・スピリット)
私たちの趣味や職業を指導している霊魂。芸術家には芸術家の霊が、医師には医師の霊がつく。
この指導霊は、私たちの先祖霊に限られるわけではなく、外国人の霊がつくことも往々にして見られる。外国語の教師には外国人の指導霊が、ヨ−ガの先生にはインド人の指導霊がと、いった具合。
指導霊はしばしば途中で代わることがよくある。その指導している人間が増長したり、傲慢となったり、精進を怠ったりして波長が低下すると、高級指導霊は去り、代わりに低俗な指導霊がつく。一方、精進努力を重ね、謙虚で高い波長を持っていれば、才能がない人でも高級霊を呼び込み、能力を飛躍的に伸ばすことも可能。
スポ−ツなど、この指導霊同士がブレイしあっていて勝負が決まることがよくある。

◎支配霊(コントロ−ル・スピリット)
支配霊とは、霊能者の心霊実験や交霊会で、霊界側のすべてを統括し、支配する高級霊であると言われています。しかし、一般的にはその人間の運命をコ−ディネイトしている霊魂のことをこう呼びます。
例えば、あなたの新たな出会いや、進むべき環境など。
この支配霊は、私たちの十年先もすべて見通すことができるようです。

◎補助霊(ヘルパ−・スピリット)
前述の三役の霊を手伝う霊魂です。
補助霊はさほど古くない霊魂の場合もあります。私たちの身内や近い先祖が、この補助霊となって守ることも多い。
ときには、前世に関わる霊魂などが関与する場合もある。


霊能者の中にも、「あなたには守護霊がいない」などと言う人がいますが、その様なことは絶対にありません。どの方にも必ず、霊的守護はあります。


スピリッチャリズムとは、物質至上主義により人間が生きていく上で当たり前のきまりや精神性の豊かさを喪失させられてしまったこの混沌の現代社会に生きる人々に贈られた「霊界からの哲学の啓示」。
心霊は「非科学ではなく、未科学」なのだという。

●スピリッチャリズムにおける『幸福の原理』
それは、「人は霊であることを知り、死後も霊の世界は存在している」と気づくこと。
それこそが、“ただ一つの幸福の原理”だといいます。
「死ぬことへの恐怖」、これはすべて人生が有限であり、霊など存在しないと考えることからきています。
死は無になるのではなく、新たなる霊の世界への旅立ちであることを知るべきだといいます。
確かに物質しか存在しないと思えば、幸福になる要素は肉体を喜ばせる快楽のみとなり、精神や魂の喜びは二の次となってしまいます。どんなに一生懸命に生きようとしても、すべては肉体の消滅とともに無に帰してしまうからです。人を傷つけ、やりたい放題に生き、自分のことだけを考え、他人からは奪うだけの人生が最上ということになります。
真の幸福は物質的なところには決して存在せず、“心の原理”「愛=他利=奉仕・献身」にのみ存在することを知るべき。
その為にも知っていてもらいたいのが◆『波長の法則』と◆『因果律(いんがりつ)』だという。

◆『波長の法則』
霊も想念であり、ある意味では非常に電波と似ている。その人の持つ波長が同じ波長を持つ人と同調する。
死後の世界もまた、波長によって分かれる一種の「階層社会」である。高い波長の霊は高い階層へ、低い波長の霊は低い階層へと移動して行き、また無限に続く霊性変化への道を歩むのです。
人間の心の動きと霊との間には深い関係が存在する。あなたが高い波長を持つことができれば、同じように高い波長を持つ霊と同調し、実際の生活も好転させていくことができる。人間が悪い想念を持つと、波長の低い、いわゆる低級霊と同調します。
つまり、私たちの毎日の心がけが、あなたの人生の幸福の鍵となります。「愛=他利=奉仕」に生きる、自分が霊であることを知ることは心を知ることで、心を知り自らの魂を磨いていく。これこそが、人生の最大の意義だといいます。霊の世界には、あなたの魂以外に何ひとつ持ってはいけないのですから。
あなたが永遠に持てるもの、それはあなたの霊、あなたの心、経験だけなのです。

◆『因果律(いんがりつ)』
「自ら蒔いた種は自らが刈り取らなくてはいけない」という原則です。
私たちがこの時代、現代に生まれて生きているということは、決して偶然ではなく大変重要な意味を持っている。私たちは霊界からやってきた。この現世を修行の場として選んだのです。霊界から地上に再生されてくるために、私たちは強い決心をしたのです。私たちは霊界から魂を分けて、自らの目的を果たすため一番ふさわしい親を自ら選び、国を選び、時代を選んで生まれてきました。
たとえば、以前の人生で人を愛することなく終わった人は、この今の人生で人を愛する喜びと苦しみを学ぶのです。もし人を傷つけ、苦しめてきた人ならば、この今の人生では傷つけられ苦しむということを学ぶのです。この世の苦難はすべて、あなたを輝かせるパワ-となる。


●スピリッチャリズムにおける「神と人間観」
心霊科学の見地に立った神や仏の定義は、“自然霊”に属するものです。自然霊とは、この世に肉体を持ったことのない霊を言います。童話や伝承でおなじみのフェアリ−(妖精)や天狗、龍神や稲荷なども、この自然霊に含まれます。
実は私たちのおおもとは、このような自然霊のなかから現れたというのが、心霊科学の常識です。
神や仏とは、このような自然霊のなかでも、最高位のエネルギ−や霊格を持つものということです。
日本では神という言葉は神道より生じています。では、神道でいう神とは「恐れ多く畏怖すべきもの」です。そこには善と悪の区別は存在していません。ですから、邪悪なものであっても、恐れ多く畏怖すべきものならば、神道では「まがつ神」とされ、神の名で呼ばれます。
また、神道では自然を崇拝します。火にも水にも風にも自然の森羅万象に神が宿ると考えられているのです。これを自然霊と考えれば、神道の考え方はある意味では非常に心霊科学的です。
高級霊ほど態度は謙虚で、どんな場合でも、神が人の名づけた名を名乗って現れることなどありません。

魂は、永遠の霊性の進化を続ける旅人です。人間世界を第一の修行の場として、肉体の死を通過した後、幽界、霊界、神界へと進んでいきます。しかし、同時に、神もまた永遠の進化向上を目指す愛の光なのです。私たちは実は無限の大我を目指す未熟な神であり、まだ磨かれていない霊を持った神なのです。いつしか光り輝く絶対の大我=神の粒子になることを目指している。人は誰もみな、落ちこぼれた天使であり、神なのです。
私たちがそれを忘れているのは、この世に生まれてくるときに、その記憶を捨ててくるから。魂の修行の為に。しかし、そっと寄り添ってくれる存在があります。それが守護霊です。
魂磨きは、この世において、人となって修行するか、守護霊となって人を助けながら修行するかのどちらかです。あの世においても、修行が第一なのですが、あの世では同一波長の世界にとどまっての修行となりますので、この世のように様々な霊格を持つ魂が集まった世界とは異なり、修行がなかなか進まないという。


●スピリッチャリズムにおける「高級霊と低級霊」
一般によく“狐憑き“と言われるものがあります。これは動物霊ではなく、現世に姿を現したことのない低級自然霊、または低級自然霊と化してしまったものによることが多い。自然霊とは、この世に肉体を持って姿を現したことのない霊です。いわゆる稲荷、天狗、龍神、たぬき等です。本当に絵で見られる姿をしているわけではなく、そのような性質を持つ“エネルギ−体”と考えて下さい。
自然霊にも低俗なものから超高級なものまであります。まづ頂点に立つ“神”、高級自然霊、妖精(フェアリ−)があります。自然霊には天候など、自然界を司る働きがあります。
特に人間に良い影響を与えているのは、背後霊のなかの自然霊です。もともと人間の始祖は自然霊であり、人間の背後霊を調べてみるとよく龍神、天狗、稲荷等、神の予備軍とも言える自然霊が支配霊としてつかさどっていることが見受けられます。これらはまだ霊界において新しい魂の自然霊であるから、まず、現世において人間をつかさどって守ることにより、神となる修行をしていくと言われています。
背後にいる霊の系統(霊系)が、人間の個性として強く現れます。龍神霊系の人、天狗霊系の人、稲荷霊系の人。
問題となるのは中級より低い自然霊です。“神の使い”である霊であることが多く、人の生業を見てくれたりもします。ところがこれらの霊は大変に俗っぽく、与えた分の見返りは必ず得ようとする性質があります。最初のうちだけ熱心に詣でていても、感謝の心を忘れたりすると、怒り狂います。霊障によって知らせようとしたりします。おろそかにされているうちに、人間の子供のようにグレて低級化していく傾向があります。
自然霊は子供を産むように分霊し、消えていきます。
このような自然霊に対する説得はなかなか難しく、人霊と違って情がありません。肉の家族を持ったことがないので情けというものがないのです。情に訴えることができないのです。だから自然霊は慎重にあつかうべきで、常に敬意を払い、簡単に呼び出そうなどとしてはいけません。
霊界について中途半端な知識を持ち、このような低級霊を呼び込んでしまい惑わされてしまう人は以外に多い。憑依状態が長く続けば続くほど、憑依霊は居心地が良くなる。憑依とは憑く霊ばかりが悪いのではなく、呼び込む自分が一番悪い。「神は人に悩みなど与えていない。神は問題のみを与えているのだ」という。


●スピリッチャリズムにおける「浄霊」
世間で言う供養と似ている。諭された霊は己の進むべき道を理解し、高級霊の力を借りて、永遠の進化向上の旅に出る。
私たちは実は人間ばかりでなく、日本、そして地球人類全体の進化・向上も担っているから、地球のカルマ(業)は日本のカルマでもあり、それはまた私たち個人のカルマだから。
私たちはこの宇宙を、地球という星を浄化させるために生きている。私たちの究極の目的は、この星を浄化させ神の国とし、神の光の粒子となっていくことです。そのためには、この現世と幽世のすべての魂を浄化させなければならない。

程度の差があっても、私たちはみな憑依を受けている霊媒なのです。霊は、同じ執着を持っている人の波長に感応し、憑依する。そのようにして憑依した霊は、同じ苦しみにあえぐ人と共に悩みながら、その苦しみを克服していく人の姿に諭され、反省し、自覚を持ち浄化していくわけです。
しかし、ときには負うには重すぎる霊が憑依することがある。憑依されている人間が、このまま現世の修行を成し遂げられない恐れが出てきた場合、その時こそ除霊、もしくは浄霊の必要が出てくるのです。


●スピリッチャリズムにおける「霊症」
@先祖、または水子の供養をおろそかにしている場合。
A私たちの一族に縁があり、守っていただいていた神仏の眷属(けんぞく、天狗や稲荷など)を粗末に扱ったり、汚してしまい、その霊の怒りをかった場合。
B自縛霊の宿る場所等に住んでしまった場合。
C生霊、死霊を含み人霊、または動物霊の恨みを受けた場合。
D私たちの波長が低下し、同じように低い波長の未浄化霊を呼び込んだ場合。
E因縁霊。これは本人自身には原因がないのに、自分の血筋の祖先が原因となる問題を起こしてしまい、それを子孫が担ってしまうという場合。これは自縛霊や浮遊霊とは違い、短期間の解除は難しい。


●スピリッチャリズムにおける「霊の国際化」現象
霊には東洋と西洋との間に微妙な違いがある。日本でおなじみの自然霊、狐霊、天狗霊などは東洋独特の存在です。フェアリ−(妖精)も、日本で見る限り、日本風の姿で現れますが、イギリスでは洋風の姿で現れます。霊が現世の文化に合わせているだけかもしれません。というのは、霊はもともとエネルギ−体なので、姿を必要としない。きっと、霊能を持ち合わす者に可視化させるときの方便としているのでしょう。西洋で狐霊・天狗霊に相当する霊はというと「天使」と「悪魔」です。
日本でも稲荷と呼ばれる高位の狐霊と人に取り憑く低俗な狐霊があるように、霊体が高い波長を持つものを天使、低い者を悪魔と呼んでいるだけです。ここで重要なのは、姿で惑わせる場合があるので、霊体のオ−ラの輝きや色によって正しい判断をしなくてはいけないということです。低級霊だからといって軽く見てはいけません。本当に強力なエネルギ−を持ったヤツもいます。
オカルト映画などに出る「悪魔」と呼ばれるようなものも確かにいるのですが、これは単体の霊ではなく、低級化した自然霊・動物霊、人霊などが重なり合って霊団化したものをいいます。日本では「天魔」と呼びます。
西洋には狐霊など存在しないと言いましたが、実は英国にも狐霊が現れ、それがさらに年々増加しています。それは一言で言えば霊が国際化しているのです。人間世界で国際化が進んだ結果、日本で憑依した狐霊が海外に渡り、海外で居座ってしまったのでしょう。自然霊は分霊して増えていきます。

http://www.michihiraki.org


[296] 「祭」と「式」 投稿者:道開き 投稿日:2004/08/26(Thu) 07:32  

こんにちは、風のささやき様。
二日ほど研修旅行に出かけておりまして昨夜帰ってきまし たので、ご質問に対する答えが遅れてしまいました。
申し訳ございません。

さて、「祭・・・・まつり」の語源は、神の威に人が従うこと、奉仕す ることであり、服従するという「まつらふ」の動詞から来ていると解釈 されています。
日本全国の神社で行われている多種多様な「お祭り」の多くは、“稲作”と 関係しています。農耕民族である日本人は、生きて行くための糧を「米」 に求め、その豊作を神さまに祈ってきたからです。

「式」を、国語辞典で調べてみますと、@儀式 A一定の型とあります。
計算式、図式、方式、御成敗式目(ごせいばいしきもく)といった場合の 「式」の字の用いられ方は、明らかにAの“一定の型”だと思われます。

http://www.michihiraki.org


[294] 無題 投稿者:風のささやき 投稿日:2004/08/24(Tue) 15:58  
お久しぶりです
いつも楽しく拝見しております。
少々お伺いしたいのですが、神社では例祭、結婚式が 行われますよね 祭と式では意味が違うと聞いたことが あるのですが、詳しく教えて頂けませんか。
宜しくお願い致します。 


[293] 『神考記』の出版 投稿者:道開き 投稿日:2004/07/22(Thu) 12:00  
こんにちは。お久しぶりです。

神社新報の最新号(第2749号)に、『神考記』の出版について の記事が掲載されていました。
この本は、ここの掲示板の書き込み[285]、[286]、[287 ]等で 紹介しました八甲田神社の前宮司・小笠原壽久氏の著書となります。

“神霊"に関わる話が九十九話収められています。

「森越塚の土」、「墓地移転のこと」、「岩木山における高校生の遭難事件」 、「向山の神社の売却」、「神憑りの失敗」、「拾って来た神社の御神体」、 「炭焼きの窯跡の不始末」、「黒岩龍神」、「商売運と馬の神」、 「除隊兵のお守」、「桃の浦の稲荷社と龍神社」(これは地元・石巻での話) ・・・・・・・・・・・・・

〒030−0943 
青森市幸畑字阿部野163−79    八甲田神社社務所

宛に、3,000円同封して注文すると本が送られてきます。
興味のある方はどうぞ。

http://www.michihiraki.org


[292] ミュ−ジシャン 投稿者:道開き 投稿日:2004/05/29(Sat) 18:38  
やはり、ミュ−ジシャンの方たちにはシャ−マニックな お生まれの方が多い様です。ここにリンクしました
ジャズ歌手・鈴木重子さんからのメッセ−ジ(ム−ビ−1、ム−ビ−2) を聴いてみて下さい。
   http://www.handinhand.jp/song/index.html 


〈ハンド・イン・ハンドのHP〉
   http://www.handinhand.jp/  


[291] 老木の恩返し 投稿者:道開き 投稿日:2004/05/21(Fri) 09:50  
最近、境内にある樹齢400〜500年にもなるかと思われる松の老木の 治療をする予定でいます。
幹に穴があいてしまい、そこに雨水が入って長い年月の間に空洞をつくっ てしまっています。
治療方法はというと、空洞を“炭”でいっぱいに満たして、口をセメントと 粘土をこねたもので塞ぐというものです。樹木医さんのアドバイスによる ものです。

神道では、この世のすべてのものを神さまと見ます、または神さまの 現れたお姿と見ます。つまり、アニミズム信仰です。

ですから、我々が日々の神明奉仕において唱えている『大祓詞(おおはら いし、おおはらへのことば)』の中の一節に、以下のようなくだりがあり ます。

「・・・語問ひし磐根 樹根立草の片葉をも語止めて・・・・・・・」
「・・こととひしいわね きねたちくさのかきはをもことやめて・・」
岩も木も草もコミュニケ−ションを取り合っているというのです。


以前、あるテレビ番組で見たことがあるのですが、樹木医と呼ばれる職業 は日本で生まれたのだそうです。そのさきがけとなった方を特集したもの でした。〈その番組名は『知ってるつもり』です〉

お名前は忘れてしまいましたが、その方の、非常に印象的だった語りに、 「自分が不健康なときは、以前に治療した樹齢数百年にもなる老木の葉っ ぱを“お守り”代わりに身に付けていると、遠くにあるその老木が治してく れるのだ」という内容でした。

やはり、この世の総てのものはつながっているから、その方の思いに対し 、老木の精霊が以前の治療に対する御礼もあって、感応して守ってくれる 、遠隔治療をしてくれるというのです。
そして、木も樹齢100歳を越すと樹木医である自分に夢や何かでコンタ クトしてくるのだということです。

以下は、実に面白く、参考になる樹木医さんのサイトを見つけましたので リンクを貼ります。

http://cwaweb.bai.ne.jp/~yasudagm/


[290] 更によくよく考えてみると 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/29(Mon) 12:30  
[289]の書き込みを更に考えてみます。
人の“思い”、つまり“思念”といったものは携帯電話の電波と似たような ものなのでしょう。
それが強ければ強いほど、我々の生活している「この世界の裏面」と言っ たらいいのか、「見えない世界」と表現したらいいのか、「この物質世界が どっぷりと浸っている霊的世界」を伝わって行くようです。
霊的大海に石を投じると、その波が少しずつ遠くに波及していくように。

携帯電話とか、メ−ルとか、手紙でもいいし、さらには物品でも同じなの でしょうが、そういったものを利用すると更に確実に伝わり方が強まるよ うです。又、この伝わり方は三次元的意味での“距離”は全く関係ないよ うですネ。

民間陰陽道が現代にも伝わっている高知県のイザナギ流の祭祀者である 太夫(だゆう)さんの中には、“裏”専門の悪徳太夫みたいな人もいて、 「相手がたとえ地球の裏側にいても決して外さない」と豪語しているそう です。(これは週刊誌からの知識だから、あまり当てにならないかも・・) 50年程前に、地球の裏側のチリで起こった地震による波が、日本の太平 洋岸まで伝わってきて高いところで4、50メ−トルの津波を起こし甚大 な被害をもたらした様に。

でも、「人を呪わば穴二つ」ですから、作用には反作用が伴いますから、 こういった人たちは末路が悲惨なのだそうです。常に、愛の念、感謝の念 を忘れずに、神さまの守りの中で日々暮らしていきたいものです。


[289] よく考えてみたら 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/29(Mon) 07:50  
下の書き込み[288]の件、
よく考えてみたら、真夜中の時点では、友人から私に送信されたメ−ルは まだサ−バ−にあったはずです。私は朝になってからメ−ルを受信したの ですから。

ということは、サ−バ−を通り越して電話線を伝わって家までその憑き モノたちがやってきたのか、(この憑きモノたちかなり凶暴で、お祓いを している友人の足とか、胸に噛みついてくるのだそうです。)
それとも、メ−ルを送信した時に、友人の思いに乗ってやって来たのかの どちらかですね。その友人、霊能が強い方ですから。

お祓いの仕事をしている以上はこんなこともあろうかと、眠っている時に はどうしても無防備な状態になると考え、寝室にも「白鬚さまの神符」を お祀りしていてよかったとつくづく思いました。


[288] 最近体験した「霊のリンク」 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/27(Sat) 09:07  
一昨日から昨日の未明にかけて、いつも通りに布団の中で深い眠りに就い ていました。
ふと目を覚ますと、この私、どういう訳か「祓い詞」を唱え、お仕えして いる白鬚神社の神々様たちにマガツモノの導きを祈願していました。
20〜30秒もそうしていたのでしょうか、ハッキリした記憶はないの ですが、楽になって又、眠ってしまったようで、気がついたら朝を迎え ていました。

その朝に、青森の神職の友人からメ−ルが届いていました。
メ−ルの送信時刻が昨夜の夜中になっていました。
「最近、ある人のお祓いをしているんだけど、死霊や魔物みたいのが ゴッチャになって憑いているし、関係する相手側の人に憑いている死霊や 魔物みたいなものも連動して働いているから大変なんだ・・・・」
といった内容でした。

霊が、電話やメ−ルに連動して移動するって本当なんだな〜と、ある種の 驚きを覚えました。「いや〜、これが現代の怪異現象なんだ」と。
最近大ヒットしているオカルト映画の「呪怨(じゅおん)」とか、 「着信アリ」みたいなものも、全くのホラ話でもないのだな〜と痛感さ せられた出来事でした。


[287] 「とまどう審神者(サニワ)」 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/22(Mon) 17:59  
以下も、[286]の書き込みに続く『思い出づるまま』からの一部抜粋 となります。

・・・・・十六日の午後になり、それぞれの参拝者は、帰る人は帰り、さ らに二、三人の修行をする人は泊まるといった具合で、宿の道場は七、八 名もおり、賑やかになったのである。
 ところが、午後に参拝したのは荒川という村から女性の信者に引率され てきた四、五人の信者であった。夕食が終わってから、この人たちも泊ま りであることがわかったが、修行者はかなりの年輩で、信者を連れてきた のは目的があってのことであった。じつは、よく日蓮宗のやる“因縁罪障 祓い(いんねんざいしょうはらい)”を取り調べて、供養しようという目的 があったのである。

“審神者(サニワ)”は霊感者でもなかなか難しいもので、私も白鳥家で、 最初に我が屋敷のことを審神者してもらい、そこから霊界のことを研究 するようになったのである。そして、この石神神社で、また再び研究しな ければならないとは夢にも考えていなかった。

このお婆さんは六十歳を超えており、自ら“憑り代(よりしろ)”となって 、その十六日に一般 の信者たちが帰ってしまってから始めたらしい。
 ところが、道場の神殿でその信者のことを祈祷している内に、すっかり 霊が憑ってしまい、それを審神者する相手がもて余してしまったらしい。
肝心のその霊感者は、後になって五戸(ごのへ)という姓と初めてわかっ たが、弟子に審神者をさせている内に、何とも後始末しかねる状態となり 、いつしか憑ったものに振り回されてしまい、座ったまま後ずさりして、 神殿の前から信者の出入りする玄関の敷居(しきい)まで来てしまったの である。

その時になって、初めて囲炉裏(いろり)でお茶を飲んだり、雑談してい た修行者や信者たちが気がついた。審神者役をもて余して、どうすること もできず、その五戸という霊感者は霊を降ろしたままどうにもできない。
そこで、その霊をひとまず霊界へお帰り願うようにしたいということで、 同宿の修行者は一決し、その方法を執ることになった。そして、多少であ るが“因縁罪障祓い”の体験のある修行者は、そのお婆さんの背後に回って 、「呪文」を唱え、「九字」を切って元の状態に戻すことにしたのである。

ところが、それを執り行っても霊は依然として離れず、
「とても私の手には負えません。どなたか霊を還してください」
ということになった。そこで、つぎつぎに私にさせてください、と相当の 実力者が気合いをかけて霊を還そうとして、いろんな方法で三、四人が手 を尽くした。私の経験では、憑霊の時間は、二時間以上にもなると霊媒が 相当に疲労してくるので、その日は不満足でもひとまず納めて、日を改め て招霊するものなのである。

時ならぬできごとで、この降霊の場は、平常は実力もあり、相当の誇りを もっていた修行者たちももてあました形となってしまった。
 私は二日前にお世話になったばかりで、全くの新参の修行者であり、ここの道場に滞在している修行者にも、病人に近い状態の者として扱われて いたので、ただジッと見学していた。このことも修行と思っていたのである。
 四、五人いた自信のある行者、祈祷者もこれ以上の手出しはできないし 、道場主も誰か早くこの場を治めてくれないかという切羽詰まった状態と なった。一緒に来ていた信者たちもオロオロするばかりであった。

もう、これ以上は、危険な気がしてきたので、私は、「皆さんで霊を元に お還しすることが出来ないのなら、私が神さんにお願いしてやってみます 」と言った。
 神前に一礼して神々に祈願し、大麻をいただいて、その老婆の霊感者の 背後から静かに祓い清め、「禊祓いの祝詞(みそぎはらいののりと)」を繰 り返し繰り返し唱えて全身を大麻(おおぬさ)で巻くごとく、叩くごとく 、頭の上から手足の先まで何回となく振り上げ振り下ろして、当所の“ 天照大神”を祈念しておこなったのである。

約五分ほど経過したところ、老婆は突然に目を開けて自分の座っている場所を見てキョトンとしてびっくりしたような顔であった。
その場に居合わせた人たちも、ほっとした表情であった。つい先程まで、 半病人のような参拝者であった新参者の私がやったことに、皆は一様に驚いたようであった。

私は、白鳥家で十年間も審神者をやってきたので、この程度の霊媒のこと はやってきたので、格別 に難しいことではなかったが、この道場でどうしてこんな難しい霊を降霊させて不慣れな審神者をしたのかが問題であった。
 それはそれとして、その晩は先ずは納まったので、ほっとした様子であった。健康のことは別 として、私がこれまでやってきたことが、皆に図らずも知れてしまったのである。


[286] 天之岩戸の霊験 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/22(Mon) 13:30  
以下は、下記の[278][285]の書き込みに続く『思い出づるまま』から の一部抜粋となります。
小笠原壽久翁が病身を押して、伯父である三上東満(みかみとうまん)氏が開山した霊場・石神(いしがみ)神社に21日間の予定で命がけの修行に出かけた際のエピソ−ドです。

旧四月十六日は山開きの日である。山は妙なしきたりで、山上には小ぶり ながらも社殿があるのに、祭事が行われることがない。
実は、下に構えた三家で信者を取り仕切っていたのである。成田家、小野 家、間山家の好きな所に信者が行き、祈祷(きとう)をしてもらって帰る ことになっていた。「山開き祭り」と言っても、合同での祭典、祭事はこれと言って格別 のものはないのである。

参拝にしても、あっさりしたもので、山上の御神石(ごしんせき)に御神 酒(おみき)を献じて、それを勝手に取り下げたのを飲み、空っぽになれ ば清めて、帰るときには御神水(ごしんすい)を入れて「御神符(ごしん ふ)のお水」と言って持ち帰るのである。
 十人も御神水を汲むと、神石の底から湧いてくる神水はなくなってしま うので、ほかの人は汲めないことになる。そこで小野、成田の両家で修行 中の誰かが下の方からそっと清い御水をバケツに入れて山に運び上げるの である。そして、参拝者がいなくなったのを見計らって補充しておく。
信者は神水が無くなるとあきらめて帰っていく。その後からきた者はまた 汲んでいくのである。
 ところが神様とは有り難いもので、その注ぎ足した神水でも、信心次第 では十分に効き目があるのである。永年参拝している信者は、そのことを 知っているが、別段怪しみもせず、また、不満を言う人もいない。水道の 水と違って、そんなに果 てしなく湧くはずがないからである。

十六日の朝食が終わると、昨日一緒だった斉藤氏は、また私たち二人を 連れ“天之岩戸の神石”を参拝した。
午前七時をすこし過ぎた時刻に着いたが、女の信者に連れられた四、五人 の信者がお詣りをしていた。その時、女の修行者が、
「今、神様が、皆さんがここまでお参りされたので、御霊験があるはずなので、もう少しおるようにとのことです。」
と、言った。

後から来た私たちには、どんなことになるかいささか戸惑い、先に訪れた 信者たちの後方でまごまごしていた。
と、突然、一人の信者が、
「あっ、御神体から後光(ごこう)が射してきた」
と、叫んだのである。見る見るうち金色(こんじき)の光が射している。 手を差し伸べると、手が、腕が金色に輝いてくるのである。つぎつぎに 信者たちが前方に手を差し伸べると光を受けて輝くのだ。そして、しだい に拡大されて前面 にまで輝いてくるのであった。

ふと、私は周囲に生えている若木の葉に朝の太陽の光が反射して、それが 信者に映えるのではないかと思って上方を仰いで見た。しかし、その時刻 には、太陽がそこまで昇って反射してはいないのだ。
このお山は峰々が大きく入り込んでいるので、八時半を過ぎないと山から 太陽が顔をだすことはないことが後でわかったのである。
しばらくは誰もが手を伸ばして身体を前に乗り出すと、体全体が黄金の色 にきらめいてくるから不思議であった。それも、五分、十分と時刻が移っても消えなかった。

岩も珍しい形で大きく立派であるが、霊験というものは不可解なものであ ることを知ったのである。
これが、この山で私自らが体験したことである。信仰とは自ら体得する 以外ないことを痛切に感じたのである。
神々の霊験と言い、霊徳と言っても、学問や理論、それに書物の上で議論を重ねても致し方がないものである。それが夢の中であろうと、心の中であろうと、神意、神徳は実在することを自ら体得するしかないのである。

この山と二十年以上も縁によって結ばれるということは、十四日の夜に、
「十八年、この山にお仕えするように」
との神の御言葉があり、夜が明けてはっきりと胸に刻まれて忘れることが 出来ないのである。
三、七、二十一日に限って、山で修行すると心に決めて山に登ったのに、 それが十八年間も山に奉仕することになろうとは思いもよらなかった。

十五日の“山神の岩”での出来事といい、また“天之岩戸の神石”の不思議 な現象を見るにつけても、もはや迷いも疑いもなかった。それも、自分が 一人での体験なら何かの見誤りとか、思い違いとも言えるが、第三者の方 が私の目の前で示され、疑い深く確かめてみたのであるから、不思議なこ とであった。

この“天之岩戸の神石”で偶然一緒になった女性の修行者とは、これから 二十年間も助けたり助けられたりすることになったのである。考えてみる と、神縁(しんえん)とはまことに何処で、また如何なる時に結ばれるも のかわからぬ ものであることを痛感する。


[285] まるでインタ−・ネットの様な“神霊の世界” 投稿者:道開き 投稿日:2004/02/10(Tue) 16:52  
以下は、書き込み〔278〕で紹介した『思い出づるまま』の中の一節、 「審神者(サニワ)の手伝い」の一部を抜粋したものです。

ある漁師が朝早く漁場を見回っていたら、海の波打ち際に立派な銀の煙管 (きせる)が落ちていた。早速、拾って家に持ち帰り、煙草の好きな彼は それにキザミを詰めて一服吸ったという。
間もなく頭が朦朧として寒気がしてきた。それからは仕事に対して、ど うも気力が無くなり、いつも頭が重いので病院通 いを始めたが、さっぱり 良くならずにいた。
それは、投身自殺者の所持していた煙管を拾った彼が、それにキザミ煙草 を詰めて吸ったために、その投身自殺した者の霊が憑いたのだった。・・

・・・人に呪詛(じゅそ)された解除(げじょ)のことや、白狐神に災い されて寝つかれなくなった人、神社から物を盗んでから何をやっても運の 悪い人、さらには人から恨みを受けて夜な夜なうなされる人の清め祓い、 ・・・・・・・

私の都合で手伝いの出来なかった時に、臨時の審神者(サニワ)を依頼し た際に、先祖が狩人でお腹に子供を孕んでいた猿を鉄砲で撃ち殺して皮を 剥いだという罪を調べたことがあった。
その聞き役たる審神者が、猿の霊(この猿は山神の使い神であったらしい )に口をすべらして揶揄(やゆ)気分でいろんなことを言ったらしい。
その猿の霊はすっかり怒って、こんな分からず屋の相手を許すわけにはい かん。まだまだ災難や事故で苦しみなさいと、突然、「憑り代(よりしろ) 」役の白鳥マンから抜けて行ってしまったのである。それからが大変だっ た。憑り代はバッタリと倒れたきり、息も吐けず真っ青になって全く意識 不明になった。動かしたり、いろいろなことをして、やっと意識を取り戻 したのである。

また稲荷神の咎めを受けた者が、(ただし、ここで言う“稲荷神”とは、 「使い神」「精霊」「おキツネさん」のことだと思われます。)
その神々にどうかして謝罪をして病災を逃れんと審神者したことがあっ た。その時も私の不在中のことであったが、第三者なるものが、たまたま その審神者の様子が珍しいものであるから近づいて見ていたことがあった。
その稲荷神は、神に物をたずねるのに、何のもてなしもせず勝手なこと ばかり言うことがあるものか、何か饗応して然るべしとのことであった。
そこで、その神殿に供えてあった赤飯を「憑り代」に差し出したのであ る。「憑り代」から物を聞くのに、よく山伏や行者らは酒や食物で一応 機嫌をとってたずねる方法もあるので、その時に降霊した稲荷神に赤飯 を振る舞ったようである。
ところが、それを手づかみでムシャムシャ食べるのを見ていた第三者の 信仰者が、
「ずいぶ、おいしそうだね」
と口をはさんだ。すると、間髪を入れずに、その降霊の稲荷神が、
「そら、お前にもやるから持って行け」
と、いきなり手にしていた赤飯を相手に投げつけてしまった。
とたんに、彼はスッカリ気が変になり、何やら訳の分からないことを 口走るようになってしまった。その「憑り代」も目を開いて、通 常の状態 に返ってしまった。
それから、口出しをした人は大騒ぎをしながら外に飛び出して、何時間も 市街をうろついて皆を手こずらして、やっと正気に返ったことがあった。
・・・・・・・・・
このように、審神者も軽い気持ちで対応しては、とんだ人騒がせになるも のである。私は、霊の世界の不思議さに真剣であったから、そんなこと は一度もなかったが、それでも失敗したことも二三度はあった。・・・・

★ポイント@
私見ですが、「神霊の世界」は「インタ−・ネット」に似ていると思 われます。“リンク”“リンク”・・・でこの世の総ての物がつながってし まう。多神教の一つでもある「神道」の、八百万神々(やほよろずのか みがみ)の働きだって、個々の神々を見れば“多”だけれども、つながり を見れば“一”つ。
つまり、八百万神々が天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に帰す るし、天御中主神が八百万神々に派生していく。“一即多”であり、 “多即一”でもある。つまり、道ばたの道祖神を拝めば、他の神霊をも 拝むことにもなる。その際の“心”が一番大切です。
そして、物と霊とは“リンク”“リンク”で繋がっり合っている。
同様に、会社や各家庭のパソコンを個々に見れば“多”だけれども、 インタ−・ネットに繋がっていることを見れば“一”つのネット・ワ− クを形成している。

★ポイントA
「霊の世界のことに関しては真剣に」接しないと大変なことになる ようです。これは本当です。興味本位 は良くないです。
又、これも、私の経験から言いますが、
普通の生活をしている人が、霊に憑かれたとか、神や霊からの「障り」 を受けた場合は、こちら側の対処の仕方は、案外、楽なものです。
ところが、しっかりとした指導者もなく「行」を積んだとか、「瞑想」を 行ったりしている内に憑かれた場合というのは本当に危険なモノが憑っ てきます。「コックリさん」なども同様です。
映画『エクソシスト』などに描がかれた悪魔なるモノも、少女が 「ウィジャ−盤」(西洋のコックリさん)で遊んでいるところに、その 隙間に入り込んできたように描かれていました。(この映画には、元 となった実話があるそうですが。)


[284] Re[283]: おひさしぶりでございます。 投稿者:道開き 投稿日:2004/02/02(Mon) 19:36  
> 何気にHPなど開設してみました。
> 学校の授業でやったので・・・できるもんだなと。

こんにちは。
エリカさんのウェブ・サイトに足を運んでみました。
今の学校ではこういったことを教える授業もあるんですネ!
掲示板にも書き込んで参りました。

> 期間限定の予定で、いつ閉鎖するとも分からないほそぼそとしたところです。
> 紹介するわりにあまりおすすめしたくないHPです。

どうぞ、エリカさんしか発信できないような、有用かつ詳細な情報を発信し続けて下さい。


[283] おひさしぶりでございます。 投稿者:エリカ 投稿日:2004/02/02(Mon) 11:48  
ちょくちょく覗かせていただいておりますが、今回は足跡を残させていただきます(笑)

少し前のことになりますが、占いの件、ありがとうございました。
あの折は電子メールで失礼いたしました。
本当は気の利いた文など送らせていただきたかったのですが…。
筆不精な上にたしなみもないので恥ずかしくて(大汗)

寮内に、けっこう強い霊に憑かれている子がいて、お祓いだなんだとちょっとした騒ぎになりました。

ここにいれば、イヤでもそういった未知の世界に触れることができるようです。

何気にHPなど開設してみました。
学校の授業でやったので・・・できるもんだなと。
期間限定の予定で、いつ閉鎖するとも分からないほそぼそとしたところです。
紹介するわりにあまりおすすめしたくないHPです。

後期試験真っ只中です!!
頑張ります。では〜・・・。

エリカ

http://members.goo.ne.jp/home/maihime-makoto


こんばんは。

娘さんの件、よかったですね。
今後とも、先日お教えしたことを継続して行って下さいネ。

ではでは。


[281] どもです。 投稿者:頭文字D 投稿日:2004/01/28(Wed) 14:26  
こちらこそ、その節はありがとう御座いました。
今はお陰様で、娘も落ち着いております。
お守りも肌身離さず付けていますよ^^
ほんと世の中には、アンビリーバボーな出来事ってあるんですね〜

>ユ−モア感覚でガンバッて行って下さい。
はい 頑張りますぅ〜ヽ( ・∀・)ノ


[280] Re[279]: こんにちは 投稿者:道開き 投稿日:2004/01/17(Sat) 17:41  
どうも、その節は。
Dさん、今後とも生まれ持ったユ−モア感覚でガンバッて行って下さい。
(正直、氏子の方の書き込みは今回が初めてなので何か照れますネ!)


[279] こんにちは 投稿者:頭文字D 投稿日:2004/01/17(Sat) 11:05  
昨年お世話になりました、頭文字Dと申します。
お陰様で新しい家で、お正月を向い入れる事が出来ました。
また、お忙しい中、占いもして頂きありがとう御座いました。
これから度々、当HPに「勉強」しに来ますので、宜しくお願い致します。


[278] 『思い出づるまま』 投稿者:道開き 投稿日:2004/01/16(Fri) 12:27  
以下は数年前に、神戸女子大学助教授・鈴鹿千代乃先生が「神社新報」 に掲載された記事です。比叡山の“千日回峰行”にも勝るとも劣らない 厳しい「行」に明け暮れ、その生涯を神々に捧げ、多くの人々を教え導い た一人の神職についてのものです。

著者・小笠原壽久翁(おう)は、青森県八甲田神社の創立者にして初代 宮司、現宮司小笠原定彦氏の御尊父である。平成五年十月二日、八十五 歳で帰幽(きゆう・幽世[かくりよ]に帰られたこと、神社界では死をこ のように言い表します。)されたが、その生涯を信仰に捧げられた方で ある。 若い頃から、津軽の霊山に籠もって修行され、審神者(サニワ) として多くの人々の魂を救済された。また、その生涯に八甲田神社、 谷地頭神社、北畠神社など、七十に及ぶ神社を創建された。神霊学の 研究者でもあり、東北・北海道における南北朝時代の研究もされた。 短歌集『こぶしの花』『拾塵集』詩集『水草』を出版された詩人・歌人 でもある。

定彦宮司より、お会ひする度に、先代のお話はうかがっていたが、一度 もお会いする機会を得なかった。一昨年、青森を訪れた時、戦災に焼け 残ったという小笠原家の土蔵に案内され、壽久翁が生前に書き残された 「神霊学の研究論文」と、「審神者(サニワ)調査記録」とを拝見した。
それぞれ百冊に及ぶであろうと思われる記録であるが、きちんと整理さ れ、書架に納められてあった。その一冊を見せていただいたが、一見し てただならぬ研究であることを感じた。

このたび壽久翁が生前、書き残された随想『思い出づるまま』を拝読 して、翁の修行の並々でなかったことを知った。
明治四十一年に生まれた翁は、勉学の意欲旺盛な中学四年生(十八歳) の時に突然の病気を得て、退学・病臥生活となり、死の淵をさまようふ 中で、神霊体験をする。白鳥マンという霊能者と出合い、審神者の修行 に入る。
 三十歳の昭和十二年に神職を志した翁は、翌年四月、東津軽の石神 神社に参拝、「十八年間奉仕せよ」との神託を受ける。以後、二度に渡 る“参道”拡張工事を成し遂げる。石神神社奉仕は、終戦をはさんで、 昭和三十三年(五十一歳)まで続き、神霊の命ずるままにつき動かされ てゆく。
  神霊が身体の中に入ると、自分の体でありながら思うようにならない時と、意外なほど活力がつく時があることを知った。 と述懐しておられる。

 戦前の修行もすさまじいものであったが、戦後はそれ以上であったよ うだ。翁自身はそれを記しておられないが、常に側におられた定彦宮司 がそのことを記しておられる。
敗戦を神から知らされ、家を空襲で焼かれ、翁の戦後は神霊を体して 厳しい行の日々であった。「百日の無言の行」「一週間の断食」と、次々 と行を命ぜられ、最も厳しい行は、昭和六十年に命ぜられた、八甲田 神社御造営のための千日間の修行であったという。・・・・
 津軽の霊峰・八甲田山を望む山麓に、小笠原壽久翁が命をかけて創建 された八甲田神社が鎮座する。
その生涯を神職として、すぐれた霊能者として、多くの人々を教え導い た一人の宗教家の尊い生涯が、淡々とした文章の行間にあふれる一冊である。

非売品なので、問い合わせは八甲田神社の方へどうぞ。
? 017・738・3033

ちなみに私は、1,500円(送料含)で送付していただいて拝読しま した。
次回はその内容を紹介してみます。
様々な翁の神霊体験が実に興味深いですよ。
十代の若さで、医者に匙(さじ)を投げられ、あとは神さまに救いを求 める以外に道の無かった人が、やがて健常者でも達成できないような行 を完遂されるまでに至り、八十五歳の天寿を全うされる。
神さま事って、本当に“不思議”としか言いようがありません。


[277] “五感”が研ぎ澄まされると・・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2003/12/21(Sun) 19:41  
久々の書き込みになります。
前回に紹介した下記[276]の“千日回峰行”を扱った番組について の続きになります。

酒井さん、「堂入り」の時の経験を語っておられます。
但し、今回の放送では幾分、カットされているようでした。

「堂入り」すると、行者は一日に一度だけ堂の外に出ることがあり ます。それは未明に、不動明王にお供えする水を汲みに出る時です。
やがて、何日目頃からか、「お水取り」をする際に、水の“におい” を感じられるようになっている自分に気づくのだそうです。
二十年前にこの番組を見た時には、何故だかこのことについて語って おられた酒井さんのお話が強く心に残りました。が、今回はその シ−ンがカットされていました。

でも、“五感”が冴えわたっている時というのは、そういった不可思議 な事って確かに起こり得ると思われます。
千日回峰行と較べられるものでは全くないのです、我々も氷点下10 度近くまで気温が下がった一年の内で最も寒いとされる大寒(だい かん)の日の朝に海に入って行う禊(みそぎ)行の直後などは、 やはり、五感が冴えわたって不思議な感覚を体験します。

例えば、2〜3m離れた所を歩く人の体温を、皮膚感覚なのか何な のかは解りませんが、フワ〜とした暖かみとして確実に感じ取るこ とができます。そして、たったの一枚の肌着を身に付けると、どう いう訳か、まるで電気毛布でも羽織っているかのような暖かさを感じ られるから不思議です。

“第六感”に通じているのでしょうが、人の“五感”も本当に不思議なも のに思われます。


[276] 本当に“凄い人” 投稿者:道開き 投稿日:2003/11/25(Tue) 14:06  
現在、NHKでは、テレビ放映50年を記念して、様々な過去の番組を 放送している。 『ア−カイブス』という番組もその中の一つ。
「書庫」、「公記録(公文書)保管所」の意。
「新日本紀行」、朝の連続テレビ小説「おはなはん」、大河ドラマの「竜馬 がゆく」、バラエティ−「夢であいましょう」・・・等の興味のそそられる 古い映像をみることができる。

そんな中、先週放映されたのは「行」というスペシャル番組。20年以上 前に放映された番組で、当時、学生だった私に凄まじい一撃を食らわせた 番組でもありました。
まさか再びみられるなんて予想だにしていなかったです。

比叡山で行われる天台密教の「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」 を記録したもの。その歴史は古く、平安時代まで遡るという。
一端この「行」に入った者は、病気や怪我、身内の不幸があっても中断 は許されない。やむなく続行できなくなった際には、自ら命を絶つ程の 覚悟を持って臨まなればならないものとされているという。
この「行」を満行される方は、天正年間からの400年間で40人余り、 10年に一人現れるかどうかだそうだ。
このフィルムには酒井雄哉(さかいゆうさい)という方が40才で仏門に 入り、52才という高齢で千日回峰行を満行された姿が映し出されていた。

行者は、7年間で比叡の峰々を、延べ千日間、1日40kmのお山がけを行う。午前1時から10時までの間に260カ所で礼拝する。毎日の睡眠時間は3時間余り。7年間で地球を1周する距離になる。

圧巻は、700日を過ぎた時点で行われる「堂入り」。9日間、不眠不休 で、一滴の水を飲むこともしない断食が行われ、不動明王の真言が唱えられる。そして無事、出堂の後には、一人の行者から阿闍梨(あじゃり) 〔後進を指導する高僧〕になるのだそうだ。(但し、こういった「行」に 入られる方たちというのは、世俗的な意味での身分、ポストなどについて は全く興味がない。ただただ御仏に心を沿わせることに気を配り、世の 中の人々の安寧を念じている。)
出堂後、さらに歩き始め、翌年には60kmを100日、その翌年には 80kmを100日、40kmを100日歩くのだという。

こういった人たちが、人知れず見えないところで行っている“行”が あるからこそ天台仏教の“法灯”が守られているのでしょう。 この方たちは天台仏教のみならず、日本人の精神の“芯”であり“心” であると思われます。
酒井雄哉さん、1980年の満行後、驚くことに僅か半年後に2度目 の千日回峰行に入られ、1987年には、62才で再度の満行をされた。 2度の回峰行で、延べ8万km、地球を2周する距離を歩かれたことになり ます。現在は76才。
本当に頭が下がります。爪のアカでも煎じて飲ませてもらいたいものです。


[275] Re[274]: お払い 投稿者:道開き 投稿日:2003/11/08(Sat) 17:26  
こんにちは。

お祓いは、基本的にはいつでも受けて構いません。
こちらは「掲示板」ですので、申し込まれる場合には 詳細をメ−ルでお知らせ下さい。


[274] お払い 投稿者:つみき 投稿日:2003/11/08(Sat) 14:48  
私は厄歳でもなんでもないんですが、お払いはしてもらえるのでしょうか
そのときは予約とかいるのですか?おいくらくらいかかるのでしょうか。


[273] 日本神話への誘い 投稿者:道開き 投稿日:2003/11/07(Fri) 07:29  
女優の浅野温子さんが、
「日本に受け継がれてきた神話の物語を、鎮守の森であらたに多くの人々 に知ってもらいたい」
との思いから、自らが“語り部(かたりべ)”となって日本各地の神社で、 『古事記』をもととする日本神話を語る活動を始められました。

浅野さんといえば、彼女がこれまでにご出演されて来られた映画やテレビ ・ドラマを見続けてきた我々なんかの世代には、「トレンディ−女優」の走り のような方だという印象がどうしても強い。
それが、「“神話の語り”を自らのライフ・ワ−クにしたい」との強い思いを いだかれての発起とのこと。・・・・

十月四日の伊勢神宮をふりだしに、出雲大社、太鼓谷稲成神社、 防府天満宮、赤崎神社と、十五日までの約十日間で、関西の五つ の大社を巡って行われたようです。
各社とも、数百から千人前後の人たちが鑑賞なされたとのこと。
東北地方、宮城県にはいつ頃いらっしゃるのか。・・・
その際には、是非とも何らかのお手伝いをさせていただきたいものと 考えます。


[271] 映画『キル・ビル』と『修羅(しゅら)雪姫』 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/29(Wed) 17:44  
今回の書き込みは、映画『キル・ビル』について。
全米No.1ヒットが続いているそうです。
   http://www.killbill.jp/

映画の挿入歌には、日本の映画女優・梶芽衣子が歌った「修羅の花」が、 そして、エンド・ロ−ルにも彼女の曲、「怨み節」が使用されている とのこと。
『キル・ビル』の女性キャラは、梶芽衣子さんが復讐映画で見せた強烈な イメ−ジが元になっているのだそうです。
とにかく、タランティ−ノ監督の憧れの日本女優が梶芽衣子さん。
彼女が主演した、
『女囚さそり』、『修羅雪姫』、『野良猫ロック』シリ−ズ等・・・・・
は全部観ているとのこと。

私も映画が好きで、高校時代なんかは学校をサボって映画館通いをした 口ですが、10代、20代の頃は日本映画には全くといって関心が無く 、洋画ばかりを観ていました。
日本映画で観たのは「黒沢映画」と「健さん映画」ぐらいなもの。
梶芽衣子さん主演の上記の映画はその頃の作品がほとんどです。
『修羅(しゅら)雪姫』???・・・「ふざけた題名だ!」
ぐらいにしか思っていませんでした。

人間が行う“評価”とか、“価値観”といったものはかなりいい加減 なもので、時代や世代の影響をまともに受けることが多々あると思います。
タランティ−ノ監督の話を聞くや、無性にそれらの無視してきた作品群を 観てみたくなる。ハリウッドが日本映画を評価しだすと、何だかこちらも 気になってくる。

同様に、日本人の「日本文化の再評価の動き」は、かなり、世のグロ− バル化の動きによる影響が大だと思われます。
身の回りに西洋的なものがこれだけ溢れていれば、日本古来のものの (つまり、アイデンティティ−の)確認作業をしたくなってくるのは当然 だと思われます。


[270] ありがとうございます。 投稿者:エリカ 投稿日:2003/10/28(Tue) 23:36  
ぼちぼち頑張ってみます(^^)

そうですね、まだ駆け出し・・・・
よりも、もっと手前にいる子供です。

いろいろ、たくさん経験ができればいいなと思います。


[269] Re[268]: おひさしぶりです。 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/23(Thu) 21:52  
こんにちは。

まぁぼちぼち頑張ってみて下さい。
結局、経験を通してみなきゃ何事も本当に解ることなんて 出来ないのでしょうから。

ではでは。


[268] おひさしぶりです。 投稿者:エリカ 投稿日:2003/10/23(Thu) 21:14  
こんにちは、おひさしぶりでございます。
まぁ人生いろいろあるものですね・・・。
って、まだ19年しか生きていないのに何を言ってるのやらという感じです。

励ましのメール、どうもありがとうございました!
ちなみに、アドレスが変わりました。
どちらでも届くのですが・・・。
一応ご連絡させていただきます。


[267] 壬生義士伝A 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/20(Mon) 19:44  
インタ−ネットで調べてみたら『壬生義士伝』って、今年のお正月、 渡辺謙さん主演で、「10時間ドラマ」として放映され、高視聴率を マ−クしていたのだそうですネ。始めて知りました。
http://www.mibugishi.jp/html/index.html


★「時代の変遷」と「心境の変化」???
大島渚監督、20年程前の『戦場のメリ−クリスマス』においては、 日本の“武士道”をかなり「左がかった解釈」で批判的に描いていた 様に思われました。
しかし、2〜3年前のカンヌ映画祭に出品して話題を呼んだ 『御法度(ごはっと)』(これも新撰組が描かれている)では、 “正統派的”時代劇とも言えるような、批判を加えることもせずに、 旧来の描き方で“武士道”を描いているように感じました。

それにしても両作品、どういう訳か“男色”が、かなりのウエイトで 描かれています。これはいかなる理由によるものなんでしょうネ。


[266] 映画『壬生義士伝(みぶ・ぎしでん)』 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/16(Thu) 19:28  
最近、なぜか“時代劇”映画にはまっています。
というか、最近、“時代劇”映画がやたら多いです。
現在の、「日本・日本人といったものを真剣に考えてみようとする機運の 高まりの一つの現れ」なのだろうか。

幕末の新撰組の一隊士を、かなり「現代的な視点」から描いた作品でした。
中井喜一、佐藤浩市、両俳優の演技は抜群に光っていました。殺陣(たて) が物凄い。そして、子役達の演技には本当に泣かされます。
久々に見ごたえのあるの「本格的時代劇」でもありました。

でも、主人公が南部藩を脱藩するくだりはどうも納得がいかないです。
当時は、下級武士みんなが貧しかった時代なのに、家族への思いから 貧しさの故に、ああいったかたちで脱藩するものだろうか?
当時の武士は“公私”については、自分にも、家族に対しても かなり厳しかったのではなかろうか。
又、主人公が新撰組の一員として参戦した鳥羽伏見の戦いに破れ、 深手を負った身で南部藩邸に戻り、帰藩を請うシ−ン。
当時の武士は“恥”というものを第一に考えたであろうに、ああいった 申し出をするものだろうか?
原作は『鉄道員(ぽっぽや)』の浅田次郎さん。
よって、かなり「現代的視点」で描かれた「本格的時代劇」とでも 言える作品となるのでしょうか。


[265] 沙庭(サニワ) 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/07(Tue) 14:18  
下記の[264]の審神者(サニワ)の説明は、古えの神典、古書に見ら れた帰神法を復興させた、江戸期から明治期にかけて活躍した神道家・ 本田親徳(ほんだちかあつ)の“霊学”における「審神者(サニワ)学」 と、その影響を受けた大本教とその系列の古神道教団における 「審神者(サニワ)の定義」となります。

ここでは、『神道事典』に載っている「審神者(サニワ)」の説明を記して みます。

「サニワ」は「清場(さにわ)」の約で、本来、神を祭り託宣(たくせん) をうけたまわる為に忌み清めた場所「沙庭(さにわ)」を指す。
その斎場の意味から転じて、沙庭において神託をつかさどり、神意を判断す る者、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。
転じて神楽(かぐら)で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。

『古事記』中巻の仲哀(ちゅうあい)天皇の条に、天皇が御琴を弾き、 神功皇后(じんぐうこうごう)を神主(かんぬ し・憑代[よりしろ]、 つまり、神の懸かられる台となる人)とし、武内宿禰(たけしうちのす くね)が沙庭(さにわ)で神の命を請うたと ある。

『日本書紀』神功皇后(じんぐうこうごう)摂政前紀には、皇后が神主 となり、武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊 津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者(サニワ)としたことが 載っている。


[264] 審神者(サニワ) 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/03(Fri) 12:15  
「帰神法」を行った際、憑ってくる神や霊の正邪を判断し、正しく教導する役目の者を審神者(サニワ)と言う。審神者は誰でもすぐになれるというものではなく、一定の修養を終え、体力気力ともに充実し、確固たる信仰心をもった霊的権威者でなければならない。

“真の審神者(サニワ)”にはその「背後に神力の助けがある」ので、どんな守護神をも発動させる特権が与えられているという。
よって、神や霊がどうしても帰順しなかったり、凶暴に振る舞ったり、ものすごい強圧的な霊力で審神者(サニワ)に逆襲してきた場合、審神者は「正神界の神の守護を祈りながら」権威を持って誘導したり、なだめすかしたり、叱責したり、霊縛したりするなどの救済の道を尽くすのであるが、それでも無理な場合は強制的に元に戻す。

大本教の「鎮魂帰神法」なども、慎重にさえ行えば、憑依している邪霊なども教化され、その結果、心身共に健全になるという。また、霊覚が開けたり、神通力のような力がついたり、予言的な言葉を吐くような場合も多々ある一方、神憑り状態でおかしくなるような者もあったという。
審神者(サニワ)役にしても、いったい誰がその大役を務めることができるのかという問題もあって、中止の運びにいたったと言われている。正しい神霊が憑依すれば正しい霊言を伝えるとされるが、邪神界系でも力を持った神であればあるほど、正神界の実相をも洞察する力があるため、ベテランの審神者(サニワ)ですら瞞着させられる場合があるという。

審神者(サニワ)は記紀(古事記、日本書紀)などの日本の古典や神典はもちろん、諸仏典、さらに霊学の奥義に通暁していることが望ましいという。




[263] 時の氏神 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/03(Fri) 12:14  
生前の黒沢明監督はよく、周りの人たちに、
「映画は創るものではなく、生まれるもの。」
「映画の製作に取りかかってどうすることもできない壁にぶち当たっていると、私には決まって“時の氏神が降りてくるのです”。そうやって作品が自ずから出来上がっていくんです。」
と語られていたそうです。

※【仲裁は時の氏神】
「喧嘩や争いごとの仲裁に入ってくれる人は、氏神さまのようにありがたいものだ、という喩え」

作詞家のなかにし礼さん(『長崎ぶらぶら節』で芥川賞を受賞された作家でもある)も、
「自分は“時代の巫女”だと思う。」
「創作中、まさに天から歌詞が止めどもなく降りてくる時があるんだ。」
とよく人に語って居られたそうです。

どちらも、ある事に於いて「極限の状態に追い込まれ」、めげずに「努力に努力を重ねている」時にインスピレ−ションが湧いて(降りて)来るというもの。
そして、「その事に対して“誠実”でなければならない」という“絶対条件”も加わるみたいです。

つまり、あることに対して、「正しく確かで豊かな“知識”」と「豊富な“経験”」、そして「“純粋な心(誠心)”」を持っている人が、そのことで「極限の状態に追い込まれ」た時、そこにある種の“鎮魂状態”が生まれて来るということなのでしょう。
“自我を入れず”に“ニュ−トラルな心”、つまり“オ−プン・マインド”にしていれば「神我一体」「彼我一体」「神人合一」境に入りやすくなるということ。

これって、“易占”や“ダウジング”“にも通じることにも思われます。やはり、これらも「自分が当てるのではなくて、当たる」ものということになるのでしょうし、「祓い」においても同様で、「祓うのではなくて、祓われていく」という自己認識が必要となるのでしょ


[262] 映画『たそがれ清兵衛』 投稿者:道開き 投稿日:2003/09/23(Tue) 20:45  
今年の日本アカデミ−賞における作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞等の各部門賞を総なめにし、他にもほとんどの日本の映画賞を受賞し尽くした観もある『たそがれ清兵衛』。『男はつらいよ』フ−テンの寅さんシリ−ズで有名な山田洋次監督初の“時代劇”映画です。たまたまビデオで観る機会を得ました。

平時に於いては、一小市民というか、小役人と呼んでかまわないのか、別に熱く生きているという訳でもなく、目立つこともなく、ごくごく平凡な日常を送っていた清兵衛であった。それが一端、藩命を受け、辞退することも許されない状況へと追い込まれる。愛する家族たちにまで危害が及ぶことになるからだ。そして、清兵衛の“サムライ”としての「スイッチが入る」。つまり、刺客として剣の使い手に変貌するのである。

男子の多くは、この手の映画には実に弱い。この映画に涙したサラリ−マンは少なくなかったということです。


[261] 映画『座頭市(ざとういち)』 投稿者:道開き 投稿日:2003/09/07(Sun) 13:17  
“物づくり”(製造業)といったハ−ド産業こそが、戦後日本の経済発展を押し進めてきましたが、現在はソフト面での躍進が著しいのだそうです。アニメ、マンガ、ゲ−ム、映画・・・・といったもの。
北野(ビ−ト)たけし監督、今回のベネチア映画祭でも監督賞始め4部門で受賞したようですね。またまた世界中の話題を集めそうです。そういったソフト業界で活躍されておられる方たちに共通の特徴というのは、「偏差値教育」を蹴飛ばし、まるで国中が官僚組織化されたかの様にも見える「管理社会」の世の中・組織から自分で飛び出た方たちということなるのでしょうか。

こういったことを考慮してみますと、日本社会の全体が、もう少し「管理型の社会」から脱皮して、「個人個人の特性を生かせる社会」へと変貌していけるかどうか、このことが今後の日本の浮き沈みを左右していくことになるのではないでしょうか。
ソフト開発とは、“発想”とか、“ひらめき”とか、“感性”とか、人の“シャ−マニック”な面が勝負を決めるとも思われるからです。
そういった才能は、「偏差値教育」とか「必要以上に管理された社会・組織」からは生まれにくいものに思われるからです。
そうやって考えると、古くからの諺にある 「よく学び、よく遊べ」 とは、全くの真理を語ったものだと思われます。

それに、先の書き込み[260]で取り上げた“無心”の状態というのは、自分自身の力を越え、自分以外のものからの力を受けられる状態なのでしょう。シャ−マニズム的に言えば、神さまとか、守護霊とかから。

そう言えば、中学の頃、始めて観たカンフ−映画、『燃えよ!ドラゴン』の冒頭のシ−ンで、ブル−ス・リ−演じる主人公が、弟子の少年を叱りつける場面があります。
その時のセリフが、
「Do′nt think .  Feel ! 」(考えるな、感じ取れ!)
でした。
カンフ−には、道教(タオの教え)の思想がその土台にはありますから、めくらの座頭市の「居合い切り」の技とも共通するものがそこにはあるのでしょう。


[260] 武士道 投稿者:道開き 投稿日:2003/09/05(Fri) 21:29  
ちょっと前、NHKで、剣道の世界選手権の日本代表チ−ムの大将を務めた方を扱ったドキュメント番組を見る機会を得ました。
剣道も、現在では世界中に普及しているようで、日本が優勝し続けるのもかなり困難になっている程度までに、世界のレベルも上がっているようです。

武士道、サムライ、禅・・・といった、日本独自の精神性を追求して、真摯な気持ちで“剣の道”に勤しみ励む外国の剣士が増えているということです。
小説『宮本武蔵』もかなり世界中で読まれているようだし、フランスなどでは数年前に、宮本武蔵のミュ−ジカルが上演されて話題を集めた程です。
ごく最近では、北野たけし(ビ−トたけし)監督の『座頭市(ざとういち)』が大変な話題を呼んでいるみたいです。
日本文化の精神性、奥深さ、神秘性といったものが、彼らには魅力なのだとのことですが、当の日本では、戦後、外国ばかりに目が向けられて、日本古来のものは散々に軽んじられてきたところがあります・・・・・。

剣道がオリンピック競技にならないのは、剣道連盟側があくまでも、
「勝って反省、負けて感謝」といった言葉があるように、スポ−ツの様に勝ち負けのみにはこだわらない、精神性を磨き上げていくための“武の道”としての立場を厳守しているからだそうです。

その番組でも、世界大会で大将を務めた日本代表剣士が、以前、「策をめぐらして破れた」苦い経験を通して悟った「勝とうとする心を無くし、“無心”になった時に出る“鋭い一撃”」により、まさに壮絶を極めた決勝戦の延長戦を制した様が映しだされていた。

そういえば、以前、歴史小説『竜馬が行く』に書いてあったのを記憶しているのだが、その出典がどこにあるのかは忘れてしまったが、以下のような話が載っていた。
「昔、サトリ(悟り)というモノノケがいて、そいつは相手の心の中を瞬時に読みとってしまう。いくら矢を射ようとも、鉄砲で撃とうとしても、相手の心の動きを読んでしまうのだから、どうにも手が着けられない。そんなある日、木こりがふるった斧が、偶然、柄から取れて、サトリに向かって飛んでいった。木こりが無心でふるった、柄からはずれた斧なので、サトリは相手の心を読みとることができなくて斧に打たれて死んでしまった」というもの。

やはり、名著『葉隠れ』に書かれている「武士道とは死ぬことと見つけたり」のように、「あらゆることに対する執着を捨てて生きる」、つまり、「常時、死を念じながら生きる」、それが“武士道”なのだろうか。かなり、“宗教”に近いような、・・・実に難しい日本独自の“哲学”ですね。


[259] ●結界(けっかい)の不思議 !!! 投稿者:道開き 投稿日:2003/08/23(Sat) 11:46  
「これの処(ところ)を 厳(いかし)の岩境(いわさか)と
祓い清めて  忌竹(いみたけ)に注連縄(しめなわ)を
引廻(ひきめぐ)らいて  宇頭(うず)の神籬(ひもろぎ)を
押し立て  招(お)ぎまつり 座(ま)せまつる
掛巻(かけまく)も畏(かしこ)き ○○○○○の大神・・・・」

といった『祝詞(のりと)』を唱えるのは、
「ご神前以外の場」に祭場(さいじょう)を設けて、降神(「こうしん」・神さまをお招きすること)して、祭祀(さいし)を執り行う場合のことです。

四隅(よすみ)に竹を立て、しめ縄を四方にめぐらして紙垂(しで)をたらした祭場とは、太古、神さまをお招きして祭祀(さいし)が行われた処である“岩境(いわさか)”を模倣して、石を使わず、竹や縄を使って、臨時の祭場を造ったものなのですネ。


日本心霊科学協会では、現在でも、“招霊”、“招神”を行う際には、この「神道形式」を採っています。会の創設者で、神道家でもあった浅野和三郎氏が、「スピリッチャリズム=シャ−マニズム=古神道」と捉えていらしたからのようです。

“招霊”、“招神”を行う際には、しめ縄をめぐらして“結界”を作って行わないと、箸にも棒にもかからないような低級霊ばかりが憑(かか)ってくるそうです。これは必ずそのようになるのだそうです。・・・・・注連縄の力って不思議ですね。
とにかくこの事は、見えない世界(神霊界)の決まり事というか、神さまの決め事というか、厳然としてそうなのだそうです。

まあ、祭祀は、「ご神前で行う(神棚の前など)」か、「注連縄をめぐらして行って」いれば間違いは無いということになるのでしょう。


[256] 心霊現象 投稿者:道開き 投稿日:2003/08/05(Tue) 21:01  
久々の書き込みとなります。
宮城県北部地震がありまして、復旧作業やら何やらで多忙な日々を送っておりました。

一般に“心霊現象”と呼ばれていますが、人の“心”と“霊”との関係はいかなるものなのか!
ちょうど今から二年ほど前に、このHPを見てお祓いを受けに来たという方のお話を例として取り上げてみたいと思います。その当人が、この書き込みを御覧になることもあるでしょうが、その時はよろしくご勘弁のほどを願いいたします。

その方は、30才前後の男性で、それまでに霊などは一度も見たことが無く、心霊現象などとは全く無縁だったそうです。
その男性は、ある日、いつも通りに車の運転をされていた時のこと、ある踏切まで来た際に、ふと、「そういえば先日、ここの踏切で車と電車がぶつかって人が死んだな」と前にあった踏切事故のことが頭をよぎったのだそうです。
するとその直後に、何かが自分の体の中入ってきたのだそうです。そして、自分の体がまるでジェット・コ−スタ−に乗って急降下を始めたような状態になってしまったというのです。
それ以降、恐くて車の運転が出来なくなり、お祓いを受けに来たということでした。
その方、自分では気づかなかったのでしょうが、霊媒体質だったようで、事故で亡くなった方と“波長”が合ってしまい心霊現象が起きたのでしょうネ。



以下はまたまた参考にして下さい。
この掲示板の〈 [114] スピリッチャリズムの概要 〉 の一部です。

●スピリッチャリズムにおける『幸福の原理』
それは、「人は霊であることを知り、死後も霊の世界は存在している」と気づくこと。
それこそが、“ただ一つの幸福の原理”だといいます。
「死ぬことへの恐怖」、これはすべて人生が有限であり、霊など存在しないと考えることからきています。
死は無になるのではなく、新たなる霊の世界への旅立ちであることを知るべきだといいます。

確かに物質しか存在しないと思えば、幸福になる要素は肉体を喜ばせる快楽のみとなり、精神や魂の喜びは二の次となってしまいます。どんなに一生懸命に生きようとしても、すべては肉体の消滅とともに無に帰してしまうからです。人を傷つけ、やりたい放題に生き、自分のことだけを考え、他人からは奪うだけの人生が最上ということになります。

真の幸福は物質的なところには決して存在せず、“心の原理”「愛=他利=奉仕・献身」にのみ存在することを知るべき。
その為にも知っていてもらいたいのが◆『波長の法則』と◆『因果律(いんがりつ)』だという。


◆『波長の法則』
霊も想念であり、ある意味では非常に電波と似ている。その人の持つ波長が同じ波長を持つ人と同調する。
死後の世界もまた、波長によって分かれる一種の「階層社会」である。高い波長の霊は高い階層へ、低い波長の霊は低い階層へと移動して行き、また無限に続く霊性変化への道を歩むのです。

人間の心の動きと霊との間には深い関係が存在する。あなたが高い波長を持つことができれば、同じように高い波長を持つ霊と同調し、実際の生活も好転させていくことができる。人間が悪い想念を持つと、波長の低い、いわゆる低級霊と同調します。
つまり、私たちの毎日の心がけが、あなたの人生の幸福の鍵となります。「愛=他利=奉仕」に生きる、自分が霊であることを知ることは心を知ることで、心を知り自らの魂を磨いていく。これこそが、人生の最大の意義だといいます。霊の世界には、あなたの魂以外に何ひとつ持ってはいけないのですから。
あなたが永遠に持てるもの、それはあなたの霊、あなたの心、経験だけなのです。


◆『因果律(いんがりつ)』
「自ら蒔いた種は自らが刈り取らなくてはいけない」という原則です。
私たちがこの時代、現代に生まれて生きているということは、決して偶然ではなく大変重要な意味を持っている。私たちは霊界からやってきた。この現世を修行の場として選んだのです。霊界から地上に再生されてくるために、私たちは強い決心をしたのです。私たちは霊界から魂を分けて、自らの目的を果たすため一番ふさわしい親を自ら選び、国を選び、時代を選んで生まれてきました。

たとえば、以前の人生で人を愛することなく終わった人は、この今の人生で人を愛する喜びと苦しみを学ぶのです。もし人を傷つけ、苦しめてきた人ならば、この今の人生では傷つけられ苦しむということを学ぶのです。この世の苦難はすべて、あなたを輝かせるパワ-となる。


[255] “眷属(けんぞく)”とは?  投稿者:道開き 投稿日:2003/07/06(Sun) 18:12  
“眷属(けんぞく)”とは? − 神さまの“お使い”の呼び名です−

以下は前にもこの掲示板に書き込みしたことがある私の「キツネ憑き」体験談です。実に奇妙な話ですから、くれぐれも私をほら吹き神職とはとらないで下さいネ。お願いいたします。
いわゆる「“祀り上げ(まつりあげ)”と“祀り棄て(まつりすて)”」についての実体験です。

7〜8年も前の出来事で、県内の某稲荷(いなり)神社に助勤奉仕に行った時の話です。
静岡県から25〜26才位の青年が、母親と拝み屋さんの二人に連れられてやってきました。一ヶ月ほど前から、キツネに憑かれ、以前の人格がまったく無くなってしまっているとのことでした。私も話しかけてはみたのですが会話にも何にもなりませんでした。
静岡にいる時、憑いているモノが「屋敷内にキツネの置物が埋まっているから、ここを掘れ」と言うので、掘ってみたらキツネの置物が出てきたというのです。

「隣の家で、300年程前に“はやま”(葉山?)というところから稲荷神社の分霊を勧請して祀(まつ)っていたのが、埋もれた状態になっているのだ。そして、長い年月の間に塀の位置が少しずつ移動してしまい、塀のこちら側(青年の住む屋敷内)にそれが埋まっている」と、青年に憑いているキツネ?が語ったというのです。

どうして、静岡からわざわざ宮城までやって来たのか?それは、青年(キツネ?)が「宮城の○○稲荷神社の境内にキツネの霊をお祀(まつ)りした社があるからそこをお参りしたい」と言い出したからだそうです。
そのキツネは静岡に居ながらにして、見たこともないはずの石製の“宝珠(ほうじゅ)”の形をした社を、そのまま見事に紙に描いていました。驚きです。

以前に、本で読んでいたことのある事例ですが、憑いていたあるキツネは、人の財布の中身をまるごと、紙幣が何枚、硬貨の種類、枚数がいくらといくら、とまで言い当てたそうです。(でも、どの程度まで信じていいのかは疑問ありですが。これに似たような事って本当にあるみたいですよ。)

鎮魂帰神法のようなことは、安易に行うと危険きわまりないということは知っていましたのですが、一ヶ月もこの様な状態では家族がかわいそうと思い、天御中主大神(あめのみなかぬしのかみ)を念じてそっと送霊し、憑いているモノに話をさせてみました。すると、その憑いているモノが「俺は、白笹(しらざさ)大明神だ!」と大威張りで勢いよく話し出しました。
憑いたキツネが偉い神さまの名を名乗って大威張りすることがあるということを本では読んで知っていましたのですが、まさか自分の目の前でそれを目の当たりにするとは考えたこともございませんでした。憑いているモノが低級霊であっても馬鹿にしたり、変に怖がったりすると、「どったんばったん」大暴れをして手に負えなくなるということも知っていましたので、それなりに丁寧な言葉で丁重に応じました。

赤飯はどうですか?油揚げはいかがですか?と食べ物を進めたりもしました。すると、のどが渇いているのだと言い水を茶碗10杯以上飲み干しましたし、うまいうまいと生の油揚げをバリバリ食べましたし、赤飯もたんと食べました。その食欲たるや本当に凄かったです。

そして、頃合いを見計らって、話をしてみました。「これからはきちんとお祀(まつ)りしてさしあげますから、“夜の守り昼の守り”(これは祝詞の慣例用語)に、この家の人たちを一心にお守りしなさいよ。いいですか、ここは稲荷(いなり)の大神様のご神前です。もし約束を違えるようなことがあったらどのような仕置きがあるかご存じですね?と、念を押しました。」すると、その憑いているキツネは、「わかった、わかった」と実に素直な答えが帰ってきました。

「以上、これにてお帰り下さい。」と私の方から切り出して、柏手(かしわで)を大きくパン、パンと2回打ったのです。(これは祭祀における“昇神”の作法です。)
すると、そのキツネが何か話そうとして口を動かそうとしたその瞬間、・・・・・・ちょうど頭上に巨大な掃除機でもあって吸い込まれていくかのようにして消え去ってしまいました。その様は、自分で去ったと言うよりも、まるで神さまに引っ張り上げられて連れ去られていったという感じでした。

キツネが離れた後の青年は、やはり、例の如く、「何で俺はここにいるのか?」と、頭をかしげていました。そして、気持ちが悪いと言って、トイレに駆け込み、食べたばかりの“生の油揚げ”をゲ−ゲ−と吐いていました。
とにかく、「マンガ昔話にでてくるキャラクタ−のようなとぼけたキツネだったな−」というのが私の印象です。

「どうして、キツネが人の言葉を話すのだ、ウソをつくな」とお思いの方もいらっしゃることでしょう。
霊が(キツネでも、タヌキでも)、いったん人に憑くと、ちょうど盗人が空き屋に入り込んで、勝手に家の中の物を使うように、その人の脳の言語や知識の一部をも使うそうです。

実際はキツネのような性格の人霊だという人、宗教教団もありますが、私にはまさに“キツネっこ”にしか見えませんでした。喜ぶのも心の底から喜び、怒るのも単純に怒っていました。正直「やはり、所詮、“四つ足”のものなんだな−」という感想です。

スピリッチャリズムによって説明すると、人として生まれた経験を持たない“自然霊”、つまり、“精霊”、“モノノケ的”なものが、その国の文化に合わせて、現れているということです。つまり、日本では、キツネ、タヌキ、ヘビ、天狗、龍などです。西洋では、悪魔、天使という形をとって現れるそうです。

それにしても、私が関わったモノ(キツネ?)はタチの悪いやつでなくてよかった。当然、神さま(お稲荷さん)のお側で使えようとしていたキツネですから、少しでも霊格を高めようとして一生懸命に稲荷の神さまの元で修行に励んでいたキツネだったのでしょう。中にはまだまだ霊格の低い、イタズラをよくするモノたちもいますし、ほとんど神と同格にまで霊格の高まった“高級霊”もいるようです。

「神さまは一度お祀りしたのなのなら、きちんとお祀りしましょう。何かにつけお守り下さいますよ。その逆だと、お諭しがありますよ。」

そして神社には、眷属(けんぞく)たち、使いの神さまたち、神使の精霊たちが大勢住み着いておられるということも憶えておいて下さい。



以下は参考にして下さい。
この掲示板の〈 [114] スピリッチャリズムの概要 〉 の一部です。
★スピリッチャリズムにおける「高級霊と低級霊」
一般によく“狐憑き“と言われるものがあります。これは動物霊ではなく、現世に姿を表したことのない低級自然霊、または低級自然霊と化してしまったものによることが多い。自然霊とは、この世に肉体を持って姿を現したことのない霊です。いわゆる稲荷、天狗、龍神、たぬき等です。本当に絵で見られる姿をしているわけではなく、そのような性質を持つ“エネルギ−体”と考えて下さい。

自然霊にも低俗なものから超高級なものまであります。まづ頂点に立つ“神”、高級自然霊、妖精(フェアリ−)があります。自然霊には天候など、自然界を司る働きがあります。
特に人間に良い影響を与えているのは、背後霊のなかの自然霊です。もともと人間の始祖は自然霊であり、人間の背後霊を調べてみるとよく龍神、天狗、稲荷等、神の予備軍とも言える自然霊が支配霊としてつかさどっていることが見受けられます。これらはまだ霊界において新しい魂の自然霊であるから、まず、現世において人間をつかさどって守ることにより、神となる修行をして行くと言われています。
背後にいる霊の系統(霊系)が、人間の個性として強く現れます。龍神霊系の人、天狗霊系の人、稲荷霊系の人。

問題となるのは中級より低い自然霊です。“神の使い”である霊であることが多く、人の生業を見てくれたりもします。ところがこれらの霊は大変に俗っぽく、与えた分の見返りは必ず得ようとする性質があります。最初のうちだけ熱心に詣でていても、感謝の心を忘れたりすると、怒り狂います。霊障によって知らせようとしたりします。おろそかにされているうちに、人間の子供のようにグレて低級化していく傾向があります。
自然霊は子供を産むように分霊し、消えていきます。
このような自然霊に対する説得はなかなか難しく、人霊と違って“情”がありません。肉の家族を持ったことがないので情けというものがないのです。情に訴えることができないのです。だから自然霊は慎重にあつかうべきで、常に敬意を払い、簡単に呼び出そうなどとしてはいけません。

霊界について中途半端な知識を持ち、このような低級霊を呼び込んでしまい惑わされてしまう人は以外に多い。憑依状態が長く続けば続くほど、憑依霊は居心地が良くなる。憑依とは憑く霊ばかりが悪いのではなく、呼び込む自分が一番悪い。「神は人に悩みなど与えていない。神は問題のみを与えているのだ」という。



[254] Re[253]: お答えします 投稿者:道開き 投稿日:2003/07/01(Tue) 18:21  
お久しぶりです、“風のささやき”さん。

私の記憶するところ、Q&A形式の“分厚い本”というのはどうしても思い当たるものがございません。
私の知る限りでは、あまり“分厚い本”ではありませんがごく初心者向けに書かれている本には以下のものがございますネ。参考になればいいのですが。

『神道のしきたりと心得』 神社本庁教学研修所
『神道がよくわかる本』 PHP   〈Q&A形式〉
『よくわかる日本神道のすべて』 日本文芸社  〈Q&A形式〉
『神道の本』 学研
『お宮へ行こう』


[253] お聞きしたいですが 投稿者:風のささやき 投稿日:2003/07/01(Tue) 08:31  
お久しぶりです。少々お尋ねします、以前神田の古本屋で見かけた事があるのですが、「なぜ、鈴をならすのか」「なぜ、拍手をするのか」などといった問答集みたいな本の題名をご存知ではありませんか? 分厚い本と記憶しております。神職さん向けに書かれていると記憶しています。一度手に入れて読んでみたいのです。また、神道に関する素朴な疑問に関する書物がありましたらお教え下さい。宜しく御願い致します


[252] 数理の妙 PartU 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/29(Sun) 22:15  
ここでは、下記の書き込み[251]の生れた年月に表れた「数理の妙」の〈例〉の追加の書き込みをしてみます。

●三碧木星〈年〉の六白金星・戌(いぬ)〈月〉生まれの男性には
   石橋貴明(トンネルズ)、野中広務(元自民党幹事長)、
ピ−タ−・ア−ツ、清水健太郎といった方々がおられます。

●三碧木星〈年〉の三碧木星・辰(たつ)〈月〉生まれの女性には
   夏木マリ、工藤静香、兵藤ゆき、水野真紀、大橋純子、
 桃井かおり、鶴田真由といった方々がおられます。

●五黄土星〈年〉の九紫火星・丑(うし)〈月〉生まれの男性には
   小松政夫、小泉純一郎(総理大臣)、
   中村雅俊、東野英心、もんたよしのり
   といった方々がおられます。


皆さん、同じ星の元に生まれた方々のお顔の感じが似ておられると感じるのは私の錯覚でしょうか?
そして、やはりここでも共通する性格的・運勢的特徴の書き込みはひかえさせていただきます。


[251] “数理(すうり)”の妙(みょう) 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/24(Tue) 20:14  
古代中国では、この世の総ての事象を「陰陽(いんよう)」〈2〉に分類(『陰陽説』)し、それが「四象(ししょう)」〈4〉に、さらには「八卦(はっけ)」〈8〉へと展開する“易(えき)”が生み出されました。

これとは別に、万物・万象を「木・火・土・金・水」の「五気」〈5〉に還元する『五行説』も生み出され、これらが暦(こよみ)の上で十干(じっかん)〈10〉として結合します。他にも十二支(じゅうにし)〈12〉生み出され、さらには九星(きゅうせい)〈9〉、十二直〈12〉、二十四節気〈24〉、二十八宿〈28〉といったものも生み出されました。

つまり、旧暦や風水といったものは、時間や空間が〈2〉〈4〉〈5〉〈8〉〈9〉〈10〉〈12〉〈24〉〈28〉の“数理(すうり)”によって分類されて成り立っているとも言えます。


上の説明では解りずらいでしょうから例を示します。
人の“生年月日”に表れた「数理の妙」から見てみましょう。

●二黒土星〈年〉の九紫火星・丑(うし)〈月〉生まれの男性には、
平井堅、ル−大柴、石原良純、川合俊一、河野太郎(国会議員)、大石正光(国会議員)
といった方々がいらっしゃいます。
何とも“濃い”、日本人離れした容貌の方が多いですネ?

次に、
●六白金星〈年〉の五黄土星・寅(とら)〈月〉生まれの男性には、
高倉健、佐藤B作、南こうせつ、中村敦夫、原田芳雄、三浦和良(サッカ−)、森脇健児、飛鳥涼(チャゲ&アスカ)
といった方々がいらっしゃいます。
目元が涼しげな切れ長の目を持ち、いわゆる日本的な“しょう油顔”の容貌の方が多いですよネ?

※上記の生まれの方々の性格的、運勢的な共通の特徴の書き込みは控えさせていただきます。

参考になったでしょうか?????
自分で言うのも何ですが、インタ−ネットで高額な「有名人名鑑」を購入し、何千人もの方々の生年月日を調べて分類した結果のほんの一部分です。一応、私は易学研究家でもありますから。


[250] 私なりの分析 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/10(Tue) 17:15  
古神道的に言えば“審神者(サニワ)”、現代風に言えば“神霊アナリスト(分析家)”の私としましては〈NHK専属の“軍事アナリスト”の江畑さんとは関係有りません(笑)〉、

下記の書き込み[249]の中の彼女の霊道がどうして開けてしまったのかを考えてみましてた。
シャ−マニズム現象が起こりだすのは、大概、その本人が肉体的or精神的にズタズタの状態になっている場合が多いのです。
彼女の場合、氷点下の寒さの中(後で思い出しましたところ、今年の元朝は−4、5度まで下がっていました)、バイクの後部座席で、真冬の“寒気”に滝の水を浴びるが如くに打たれてきたのです。
つまり、滝に打たれたり、禊(みそぎ)や水垢離(みずごり)をしてきたのと同じような状態になって御神前にぬかずいたのです。だから、霊眼が開いてしまったのではなかろうかと思われます。

逆のケ−スもあります。
小さい頃から霊的なものが見えて見えてさんざんな目に遭ってきたという方もいらっしゃいます。例えば、物凄い形相で自分めがけて走ってくる人がいます。ワッ!ぶつかったと思った瞬間、それは霊であり自分を素通りしていったとか、そういった事が続いて社会生活ができなくなってしまったという方がおられます。
ところが、その方はある宗教家に滝行を奨められ、週末に滝に打たれに通っている内に、自分の守護神霊とのコンタクトが出来るようになり、手を余してきた霊能の一切を自分でコントロ−ルできるようになったと言います。この方は現在、霊能者として人助けをなさっています。

やはり、見えない世界の事ってつくづく「摩・訶・不・思・議」ですね。

★そういえば、一年半も前に話が戻ります。例の少年をどうして御神前に上げなかったかといことを思い出しました。何モノが憑いているのかわからなかったので御神前を汚すことにならないかと私の方で考えたということもありますが、その当の少年が、以前読んだある本に、神社の鳥居をくぐらない方がよいとか、神前で手を合わせない方がよいとか書いてあったからということを固く信じこんでいて、かたくなに拒んだということもありました。
最近の若い人達に手軽に読まれているこの手の宗教本は、内容的にグチャグチャな事が書かれているものが多いようです。憑霊現象よりもこういった社会現象の方が遙かに恐いと思われます。
正神と人々との関係を断ち切ろうとする禍(まが)神の手先かとも思われる者たちの動きなのかな。


[249] 後日談 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/04(Wed) 15:59  
だいぶ以前の書き込みの後日談です。
この掲示板の上方に赤字で「過去ログ」とありますが、そこをクイックしていただきますと過去の書き込み[140]と[142]をすぐに読むことが出来ます。昨年の1月にあったある19才の少年に関わる憑霊現象の書き込みで、今回はその後日談となります。

昨年の暮れの歳もおしせまったある日のこと、その少年から電話がありました。「この1月以降、悪霊に体の中に入り込まれることはなくなったのだけれども、まだ、身の回りにそいつがいるようだ。今月に入ってから、ドアが勝手に開いたり、風呂場の蛇口が勝手に止まったりするといったポルタ−ガイスト現象が起こっている」とのこと。
「以前の霊か?」と訊ねたところ、「まちがいなくあの霊です」とその少年は答えました。
「お正月に白鬚神社にお参りしたいと思いますので、御神前でお祓いと御祈祷をしてください」とのことでしたので、とりあえず承諾はしました。

そして、数日が過ぎ、正月の元朝の午前4時頃にその少年はやってきました。つき合っている彼女と一緒でした。今年は温かい元旦でしたが、それでも初日の出前の時間帯で−2、3度には気温は下がっていたはずです。そんな寒さの中、仙台からバイクでやってきたそうです。彼女はミニスカ−トでしたのでバイクの後部座席でまともに風を受けてきたのでしょう、足がまるで風呂上がりのように真っ赤になっていました。(話が横にそれてしまいますが、「いや〜参った、参った、二人ともほんと若者だな〜」とついつい思わずにはいられない二人の姿でした。)
「S君、無事に就職できて良かったな〜」と言葉を交わした後、すぐに御神前で「大祓詞」を唱え、御祈祷をしてやり、御神符とお守りを渡しました。彼女にもかわいらしいピンクのお守りを渡してやりました。

それから三ヶ月ほど過ぎたある日、こちらからその少年に電話をして確かめてみました。すると、元旦の祈祷を受けた後は全くポルタ−ガイスト現象は治まってしまったとのことでした。
ただしです。少々落ちがあります。・・・・・霊に憑かれたりするというのではないのですが、一緒に来た彼女がお正月の祈祷を受けて以来、霊能が開けてしまい様々なものが見えるようになってしまったとのことでした。たった一度、それも付き添いで御祈祷を受けただけなのに・・・・本当に、見えない世界のことって「不・可・思・議」ですね。


[248] “石”にまつわるエトセトラ 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/28(Wed) 19:28  
神道はアニミズム的信仰が強く、岩や石ころも信仰対象となります。
その形態はおおむね三つに分けることができる。第一は石をご神体として祀(まつ)る信仰で、「石神信仰」と呼ばれる。第二は石が神の降臨するための依り代(よりしろ)となる「磐座(いわくら)信仰」で、第三は石を集めて積み、神が降臨する祭場とする「磐境(いわさか)」の観念です。

そう言えば、何年か前にテレビ番組で見たことがあるのだが、ある旧家の祠(ほこら)に代々祀(まつ)られている“こぶし”大の二つの石。
何についてでも構わない、その石に質問してみる。「イエス」なら二つの石はくっつき、「ノ−」ならくっつかない。まるで、「振り子」や「二股棒」を使用する“ダウジング”の自然石版とでもいったものだった。本当だろうか。

これもテレビでよく放送されるのだが、日本各地に点在する“子授け石”の類。
秋田県の物部神社の境内にある“石”などは、医者にさじを投げられた女性が、その石に触れることによって子宝を授かったという話が後を絶たないという。

古典の中には、天孫ニニギの命(みこと)が天孫降臨(てんそんこうりん)に際して、事代主(ことしろぬし)の神が造って言寿ぎ(ことほぎ)奉った「天石笛(あめのいわぶえ)」
というものがある。平田篤胤(ひらたあつたね)などの国学者たちはその「天石笛(あめのいわぶえ)」の研究も行っている。

縄文時代の遺跡からは神事に使用されたとみられる「石笛」が多数出土している。

かつての大本教などでは、“入神”状態をもたらすための「鎮魂帰神(ちんこんきしん)法」が行われる時には決まって「石笛」が常用された。

その大本教の「鎮魂帰神(ちんこんきしん)法」の元となったのは本田親徳(ほんだちかあつ)の「鎮魂法」「帰神法」であるが、そのための鍛錬法としても石が使われた。それは「鎮魂石(ちんこんいし)」と呼ばれ、直径五、六分(ぶ)くらいから一寸(いっすん)内外の「活(い)き石」で、その石に対して自分の霊魂の集中することを凝念すること二、三〇分を行うものであった。


とにもかくにも「神道」と“石”とは切っても切れない関係にある。


[247] 愛子岳(あいこだけ) 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/27(Tue) 22:26  
ある意味、下記の書き込み[246]の続きになります。

ちょっと前にテレビで、皇室に関わる特別番組を見ました。
皇太子殿下と雅子さまの、愛子さまに対する深い情愛が取り上げられていました。
その中で、「愛子さま誕生秘話」のようなかたちであるエピソ−ドが紹介されました。

傷心を癒すための旅だったのか、雅子さまはご流産後、時を置かずに屋久島への旅に向かわれたのだそうです。屋久島と言えば、縄文杉、弥生杉が群生する“神の島”。
その屋久島には、地元の人たちに“子授けの神さま”として信仰されてきた愛子岳という山があり、雅子さまはどのようなお気持ちでか、ただお静かに愛子岳を仰がれていたのだそうです。

その旅からお帰りになられてすぐに御懐妊(ごかいにん)、玉のような御子(みこ)が誕生されました。皆さまもご存じの通り、“愛子さま”です。


[246] マイ・ブ−ム!!“里山(さとやま)” 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/14(Wed) 15:24  
現在の日本、ちょっとした“里山(さとやま)”ブ−ムですネ。
そして、これはマイ・ブ−ムでもあります。決してテレビで「ダッシュ村」の生活ぶりを見たからという訳でもなく、子供の頃からそういった傾向はありました。
海のすぐ側に住んでいる身ではありますが、渓流が流れ、竹林があって・・・といった山村の風景などには何かやたらと懐かしさを感じます。
現在でも、近くの里山に榊(さかき)を採りに入ったり、ちょっとした自炊のできる山林内にある国民宿舎のようなところで日を過ごすのが無上の喜びです。

海外では“SATOYAMA(サトヤマ)”という言葉とともに、この日本の伝統的文化が早くから紹介され、一切のムダを出さない高度な“サイクル社会”型文化として高い評価を受けてきました。
が、ご多分に漏れず、せっかくの素晴らしい世界にも誇れるようなこういった伝統文化を軽視し、見向きもしないで里山を荒らしてきたのは、やはり当の敗戦後の日本人たちです。


そこで気になってくるのが“山の神”信仰です。現代人の日常生活においては、馴染みが少ないようですが、ちょっと前までは山村地帯を中心に、民俗の神々のなかでも最も有力な神さまでした。

山そのものに宿る神さま、山を住まいとする霊的なものと人々は共に暮らしてきたのでした。山は「様々な実り」を与えてくれるし、稲作にとって欠かすことの出来ない「水」も山から流れ、自分たちの生活を支える根源、総ての生産の元は山にありました。
まさしく、あらゆるものを生み出してくれる“母なる山”でした。そこから“山の神”は「お産の神」としても信仰されました。

そして、“山の神”は、春になると里に下りて「田の神」となり、稲の成育と収穫を見守って、秋になると役目を終えて山へ帰って行きました。これは日本人の“祖霊信仰”に関係があり、我が国では、人は死後、その霊魂は神となり、生きている子孫を守ってくれると信じられていました。つまり、農民にとっての“山の神”は、多くの場合、先祖代々の祖霊でもあったのです。

又、山で暮らす猟師、きこりたちにとっての“山の神”は、その山の地主神であり、山の守護神に他なりません。

いずれにせよ、昔は最も身近で、すべての生活に関わりが深かったのが“山の神”だったのですネ。   リバイバル!山の神


[245] プロジェクトX 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/14(Wed) 15:22  
ご存じNHKの超人気番組。様々な職業に身を置く企業戦士の方々の、「“仕事”を通しての自己を滅した社会貢献」の物語が毎回取り上げられています。

まさに“天職”によって社会への“奉仕”、“善行”を積み重ねてこられた方々にとっては、仕事そのものが宗教といったように見て取れます。そして、宗教学的にも、宗教と“仕事観”は関連性があるものと考えられていますのも事実です。(もう少し範囲を広げると、“日常生活”が宗教と関係する。)
世界から“奇跡”とまで見られている戦後日本の復興の原動力は、この日本的、つまり、“神道的”仕事観にあったと指摘する海外の研究者は多いです。
欧米では単なる“技術”としか見ないものを、日本の場合は“職人技”、そして“神技”にまで高めていこうとする傾向にあります。こういった考え方がこれまでの日本社会を支えてきました。


そういえば、またまたスピリッチャリズムからの引用になってしまいますが、シルバ−・バ−チの霊言に以下のようなものがありました。

「生活面で立派であればあるほど霊能も立派になります。自分の何かを犠牲にする覚悟の出来ていない人間にはロクな仕事は出来ません。このことは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上に戻ってくる私たちが学ばされる教訓といってもいいでしょう。」


最近、農業を希望したり、職人を目指す若者たちが急増しているそうです。やはり、こういった世の動きは、老いも若きも男女を問わずに「お金に踊った」バブル期の反動とも言えるのでしょうネ。バブルが崩壊してみてようやく日本人本来の心が戻ってきている証拠となる現象なのかなとも思われますが・・・いかがなものか。


 
[244] 鰯(いわし)の頭も信心から 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/20(Sun) 16:30  
「つまらないと思われるものでも、信じて拝めばたいそうありがたいものともなる。」
節分の夜、イワシの頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して門口につけ、悪鬼を追い払う“まじない”の風習に由来する京都「いろはがるた」の一つ。

節分の夜、イワシの頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して門口につけ、悪鬼を追い払う“まじない”の風習に由来する京都「いろはがるた」の一つ。
霊媒モ−リス・バ−バネルに五十有余年に渡って憑り、霊言を語り 続けたシルバ−バ−チと名のるインディアン霊(正確には同じ 価値観を持ち合わせた霊団のこと)は交霊会の参加者たちの質問に 丁寧に答えたそうです。


「決して難解な真理を説こうとしているのではありません。いま地上人類に必要なのは神学のような大ゲサで難解で抽象的な哲学ではなく、いずこの宗教でも説かれている至って単純な真理、その昔、霊感を具えた教祖たちが説いた基本的な真理、すなわち人類は互いに兄弟であり、霊的本質において一体であるという真理を改めて説きに来たのです。」


「一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。“善行”の努力は絶対に無駄にはされません。“奉仕の精神”も決して無駄に終わることはありません。」


「やはり“人間の全てを決するのはその人の日常生活”ではないでしょうか。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し神への忠誠を誓い、“選ばれし者”の一人になったと信じている人よりも、唯物主義者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケ−スがいくらもあります。問題は“何を信じるかではなくて、これまでどんなことをして来たか”です。そうでないと神の公正(Justice)が根本から崩れます。」


そして、それらは全て「恒久不変の自然法則」、つまり「原因と結果の 法則」、いわゆる“因果 律”に収約されるとのこと。

「一見とりとめのない出来事の絡み合いの中で、その一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことをつぶさに理解するはずです。」

例えば、何かしら不幸な出来事があったとします。その人の因縁 そのものが残っているかぎり、また別 の形で不幸や厄災が起こ ってくる。そして、縁のないものとの係わりあいは絶対にない。
つまり、人生は有目的の“因果律”によって支配されているという。

何となく納得できそうな・・・でも、難しそうな・・・・ですね。


[243] 「霊団」が組まれるってホント? 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/09(Wed) 10:38  
最近、「スピリッチャリズム」・「心霊科学」に関する書き込みが続きました ので、そろそろ今回にて打ち切りにしたいと考えます。

あの世から、霊媒たちを通して“自動書記”や“霊言”によってもたらされた 情報によると、“あの世”とは遙か彼方にあるものではなく、“この世”と “あの世”は次元の異なる世界が幾重にも重なり合って同じ場所に存在しな がら、低次元から高次元へと無限に広がっているという。
つまり、この世のこの場所は天界にも地獄にもつながっている。

イギリスで「ミスタ−・スピリッチャリズム」と呼ばれた霊媒モ−リス・ バ−バネルに五十有余年も憑かって霊言を語り続けた“シルバ−バ−チ”や、 アメリカのキリスト教界の権威で、神父にして学者、そして霊媒だった( 日本で言えば、瀬戸内寂聴さんや今東光さんのような方)ステントン・ モ−ゼスに憑かって、スピリッチャリズムのバイブルとも言われる 『スピリット・ティ−チング「霊訓」』を著した“レクトル”などといった 霊がいる。

彼らは、単独で関与してくるのではなく、とてつもなく「次元の高い霊 (スピリット)の集団」があって、 その中の高次元の世界(神道でいう“高天の原”のようなところ)に存在する “最高級霊(神霊)”が思念を発し、それが段々に下層界に数多くの霊たちに 中継されながら、最終的に“霊媒”を通してこの世にもたらされるのだという。
高い次元の世界ほど波長は微細で、この世(物質界)に近づくほど粗雑な波長と なり、高次元の世界の高級霊がダイレクトにこの世に関与するということは まず無いのだと言う。

高次元の世界からもたらされるそういった重要なメッセ−ジは、霊媒が この世に生を受ける以前から準備されて、計画的にこの世に贈られてくる のだという。
この世で活躍されている方たち(芸術、科学・・・・)にもたらされている “インスピレ−ション”といったものもこういった具合なのだそうだ。

「霊団」を組むのは善なるスピリットたちばかりとは限らないので要注意です。
霊とか、霊界とかいったものはある意味、波長の存在なので、「類は友を呼ぶ」 的にどうしてもそうなってしまうのだそうだ。


又、欧米では、霊媒に憑かる指導霊で一番多いのはインディアンで、 初心者は異様な感じを受けるようだが、これにそれなりのわけがある。 つまり、アメリカ・インデアン(ネイティブ・アメリカン)が栄えた頃、 彼らは超自然力についての知識が豊富で、心霊法則にも通 じていた。よって、 死後、地上の霊能者の指導に当たることが多いのだという。


[242] 英国心霊協会 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/09(Wed) 07:11  
1882年、ロンドンに、ヘンリ−・シジウィック教授を会長に、 マイヤ−ズ、エドモンド・ガアネ−・バアレット教授、ジェ−ムズ教授、 オリバ−・ロッジ教授等によって設立されました。 その後、フランス、ドイツ、オ−ストリア、イタリア他ヨ−ロッパ各国 でも研究団体が組織されます。
英国では、さらに、マッケンジ−氏を校長とする「心霊大学」だの、 ウォ−レス博士を会長とする「心霊写 真研究会」などの研究機関も 創立されました。

よって、英国などは特に、現在でも“心霊”に対する悪い偏見みたいな ものは少なく、“良い”“楽しい”幽霊の住み着いているとされる 古い家などは人気が高く、高額で買い求められているのだそうです。


大正二年、東京に心霊科学研究所を設立した浅野和三郎氏の『心霊講座』 の大要は次の通 りです。

@各人の「肉体には霊魂が宿っている」こと。

A肉体を離れたる「霊魂は死の彼岸に存続している」こと。

B死者の「霊魂は生者の肉体に憑依(ひょうい)する」こと。

C「霊魂界と人間界との間に交通が可能」であること。

D「霊魂の働きは驚くべき威力と種類に富む」こと。

E「心霊研究と人生の諸問題との間に密接不離の大関係が存在」すること。

F心霊研究の提供する証拠は「現代人の信仰と道徳とに根本的革命を引き 起こす」ものであること。


[241] “エクトプラズム” 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/06(Sun) 17:22  
さらに下の書き込み[239][240]に続くスピリッチャリズムに 関連したものです。
あまりこういった内容のものばかり取り上げていると変な神主に思われ そうなのですが、信じる信じないは別 として、一応、頭の中に入れて 置いてもらっても構わないかとも考え、更に続けます。

“エクトプラズム”(「テレプラズム」「イデオプラズム」「サイコプラズム」 といった名称もあるようですが、)とはギリシャ語のエクトス(ectos 抽出された)とプラズマ(plasma 物質)の合成語で、フランスの ノ−ベル賞生理学者シャルル・リシェ博士が多くの霊媒たちと心霊実験 を重ねた結果に命名したものです。

最も早くこの“エクトプラズム”を学問的に取り上げたのはイギリス のクロフォ−ド博士だと言われます。(以前、守護霊を扱った書き込みを した時に、私の記憶違いでフランスのノ−ベル賞生理学者シャルル・リシェ 博士だと記してしまいました。すみません間違いです。)
霊媒ゴライヤ−嬢のテ−ブル浮揚現象を実験中、撮った写真に偶然にも 彼女の身辺から白色の桿状の物が射出してテ−ブルを支えていることを 発見したのだそうです。その時、霊媒ゴライヤ−嬢の体重は約半分近く まで減っていたという。
その放射物は肉眼には見えなかったが、明らかに触覚に感じ、いかにも 冷たくてヌルヌルして気持ちが悪かったといいます。

が、何と言っても“エクトプラズム”専門の研究者はフランス及び ドイツの科学者達で、ジェレ−博士、ビッソン夫人、リシェ博士、 シレンク・ノッツイング博士等を数えることができます。
その研究法は、あくまで厳密周到、現代科学の供給する一切の設備、一切の 器械を活用し、幾年にも渡って倦むところなく行われたそうです。

そして、この“エクトプラズム”はどう見ても生きていて、“何者か”の指揮 命令で動いているとしか見えないそうです。当然この“何者か”とは霊媒の 「守護霊たち」のことでしょう。

又、さらに重要なことは、霊媒の人格の高低によって守護霊たちの霊格の 高低が決まるということです。つまり、人格の高い霊媒の守護霊たちは立派 であり、人格の低い霊媒の守護霊たちはそれなりのものでしかないそうです。
心霊実験にも非協力的だったりするとのこと。

浅野和三郎全集『心霊講座』より


[240] 総ては霊媒の“守護霊たち”の為せる技? 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/06(Sun) 17:21  
下の書き込み[239]に続きます。
“シャ−マニズム”と“スピリッチャリズム”はかなり共通部分が多いです。
但し、スピリッチャリズムの場合、有能な“霊媒者”(・・・・シャ−マン)に 加えて優秀な“科学者”の存在が不可欠となります。
シャ−マニズムのように人類の「文化」として捉えるのではなく、様々な現象を 「科学」的に解明しようというアプロ−チです。

下の書き込み[239]に続きます。 “シャ−マニズム”と“スピリッチャリズム”はかなり共通 部分が多いです。 但し、スピリッチャリズムの場合、有能な“霊媒者”(・・・・シャ−マン)に 加えて優秀な“科学者”の存在が不可欠となります。 シャ−マニズムのように人類の「文化」として捉えるのではなく、様々な現象を 「科学」的に解明しようというアプロ−チです。

たとえば@「霊の物質化現象」やC「卓子(テ−ブル)浮揚現象」、 D「物品引き寄せその他の物理的現象」といった“物理”現象を伴う 現象は、霊媒者や参加者の体内にある“エクトプラズム”と呼ばれる もの(「心霊と物質とのちょうど中間にある“半霊半物質体”」)を 守護霊たちが利用することによって様々な現象を起こすとされています。

そういった現象が起きている時には、霊媒を計りに乗せて体重 を計測すると、10〜20キロも減少したりすることがあるそうです。 逆に、“ポルタ−ガイスト現象”で物品が浮いているときには エクトプラズムによってそれらの物品が持ち上げているので、霊媒には それらの物品の重量がそのまま加わっていることもあるので 計りにはその分の重さが加わって計測されるとのこと。

何ともばかばかしいと思われる方もおられるかもしれませんが、こういった 実験を超一流の科学者たちが繰り返し繰り返しおこなって、そこから得た 莫大なデ−タにより科学的理論付けがおこなわれたのが「心霊科学」 「スピリッチャリズム」なのです。

@「霊の物質化現象」
(霊が、どういった原理によって姿を現すのか)
A「心霊写真」
B「直接談話現象」
(霊が、どういった原理によって音声を発するのか)
C「卓子(テ−ブル)浮揚現象」D「物品引き寄せその他の物理的現象」
(霊が、どういった原理によって物を動かすのか)
E「霊視現象」
(いわゆる“千里眼”)
F「霊言現象」
(いわゆる“口寄せ”)
G「自動書記現象」
(いわゆる“お筆先”、“フ−チ”、“コックリさん”)

              浅野和三郎全集『心霊講座』より


[239] 「事実は頑固なものである!」 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/06(Sun) 17:19  

久々にスピリッチャリズム関連の書き込みになります。

ダ−ウィンと並ぶ英国の大博物学者アルフレッド・ウォ−レス博士。
ダ−ウィンに先がけて「自然淘汰説」を『進化論』に取り入れました。

当時若かったウォ−レス博士は南洋諸島より、“新説”発見の喜びの余り 老練な研究者ダ−ウィン宛に自説を記した手紙を送ってしまいました。 それをダ−ウィンに学会で発表されてしまったという不運のエピソ−ドの 持ち主です。
(ア−ノルド・ブラックマン著「ダ−ウィンに消された男」朝日新聞社刊)

しかしそれ以上に知られていない事実、というよりむしろ偏見を もって誤解されている事実に博士の“心霊研究”があります。
その成果を次々と学会に発表し、それが学者としての地位を損なう 羽目にもなりましたが、

「事実は頑固なものである」

との名言を掲げて、敢然と実在するもの(心霊現象)を無視することは 学者的良心が許さないとの信念からその論文を一冊の本にまとめました。
それが「奇跡と近代スピリチュアリズム」(新潮社より「心霊と進化と」 という題名で出ています)です。


★加えて―――クルックス菅の発明やタリウム元素の発見などで有名な、 ウォ−レス博士と同じ英国の物理学者にしてスピリッチャリズム研究者 ウィリアム・クルックス博士。
1898年には「英国学術研究協会の会長」に挙げられもしました。
その会長就任時の有名な演説の一節を下に掲げます。


「科学者としての私の経歴中もっとも世に宣伝されているのは私が多年心霊研究に従事したことであります。われわれの科学的知識以外において、ある一つの未知の働き(心霊の働き)が存在していることを証明する種々の実験記事を私が発表してからすでに十年の歳月が経過します。無論この事実は今回、私を本会会長に選挙された諸君の熟知されるところで、皆様は本日私がこの点につきて言及するところあるか、それとも黙殺してしまうか恐らく好奇の心をもって迎えられているでありましょうが、私はたとえ簡単でもここに一言したいのであります。

“心霊問題を無視することは卑怯の振る舞い”

で、それは私の敢えてせぬところであります。私は今なお従来発表した心霊上の意見を固守しているのみでなく、或いは今後これに一層付け加えるところがあるかも知れません・・・・。」

発明王エジソンなども晩年は心霊研究の日々を送ったと伝えられています。
どうも超一流の研究者というのは、最終的にはそちらの方面に興味が向く ようですネ。



[238] Re[237]: おひさしぶりでございます。 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/01(Tue) 17:56  
春は旅立ちの季節。
専門にとらわれず、多くのことを学んで下さいね。
社会勉強も忘れずに!


[237] おひさしぶりでございます。 投稿者:エリカ 投稿日:2003/03/31(Mon) 11:59  
こんにちは、エリカです。
明日(4月1日)に、地元を離れて三重へ行く事になりました。

道開きさんには、神道やその他いろいろなことを教えていただいて、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです・・・。
ここで学んだことは、きっとこれからの生活に役立ちます。

これかもどうぞよろしくおねがいいたします。
大学に行ったら、また疑問に思う事が増えると思いますので・・・。

ではでは、行ってまいります!!


[236] “ブレイブ・ハ−ト” 投稿者:道開き 投稿日:2003/03/20(Thu) 09:19  
こんにちは。・・・・さらにケルトについての書き込みになります。

映画『ブレイブ・ハ−ト』。私の好きな映画ベスト20には 間違いなく入ると思います。この作品を観て感動の涙を流した方は 少なくないと思います。舞台となるのは13世紀のスコットランド地方。
イングランドの圧制に対して立ち上がったスコットランド(ケルト)の 英雄ウィリアム・ウォ−レスが主人公として描かれています。

製作・監督・主演はケルトの末裔で、現在ハリウッドで活躍している メル・ギブソン。「マッド・マックス」「リ−サル・ウェポン」シリ−ズ でお馴染みですね。この作品で、1995年の第68回アカデミ−賞の 作品賞、監督賞他5部門受賞しています。

スコットランド地方の自然の美しさと、ケルトのひとたちの不屈の “ケルト魂”、ケルトの妖精のようなミュ−ロン役のキャサリン・マコ−マック、 そして、フランスからイングランドに嫁いできたイザベル王女役の ソフィ−・マルソ−の眩しいほどの美しさといったものが心に残る作品でした。


日本で、「イギリス直輸入のスコッチ・ウィスキ−」などと言われても 、違和感を持つ人はほとんどいないと思われますが、現地の人たち にとってスコットランドとイングランド(イギリス)は互いに外国も同然。 特に、スコットランドやウエ−ルズの人たちは、イングリッシュ(=イギリス人) と呼ばれることをひどく嫌うそうです。
そういった意味から、「ブリティッシュ=英国人(グレ−トブリテンおよび北部アイルランド連合王国)」と呼ぶのが妥当と言えそうです。

スコットランド人、ウエ−ルズ人の大半、そしてアイルランド人は、紀元前7世紀頃に渡来したケルト人の子孫です。
イギリス人とは、5世紀頃にヨ−ロッパ大陸の北部から渡来したアングロ・サクソン人のことなのだそうです。

そう言えば、ウィリアム・ウォ−レスを身近で守るアイルランドからやって来たシャ−マンがいましたが、どうもあちらでは、アイルランドは「神さまの島」といったようにとられているようです。
日本で言えば、ユタやノロといったシャ−マンが大勢いる沖縄とか、イタコ、ゴミソの大勢いる青森あたりの独特の地域性とも似ているのではないでしょうか。


[235] “ユ−ミン”もシャ−マンの一人? 投稿者:道開き 投稿日:2003/03/10(Mon) 10:36  
数日前、NHKでユ−ミン(松任谷由美さん)のデビュ−30周年を記念した特番を見る機会を得ました。
デビュ−当時から、数多くの曲に親しんできました私としましても何か感慨深いものがありました。
やはり、彼女の20代から30代にかけての、感性がシャ−プだった頃の作品がどうしても好きですね。(すみません、今だって悪くはないです。)

数年前に、ユ−ミンがモンゴルのシャ−マンたちに伝わる、神々に捧げるための“ホ−ミ−”と呼ばれる独特の発声法に出会う旅を扱った紀行番組を見たことがありました。

その際に、ユ−ミンの歌声とモンゴル独特の“ホ−ミ−”の声質を科学的に分析する試みも行われました。
すると驚いたことに二つの声音の周波数は酷似していました。
それら二つの声は、人間の精神を安定させ、癒す“アルファ波”、そしてトランス状態のときにあらわれる“シ−タ波”とった脳波を大脳にもたらす働きがあったのでした。

つまり、ユ−ミンの歌によって、我々が日々の生活の疲れから癒されるのは、かなり、シャ−マニックなパワ−によるものだったみたいなのです。
歌、踊り、ア−トなどといったものは、太古の昔より、神々の領域から派生し湧き出てくるものとされてきましたが、やはり、ユ−ミンの歌声もそういったところと関わりを持ったものなのでしょう。
ユ−ミンの歌の歌詞もそうです。宇宙、不思議な体験、輪廻転生(リ・イン・カ−ネ−ション)エスパ−、運命・・・・・といった内容のものが目立ちますよね。



[234] Re[233]: 小泉八雲 投稿者:道開き 投稿日:2003/03/03(Mon) 18:07  
以前、BSで『アイルランド紀行』といった題名のテレビ番組をみたことがあります。

田舎の山小屋風の集会場みたいなところにアイランドの人たちに集まってもらって、確か、小泉八雲(ラフカディオ・ハ−ン)の怪談(Kwaidan)の中の一つの話「むじな」を朗読して聞かせました。
するとアイルランドの人たちは、

「われわれの昔話にも全く同じ内容の話があるんだ。これは驚いた。アイルランドと日本は昔なんかあったのではなかろうか、まるで親戚 のようだね!」

と驚きと喜びが入り交じった感想をそれぞれに口にしてました。

これとは違う番組なのですが、アイルランドのあるミュ−ジシャンも、

「沖縄の民謡と自分たちのアイルランド民謡の音階が余りにも似ている。
、二つの国はまるで兄弟みたいだ!」

とインタビュ−に答えていらっしゃいました。

おそらく小泉八雲(ラフカディオ・ハ−ン)も、母の母国アイルランドと日本があまりにも似ているので、驚きと喜びとをもって怪談(Kwaidan)や 他の著作を書き記したのでしょうネ。

エリカさんも四月からの大学でのお勉強、驚きと喜びをもって頑張って下さい。



[233] 小泉八雲 投稿者:エリカ 投稿日:2003/03/03(Mon) 13:50  
こんにちは、エリカでございます。
そんなすごい人だったのですね・・・。
それにしても、ひとつとして読んだことの無い本ばかり。
もっと本に親しみたい気持ちはあるのですが、なかなか。
あ、でも『耳なし芳一』や『雪女』はお話なら分かります。
あのお話って、日本人が書いた作品ではなったのですね。
教えてくださって、ありがとうございました!

3月1日に、高校を卒業しました。
4月からは大学生。本格的に神道を学べるのは、カリキュラムを見るかぎり2年生から。
共通科目も、専門科目も、ついていけるかどうか心配です・・・。
よいご縁とお導きがあるように、頑張りたいと思います!


[232] Re[231]: こんにちは。・・・・小泉八雲 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/27(Thu) 18:56  
昨年のワ−ルドカップ・サッカ−でアイルランド・チ−ムの選手たちが見せた驚異の“粘り腰”。とくにボビ−・キ−ンは凄かった。
試合終了のホイッスルが鳴る瞬間まで相手チ−ムの選手は全く気が抜けなかったようでしたね。点を取られてもすぐに同点にしてしまい、さらに逆転に持っていく。あれこそが“ケルト魂”。

そういえばアイルランド・チ−ムは出雲大社にお参りしてましたよね。
テレビで見ました。おそらく小泉八雲(ラフカディオ・ハ−ン)が山陰地方の松江に住んでいたことに因んであちらをキャンプ地に選んだのでしょう。
小泉八雲の“八雲”は、『古事記』の中で出雲地方をあらわす際に用いられる「八雲立つ“出雲”」から来ています。

日本において彼の名を高らしめたのは、有名な「耳無し芳一」、「雪女」が記された彼の作品・『怪談(Kwaidan)』によります。


《略歴》
パトリック・ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の軍医を父に、ギリシア人女性を母に、ギリシアのレフカダ島に生まれた。ヨ−ロッパとはいっても、ギリシア、アイルランド、共に“多神教色の濃い”地方です。

アメリカでジャーナリストとして活躍した後、1890年に雑誌専属の旅行記者として来日しました。しかし横浜に着くと間もなく、彼は契約の問題からこの仕事を忌避します。

それから彼は松江に移り、島根中学の英語教師に赴任する。松江で彼は生涯の親友・西田千太郎と知り合い、武家の娘小泉セツと結婚しました。

1891年に彼は熊本に移り、旧制第五高校講師として3年間勤めた。当時の学長・嘉納治五郎は柔道を世界に普及させた人物として知られています。

その後、神戸で新聞記者として働いた彼は1896年、この地で日本に帰化して、名前を小泉八雲と改めた。前述の通り、この名前は「古事記」からとったものです。

その年彼は東京に移り、東京帝国大学・早稲田大学で教鞭を執る。そこでは学生の尊敬を集め、彼らの中から多くの者が文学の世界で活躍しました。

さらに彼は多くの日本に関する本を書き、アメリカで出版した。それらは西洋において日本の風土や民俗を紹介する役割を担いました。

《主な作品》
知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)
東の国から(Out of the East)
心(Kokoro)
霊の日本(In Ghostly Japan)
影(Shadowings)
日本異聞(Japanese Miscellany)
神国日本:一つの試論(Japan: An Attempt at Interpretation)
怪談(Kwaidan)


[231] こんにちは。 投稿者:エリカ 投稿日:2003/02/26(Wed) 21:46  
エリカです。
覚えていてくださったのですね!!
ありがとうございます〜☆

ところで、「よもやま知識」の「ケルト・・・」を読ませていただきました。
・・・難しくてよくわからない。ケルト人は世界史で習ったような・・・。でも、日本の文化と似ているという点は少しだけわかりました。
「蛍の光」って、そういえばアイルランド民謡でしたね・・・。
あれは唱歌になるのでしょうか?
それよりも興味を持ったのは「小泉八雲」
どこかで聞いたようなないような。
この方は一体どんな方なのでしょうか?
すっごく気になったので(汗)
もしよろしければ教えてください。 


[230] お願い 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/22(Sat) 20:03  
こちらのメイン・メニュ−「よもやま知識」の中の一つ

「ケルト」 − ビ−トルズ、エンヤ、映画「タイタニック」を生んだ文化 にも目を通 して下さいね。


[229] アイリッシュ 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/22(Sat) 14:09  
下の書き込み [228]ダニ−・ボ−イ  に続きます。

カエサル(シ−ザ−)の記した『ガリア戦記』とは、現在のフランス地方に住んでいたケルト人たちとロ−マ軍との戦いを著したものだそうです。当時のヨ−ロッパ全域に、ケルト人たちは住んでいたようです。

そういえば、映画『グラディエ−タ−』冒頭のシ−ンは将軍マキシマス率いるロ−マ軍と何か得体の知れない野蛮人たちの軍隊との戦いが描かれていました。もしかしてあの野蛮人たちはケルトの人たちがあの様に描かれていたのでは?それともゲルマン人か?

やはり、映画『ロビンフット』の後半にでてきた“北の野蛮人”たちと呼ばれていた集団も、もしかして、あれもケルトの人たちだったのでしょう。

『ダニ−・ボ−イ』の歌詞に唄われるアイルランド(ケルト)の青年ダニ−が赴いた戦はいつの時代の、どこの国との戦いだったのでしょうか。もしかして、映画『ブレイブ・ハ−ト』に描かれていた、イングランドとスコットランド・アイルランドのケルト連合軍との長年に渡る戦いだったのか。

でも、何とも言えないほど魅力的に感じるケルトの繊細なアイリッシュ文化も、視点が違ってくると単なる野蛮人たちの土俗文化と見なされてしまうんですね。


[228] ダニ−・ボ−イ♪♪ 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/21(Fri) 21:12  
日本の文化と驚くほどに類似点の多い「ケルト文化」をいまだ色濃く残すアイルランド。
そのアイルランドの民謡は、日本ではよく親しまれています。
『蛍の光』、『旅愁』・・・etc.
私的には、その中でも『ダニ−・ボ−イ』は特に好きです。
歌詞の日本語訳は、なかにし礼さんがなさったんですね。
今日、テレビを観ていてはじめて知りました。


オ−!ダニ−・ボ−イ♪
愛しき我が子よ  いずこに今日は眠る
戦に疲れたからだを  休めるすべはあるか?
お前に心を痛めて  眠れぬ夜を過ごす
老いたるこの母の胸に
オ−!ダニ−・ボ−イ  オ−!ダニ−・ボ−イ  帰れよ

オ−!ダニ−・ボ−イ♪
愛しき我が子よ  便りもすでに途絶え
遙かなその地の果てにも  花咲く春は来るか?
祖国に命を預けた  お前の無事を祈る
老いたるこの母の胸に
オ−!ダニ−・ボ−イ  オ−!ダニ−・ボ−イ  帰れよ


歌詞もメロディ−もいいですね〜。
これまで、てっきり恋愛の歌だと思っていましたが、戦場にいる
息子を思う母親の心を歌った唄だったのですね。


[227] Re[226]: 道開きさんへ 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/20(Thu) 12:14  
こんにちは。

おぼえてますとも〜。神職希望の女子高生!  
神道系の大学への進学も決まられたとのこと。おめでとうございます。
そうそう忘れてしまうなんてことはできませんですヨ。
エリカさん、かなり“キャラが濃い”し“インパクトも強い”ですもの。
(注意!  これはかなり乱れた日本語の表現になってしまいました、
こういったところはあまり学習しないようにしてくださいネ。)

どうぞ、いつでも気軽に遊びに来て下さい。ではでは。


[226] 道開きさんへ 投稿者:エリカ 投稿日:2003/02/19(Wed) 23:22  
突然おじゃまさせていただきます。
初めまして・・・?神職希望のエリカです。
別のサイトでお会いしたことがありますが、覚えていていただけたら幸いです。
以前からちょくちょく覗かせていただいておりましたが、今回初めて書き込みしました☆
こちらで勉強させていただくことがたくさんあります。
これからもひっそり来ますので、よろしくお願いします!
ではでは。


[225] シャ−マニズムの研究 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/03(Mon) 14:58  
日本におけるシャ−マニズム研究の第一人者は駒沢大学名誉教授の佐々木宏幹先生です。(日本宗教学会評議員・国際宗教研究所理事でもいらっしゃる)
当宮城県の神社庁では来る3月に、先生を講師にお招きして研修会を開催致します。

“シャ−マニズム”に興味をお持ちの方はこの掲示板の[159]〜[166]をお読み下さい。佐々木宏幹先生の著作から、「シャ−マニズムの要点」を書き込みしてあります。

《内容》
[159]“トランス”から“エクスタシ−”or“ポゼッション”へ

[160]憑霊における「三つの型」

[161]セアンス(集団儀礼)

[163]シャ−マンへの変身のプロセス (ユタの“成巫過程”)

[164]「召命型」と「修行型」のイニシエ−ション

[165]宮古島のユタのイニシエ−ション(一つの例)

[166]著者紹介



[224] “現代のシャ−マン”?美輪さん  Part2 . 投稿者:道開き 投稿日:2003/01/10(Fri) 20:38  

下の書き込み[223]に続きます。
そう言えば、この掲示板の[199]と[200]に漫画家“つのだじろう”さんの「守護霊との交流体験」を書き込みましたが、それと同じ本の中で、美輪さんとのシャ−マニックなエピソ−ドが紹介されていました。その内容はどんなものかと言うと、

昭和50年の夏、つのださんが数人の霊能者たち、そして美輪さんと一緒にある生放送のテレビ番組に出演されたときのことだといいます。それは、殺人事件で殺された女性の霊魂と、その女性を殺した後に自殺した男性の霊魂を呼び寄せて対決させるという企画ものだったそです。・・・何とも興味本位な番組。

“霊媒”となって霊魂に体を貸す霊能者と、その霊魂に質問する役割、つまり、審神者(サニワ)となる霊能者の、合計四人が必要だったのですが、集められた霊能者は三人。しかも、テレビ局側の勝手な割り振りで、女性の霊魂を呼ぶことになったのは、霊格の高い霊能者Tさん、審神者(サニワ)は美輪さん。殺した男の霊魂を降ろす霊媒の方は、かなり格下の霊能者、審神者(サニワ)はつのださんだったのだそうです。

本番が始まると、本当に霊魂が降りてきました。ところがつのださんは、肩のあたりが重くなり、金縛り状態になってしまったのだそうです。そのとき、美輪さんはつのださんの方をじっと睨んでおり、突然、男の霊を呼び寄せた霊能者に向かって「そこに降りているのは動物霊だ!」と言って、様々なことを語りはじめました。

やがて悪夢のような生放送が終わって、つのださんがスタジオのすみにうずくまるようにしていたら、霊能者のTさんと美輪さんがやって来て「狐が憑いたんです。今、お祓いをしますから」と言って祓って下さったとのこと。
気分がすっきりしたところで、美輪さんに、狐が憑くというのはどういうことか聞くと、「つのださんと組んだ霊能者に憑いていた霊格の低い狐が、もう一方の美輪さんと霊能者Tさんの背後にいらっしゃった神さまと対等に振る舞おうとしたため、その怒りに触れて、おびえた狐が霊能者の体から逃げ出して、側にいたつのださんの体に移った」ということだったそうです。
「番組の放送中、光を放つ白い狐が霊能者の体から飛んで、つのださんの背中にしがみついて・・・・震えているのが見えたわよ。」
美輪さんはこともなげにそうおっしゃっていらしたそうです。


[223] “現代のシャ−マン”?美輪さん 投稿者:道開き 投稿日:2003/01/10(Fri) 20:35  
そう言えば、下の書き込み[222]の映画『もののけ姫』の中で、モロの君(きみ)の役で声優として出演なさっていらしたのが美輪明宏さんです。その容姿、言動はまさに“現代のシャ−マン”の名に値するものと思われます。

つい先日、NHK教育で『シリ−ズ自分史を語る』という番組を見る機会を得ました。その中で美輪さんの語っておられた内容で心に残った言葉があります。
ヨ−ロッパのジャ−ナリストたちに招かれてコンサ−トを開いた際、「ヨ−ロッパの人たちに何かメッセ−ジを」と乞われて語った言葉だそうです。
「世界の教育者、保護者に言いたいのは、子どもたちを育てる時の“人を見る基準”として教えてもらいたいことがある。それは、容姿、容貌、国籍、年令、性別、住んでいる家、こういうもので価値判断をするから差別が生まれる。“見えるものを見なさんな、見えないものを見なさい。”それは心・・・・家柄と、財産と、人格は別。人格がすばらしくて、思いやりがあって、優しくて、明るくて、慈悲深い。これが人間として一番上等な人間。」

ん〜〜・・・さすが美輪さん!  蘊蓄の深い言葉だな〜。


[222] さらに“月とシャ−マニズム” 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/27(Fri) 18:30  
張りつめた弓の  震える弦(つる)よ 

月の光にざわめく  お前の心


研ぎ澄まされた  刃(やいば)の美しい 

その切っ先によく似た そなたの横顔


宮崎駿監督の作詞による映画『もののけ姫』主題歌の一節です。
この内容も「月とシャ−マニズム」の関係を端的に表現してますよね。


[221] 月とシャ−マニズム 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/24(Tue) 19:43  
下の書き込み[220]の“月と風流心”とはちょっと話が変わって・・・

西洋における“魔法使い”(シャ−マン)と“月”との関係は深いようです。活動するのは満月の夜だったり、三日月の夜だったり。オオカミ男もやはり満月の夜に活動が活発となるようだし・・・・(実際のオオカミたちも満月の夜に野性がざわめくからなのか)
これって、やはり“月の光”に「潜在意識」が解き放たれ、人に本来的に備わっているシャ−マン的側面も表れてくるということを昔の人々は知っていて、そういった話が生まれてきたのではないだろうか?

子どもの頃に観たテレビ番組に『好き好き!魔女先生』というのがあったが、先生が変身するときは「ム−ン・ライト・パワ−!」と呪文のようなものを唱えて変身していた。
そう言えば、人気テレビアニメ『セ−ラ−・ム−ン』でも、「月の戦士」(現代のシャ−マン?)たる少女たちは「“月”に代わってお仕置きよ!」という名セリフを口にして悪人たちを懲らしめていた。


[220] 月を愛(め)でる生活 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/12(Thu) 09:54  
現在の世の中で起こっている激しい“グロ−バリゼ−ション”に対する、一つの違った「ものの考え方」、「ライフ・スタイル」として、“スロ−・フ−ド運動”がイタリア発で起こっています。
“スロ−・フ−ド”とは、皆さんもご存じの通り、アメリカから起こったフライド・チキンやハンバ−ガ−などの “ファ−スト・フ−ド‘’に対する名付けである。

つまり、それなりにおいしい味付けの食べ物を、どこのチェ−ン店においても同様に、しかもスピ−ディに提供するというスタイルの“ファ−スト・フ−ド‘’の全く逆の「食文化」を言う。その土地でとれた食材を使用して、それぞれ独自の調理方法により、ゆったり時間をかけて家族そろって食事を取るというものである。それがそのまま、世の中の激しい“グロ−バリゼ−ション”に対する一つの「ライフ・スタイル」「ものの考え方」として世界的な運動に発展しつつあるのです。

今更ながら、そう言った呼び名が付けられるといかにもであるが、何のことはない、日本では我々の祖先が長年に渡って行ってきた“風流”な生活スタイルそのものに他ならないと思われる。われわれの祖先は、春には桜の下で宴を催し、夏には天の川を仰ぎ、秋には月を愛で、紅葉狩りをしてと・・・“花鳥風月”に親しんだ生活を送って来ました。

この競争社会、“顕在意識”(頭)をフルに働かせて仕事に励まなければとてもやっていけそうにない昼間は、欧米型のハ−ドな仕事ライフでも仕方がないでしょう。しかし、“潜在意識”(心)を解き放つ夜間の時間帯は、何とか和風の古来の精神生活を大切にしていきたいものだと考えます。

近日、このサイトの[白鬚神社窓口]のメニュ−に『月の話』を新設します。科学的、文化的側面より「月の旅路」や「月と潮の満ち引きとの関係」等について取り上げてみます。乞うご期待。・・・ですです。


[219] やはり“クロサワ映画”から? 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/22(Fri) 19:41  
「日本の良さ」の見直しの動きがあります。
「日本人のものの考え方」、「繊細かつ多彩な文化」・・・・

最近でも、“世界の北野”(ビ−ト・たけし)監督作品で、「人形浄瑠璃の世界」と「日本の四季」、そして「着物」の色彩美とをリンクさせたかたちで描かれた映画『ド−ルズ』、が世界的に高い評価を受けているとのこと。

何となく何となく、数年前に、数ある映画賞を総なめにした、古き日本の良さが幻想的“幽玄美”の中に描かれていた『長崎ぶらぶら節』の影響もかなりあったのではないかとも考えられます。

さらに遡ること十数年前、“クロサワ映画”の『夢―ドリ−ムス』に描かれていた、黒沢明監督が体験した古い日本文化、そして色彩美の世界からの影響が、北野作品『ド−ルズ』の原点にはあるのではなかろうかとも思われてなりません。
当時の私は、「キツネの嫁入り」や「おひなさま」などの幻想的なシ−ンを見て、「こんなシ−ンを見て外国の人たちにどのように思われるのだろうか?理解されるのだろうか?時代錯誤も甚だしいと思われるのでは?・・・」と考えたものでした。
ところが、世界中では大絶賛の嵐が起きました。その頃の日本では、日本人が日本文化を見下げるといった風潮がはびこっていたからです。私もそういった日本人の一人だったような気がします。日本人が西洋の物真似に躍起になっていた頃のことです。

つまり、「日本見直し」の現在の日本社会の動向の、その“原点”には、案外というか、やっぱりというか、“クロサワ映画”があったのではなかろうかと思われてならない今日この頃です。

折しも、アジアの歌謡界を席巻し今や世界へと飛び出さんとしている観もある、人気ユニットglobeの小室哲哉さんとKEIKOさんの挙式が、本日、靖国神社で“純和風”のかたちで行われた様子なんか見ていても、何かそういった動きと全く無関係には思えないのですが。


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