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[137] 縁は異なもの・・ Part3    投稿者:道開き 投稿日:2005/10/24(Mon) 18:23  
さらに「縁」について。
以下の書き込みは、理解していただけるかどうか難しいと思われるますが、とりあえず“血縁”とか“地縁”といったものについて話を進めたい。

この「縁」というもの、私としましては、案外“数理”によっても確認できるものと考えています。例を挙げてみます。「生まれ年と月からみる」ある種の「推命(すいめい)」があります。例えば、「一白水星年・五黄土星・巳月生まれの女性」といった見方をする。
巡り来る年を、一白水星年から九紫火星までの9種類に分類し、そして、それぞれの年の月は12ヶ月あるので、108通りの分類ができる。さらに、男子108通り、女子108通りといった分類の仕方も可能となる。
“歳月”という語があるが、果たしてこういった推命との関連性もあるのだろうか。

こうした分類の仕方を、ある家の家族を対照におこなってみると、同じ「年月」の母子が実に多いのである。場合によっては、祖母も入れて三代が同じというケ―スもある。確率から言うと、二代が同じ場合は108分の1、三代が同じ場合は11,664(108×108)分の1ということになるのだろう。まあ「血は水よりも濃い」とも言われるから、こういうこともあるのだろうと、それなりに納得がいく。

ところが、それよりもさらに驚くべきなのは「地縁」であると考える。隣近所の女性30名を分類してみたとする。すると、その中に、同じ「年月」を持った女性が何組かできているのである。前の家の祖父と後ろの家の孫が同じだったり、後ろの家にやって来た嫁が、前の家の孫娘と同じだったりする。道路を挟んで30軒の家が並ぶ通りに、4人の同じ「年月」の男性がいる所もあったりするのです。
どう考えてみても、一口に偶然と言い切ることのできないような、一般的な“確率”によっては説明がつかないようなことが起こっていると考えられます。

つまり、見えない世界においては、「地縁」といったものがユラユラ、ユラユラと“働いている”としか考えられないのです。「産土さま」の働きとはこういったものを言うのでしょう。


[136] 縁は異なもの・・ Part2   投稿者:道開き 投稿日:2005/10/23(Sun) 22:06  
「♪縁は異なもの それもいいもの ちょっと前は他人でも♪
♪これがインスピレ―ション それでデスペレ―ション(むこうみず、必死)
 一瞬の出会いがなぜか 永遠になるのネ〜♪」

この曲、よくよく聴いてみたら、デスペレ―ション(むこうみず、必死)の部分から察してみると、もともとは恋愛ソングらしい。

これまでの経験から言っても、自分の人生を一変させてしまう程の影響力を持つような人、本、音楽、映画・・・との“出会い”といったものはやはりあると思う。よって、「アンテナはいつも高くしておきたい」ものだとも考えている。

例えば、“場所”との出会いだってある。本日、BSの番組を見ていたら三宅島の小さな祠(ほこら)に手を合わせる山の学校から泊まりに来ていた子供たちが映っていた。三宅島というと、数年前の火山噴火による島民の全島避難が思い起こされるのだが、島民の苦難は現在でも続いているようだ。

二十年以上前になるが、大学三年のとき、三宅島で少林寺拳法部の合宿が行われ、一週間ほど滞在したことがある。その時は、島中をランニングし、海岸で“突き”や“蹴り”の稽古をしたり、夜には“肝だめし”をしたりといったように、ごくごく一般的な大学の体育会の合宿生活を送っただけのように思えた。

ところが、時がたち、現在は東北の片田舎で神主をしている身ではあるのだが、毎朝行っている“言霊の鎮魂行”や“祓い”の際に唱えるようになった「トホカミエミタメ」という「言の葉」(私にとっては極めて重要な言葉)との出会いの下地は、案外、その頃に出来上がっていたのではと思われる節もあるのである。

というのは、下の書き込み〔131〕にあるように、吐菩加身(とほかみ)神道の創始者は井上正鐡(かね)である。彼は、江戸時代のたびかさなる飢饉の中で多くの人々が飢え、多くの子供たちが「間引かれ」て行くという社会状況を憂いた。「我一飯を残して 人の飢えを救わん」と発願し、世直し思想の布教活動を始めたが、寺社奉行に異端視されてしまい、三宅島に流され、そこで没している。

私的に考察してみると、もともと少林寺拳法というものは、中国の崇山・少林寺のお坊さんたちが、易筋行(えっきんぎょう、静の座禅に対しての、動の“行”。)として始めたもの。
よって、どうも私、三宅島で少林寺拳法の鍛錬をしているうちに、井上正鐡(かね)のミタマと“シンクロ”してしまったような気がしてならないのだが・・・いかがなものか。


[134] 縁は異なもの・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2005/10/16(Sun) 21:14  
「縁は異なもの♪それもいいもの♪・・・・・それはインスピレ−ション・・♪♪・」
(NHK番組・「課外授業」〜ようこそ先輩の主題歌 より)

下記の書き込み〔133〕に続きます。
二十年ほど前の話になります。〔133〕に記されている石上神宮の森宮司さんとは、五年間ほど、宮城県内の某神社に共に奉職しておりました。うちの祖母に緊急輸血が必要となった際、あまり多くない血液型だった為、唯一人、同じ血液型だった森宮司さんには当方まで来ていただいて、直接、祖母に輸血していただきました。おかげで一命を取り留めました。

今になって考えてみると、まさに、「縁は異なもの♪それもいいもの♪・・・・・それはインスピレ−ション・・♪♪・」ですね。

森宮司さんのおそばにいらっしゃる方で、この書き込みを目にされた方がいらしたら、どうぞ、よろしくお伝えください。


[133] 鎮魂力 投稿者:道開き 投稿日:2005/08/26(Fri) 20:57  
「鎮魂」には「タマフリ」と「タマシズメ」の二つの義がある。
「タマフリ(魂振り)」とは、神の御魂を招いて自らの魂を広大にさせる法で、「ミタマノフユ(殖ゆ)」を得る義。
「タマシズメ」とは、我が魂の離れ散るのを招き返し、結び止めるの義。

古くより、「布留(フル)のヤシロ」と呼ばれた奈良県の石上(いそのかみ)神宮に伝わる「鎮魂法」は布留部神業(ふるべのかんわざ)として今日までも伝わっている。神社本庁でも、神職が修養すべき行法として認可している。その中の、「ふるへ ゆらゆらと ふるへ」という唱え言葉は「布留(フル)の言(こと)」といって、「十種の神寶(とくさのかんだから)」の御名とともに唱えられる。

以前、“現代の陰陽師”といわれた和田さんが、スタジオの50〜100人の外国人に手を組ませて、この「布留(フル)の言(こと)」を唱えたら半数ほどの人が神憑り状態になってしまったのをあるテレビ番組(『そこが変だよ、日本人』)で観たことがある。どうやら、その際には「鎮魂」が「帰神」にまで至ってしまったように見受けられた。

私の経験から言うと、「十種の神寶(とくさのかんだから)」の御名を唱える方が、憑いているモノの霊的活動は活発になると考えられる。ある憑きモノのお祓いをしていた時なんかは、かなりのシツコさだったものが、「十種の神寶」の御名を唱えたとたん、付き添いで来ていた二人の霊能者の方にモノが飛んでいき、住んでいたところを汚されたことを怒る沼のヌシ(白蛇)とか、首吊り自殺した女性などが、自らの思いを語りだした。・・・実に魂消た(たまげた)。

幕末期から明治期にかけて活躍した神道家に、古代の朝廷で行われていたという「鎮魂法」と「帰神法」を復活させたとされる、ある社の宮司をも務めていた本田親徳(ほんだちかあつ)がいる。その親徳によれば、

「鎮魂」とは、(1)日常的な霊魂の訓練のようなものとし、(2)帰神=憑霊のための準備的行法であり、(3)自他の霊魂を外部の物体に憑依集中させることとしており、(4)自己の霊魂が天御中主神のもとに至ることによる神人感応(この場合「脱魂」に近いと考えられる)、
とも説いている。

本田親徳の「鎮魂」の説をよくよく考えてみると、我々が日々行っている神明奉仕のほとんど(お祓い・・・神符やお守の「御神入れ(ごしんいれ)」・・・地鎮祭などの外祭を斎行する際の「降神・昇神」の儀式・・・等)は「鎮魂」に関わってくるように思われるがいかがなものか。

現在の多くの古神道系教団(生長の家、世界救世教、崇教真光・・・・)の元の元となった教団・大本教の「鎮魂帰神法」(鎮魂状態を深めていき、神憑りを起こす方法)などは、本田親徳の「鎮魂法と帰神法」を聖師・出口王仁三郎が採用し、海軍機関学校の英語教授を辞職し大本入りした、後に心霊科学研究会を設立して、日本でのスピリッチャリズムの普及に努めた浅野和三郎が発展させたもの。
氏は、神憑りを誘発させ、霊に訓戒をあたえたり、教導したりする役目の審神者(さにわ)について以下のように説明している。

「邪神か正神かを判断し、教導する役目が審神者(さにわ)である。審神者は誰でもすぐになれるというものではなく、一定の修養を終え、体力気力ともに充実し、確固たる信仰心をもった霊的権威者でなければならない。真の審神者はその背後に神力の助けがあるので、どんな守護神をも発動させる特権を持っている。守護神(この場合、被術者に憑いている霊のこと)がどうしても帰順しなかったり、凶暴に振舞ったり、ものすごい強圧的な霊力で逆襲することもある。その場合でも、審神者は、正神界の神の守護を祈りながら、権威をもって誘導したり、なだめすかしたり、叱責したり、霊縛したりするなどして救済の道を尽くすのであるが、それでも無理な場合は強制的に元に戻す。・・・・」

この場合の審神者(さにわ)とは、「真の“鎮魂力”を身に着けた人物」ということを言っていると解してもかまわないのではないだろうか。


[131] 「トホカミエミタメ」 投稿者:道開き 投稿日:2005/06/27(Mon) 15:26  
「トホカミエミタメ」
どんな意味の言葉なのだろうか?
「遠つ神 笑み給え」という説もあるが、ちょっと信じがたい。

この「トホカミエミタメ」という言葉、古えの日本においては、
亀卜(きぼく)や鹿卜(ろくぼく)などの“占い”を行う際に唱えられた言葉とされている。
つまり、「神ながら」の状態(「鎮魂」状態・トランス)」に入り込んで、“占い”によって見えない世界からの情報を得ようとする時に唱えられた言葉なのである。

この言葉、「清め祓い」の儀式を行う際にも唱えられた。
古代より、天皇家の霊性を守り続けてきた「白川神祇伯王家(しらかわじんぎはくおうけ)」の神道・「伯家(はっけ)神道」に伝わってきた“三種祓詞(みくさ・ばらいし)”がそれである。

「吐菩加身依美多女(とほかみえみため) 祓い給い 清め給え」

「トホカミエミタ」に続けて、
「寒言神尊利根陀見(かん・ごん・しん・そん・り・こん・だ・けん) 祓い給い 清め給え」

と唱えると“三種大祓(みくさ・おおはらえ)”となるが、
これは、易の八卦(はっけ・坎艮震巽離坤兌乾)に基づくものなので、純粋な古神道を志向した復古神道系の神道家らは“三種大祓”を退け、“三種祓詞”のみを重視する。

やはり、「祓い」を行う際にも、「神ながら(トランス)の状態(「鎮魂」状態)」に入り込む必要性があると考えられたので「トホカミエミタメ」が唱えられたのであろう。

この「トホカミエミタメ」の唱え言葉、幕末期にはかなり広く世の中で唱えられたようである。当時の、吐菩加身(とほかみ)神道の創始者・井上正鐡(かね)などは、「トホカミエミタメ」を唱える“鎮魂行法”まで確立した。現在でも、多くの古神道系の教団では唱え続けられている。

私の場合も、この“三種祓詞(みくさ・ばらいし)”が好きで、なんとも言えないくらい自分にマッチするので、毎朝、「鎮魂行」を行う際にも、「易占」を行う際にも、「祓い」を行う際にも唱える。
特に、急激な“ギァ−・チェンジ”を要する場合の「憑き物落とし」の祈祷を行う際などには、本当に便利な「唱え言葉」である。一気に“トップ”まで持って行くことができる。

つまり、「トホカミエミタメ」とは「鎮魂」状態に入るための言葉、と考えると理解しやすい。


[130] ありがとうございます 投稿者: 投稿日:2005/05/12(Thu) 19:50  
お返事ありがとうございます。
現在の状況などをご相談したいと思っております。特殊な世界であるため、身近に相談できる人がいなくて悩んでいました。ぜひよろしくお願いいたします。


[129] Re[128]: お久しぶりです 投稿者:道開き 投稿日:2005/05/09(Mon) 07:26  
こんにちは。

この「掲示板」、書き込みされるとこちら側にその内容が自動的にメ−ルされる仕組みになっております。
最近、「掲示板に投稿がありました」というイタズラ・メ−ルが多くて、その種のものと勘違いしてそのまま削除してしまったと思われます。
まことに申し訳ありませんでした。

ご質問の件ですが、答えられる範囲内でしたら何とかお答えいたしますので、どうぞお気を使うことのないようにメ−ルを送ってよこしてください。


[128] お久しぶりです 投稿者: 投稿日:2005/05/07(Sat) 15:58  
おといねっぷさんの掲示板でお世話になった結です。おぼえていらっしゃるでしょうか?長い間連絡もせず失礼いたしました。何ヶ月か前に一度メールさせていただいたのですがそれは届いていたでしょうか?以前のメールアドレスが使えなくなってしまいました。新しいメールアドレスでまた色々お話をさせていただきたおと思っているのですが・・・。失礼なお願いだとは思いますが、ぜひお願いいたします。


[127] 今、時代はまさに“多チャンネル” 投稿者:道開き 投稿日:2005/04/05(Tue) 17:27  
“多チャンネル”、このような情報発信の形態は、おそらくはアメリカで生まれた一つの情報文化なのでしょう。この情報発信形態の変化は、世の中を一変してしまうと考えられます。それは善きにつけ悪しきにつけですが。

例えば、これまでのテレビやラジオの様に、限られた数の少ないチャンネルだと、どうしても、一般人に、平均的に受けることを前提とした浅い内容のものを、それも30分や1時間、長くても2時間とかの短い時間内で放送するという形になってしまいます。
深い専門知識を得たい人にとっては、どうしても物足りないものとなってしまいます。選択数も限られてしまいます。

それが「多チャンネル時代」ともなると、情報を発信する側は、じっくりと時間をかけられるようになりました。かなり専門的な情報を発信することが可能になりました。例えば、一日中、世界の株市場情報を流すチャンネルとか、スポ−ツ専門チャンネル、地球環境情報チャンネル、お天気情報専門チャンネルとか。・・・・・(アメリカでは、キリスト教会の牧師の説教を専門に流しているチャンネルもだいぶ以前から存在するらしい)
そして、「以前だったら、決して取り上げられることはなかっただろうな〜」とつくづく感じられる内容のものも、BSなどではじっくりと時間をかけて放映されます。
例えば、日本のある地方の山村に住む人たちの農耕や伝承文化とか、里山での自然と一体化した伝統的生活とかを、3時間も4時間もかけて丹念に紹介してくれます。
よって、「これまでまったく見向きもしなかったようなことに対して心底興味がそそられるようになる」ということが多々あります。
それに、多くの人が情報を発信する側にも立てるようになりました。

情報を求める側にとっても、そういった多くの情報を、自分で自由に選んで見られるようになり、そこにインタ−ネットの情報発信まで加えると、その可能性たるや無限にまで広がりを持つこととなります。

でも、「多チャンネル時代」においては、これまでとは違ったことにも気をつけなければならなくなることでしょう。つまり、マニアックな専門バカにならないでいることもかなり重要となってくる。つまり、これまで通りの一般受けのする情報にも耳を傾け、目を向けることを忘れてはならないということにもなるのでしょう。・・・・・おそらく。


[125] 「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)のHP 投稿者:道開き 投稿日:2005/01/10(Mon) 12:45  


http://www.kyouikukaikaku.net/index.html


[124] 「日本の教育改革」A 投稿者:道開き 投稿日:2005/01/10(Mon) 11:12  
現在の日本、子殺し、親殺し、様々な形を取る虐待の数々、汚職・・・と
乱れに乱れ、奈落の底の闇の中に陥っている観さえあります。
何と言ったらいいのか、日本が、いや日本人がおかしくなってしまいました。

氏子の人たちと話をしてみると、ほとんど必ずと言っていいほどにそういった話題になり、日本の先行きに対する不安が持たれてしょうがないということに辿り着いてしまいます。世代を問わず、ほとんど皆が皆、そのように感じているようです。

しかし、昨年、その真っ暗な闇に一閃の光が射したかと思われる出来事が起こりました。それは、戦後の日本社会の混乱・腐敗の元の元、原因となったと考えられている「歪んだ戦後教育」の見直しの動きです。
「教育基本法改正」を目指す大きなうねりが、官の主導ではなく、民間から起こりました。
つまり、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)が組織されたのです。

この動き、私的には、神々からもたらされた日本の社会の“清め祓い”のお働きが始まっているのだな〜と感じております。

●【民間教育臨調主要役員名簿】
会長   西澤潤一(岩手県立大学長)

運営委員長 高橋史郎(明星大学教授)

副会長  石井公一郎(元ブリジストンサイクル(株)社長)
     宇佐美忠信(〔財〕富士社会教育センタ−理事長)
     長谷川三千子(埼玉大学教授)
     村松英子(女優)
     安嶋 彌(日本工芸会長)

主要役員 秋山 仁(東海大学教授)
     米谷啓和(〔財〕日本青年会議所会)
     朝倉敏夫(読売新聞社論説委員長)
     石川忠雄(慶應義塾大学名誉教授)
     市村真一(〔財〕国際東アジア研究センタ−顧問)
     
稲盛和夫(京セラ(株)名誉会長)
     鵜川 昇(桐蔭横浜大学学長)
     江口克彦(PHP研究所副社長)
     大坪 清(レンゴ−(株)社長)
     岡崎久彦(〔株〕博報堂岡崎研究所所長)

     岡本睦治(日本興亜損害保険(株)会長)
     岡本道雄(〔財〕日独文化研究所理事長・元臨教審会長)
     奥田 務(〔株〕大丸会長)
     小野田寛郎(〔財〕小野田自然塾理事長)
     金井 肇(教育理念部会長・日本教育文化研究所長)

     川島廣守(前日本プロ野球組織コミッショナ−)
     川淵三郎(日本サッカ−協会会長)
     木村昌平(〔株〕セコム代表取締役社長)
     小林 正(教育制度部会長・元参議院議員)
     小林陽太郎(富士ゼロックス(株)会長)

境川 尚(日本相撲協会相談役)
     里見浩太郎(俳優)
     下山敏郎(オリンパス(株)取締役最高顧問)
     鈴木 勲(日本弘道会会長)
     千 玄室(茶道裏千家前家元)

     平 辰(〔株〕大庄取締役社長)
     多湖 輝(千葉大学名誉教授)
     津川雅彦(俳優)
     坪井栄孝(日本医師会会長
     内藤明人(リンナイ(株)会長)

     中西輝政(京都大学教授)
     西原春夫(青少年育成国民会議会長)
     浜田 広(〔株〕リコ−取締役会長)
     林 道義(家庭教育部会長・東京女子大学教授)
     羽山 昇(理想科学工業(株)取締役会長)

     日野原重明(聖路加看護学園理事長)
     広中平祐(京都大学名誉教授)
     星 正雄(全日本中学校長会前会長)
     堀越克明(日本私立中学高等学校連合会会長)
     三好祐司(全日本教職員連盟委員長)

     牧内節男(元スポ−ツニッポン新聞社会長)
     松田昌士(東日本旅客鉄道(株)会長)
     松田 昇(学校教育部会長・滋賀大学名誉教授)
     森本裕士(佐藤工業(株)会長)
     山田龍太郎(〔社〕全国教育問題協議会理事長)

     山本卓眞(富士通(株)名誉会長)
     屋山太郎(政治評論家)
     和田秀樹(精神科医)
     渡部昇一(上智大学名誉教授)


[123] 日本人の“心の再生”を探る 投稿者:道開き 投稿日:2004/11/03(Wed) 23:29  
こういった内容のテレビ番組、最近、本当に本当に多いです。
日本が、この100年程の間に押し進めてきた急激な近代化(欧米化)によって喪失してしまった文化の確認作業、そして再生作業が一気に進みだしている観があります。

イギリスの女流紀行作家にイザベラ・バ−ドという方がおられます。今から126年前の明治11年の夏の三ヶ月間、当時の東北地方を旅した時に著した『日本奥地紀行』が最近ブ−ムになっているようです。最近、2つの特集番組を観る機会を得ました。
堅い歴史書には記されていない、当時の一般庶民の生活が詳細に描かれています。
「日本人の心の原風景」を、そして「今後の“再生”」を、探る為の良き「手引き書」になるのではないかと考えられているようです。

その中の一文に次のような記述があります。山形地方、いくつもの峠越えをして、バ−ドがある宿にたどり着いたときのこと、

「家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇(うちわ)を持ってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。料金をたずねると、少しもいらないと言い、どうしても受け取らなかった。
私は、日本を思い出す限り、彼らのことを忘れることはないだろう。彼らの親切には心をひどく打たれるものがあった。」

又、次の様なエピソ−ドもあったといいます。
ある宿で疲れて休んでいると1,000人もの群衆に囲まれたという。が、その群衆の人たちにはちゃんとした秩序があって、前の人たちは、後ろの人たちが見やすいようにキチンとしゃがんでやっている。だから全く恐怖を感じることはなかったと。

人力車の車夫の描写もあります。
恐い顔をして、全身に魚の刺青をした男たちが、日光までバ−ドたちを運んだ。彼らは契約額以上のお金は一切受け取らなかった。それで、別れ際に、ふっと姿を消したかと思ったら、野原で花を摘んで渡してくれたという。

とにかくバ−ドにとって、当時の日本は、とても「安全な社会」に見受けられたようです。
そして、繰り返し繰り返し、紀行の中に書かれていたのは、
「日本人は勤勉であり、田園風景はとても美しく、まるでアルカディア(桃源郷)のようなところ」だということでした。



[122] 「旧暦リズム」の暮らし 投稿者:道開き 投稿日:2004/11/01(Mon) 19:15  
「旧暦」リズムとは、「月」の“満ち欠け”の織りなすリズム。つまり、「無意識」のリズム、「人間本来の精神生活」リズムのことです。


[121] ●「お盆」の行事 投稿者:道開き 投稿日:2004/07/13(Tue) 19:01  
“正月”を特徴づける神格が「年神」であり「鬼」であるのに対して、その対極つまり一年の折り返し地点に位 置する“盆”前後の行事を特徴づける神格は、人間起源の神格つまり「祖霊」や「怨霊」、「幽霊」です。

神道では大晦日に「大祓い」を行うが、六月の晦日(みそか)にも上半期のケガレを祓う「夏越しの祓い」が行われる。これは仏教寺院の「除夜の鐘」に相当するといってもいいかもしれないし、七月一日は正月元旦に相当する。

この七月一日に「地獄の釜の蓋(ふた)が開く」といって、あの世にいる祖霊がこの世に向かっての旅を開始するとされる。年神の来訪日とは少しズレる。祖霊が家々を訪問して来るのは、十三日の夜か十四日の朝である。
もっとも盆の開始は、七日の「七夕の日」とするところもあり、この日から盆の準備が始められ、十三日の夜か十四日の朝に、軒下や門の前、あるいは近くの辻(つじ)などで「迎え火」を焚いて先祖を迎え、十四日の日に先祖のための「施餓飢供養(せがきくよう)」をし、十五日の夜には「送り火」を焚いて先祖をあの世へと送り返す。この「送り火」が大規模化したのが、京都の「大文字送り」である。

年神を迎えるのが「松飾り」であり、「年棚」であるのに対し、祖霊を迎えるための装置は、「迎え火」であり、「精霊(しょうりょう)棚」である。
この棚には餅を供えることはなく、この季節にとれる野菜や果実が供えられる。

このような日本古来の祖霊信仰が、仏教渡来後には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と習合することとなります。
そもそも“お盆”という言葉の語源は、「盂蘭盆(うらぼん)」、あるいは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、古代インドのサンスクリット語で、“さかさ吊り”を意味する「ウランバナ」にあります。
これは、亡き母が地獄でさかさ吊りの苦しみに逢っていることを知った釈迦の弟子のひとりが、供養をしてその苦しみから母を救ったという話にもとづいています。

 現在では「旧盆(旧暦の盆)」ではなく新暦の「月遅れ盆」で行っているところが多くなっています。「お盆」にはこの他、秋の豊作を祈る意味があるともいわれ、さらに、麦の収穫を祝って感謝する「麦の正月」という意味もある。

 又、“盆踊り”は、大きく二分することができ、「祖霊や亡霊を招いて送り返す意味をもったもの」と、「豊年祈願のためのもの」とがある。前者には、町をねって歩く群行式のものが多く、踊り手が覆面のようなかぶりものをつけて亡者になって踊るものもある。後者は、そろいの衣装を身につけて踊る派手なもの。

●中元(ちゅうげん)
古代中国では、正月十五日を「上元」、七月十五日を「中元」、十月十五日を「下元」と呼び、合わせて「三元」と称し、贖罪(しょくざい)の日とされた。いずれも満月の日となる。中元の場合、この日には「盂蘭盆(うらぼん)」の行事を行い、先祖を供養する日とされていた。
 日本では、時代はハッキリしないが、中元の時期、「盆供」「盆歳暮」といって物品を贈答する風習ができ、それがしだいに広まって、「お中元」として現在に残っている。


[120] 艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉 にす 投稿者:道開き 投稿日:2004/07/01(Thu) 18:32  
●艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす

つくづく、「なるほどな〜」と考えさせられるこの言葉、
英語のことわざ
Adversity makes a man wise.
(逆境が人をつくる)が日本語に翻訳された言葉だそうです。

最近、NHKで、「昆虫パワ−」について特集した番組を観る機会を得ました。昆虫は約四億年前にこの地球上に誕生し、何度かの氷河期など、絶えず変化してやまなかった過酷な地球環境に順応するために、各種それぞれに様々な進化をとげて、多種多様なパワ−を身に付けて今日に至っているとのことです。

最近、その昆虫のパワ−の元となっている体内物質を医薬に応用しようという研究が盛んで、日本がそういった技術の最先端を走っているのだそうです。日本には、古来の漢方医学の伝統もあり、西欧の近代医療技術もありですから。
古今東西のそういった“知”が、日本という独特の国においてコラボレ−ションしている世界潮流の中の、医学的ム−ブメントの一つなのでしょう。
〈最近、世界から、“ジャパニ−ズ・ク−ル(日本的格好良さ)”と呼ばれているのは、まさにこの「温故知新」のバランスの良さだと思われます。〉


ある種の幼虫の体液の一部が、ガン細胞を破壊する力を持っていたり、又は、抗生物質の乱用によって耐性を強め、全く抗生物質が効かなくなってしまった、つまり、西洋医学が生み出したバケモノ「ス−パ−結核菌」をも死滅させる力を持っていたりとかするそうです。

結局、これら昆虫たちの驚異のパワ−の源は、四億年の過酷な環境の変化に堪え忍んできたことによって進化し、身に付いたものです。ですから、これを人間に当てはめて考えてみると、個人だって、組織だって、過保護状態で安穏とした環境下にあるものは、生命力を失い、やがては消滅してしまうのだろうということに思いが至ってしまいました。

ですから、“ジェンダ−・フリ−”などという、いかにも耳にやさしい、甘いものの考え方は、実に「不自然」で、自然を無視した、人の頭の中だけで構築された思想だと思われてしまいます。「男らしさ、女らしさ」とい
うものは女性にも男性にもプレッシャ−となるので良くないとか・・・
話によると、一人のフランスの社会学者が提唱した思想なそうな。
何でそんなものを進歩的なものと捉えて、日本社会全体を男女の性差のなくなる世の中にしていかなければならないのだろうか。

漢方医学は「陰陽五行説」から成り立っています。“陰陽のバランス・五行のバランス”のくずれが、健康を害し、病気に至らしめるものとして成り立っています。
何度もこの掲示板に書き込んできましたが、「陰陽五行説」は天体、自然、動物、人間・・・・“森羅万象を動かす原理”として、数千年もかけて、何百万人にも及ぶかとも思われる儒学者たちによって構築されて来たもので
す。

物事には両面が備わっています。例えば、台風は人命を奪ったり、住居を損壊させたりするというマイナスの側面 もあれば、稲作を成り立たせるための豊饒な水資源をもたらしてくれるというプラスの側面 もあります。
これは極めて不可能な例え話しになりますが、台風で被害を受けるから、台風を無くしてしまったのなら、台風がもたらす豊富な水資源が享受できなくなります。つまり、食料問題が起こってしまいます。
そんなことを考えるよりは、台風が来ても少しでも被害を少なくする対策を考えた方がず〜っと有効で、現実味があると思われます。

単純にプラス面の甘いことのみで理論の構築を行ってみても、そんなものは「砂上の楼閣」にすぎず、危なっかしくて仕方がないです。
世の知識人、リベラル派と呼ばれる方々には、新しいものは何でもかんでも進歩的なものだとして、むやみやたらに、訳の分からないものまでをも、この日本社会に持ち込まないで欲しいということを切に希望します。


[118] 「郷中(ごぢゅ)教育」 投稿者:道開き 投稿日:2004/06/06(Sun) 11:52  
神社界の機関誌に、鹿児島県(旧薩摩藩)の精矛(くはしほこ)神社の島津義秀宮司さんの一文が載っていました。

宮司さんは、神社の御祭神・精矛厳健雄命(くはしここいづたけをのみこと)こと島津義弘公の末裔の一人です。ごく最近、会社務めをお辞めになられて、神職資格を取得されて宮司に就かれたそうです。

その旧県社・精矛神社が今大戦後、石柱の“県社" の文字も削られ、地元の人たちからも神社の名すらも忘れ去られ、 藪の中に封印された状況にまでなっていた為だそうです。

島津義弘公と言えば、「関ヶ原の戦い」や「薩摩藩」が描かれた歴史小説には 必ずといっていい程に取りあげられるエピソ−ド、“島津の退(の)き口”で有名な戦国武将です。

つまり、天下分け目の関ヶ原の戦いの際に、味方の小早川軍の寝返りにより、敵の真っ只中に置き去りにされた島津兵わずか総勢三百余名を率いて、十万にも及ぶ敵の大将のいる本陣の正面 をめがけて突っ込み、“敵中突破"を断行し成功させた勇将として広く世に知られています。

そして、今回の神社の再興は、「郷中(ごぢゅ)教育」を復活させる形を取って行われました。「郷中(ごぢゅ)教育」というのは薩摩藩内で行われた独特の教育方法で、今の高校二年生ぐらいの子がリ−ダ−となり、中学生や小学生を指導する組織で、いわゆる異年齢集団です。そこには大人は一切介入せず、青少年たちの完全なる自治運営がなされました。

ここでは、古武道や薩摩琵琶などを皆が修練し、そこで育った者は成人を迎えると、次は国事に奔走しました。
西郷隆盛、大久保利通、大山巌・・といった、ここで育った若干二十歳前後の若者たちが明治維新の原動力となり日本を変えました。

当時は、薩摩藩のみならず、長州、土佐などにも似たような教育の場がありました。(長州の吉田松陰の私塾・松下村塾はつとに有名です。)
当時の藩(地方社会)では、極めて健全な教育が行われていたようです。
現在のような、極端に管理された、型にはめ込まれた“マス”の偏差値教育とは全く異なる教育方法がとられていたようです。

一説によると、イギリスで生まれたボ−イスカウトはこの「郷中(ごぢゅ)教育」をモデルにしたということです。
薩英戦争後、薩摩藩と英国はかなり親密さを深めましたので、あながち作り話とは言えないかもしれません。

最近テレビで観たのですが、現在の日本に置いて増加の一途を辿っている「青少年犯罪」が、逆に、急激に減少している地域があるとのこと。
それは、旧薩摩藩だった鹿児島市です。

それは、“校区公民館制”という制度をしいて以降のことだとされています。
小中学校の校庭内に地域のコミュニティ−センタ−となる公民館を設置し、地域ぐるみで教育に関わる形をつくったのだそうです。
薩摩藩時代の「郷中(ごぢゅ)教育」を参考にしたのではなかろうかとも考えられます。


[117] 三段階の成長過程 投稿者:道開き 投稿日:2004/05/18(Tue) 14:17  
「三枚のおふだ」「三匹のこぶた」「三匹のやぎのがらがらどん」など、男の子の成長を描いた民話には三のつく物語が多いのだそうです。

特に、「三匹のやぎのがらがらどん」は象徴的なのだそうです。
この話は、三匹のヤギが橋を渡って草を食べに行くという単純な話です。

最初に橋を渡るのは、一番小さなヤギです。人間で言えば幼稚園児です。
橋の下に隠れているトロル(悪い妖精)が、子ヤギを見つけて食べようとします。子ヤギは、「こんな小さくてかわいいボクを食べるの?」と泣き落とし作戦に出ます。トロルは、こんな小さなヤギを食べてもしょうがないと考え直します。

次に橋を渡るのは、中型のヤギです。人間で言えば中学生くらです。
トロルが食べようとすると、「後からもっと大きくておいしいヤギが来るよ」と智恵を働かせます。実は、これは大型のヤギを裏切る言葉ではなく、大型のヤギがトロルを退治してくれることを信じての言葉です。

そして実際、最後にやってくる大型のヤギは、トロルを角で一突きで倒してしまいます。

なぜ、このような何の変哲もない話が語り継がれてきたのでしょうか?
その理由こそ、「人間の男性の成長そのもの」を語っているからなのだそうです。


第一段階は、愛される時代です。みんなからたくさんの愛情をもらって成長します。愛されることが仕事の時代です。

第二段階は、英雄体験をする時代です。その時までに人からもらった愛と智恵と勇気を使って英雄体験をするのです。

最後の第三段階は、自信と誇りを高める時代です。英雄体験を終え、身につけた智恵と勇気で人々の呪いを解き、人を愛して知識を智恵に変える時代。いわゆる大人となった時代です。
そして、大人には、少年たちの英雄体験を支援する義務があるので、幼児を見たら愛し、中高生を見たら英雄体験がうまくいくように智恵を授ける。
これを怠ると、世の中そのものがうまくいかなくなってくるのだそうです。

これ、仕事に就いた若者を教育する場合なんかとも同じように思えます。
先ずは、事細かく手取り足取り教え込んで、今度は自分一人でやらせてみて、うまく軌道に乗っているようだったら後はその者に全部任せてしまい後進の指導にも当たらせる。

ところが現代の教育の場(家庭内or学校内)は、この三段階の成長過程のバランスがうまく機能していない状態なのだそうです。


[116] 日本の教育改革 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/28(Wed) 20:23  

映画『スタンド・バイ・ミ−』を観るにつけ、

ようやく、戦後の誤った国の教育方針にストップをかけようとする動きが民間から起こり始めています。

仙台に縁の深い岩手県立大学学長・西澤潤一先生を会長に、
明星大学教授・高橋史朗先生を運営委員長とする「民間教育臨調」
(「日本の教育改革」有識者懇談会)です。

どうか、皆さんも「教育基本法改正」の為にお力添えをお願いします。


[115] 映画『スタンド・バイ・ミ−』 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/28(Wed) 20:22  

下記の書き込み[112]において載せた、少年期の“英雄体験”がそのまま映画になった作品『スタンド・バイ・ミ−』を詳しく取りあげてみます。
これもある本に書いてあった内容です。

ご存知、有名な1986年のアメリカ映画です。流行作家スティ−ブン・キングの自伝的原作をロブ・ライナ−が監督しました。
舞台は、アメリカのオレゴン州のキャッスルロックという、人口わずか1, 281人という小さな田舎町です。

1959年の夏、列車に跳ねられた少年の死体のある場所の情報を12才の少年たち四人が入手します。この四人の少年たちは、あまり恵まれた家庭の子たちではなく、父親からコンロで耳を焼かれるなどの虐待を受けていたりしている子、父親に冷たくされている子、父親がアルコ−ル中毒だったりしている、それぞれに家庭問題をかかえている少年たちです。
1959年当時のアメリカは古き良き時代を残しながら、急速に家庭が崩壊しつつあった時代だそうです。

この四人の少年は親に内緒で死体探しの旅に出かけます。それはたった二日間の出来事ですが、最大の収穫は「自分自身と出会えたこと」でした。
このことこそが“英雄体験”の本質となります。
彼らはこの旅を通して、新しい世界を体験して生還しました。心の中にいる魔物と戦い、自分も知らなかった自分と出会って町に戻ります。
だから、冒険の旅を終えてキャッスルロックに戻った時、町が小さく、そして、違って見えたのでした。

クリスがゴ−ディに線路の上を歩きながらたずねるシ−ンがあります。
「小説家になるのか?」
「やだよ、ものを書くなんて、時間の無駄だ、バカげている」
「それはお前のパパの言葉だろう。お前のお父さんは何もわかっちゃいない。(死んだ)お兄さんのことで頭がいっぱいだ。
代わってやりたいよ、もしもオレがキミのパパなら、就職組に行くとは言わせない。キミには才能がある。ものを書くのがうまい。でも、それを誰かが育てなければ、才能は消えてしまう。キミの親がやらないのならオレが守ってやる!」

クリスはゴ−ディを励まします。しかも、本気で。だからゴ−ディは作家になれました。父親にかけられた呪いをクリスがといたのです。
一方、クリスも、人の呪いをとく作業を通して、ひとつの“智恵”と“勇気”を獲得します。この智恵こそ、自分にかけられた呪いをとくのに必要な智恵だったのです。

“智恵”を獲得するには“智恵”が要る。その為の恐れを乗り越える力が“勇気”です。彼らの場合、その“勇気”はお互いに励まし合うことで得られました。それが“友情”です。

【英雄体験とは、何をしたかが重要なのではなく、そこで智恵と勇気を得たかどうかが重要となる】のだそうです。

こんどはゴ−ディがクリスを励ますシ−ンがあります。
「ぼくと一緒に進学組に入ろう!」
「ムリだよ」
「どうして?」
「みんな家庭で判断するから・・・」
「そんなことは間違っている!」
そして、クリスは給食代をくすねた事実を告白し、それを思い直して先生に届けたこと、しかし、そのお金を先生が盗み、濡れ衣を着せられ定学させられたことを泣きながら話します。
「父親がアル中で、兄は町のチンピラの僕の話なんかだれも信じてくれない。もし僕が金持ちの家の子だったら先生だってそんなことしないだろう。」
「僕のことを誰も知らない土地に行きたいよ、オレって女々(めめ)しいよな。・・・」

家庭に恵まれなかったクリスも、良き友を得ることで、その友から本気で幸福を願われることで、自分にかけられた呪いをとくことができました。
やがて、クリスは努力して弁護士になります。

社会の人々からいいことをされた人は、大人になった時、必ず、社会の人々にもいいことをしようとします。
よって、「大人には、少年たちの英雄体験を支援する義務がある」のだそうです。

この映画の冒頭のシ−ンは、この夏の冒険の旅から20〜30年も経ち、作家となったゴ−ディが、弁護士となったクリスがたまたま行きあわせたレストランで、他人の争いごとの仲介にはいって首をナイフで刺されたという知らせを受け取ったところから始まります。


[112] 英雄体験 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/27(Tue) 17:03  
ジョ−ジ・ル−カス監督のヒット・シリ−ズ『スタ−・ウォ−ズ』は、典型的な“英雄体験”物語だと言います。
実は、ジョ−ジ・ル−カス監督は、映画を製作するにあたり、著名な神話学者ジョセフ・キャンベルに相談しています。彼の答えは「英雄体験をベ−スに脚本を書けばいい」というものでした。

英雄体験とは、何をするかが大事なのではなく、どんな気持ちでそれをするかが大事で、自分が自分に誇ることができる行為で誰にも褒められる必要はないといいます。
映画『スタンド・バイ・ミ−』での少年たちのひと夏の体験こそが典型的な少年期の英雄体験となるのだそうです。

男子には、冒険や遊びという少年期の英雄体験を通して、生きていくための“智恵と勇気”を手に入れ、自分自身と出会い、そして自分の中の何者かと戦って自分にかけられた呪縛から解放され生還するという体験が必要な
のだそうです。
そして、そういった自分の体験を通して得られた“智恵と勇気”を駆使し、他者にかけられた呪縛をも解いて行く力を得ていくのだと言います。

二十代までに様々な英雄体験をしておかないと、その後の人生を生き抜く為に有用となる真の“智恵と勇気”が身に付かないととのこと。

つまり、『スタ−・ウォ−ズ』の宇宙の戦いは、人の「無意識の宇宙の象徴」となる出来事だというのです。

ところが、現代の日本社会は「英雄体験がしにくい社会」となっている。
個人の尊厳や痛みが無視され、「偏差値ばかりが重視された教育」、そして、「拝金主義」。「過剰な管理社会」となり、人生を楽しむ大人も少なくなった状態だといいます。

英雄体験がしやすいようにお膳立てする旧来の伝統的システムが崩壊してしまい、多くの世の常識も間違っているという。経済的に立派になるように教育しても、人間として立派になるように教育していない。英雄体験を支援する人も、そして智恵を授ける人もいなくなった社会。

お祭りや地域の行事など、かつては少年たちの英雄体験には貴重なチャンスだったことか軽視され、今や、スポ−ツができるとか、勉強ができるとかということでないと認められなくなっているという。


[111] ♪♪ ボロは着てても 心は錦(にしき) ♪ 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/27(Tue) 17:02  
最近読んだ本に、そう言えばそうだな〜と考えさせられる一節がありました。


「行為の美しさこそ自分のブランドである」という価値観を持っている人々がいる。
美しい心は美しい行動となって表れる、それが美徳だと考える文明社会がこの世にはまだ存続しているという。ネイティブ・アメリカンやイヌイット族(エスキモ−)、アイヌなどの“少数民族”と言われる人々である。

先進諸国と呼ばれている国々の人々は、「どんなに行為が美しくても、お金や名誉や学歴がなければ意味がない」と考えますが、彼らは逆に、「どんなにお金があっても、愛がなかったら意味がない」と考える。

「お金と名誉と学歴をもっていても、人を騙したり、意地悪だったり、愛がなかったら、生きているとは言えない、人間ではない」と彼らは考えている。
初対面の人と出会った時、現代に生きる私たちは、まず職業や学歴を気にしますが、彼らは「これまでどんな生き方をしてきたか、老人や子どもにはやさしかったか、親切にしてもらった時は人にきちんと敬意をはらってきたか、誠実に生きてきたか」ということを気にします。つまり、行為の美しさで人を判断しようとする。


よくよく考えてみると、ちょっと前までは、日本人にも似たような考え方をする人たちが回りに大勢いたような気がします。

「♪♪ ボロは着てても 心は錦(にしき) どんな花より綺麗だぜ♪」

「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」


[110] 一枚の写真から 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/07(Wed) 07:20  
最近、〔白鬚神社メニュ−〕の「フォトグラフ」に『信仰・祭りの今昔』をアップしました。

上段の中央に位置する“一枚の写真”。今から84年も前の、大正九年の春祭りに撮影されたものだそうです。

踊る女性たちの後ろに集まった老若男女の見物人たち。今でもご存命の方はいらっしゃるのだろうか。おそらくこの内のほとんどが、現在の氏子の皆さん方の「ご先祖様」となっておられるか、女性の場合はどこか遠くに嫁いで行かれたのでしょう。小さいお子さん姿で写 っておられる方々には戦死なさった方などもいらっしゃることでしょうし・・・・・

この人たちの、この写真撮影後に歩まれた人生を考えてみると、どういう訳か不覚にも、思わず涙が流れてしまいました。


[108] 愛・地球博 投稿者:道開き 投稿日:2004/04/06(Tue) 21:30  
地球環境、日本独自の“里山”文化、二足歩行ロボット、リニア・モ−タ−カ−、ハイブリッド・バス・・・・・・

日本発の「21世紀型社会を先取りするイベント」です。

http://www-3.expo2005.or.jp/jp/index.html


[107] 「地球環境」と「宗教」 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/22(Mon) 13:32  
以下は、三年ほど前に書き込みました「映画『もののけ姫』を“再度”考える」といったテ−マのものです。再度、取り上げて見ます。
映画『もののけ姫』の扱っているテ−マは「森林破壊と文明の崩壊」という相関関係です。これは有史以来、人間が繰り返し行ってきた過ちを日本風にアレンジし映像化した作品なのです。

そのスト−リ−のもととなっているのは人類最古の物語『ギルガメシュ叙事詩』です。現在より5,000年程以前の新シュメ−ル時代の古代メソポタミアにあった都市国家ウルクの、実在の王ギルガメシュの物語です。

王は「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と友人エンキムドゥと共に、最高神エンリルに命ぜられ森を守っていた森の神フンババを殺し「内蔵を肺まで取り除き、頭をつかみ金桶に押し込めた」と記されている。それにより王は天罰をこうむり、七年間の飢饉が引き起こされ、長い長いあの世への旅をしなければならない運命へと導かれたのである。
つまり、5,000年前には既に「森林破壊による文明崩壊」が起きていたことをも物語は語っている。

やがて、人々は地中海方面へと森林資源をもとめるようになる。そして栄えたのがクレタ島を中心とするミノア文明である。しかし、それも森林破壊によって崩壊し、次に豊富な森林資源によって栄えたのがギリシアのミケ−ネ文明である。そしてミケ−ネ文明も・・・
そうやって森林が破壊された跡には石灰岩むき出しの木の生えない大地だけが残されてしまった。テレビを見れば判るようにメソポタミアや地中海地方の風景には森林が映っていない。昔は森林で覆われていたというのはウソの様。 

つまり、人類は有史以来同じ事を繰り返しているみたいですね。但し、現在はグロ−バル化が進んでいるので、一地域の文明崩壊のみでは止まらず、全地球規模の文明崩壊が起こってしまう。地球温暖化、水質・土壌汚染、食糧問題・・・

この件に関して詳しく書いてある本を紹介します。
国際日本文化研究センタ−教授。「環境考古学」の確立者である
安田喜憲先生の著書で
『森を守る文明 森を支配する文明』です。

神道思想、神仏習合思想によって、日本は独自の「森を守る文明」を所有してきたというのです。
天上の唯一の神を崇拝する「一神教」と、あらゆる物に神性を感じる「多神教(アニミズム)」。つまり、この「こだわりの文化」と「いいとこどりの文化」との融合にこそ、21世紀に起こるであろう諸問題を解決していくカギが隠されているというのです。

私、先生とは1994年9月24日〜26日の三日間、伊勢神宮を本拠として、自然と人間の共生と新たな文明のモデルの構築をめざした「千年の森シンポジウム」が開催された時に同席しました。ただし、打ち上げパ−ティ−の席上でですが。


[106] 温故知新」って案外“今風”でカッコいいのかも・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/04(Thu) 12:32  
「古い神社で、静寂の暗闇の中でひっそりと行われている、太古から連綿と続く神事。アマゾンの奥地のインディオの集落における日常生活とか、チベットの山奥の寺院での僧侶たちによって行われている薬草の採集と調合の様子。・・・・・

日本発の文化・カラオケ、パチンコを楽しむ南米や東南アジアの人たち。
「寿司バ−」で和食ゃ日本酒を楽しむニュ−ヨ−カ−たち。
大都会TOKIO(東京)の高円寺・阿波踊りを仕切る町の人たちの横顔。
アフリカン・ダンスを習いに通う日本の若い女性たち。・・・・・・・

まさに“ハイテク”と呼べるであろう超高感度のハイビィジョン・カメラがこういった現代の様々な事象をテレビネットワ−ク上に映し出してくれていますネ。


「古今東西」の文化が複雑に入り乱れ、多種多様な“コラボレ−ション”が展開されている、こういったことが可能となっているのが現代社会の特徴かとも思われます。

こういった世の中であるからこそ、海上が大荒れしていても海中の深い部分では静寂が保たれているように、人も意識下の“原初性”の部分は大切にしていきたいとも考えられます。

まさに“幽玄”と形容するしか言いようのない、あの有名な秋田県の「西馬内(にしもない)の盆踊り」とか、“雄壮な”博多の「山笠」の祭りの時期になると、全国のどこの大都市からでも必ず里帰りをして、そこに加わることを無上の楽しみとしている若者たちがまだまだ大勢いるのだとのこと。

最近、テレビで見たのですが、(ロック歌手?とお呼びして構わないのか、)ミュ−ジシャンの長渕剛さん、空手をやっていることは以前から知っていたけれどとか、書道をたしなまれていらっしゃるとのこと。
長渕さんご本人の中では、そういった相異なるものの“コラボレ−ション”が既に完了しているかのよう。

音楽活動以外の日々を、故郷の大分で自給自足の農業に勤しんでいるという南こうせつさんとか、ニュ−ヨ−クに住んでいたときに突然“和”に目覚めてしまい日本に帰国して以来、都心の古い純和風家に住み続け
和風生活を送っているという大江千里さん。
ミュ−ジシャンとか、前衛の芸術家とか、時代を先取りするお仕事をなされている方にこういったセンスをもたれた方が多いように思われます。

こういった人達って、ITやパソコンonlyにのめりこんだり、西洋にかぶれているだけの若い人たちとか、逆に、古さとか伝統にばかり寄り掛かって現実を見ようとしない年輩者の方に較べると、「古今東西の“バランス”が上手くとれているようで、実にカッコいい」です。
本当の意味から言って、“今風”なのかな−とも思われます。

こういった人達の“無意識”から起こってくるのであろうかと思われる、この「温故知新」の絶妙な“バランス感覚”といったものが、“普遍的”なものであるからこそ、見る人に「心地よい!」「カッコいい!」と心から感じさせるのかもしれませんネ。


[103] 『国民の文明史』 投稿者:道開き 投稿日:2004/03/04(Thu) 12:27  
“原点”帰りPart3 とでもいった内容の書き込みになります。

最近、『国民の歴史』、『国民の道徳』『国民の教育』『国民の芸術』といったシリ−ズに、『国民の文明史』という本が加わりました。
著者は京都大学の中西輝政教授。

『国民の・・・』という題名は、一見、国粋主義的かな、右翼っぽいかなとも取られがちに思われますが、このシリ−ズの内容は、私的には実にオ−ソドックスで至極当然のものであると思われます。

以下は、以前にこのサイトの掲示板に書き込んだ「文明論」についてのものです。

[196] 盈(み)つれば欠(か)ける“十五夜の月
最近、日本の現況と今後の成り行きを“文明論”といった観点から読みとり、対応策を考えて行こうといったテレビ番組や本がやたらと目立ちます。そんな中、
『歴史街道』5月 特別増刊号  
「衰亡の歴史に学ぶ−「閉塞の時代」はどこへ向かうのか−」
といった本を読む機会を得ました。
第一部  大国はいかに栄え、滅びたか
第二部  地球環境と文明崩壊の不思議な関係
第三部  現代日本はどこへ行くのか

●偉大なる歴史学者・トインビ−博士は
「どの様な文明、国家も、その繁栄のまっただ中に、衰亡の種子をはらんでいる」
といった内容のことを記されておられます。

●『易経(えききょう)』というのは文字通り、易占の経典ですが、占いとリンクされた形式で政治、経済、人倫の道が詳細に説かれています。欧米でも、『聖書』に比類する程の人類にとっての精神的財産であるといった高い評価を受けたりもしています。秦の始皇帝などは、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」で儒学者を弾圧し、関連する書物を焼き尽くしましたが、この『易経(えききょう)』だけは大事に残したと言われています。
その『易経(えききょう)』の一番最初に出てきます卦(か)に
「乾為天(けんいてん)」という卦(か)があります。
“易”の六十四卦(ろくじゅうよんか)の中で
「六爻(こう)」の全てが“陽”だという特別な卦(か)です。
「完全」とか「完成」を表すよい卦(か)ではあるのですが、
その片隅に、「衰亡の兆し」をも意味しています。
つまり、 「盈(み)つるものは必ず欠ける」道理 を表している
卦(か)でもあるのです。

○盈(み)つれば欠ける十五夜の月
○盈(み)つるは欠くる兆し(きざし)なり

という説明が「乾為天」には付与されています。

「バブル」絶頂期の中に「破裂の兆し」は十分に見受けられたそうです。
でも、破裂後のことを考える官僚、政治家、経済人はほとんどいなかったと言われています。 日本中の人々が欲に浮かれて、正常な物の見方が“許されなかった(or出来なかった)”状況だったようです。
そういった状態とは、「日本の古くからの知恵が希薄になっていた状態」とも考えられます。
とにかく、「歴史」や「先人たちの知恵」から多くを学び、 早い内から今後の対応策をはかっていくのは 実に有益なことだと思われます。

そう言えば「 アクセルだけで突っ走った西欧文明は崩壊も早かったが、アクセルとブレ−キをうまく使いこなしていたエジプト文明などはかなり長寿であった」と、早稲田大の吉村作治教授のあるテレビ番組でのコメントが記憶に残ります。
    
【内容】
(ロ−マ帝国)  京都大学教授 中西輝政
・失われていった「自立」の精神
・歴史は常に変化してやまない
・「外来の思想」が古代ロ−マを滅ぼした
・食満ち足りて国滅ぶ
・ニンニクを嫌って力を失う  −金流失を招いたスパイス−

(カルタゴ)  評論家・森本哲郎
・何のための「富」なのか
・文化は経済を引っ張り、経済は文化を育む

(大英帝国)   東京大学名誉教授・木村尚三郎
         和歌山大学名誉教授・角山榮
・超大国から普通の国へ
・天と線の幸せ」から「面の幸せ」へ
・産業革命の光と影
・繁栄から停滞・後退へ
・イギリスの敗因−遅れた技術革新
・問題はジェントルマン的価値観

(スペイン)     京都大学教授 中西輝政
・思想なき海外進出の結末
・短期間に限度を超えた異常な富の流入

(中国・歴代王朝)      中国文学者・守屋洋
・「創業」と「守成」とではどちらがむずかしいか
・「興」の理は「強力なリ−ダ−の存在」にあり
・「亡」の理は「内憂外患」にあり
・ムダな兵員と余剰な役人が財政を圧迫
・裏目に出た「夷をもって夷を制す」

(日本)   慶應義塾大学教授・笠原英彦
       上智大学名誉教授・渡部昇一
・こうして官僚は腐敗していった
・政・官・業のサ−クル
・藩閥政治が生んだセクショナリズム
・エリ−ト教育が国家を衰亡させてきた
・なぜ、アングロサクソンのエリ−トコ−スには弾力性があるのか


[102] “原点”帰り Part2 投稿者:道開き 投稿日:2004/02/26(Thu) 21:21  
デジタル、パソコン、バ−チャル、CG、バイオテクノロジ−、コンビニ、グロ−バリゼ−ション・・・・新技術、新サ−ビスの発展が著しく世の中の仕組みを変えています。
そういったことに歩調を合わせるかのようにして、人間関係(家庭内、学校内、友人、男女)、音楽、映画、・・・といったものまでも、何でもかんでもが、

“複雑化”

しているのが現代社会の特徴とも言えるのでしょうか。

現在、BSで、「アカデミ−賞受賞作品まとめて70本特集」みたいなことが行われています。80年前のサイレント映画『第七天国』を観る機会を得て、つくづく感じたことがあります。
それは、『天井桟敷(さじき)の人々』、『市民ケ−ン』、『シェ−ン』、『駅馬車』、『真昼の決闘』・・・といった、いわゆる名画と呼ばれる作品を観た後に共通 して感じることでもあるのですが、やはり、

「シンプル イズ ベスト」

とでもいったらいいのか、
「ストレ−トに魂にしみ入ってくる“凄み”」
みたいなものがそこには感じられます。

これは、映画のみならず、文学、音楽等の“古典”とよばれるものにも共通するものですし、奥の深い“伝統文化”にふれたり、ごく身近な“自然”に接したりする時に感じられる感覚とも似ています。

流行歌だって、ギタ−1本、ピアノonlyの伴奏で魂に染み込んでくる曲は本当の名曲です。まるで他の楽器が余計なものに思えてきます。

人として、自分なりの“原点帰り”の「時間・空間」を確認しておくことは、今後ますます重要な事となってくるだろうし、社会全体としても、そういった「時間・空間」を残していくことを大切にしていかないと、世の中そのものがおかしくなってしまうようにも思われます。


[101] “自然"から学べば 投稿者:道開き 投稿日:2004/02/04(Wed) 12:35  
今回、こちらの書き込みは久しぶりになります。

動物や植物の生態の多様性を扱ったテレビ番組が幾つかあります。
この手の番組を見ると、何か“原点”帰りができるような気がしていいです。
「陰陽五行説」なども、森羅万象(天体の運行、季節の推移、動植物等の自然)を観察することによって長い年月を掛けて体系化されたものです。

最近、「ジェンダ−・フリ−」(男女の“性差”を無くす)なる思想が取りざたされています。動物の各種が、雄、雌、それぞれの役割分担することによって「種の保存」をはかっている姿を見るにつけ、「ジェンダ−・フリ−」なる考え方が、頭の中だけで築き上げられた空想ごとのように思えてならないのは私だけではないでしょう。
先賢たちが、何千年もかけて自然から学び取って築き上げた世の中の仕組みをグチャグチャにしてしまったら、「いったい誰が責任を取るのか?」と言いたくなります。
世の中の「陰陽のバランス」を無理に崩してしまう必要がどこにあるのでしょうか。例えば様々な動物に当てはめてみた場合、性差を無くしてしまったのなら、後はその種は絶滅してしまうだけです。
やはり“不自然”なことはやらない方がいいと思います。

当然、「男尊女卑」「男女差別」みたいなことも全くもって良くないことと考えますが、同様に、男女の“違い”を無くそうなんてことも全くもって“不自然”だし、愚の骨頂に思われます。


[100] 日本人の“原意識”・“原感覚”って・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2003/10/05(Sun) 16:07  
激しいグロ−バル化が進む現代社会。日本人は、おのれがいったい何者なのかといったことをきちんと把握していないと、“アイデンティティ−”を喪失してしまうことにもなりかねないと思われます。
そんなこともあつて、日本における“儒教”研究の第一人者、大阪大学名誉教授
・加地伸行先生の著述の一部を紹介します。


「東北アジアにおけるシャ−マニズム」をベ−スに理論体系化したものが“儒教”であり、この儒教なども参考に文章を借りながら出てきたものが“道教”の教えではないかと考えられる。
“神道”も同じ「東北アジアに共通する原意識・原感覚」から湧き出てきた「祈りの表現」だと捉えられる。つまり、日本的な個性を持った「東北アジアに共通 する原意識・原感覚」の信仰ということになるのでしょう。


かたや“仏教”はというと南アジアのインドで生まれました。東方アジアへの伝搬には二つの経路があり、東南アジアなどに伝わった、個人の悟りを旨とする原始仏教的なものは「南伝仏教」と呼ばれています。
日本仏教はというと、北方経由で(「北伝仏教」と呼ばれる)、中国の儒教・道教を取り込んだ仏教として入ってきたものです。だから、何の違和感も持たれることなく日本に定着しました。(このへんになると皆さんの多くが、日本史や世界史の授業で既に学習されていることでしょう。)


ユダヤ教・イスラム教・キリスト教などの一神教系統とは「発生基盤」が根本的に異なるので、「原意識・原感覚」といったものも当然違ってくる。
(アニミズムとシャ−マニズムが多神教を支えます。つまり、森林、湖沼、川、山・・・身の回りのもの総てに神をみる信仰のアニミズムと、それらのものからのメッセ−ジを感じ取るシャ−マンの存在が不可欠なのです。)

(かつては、中東やヨ−ロッパなども全世界的に多神教でした。ところが人類最古の書『ギルガメッシュ叙事詩』に記されているように、中東では今から6、7千年以上前に森林の行き過ぎた伐採により、森林を消滅させてしまい、広大な土地を砂漠化してしまったという。そして、その砂漠化されたユダヤの地から突然変異的に生まれ出てきたのが、天上に唯一絶対の神を仰ぎ、救いを求めるという「一神教」です。このへんの歴史は安田喜憲先生の著『環境考古学』、『森と文明の物語』、『森を守る文明・支配する文明』等に詳しく記されています。)

キリスト教の中にも土俗的な匂いのするものが多くあります。それはヨ−ロッパへとキリスト教が伝搬して行く際に、教会側が、その土地のアニミズム、シャ−マニズム的信仰を取り込んで組織を作っていった結果 となります。
一方、本来の土俗的信仰は邪悪な宗教として見なされ、シャ−マン等は弾圧の対象とされました。中世の“魔女狩り”はその名残とも言えます。


そこで問題となるのは、キリスト教を信仰するヨ−ロッパが産業技術の発展により世界を断然リ−ドしたところにあります。明治維新後の日本は、欧米の知識をどんどん取り入れました。ここに大いなる誤解が生じたようです。
それは「“技術”の高さは同時に“精神”や“宗教性”の高さでもある」という勘違いをしてしまった。
このことを加速させたのは大学ではないかと考えられます。

例えば、講座で説かれた「宗教学」というのは要するにヨ−ロッパ宗教学のことで、つまり「キリスト教神学」の焼き直しみたいなもの。そこでは「一神教が最高で、多神教はその次で、土俗的なシャ−マニズムやアニミズムといったものは更に下であるといったランク付けがなされており、その一神教の中でもキリスト教が最高である」という理論です。
(ただし、近年、欧米の宗教者・研究者たちの多くは、東洋の宗教、思想をよく研究していますし、信仰的偏見はかなり薄れてきていることも確かです。世の激しいグロ−バリゼ−ションの進展は、「文明の対立」から「文明の融合」の時代へと進んで行くのでしょう。)
日本のインテリはだいたいこういった欧米的宗教観を持っている人が多い。
数年前に起こった「“神の国”発言問題」はこのことが端的に現れたという。

ここからは私の感想となります。
私はあの当時のマスコミによる「“神の国”発言叩き」はいったい何だったんだろうと今でも考えます。あの当時は、衆議院選直前の出来事だったので、日本の古い体制をひきづっていると目されていた自民党叩きと、神社とが、当時の森総理の発言に意図的にリンクされ、戦前の軍国主義下の「皇国史観」に関連づけられたという、かなり“政治的な報道”だったという気がしてなりません。

当時、神社の神職として肩身の狭い思いをしたのは私だけではなかったはずです。まるで「過去の信仰の“残骸”」のような言い方の報道もありました。
自民党候補者の選挙カ−が、神社の鳥居の前を横切っていくシ−ンなどが作為的にテレビのニュ−ス番組に映し出されたりといったこともありました。


“神の国”発言問題が契機となり、マスコミ関係者の多くが、これらの「東西の“原意識”の違い」といったものを真剣に考えるようになったとも思われます。最近では、映画『千と千尋の神隠し』が世界的に高い評価を受け、
大ヒットしていることを評して、「欧米でも、特にヨ−ロッパなどでは多神教的なものを受け入れる下地がまだある・・・」などと、“東西の原意識の違い”といったものをそれなりに勉強していると思われるニュ−ス番組のキャスタ−やインテリのコメントを耳にすることができるようになりました。

日本人は、もっともっと、おのれの“原意識”とか“東西の原意識の違い”といったものを深く考えてみるべきだと思います。その上で、世界中の多くの宗教とも仲良く手を携えて行くべきだとも考えます。
多神教的信仰にも一神教的信仰にも、それぞれに、長所もあれば短所もあります。これからの世界は、あらゆる分野でお互いを補っていく「共生の時代」へと入っていくことは間違いないのでしょうから!

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[96] Re[95]: こんばんは。 投稿者:道開き 投稿日:2003/08/29(Fri) 21:26  
こんばんは。
シャ−マニックなお生まれの方は、そうでない人に較べると様々な体験をなされるようです。

海面がどんなに荒れてザワついても、海中は常に静かであるように、どんな超常現象が起きても、常に心は正神にチャンネルを合わせてさえいれば大丈夫です。
現在の自分と神さまとの繋がり具合がバッド・チュ−ニングになっていないかどうか、その一点に心を向けるということさえ怠らなければ、今まで持て余してきた霊能も、有用なものへと転化して行くことでしょう。
ではでは。

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[95] こんばんは。 投稿者:智子 投稿日:2003/08/29(Fri) 20:32  
道開き様。

お久しぶりです。今日はちょっと聞いて貰いたいことがあってやって来ました。
霊体験、です。
小学校の時、夜、寝ていると人の(?)気配を感じました。
実際は私しか部屋にはいなかったのですが、足下に青い布を纏った女性がいました。私は何故か、マリア様!?と
思っていました。
大学に入ってからはしょっちゅうありました。
例えば・・・2階で昼寝をしていたら、誰かが足をひっぱり、1階の玄関前まで階段を引きずられ、下ろされた・・・とか。
真夏の暑い日、箪笥の上のぬいぐるみが笑った!とか。
大叔母さんが亡くなる前に、夢で大叔母さんが会いに来て風呂敷を渡されたと思ったら、風呂やの煙突(?)を上っていったので大叔母さんを呼ぶ自分の声で目が覚め、直後に訃報の電話が鳴った・・・。実は母も私とまったく同じ夢を見ていた、ということです。大叔母さんは私のことをとても良く可愛がってくれていました。
祖母が亡くなる時、病院で鈴の音を聞いた・・・。

まだまだ、他にもいっぱいあります。
私は精神的に病んでいるのか、何かの病気なのか、真剣に悩んでいます。
誰にも言えません。両親に言うと病院へ連れて行かれそうで。
今は、介護職として老人ホームに勤めています。そこでも、予知、のようなことがありました。
お宮に勤めていた時も。天に向かって道が見えたり。

ちょっと、怖いです。


[94] Re[93]: お見舞い。 投稿者:道開き 投稿日:2003/07/29(Tue) 16:58  
こんにちは。

今回の地震は凄まじかったです。
気象台の発表なんてもんじゃなく、地域的には震度7を越したところが結構あったと思われます。
ほんの2〜3キロ離れているだけで被害状況が全く異なります。震源地が浅いところの直下型地震だったからなのでしょう。

神社の方はというと、鳥居、狛犬、石灯籠等・・・石造りの構築物の多くが倒壊いたしました。本殿裏の山からの落石がひどく、復旧作業にだいぶ日にちが掛かりそうです。

その山はというと、全国放送のワイドショ−、ニュ−ス・ライブで実況中継され続けていたようで、いわゆる「鳴瀬町野蒜地区の崖崩れ現場」の山で、神社はその場所のちょうど裏側に当たります。

直接お見舞いにいらして下さった皆様、お電話、メ−ルでご支援の言葉を下さいました皆様、どうかこの場で御礼を申し上げさせていただきます。有り難うございました。

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[93] お見舞い。 投稿者:智子 投稿日:2003/07/28(Mon) 21:51  
道開きさま。

先日の地震、大丈夫でしたか?宮城県は大変でしたね。白髭様はどうでした?

今の日本人は宗教心の無い人たちが多いと、私も思います。
ちょっとでも、宗教色のある話をすると特異の目で見られたり。悲しいです・・・。

私も神職をしていたときに、よく職業を言うと「変わっているね」と言われました。
神様を信じることが、神様にご奉仕することが、変わっている
のでしょうか?
こういうことがきっかけで、失恋に至ったこともありました。

今日はちょっと、ブルーなきもちになった、智子でした。


[92] 現在の子どもたちに表れている戦後日本の“ゆがみ” 投稿者:道開き 投稿日:2003/07/22(Tue) 18:06  
現在、日本中で起きている子どもたちに関する諸問題。
その原因は家庭や学校の教育にあるとか、様々なことが言われていますが・・・
私としましては、“戦後の日本社会における宗教性の欠落”こそが根本原因だと思います。

「人が見ていなくても神さまやご先祖様が見ておられる」
「そんな事をしたらバチが当たる」

といった感覚を、戦後の日本人が失ってしまったところにこそ原因があるのだと思われるのです。
学生の頃、当時のアメリカ社会の病巣を描いた名作「タクシ−・ドライバ−」という映画を観て、その中にジョディ−・フォスタ−演じる12才の娼婦がでてきたりして(現在、彼女はハリウッドを代表する大女優に成長しましたが)、そんな病んだアメリカ社会を理解するなんて、当時の私にはなかなか出来ませんでした。しかし、今の日本は全くあの映画の社会背景そのものになってしまいました。

以下は、以前にも書き込みました内容ですが再度とりあげてみます。

日本人がどうして現在の様な、無宗教者の集まりのようになってしまったかというと、それには理由があります。
戦前における国家神道が、日本を第二次世界大戦へと向かわせる危険な原動力になったのだという占領軍本部(GHQ)の解釈により、「神道指令」というものが発令されて、日本の国家と神道、神社との分断が行われました。さらに、日本人みずからも、公的な領域から宗教色を(神道に限らず)一掃してしまいました。官庁、学校、地域社会・・・・そういった事が各家庭内へ、やがては個人へと浸透して行ったようです。そうして宗教性の希薄な日本人がどんどんどんどん増加して行く事になりました。

「政教分離」とは、キリスト教の勢力が王権をも脅かしたことのある西洋で生み出された考え方です。現在でもアメリカ大統領の就任式には、大統領は“聖書”に手を置いて宣誓しています様に、結局のところ、全くの「政教分離」などは西洋諸国でも行っていないということになります。つまり、それを徹底するならば政官界に身を置く人は無宗教者でなければならないということにもなってしまうからです。(戦後の日本が、「自由」とか「平等」とかの概念を誤った形で受け入れてしまったのと同様に)

そういった戦後日本社会の“やりすぎ”が、逆に、現在のような宗教心のかけらもない、平気で残忍な行いをする青少年や、小遣い稼ぎの為に簡単に売春に走る女子中高生、買春する大人達を生み出す原因ともなってしまったようなのです。

そう言えば以前、「そこが変だよ日本人」という番組で、中高の学校の先生達に集まってもらって、日本の学生の乱れの要因が何なのかを外国人たちと討論してもらうという試みを見たことがあります。そのやり取りの中で、思わず「なるほどな〜」と感じた先生の一言がありました。それは以下の様なものでした。

「教師に暴力をふるってくる今の学生たちには、“畏れ”といったものが全くないんです。今日、お集まりの皆さん(外人たちのこと)がお持ちの“宗教性”といったものが無いんです。」

また、外国では、名映画と呼ばれる作品は「神の視点から描かれている」といわれている様ですが、 “タイタニック”、“アポロ13”、“シンドラ−のリスト”・・・
日本の最近の若い映画監督の作品には、やはりそういったものが全く感じられないものが多いように思われます。

最後に自己批判も致します。われわれ伝統的宗教者の脆弱さこそが最もよくないとも考えております。今後、かなりの困難が予想されますが、今の日本社会を少しでも良くして行くことが、我々に課せられた神様からの使命であると考えて頑張って行きたいと思います。

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[91] Re[90]: 金華山。 投稿者:道開き 投稿日:2003/07/18(Fri) 21:12  
こんばんわ。

金華山で蛇踊りは7月の最終の土日ですから来週になります。
例年通り助勤に行って来ます。

私も、普段は穏やかな船旅(25分前後)を楽しんでいるのですが、台風の前後にぶつかったりすると、“波”の山と谷の部分の落差が6〜7メ−トル位にはなるでしょうから、エレベ−タ−を何度と無く昇降する感じで酔ってしまいますね。
でも本当に波の高いときには欠航になりますネ!帰りの船が欠航になった時は、“孤島ライフ”をもう一日堪能できるのでそれはそれで楽しいですよ。

何と言っても“もののけ姫”の舞台にでもなりそうな「神の島」ですから。ちょっと説明に窮する独特な雰囲気のあるところですからネ。
一度足を運んでやみ付きになられる方も多いようです。

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[90] 金華山。 投稿者:智子 投稿日:2003/07/18(Fri) 19:23  
道開きさま。
こんばんわ。
明日から3連休ですね。この時期に、金華山で蛇踊りがあるのではないでしょうか?
実習期間がたしか、この時期だったと記憶してるのですが。
道開きさまはお手伝いに行かれるのですか?
私は帰りの船で酔ってしまいました・・・(涙)


[89] Re[88]: 禊。 投稿者:道開き 投稿日:2003/07/09(Wed) 07:59  
おはようございます。

毎朝、海で禊ということはないですが、“禊”は、大脳にド−パミンを放出させるためにも、身体に天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の御稜威(みいづ)を注ぎ込むためにも、真冬の氷点下時の気候がベストでしょうね。

毎朝行うのでしたらご神前での「言霊行」をお奨めいたします。

脇のメニュ−の「自分で神道体験」の中の〔禊行法〕と〔言霊体験〕をご参照下さいネ!

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[88] 禊。 投稿者:智子 投稿日:2003/07/08(Tue) 20:56  
道開きさま、こんばんは。
暑くなってきましたね!私の住んでいる横浜も蒸し暑い日が続いております。
こう、暑くなってくると禊は気持ちのいいものですね。
金華山実習では海で禊をした記憶があります。
白髭様は海の近くだから、毎朝海で禊ですか?

近所のお宮様では今月末、虫封じ(?)のようなご祈祷をするようです。回覧板が回ってきました。

季節の変わり目です。お身体、ご自愛下さい。では・・・


[87] おはようございます 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/24(Tue) 07:11  
こちら宮城は曇天の梅雨空が広がっています。
当地では「夏越の祓い」はあまり盛んに行われてはいませんですネ。

悩み事の相談・・・・答えられる範囲内でのご質問ならそれなりにはお答えできるかと思われますが。

ではでは。

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[86] こんばんわ! 投稿者:智子 投稿日:2003/06/23(Mon) 20:30  
道開き様。
今日、横浜は一日中雨でした。宮城はどうでしたか?
今月は大祓がありますね。白髭神社でも茅の輪は作るのですか?
私の奉仕していたお宮では人形を配って歩きましたよ。茅の輪は大工さんが作ってくれました。
大祓詞は学生の時、暗記したので忘れないように、お風呂に入りながら唱えています。(笑)
また、遊びにきます。今度悩み事の相談にのってください。
それでは・・・


[85] Re[84]: こんばんわ! 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/21(Sat) 08:05  
そうでしたか。
私はいつも蛇踊りの際には終日「護摩祈祷」を行っていますヨ。
これも何らかの神縁があってのことでしょうから、どうぞ今後とも当HPにはいつでも気軽に遊びに来て下さいネ。
ではでは。

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[84] こんばんわ! 投稿者:智子 投稿日:2003/06/20(Fri) 22:19  
道開き様。
金華山の蛇踊り!懐かしいです・・・はっぴ姿でドラのような楽器をならしていました。
実は金華山へ奉職しようと思っていたのですが、大学4年の秋に病を患いまして、休学し、一年遅れで地元のお宮に仕えました。
今はもう神社界からは離れて暮らしております。でも、やはりもう一度、お宮に仕えたいという意志があります。体が弱いので、両親からは無理をしないように、といはれているのですが・・・。
道開き様、これからも宜しくお願いいたします。それでは・・・


[83] Re[82]: 初めまして・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2003/06/19(Thu) 21:33  
どうも初めまして。
神職をなさっておられましたか。
私も金華山へは、お祭りの助勤にちょくちょく行ってます。
もしかして、実習が金華山でしたら、7月の“蛇踊り”の時期ではなかったでしょうか?そうでしたらその際にお会いしてますね。

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[82] 初めまして・・・ 投稿者:智子 投稿日:2003/06/19(Thu) 10:33  
管理人様、初めまして、智子と申します。
神奈川県人です。神道系大学を卒業し、数年間奉職していました。
宮城、といえば実習で金華山へ行きましたよ。
白髭神社、ステキですね。海が近いのですね。一度、お参りしてみたいです。
また、遊びに来ます。それでは・・・。


[81] 生きていくために役立つ“知恵” 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/27(Tue) 18:19  
下の書き込み[80]に続きます。

毎年、テレビに流れる「お正月の特別番組」を楽しみにしております。ちょうど神社の方が忙しい時期なので、ビデオで録画して後で見ることにしています。
でも今年は最悪の年でした。「良い番組だな〜」と思われるものがほとんどありませんでした、悲しいほどに。
そんな中でも、一つだけ気に入った番組がありました。NHKで放送された『幸田家の人々』という番組でした。明治の文豪・幸田露伴と文(あや)父娘の日常のやり取りを中心に、孫の玉、その娘の奈緒の四代に渡る“物書きの家系”が興味深く紹介されていました。

以前にも、民放の超人気番組『知ってるつもり』において、幸田露伴・文父娘の魂の交流が取り上げられていたのを観る機会を得、非常に感動した記憶がありました。
露伴は娘の文に、掃除の仕方、炊事の仕方、・・・・家事のあらゆる事柄を手取り足取り事細かに教え込みました。
幸田文は『季節のかたみ』という著書にその詳細について記しました。

「父が私に教えてくれたのは決して生きていくための技といったものではなく、“渾身(こんしん)”ということでした。・・・・・」
〈「小手先の技よりも、魂ごと体ごとぶつかって行くことの大切さ」といった事なのでしょう。〉

「親子の断絶とかいうことが今言われている・・・では(父と私は)どこでつながっているか、“愛”という答えがよく出るようです。愛は強くもある反面もろいところもある。断絶部分の重みがかかってくる時、愛だけでは確かに持ちきれるでしょうか?そう言う面から振り返ると、

“生きていく上に役立つ知恵の授受”“が幾つあったか

ということが、子が親へ結ぶ長持ちする連結部分になっていると私の場合は言えます。“知恵の受け渡し”は愛よりずっとサバサバしているから、後にはいつかそれが親子のつながりになるとそんな風に思うのです。」
〈文豪・露伴は、本当に些細な日常の事柄を、丁寧に娘の文に教え込みました。現在の日本では、「父親は仕事をしていればいい、子どもは勉強さえしてればそれでいい。・・・家庭内での日常生活については別にどうでもかまわない。」といった風潮ではないでしょうか? 〉

 それにつけ、明治期の幸田露伴・文 父娘間で行われた“生きていく上に役立つ知恵の授受”には感動を覚えました。実に新鮮でした。デジタルの時代、アナログの知識もしっかりと身につけておかないとダメ! いざという時、そういった知識をどれだけ持っているかが生死に関わってきますネ、災害時なんかは特にそう。

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[80] 心を醸(かも)す教育を 投稿者:道開き 投稿日:2003/05/08(Thu) 20:09  
6〜7年前に「神社新報」のコラム「主張」に載っていた
私的には非常に気に入った酒、日本酒と教育の話になります。

酒造りの杜氏(とうじ)の仕事と言えば、厳寒におこなわれ、しかも不規則で深夜の勤めもあり、年季のいる重労働です。自然これを受け継ぐべき若者達が敬遠し勢い機械に頼ることとなり細部にわたって近代化が進められているという。
昔、酒は醸(かも)し育てるものであったが、現在はただ造る酒となっているという。そして心ある杜氏たちは、「ここでもう一度育てる酒とうものを考えてみたい」という思いをいだいて止まないのだそうだ。


そこで、この国の行末を案じつつ亡くなられた歴史作家の司馬遼太郎氏が、ユング派の深層心理学の権威・河合隼雄氏と共にその年の新春特別対談(産経新聞)をされた記事がコラムの筆者(佐古一冽氏)には思い出されたという。

〈司馬〉
コスモロジ−(自分の生き方まで包み込んだ世界観)というのは、イデオロギ−よりも温度が低いですね。
〈河合〉
その通りです。いい言葉ですね。麹(こうじ)の発酵(はっこう)を連想しました。あれは一定温度で行きますでしょう。高くないけれども、同じ温度でずっと持続させて発酵させる。エネルギ−はかかっているけれども、燃え上がらない。
〈司馬〉
いい例えですね。温度が低い代わりに、その人の中で内面化してゆく・・・・


我が国は戦後五十年にわたって、子供に本来の人としての心を植えつけ育てることを忘れてきたのではなかろうか。そしてただ合理的に頭を使う、体を使うことのできる人間のみを造ってきたと言えよう。
戦後の男性は、自分が生きていくための確固たる道徳を持たなかったように思われる。それで家庭教育はおもに母親に任せられる。母親は、わが子がかわいくて、わが子がよい大学に入り、よい会社に入ることのみを望む。このようにして道徳についても、心についても何も教えられることなく、ただ彼らは受験戦争に勝ち抜く知恵のみを教えられたのである。・・・・・・

そういった菊や蘭(らん)作りのような特殊教育はしばらく置いて、江戸期の儒学者・細井平洲が言った、
「人間教育というものは農家が菜っ葉(なっぱ)・大根を作るように、出来のいいものも悪いものも一様に可愛がって、瓜(うり)は瓜なりに、茄子(なす)は茄子なりに作り上げることである」(安岡正篤著「知命と立命」より)

が筆者には思い起こされたのだという。

「ん〜〜なるほどな〜。」

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[79] Re[78]: お久しぶりです 投稿者:道開き 投稿日:2003/04/24(Thu) 07:45  
こんにちは。
千葉県の櫻木神社に奉職したのですか。
養成所の学生当時とは異なり、神職としての責任も重く感じられることでしょうネ。
さらなる神明奉仕に励んで下さい。
私もまた会える日を楽しみにしていますヨ!

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[78] お久しぶりです 投稿者:菅原 正宜 投稿日:2003/04/23(Wed) 21:18  
塩竃神社をつい1年前に卒業いたしました、菅原です。
今、千葉県野田市鎮座櫻木神社で御奉仕しています。
在籍中は誠にお世話になりました。
お元気にしていますでしょうか?私は元気にしています。
また会える日を楽しみにしています。


[77] やはり、何事も始まりは幼少期の“原体験”から? 投稿者:道開き 投稿日:2003/03/30(Sun) 17:37  
下記の[76]で記した研修会の講師にお招きした佐々木宏幹先生。
先生は、宮城県気仙沼市のお寺のお生まれです。

研修会の前日、先生を囲んで一席もうけました。
その際に、自分の出生地の氏神神社で遊んだ思い出話や、シャ−マニズム研究に入るきっかけとなった気仙沼市周辺に多く在する土着のシャ−マンたち“通 称「おかみさん」”に関わる幼少期の様々な不思議な体験談などをいっぱい聞かせていただきました。

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[76] シャ−マニズムの研究 投稿者:道開き 投稿日:2003/02/03(Mon) 15:05  
日本におけるシャ−マニズム研究の第一人者は駒沢大学名誉教授の佐々木宏幹先生です。(日本宗教学会評議員・国際宗教研究所理事でもいらっしゃる)
当宮城県の神社庁では来る3月に、先生を講師にお招きして研修会を開催致します。

“シャ−マニズム”に興味をお持ちの方は、このHPの「祓い・占いの窓口」からお入りいただき、〔掲示板〕の書き込み[159]〜[166]をお読み下さい。佐々木宏幹先生の著作から、「シャ−マニズムの要点」を書き込みしてあります。

《内容》

[159]“トランス”から“エクスタシ−”or“ポゼッション”へ

[160]憑霊における「三つの型」

[161]セアンス(集団儀礼)

[163]シャ−マンへの変身のプロセス (ユタの“成巫過程”)

[164]「召命型」と「修行型」のイニシエ−ション

[165]宮古島のユタのイニシエ−ション(一つの例)

[166]著者紹介

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[75] 今年の干支・癸未(みずのと・ひつじ)の意味するもの 投稿者:道開き 投稿日:2003/01/11(Sat) 10:43  
平成十五年は癸未(みずのと・ひつじ)歳となります。

十干(じっかん)の十番目の癸(みずのと)は「揆る(はかる)」意があり、地中に孕(はら)んだ草木の種子が、陽気の盛んになるのをおし揆(はか)って、まさに芽を萌え出そうと待っている状態です。季節では晩冬、五行では水、方位では東北寄りの北になります。
 
十二支の八番目である未(ひつじ)は「昧い(くらい)、味(あじ)」などの意があります。陽気は衰えて暗くなって来ますが、草木の果実は成熟して滋味を増してきます。季節は土用、五行は土、方位は南寄りの南西となります。

 また九星は六白金星に当たり、「剛健、活動、拡張、闘争」など、物事が活発化して大事になる傾向を示します。

 以上のことから国際間の対立、抗争がますます激しくなり、経済的には夜明け前の最も暗く寒い瀬戸際を過ぎるかどうかといったギリギリの年と言えるでしょう。

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[74] Re[73]: 今日は満月? 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/19(Thu) 08:06  
こんにちは。
昨夜の月は“旧暦”の11月15日の月なので、間違いなく“満月”でしたね。
ではでは。

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[73] 今日は満月? 投稿者:通 りすがり 投稿日:2002/12/18(Wed) 23:21  
こんばんわ。
実は自分は今、建設現場で働いているのですが、仕事が終わったつい先程、巨大なクレーンの下から見上げると、月とオリオン座?が
クレーンの先にあるように見えました。
なんともスケールの大きな世界です。
現場にクレーンがあるおかげで、久しぶりに空を見るようになった気がします。(笑)


[72] Re[71]: 月 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/18(Wed) 19:18  
「通りすがり」さん、今晩は。今宵はとても魅惑的な“月”が出てますね!

「お天道さま」と「お月さま」、現在の日本ではこれほどに大切なものがないがしろにされつつあるようです。特に「お月さま」はそう。世の中、電気の発明によって“夜”が実に明るくなっていますから。電灯やネオンの明かりがあれば、闇夜を照らす“月明かり”はそれほどに必要でなくなっています。・・・・・

“月”を仰ぐ文化の喪失。政府が、いや文化人たちがもっともっとこのことについて真剣に考えて行くべきなのでしょう。いや、本当は“暦”文化の担い手たるべき神社人が一番悪いのかもしれません。
とにかく「新暦」と「旧暦」の併用をはかって行くべきだと考えます。“月”を、“夜空”をないがしろにしてしまっては、ついつい何度も言ってしまいますが、人間の本来の「陰陽」のバランスが崩れてしまうと考えられるから・・・ですです。

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[71] 投稿者:通 りすがり 投稿日:2002/12/17(Tue) 23:15  
月と夜空で思い出したのですが、都会で食べるだけの殺伐としたフリーター生活をしていると
日の出、日の入りの後、月が出て夜空に星が輝き、沈んでいくということを全く忘れていたりします。
下手をするとそのうち、月や星を見て、「あれは何だ!?」と驚くなんて、中国の寓話みたいにならないとも限りません。

それではマズすぎるんですけれども・・・・・汗


[70] 旧暦と新暦 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/17(Tue) 08:46  
「旧暦」とは、月の満ち欠けによって日を刻む暦です。つまり、“月の暦”、“夜空の暦”です。
「新暦」(カレンダ−)とは、太陽の運行状況によって日を刻む暦です。つまり、“太陽の暦”、“昼間の暦”です。
カレンダ−の使用が一般化していて、“月”、“夜空”に対する関心が薄れてしまっているのが現状です。どうも“陰陽のバランス”がくずれているようです。と言うことは、人の社会生活も、精神生活もくずれがちになってしまっているということになっているのではないでしょうか?

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[69] 神道とエコロジ−が切っても切れない関係にある理由 投稿者:道開き 投稿日:2002/12/09(Mon) 09:18  
日本家屋の特徴というと、家の内側と外側の自然とが隔離されていないことにあると言われます。このことは神社についても全く同じことが言えます。

太古の日本では、山、森、杜(もり)、そして、社(やしろ)とカミは別々のものとは考えられていなかったとのことです。渾然一体に重複して捉えられていたようです。
東北や四国などでは1千メ−ト級の高山をも“森”と呼んでいるところがあります。“森山”という呼称もあり、“森”と“山”とが同義に用いられているところも多いのです。
『万葉集』を見ると、“森”“杜”“神社”のいずれも「モリ」と訓ませています。
平安時代初期の『新撰字鏡』では、“杜”“毛利”“佐加木(榊・サカキ)”を同義としています。

つまり、“森”や“山”は「カミのいます処」、あるいは「カミの世界と人里との境界」、ひいては「両者をとりもつ聖なる場所」とされてきたというのです。
その“森”の中でも特にカミの「依代(ヨリシロ)」となる「聖なる木(神木)」や「岩石(磐座・イワクラという)」を崇めて、その前で祭りがおこなわれました。また祭場を定めて、その周囲を岩や石で囲み(「磐境」・イワサカという)、中央に“榊”を立てて(「神籬」・ヒモロギという)祭りをおこなったりもしました。

さらに“神社”そのものも「モリ」と呼ばれましたが「ヤシロ」とも呼ばれ、“社”“屋代”の字が当てられます。この「社」は本来「カミそのもの」をさす言葉から、神籬(ひもろぎ)を立てて「カミをまつる霊地」、さらに「カミをまつる建物」へと展開したのでした。

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[68] Re[67]: こんばんわ 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/26(Tue) 07:49  
お褒めのお言葉、まことに有り難うございます。
どうぞこれから何度でもお越し下さい。

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[67] こんばんわ 投稿者:通 りすがり 投稿日:2002/11/25(Mon) 22:20  
五行易で検索していたところ、偶々たどり着きました。
なんというか、写真は美しいし、掲示板のお話も興味深いですし、
BGMも癒されるし、伝わってくるHPです。知識だけでなく、
情緒だけでなく・・・・言葉足らずですが。
また来てじっくり読ませてもらいます。

PS あの景色を見に行ってみたくなりました。


[66] 正月行事について 投稿者:道開き 投稿日:2002/11/14(Thu) 11:30  
正月は様々な行事が集中して行われるときです。それら「正月行事」の目安と考えられたのが「事八日(ことようか)」と呼ばれる十二月八日と二月八日である。この十二月八日から、正月を中心とする特別の時間・空間の世界へと移行し、二月八日をもってそれが終了する。以後は、通常の、農耕を中心とした仕事の時間・空間世界にもどるのである。

十二月八日を過ぎた頃から、一年のケガレを祓い落とす「煤払い」や「道具納め」、松飾り用の「松迎え」、「餅つき」などの一連の正月を迎えるための行事が行われる。正月行事の基本は、「年神」と呼ばれる神格を家々に迎え祀ることにある。この神の性格は複雑で、農耕を行って来た人びとの間では「農耕神(穀霊神、田の神)」としての性格が強く、他にも、個々の先祖としての性格が浄化され大いなる神へと高まった「祖霊神」としての性格も見られる。十二月の大晦日にやって来て、ほぼ半月間家々に滞在し、「小正月」と呼ばれる一月の十五日の朝に、松飾りを焼く「ドント焼き」の煙に乗って、神の世界へと帰って行くとされた。

正月の「松飾り」は二つの役割をもっている。一つは、年神の「依代(よりしろ)」で、訪れて来る神さまの依る座としての役割。もう一つは、「松飾り」、「注連(しめ)飾り」を張った内側、つまり、家の中が聖なる空間になることを示す「結界(けっかい)」としての役割である。

人々は餅や若水で作った「おせち」などを供えて年神をもてなした。年神に供えた「鏡餅」には年神の霊が宿り、それを食べることで一年の無病息災が保証されると考えた。「お年玉」も同様に、年神の魂(タマ)を分与してもらうことに由来する。
 他にも伊勢神宮の大麻(たいま)や様々な神々を祀ったり、「氏神参り」や「恵方(えほう)参り」と称する近隣の神社仏閣への「初詣」を行ったりするようにもなりました。

興味深いのは、一月十五日の「小正月」行事である。年神が神の世界へと帰って行く日の夜に行われる「鬼追い行事」。「ナマハゲ」に代表される鬼たちが、なぜに喜びをもって人々に迎え入れられたかというと、彼らが村々、家々のケガレを一身に背負って退散する役目を負って登場する邪悪な存在の象徴であったからです。

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[65] 「道ひらき」とは 投稿者:道開き 投稿日:2002/10/24(Thu) 18:59  
こんにちは。
下のメニュ−の「祭神」をクリックしていただきます。当社の御祭神の猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の御神徳の説明がされております。
そこに“道ひらきの神”とありますのは、古事記、日本書紀の中の神話に由来しています。「天孫降臨(てんそんこうりん)」の段に、高天原(たかまのはら)から天下った神々さまをご案内し、お導きをなされた神さまとして記されています。そのような御神徳を「道開き」と呼ぶのです。

なおさんのご質問を読んでみましたが、ある神主さんがなされたという説明は私にも理解できません。気を入れて頑張って行くようにということなのか、それとも、ヨ−ガでいう気の通り道である“チャクラ”を開くように何かをしなさいということなのでしょうか、そういったことを言っているのだろうかとも思われますが。
でも、神社の神主さんで、なおさんになさった様な説明をされる方は私の知っている限りでは居ないようにも思えます。よろしかったらメ−ルで構いませんので、どちらに行って説明を受けたのかを教えていただけないものでしょうか?今後の参考にでもと考えています。

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[64] 道ひらきとは何でしょうか? 投稿者:なお 投稿日:2002/10/24(Thu) 17:52  
はじめましてこんにちは。
最近、ある神主さんに恋愛を占っていただいたのですが、私の「気」のエネルギーが足りないことで迷い、決断しても戻ってしまうということを聞きました。解決する方法は道ひらきだということなのですが、道ひらきについては触れていないのでよくわからずになっています。ネットで調べたところこちらのHPにあたり、偶然私も宮城県在住ですので教えていただけたらと思いました。
御祓いか何かなのでしょうか?良かったら教えて下さい。


[63] 『声に出して読みたい日本語』より 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/26(Thu) 22:15  
下記〔62〕の書き込みに続きます。

◆暗誦(あんしょう)・朗誦(ろうしょう)文化の衰退
「いま、暗誦文化は絶滅の危機に瀕している。」
「詩は、朗誦したり暗誦したりすることにこそ魅力がある。意味を優先させるあまりに、小中学校の国語の教科書には簡単なものしか載せなくなってきている。」
「文章の意味はすぐにわからなくてもいい。長い人生のプロセスのなかで、ふと意味のわかる瞬間が訪れればいい。」
「暗誦文化が受験勉強の暗記と混同された」「覚えること自体が人間の自由や個性を阻害するものと思い込まれた。」
「現代日本ほど、暗誦文化をないがしろにしている国は稀なのではなかろうか。イギリスではシェイクスピアやバイロンが、フランスではラシ−ヌなどが、学校教育でも暗誦され、国民の共通の文化となっている。アジアや南アメリカ、アフリカといったところでも、“口承(こうしょう)文化”が色濃く残っている。口から口へ世代を超えて継承される言葉がある。」
「その口承文化にとって重要なのは、リズムやテンポである。太鼓をたたきながら、あるいは踊りを踊りながら口ずさむ言葉は、その言葉の意味が直接わからない私たちの胸にも染み込む力を持っていた。」


◆身体に活力を与える言葉
「暗誦・朗誦文化の復活には、実はその大元には身体文化のルネッサンスというヴィジョンがある。」
「古い言葉遣いには、現代の日常的な言葉遣いにはない力強さがある。身体に深く染み込むような、あるいは身体に芯が通り、息が深くなるような力が、このテキストに収めた言葉にはある。」
「日本の伝統的な文化の柱として、〈腰肚(こしはら)文化〉と〈息の文化〉の二つを挙げる。」「この腰肚文化は、息の文化と深く結びついている。深く息を吸い、朗々と声を出す息の文化が、身体の中心に息の道をつくる。」
「身体全体に息を通し、美しい響きを持った日本語を身体全体で味わう」
「朗誦することによって、その文章やセリフをつくった人の身体のリズムやテンポを、私たちは自分の身体で味わうことができる。」
「世代や時代を超えた身体と身体とのあいだの文化の伝承が、こうした暗誦・朗誦を通しておこなわれる。」
「採録にあたっては、明治生まれ以前の作者によってつくられたものを基準とした。」「明治までの日本人が持っていた感性や気概や美意識を直接感じやすくするというねらいがあった。」
「知的文化の伝統という以上に、身体文化の伝統だ。言葉が身体に技となって身についている。」「身についたものは、当人も知らないあいだに心身のあり方に影響を与えている。」


◆最高の文章を型として身につける
「暗誦文化は、型の文化である。」「型の文化は、強力な教育力を持っている。一度身につけてしまえば、生涯を支える力となる。」
「モ−ツァルトを聴くことで、音楽の質を感じとる感性が養われるように、最高級の日本語にはじめから出会う必要がある。」
「幼い頃に、意味のわからない文章を覚えさせるのは拷問とも言える強制だという考え方がある。私はこうした考えにくみしない。できるだれ早い時期に最高級のものに出会う必要があるとむしろ考える。意味がわかるのはあとからでもよい。たとえ意味がわからなくとも、その深みや魅力は伝わるものだ。」
「小中学校の国語の教科書は、漢字の問題や内容理解の問題から、端的に言って、きわめて幼稚なものとなっている。」


◆母国語の強い顎(あご)をつくる
「内容をやさしくし、若い人々に迎合するような、このような変革に対して、私は断固反対である。硬いものを食べてこそ、顎(あご)は強くなる。」
「この本に採った文章は、かめばかむほど味が出る“スルメ”である。」
「私たちは、基本的に母国語で思考する。母国語で明晰な思考ができないのに、外国語でそれができるということはありえない。」「その言語の持つ文化的な力がしっかりと自分の技となっているかどうかが問題なのだ。」


◆子どもは言葉のリズムを楽しむ
「これは、詰め込み式の早期教育とは一線を画する実践である。」
「子どもは、大人以上に身体が柔らかい。リズムやテンポを楽しむ身体感覚が優れている。蕪村や一茶の俳句や宮沢賢治の詩を暗誦している幼児を見ると、それが彼らの身体を喜ばすことになっていると感じる。」
「コツがある。むやみやたらと強制すればいいというものではない。暗誦すべきものを厳選し、子どもの場合はテンポよく、しかも間違いを気にすることもなく毎日日課として繰り返す。そのような工夫が必要である。」
「最高のものを型として反復練習し、自分の技として身につける。このことは、教育の基本である。ある程度の強制力を持ってでも伝え、身につけさせるべき何かを持たないのならば、そもそも教育をおこなうべきではない。生涯にわたって意味を発しつづける豊かな文化を、身体に技として染み込ませるだけの意志の強さと迫力が、教師に求められる。」

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[62] 最近の“日本語ブ−ム” ―国語教育の新たなるム−ブメント― 投稿者:道開き 投稿日:2002/09/20(Fri) 18:53  
最近、日本語教育に新たなる動きが起きているようです。その立て役者、推進役となっているのが明治大学で教鞭を執っていらっしゃる齋藤孝先生です。テレビでも多くの番組にご出演なされています。『声に出して読みたい日本語』『理想の国語教科書』『子供に伝えたい三つの力』『人間劇場』『三色ボ−ルペンで読む日本語』などの著書があります。先生は、これまでの日本に伝わってきた“暗誦(あんしょう)”、“朗読(ろうどく)”の文化を高く評価しています。声に出して、体を使って読書することによって、名文が、その人間の魂にまで浸み込んでいくのだそうです。

これまでにも言葉の乱れが取り沙汰されるようになってから久しいが、まるでその動きに追い打ちをかけるかのように、昨年(平成13年)より、中高の教科書から、森鴎外、夏目漱石といった文豪たちの名文が、文語調で解りにくいからといった理由によって消えてしまったという。小中の音楽の教科書からも「ふるさと」「夏の思いで」・・といった名文歌詞をもつ唱歌が消えて行き、そのかわりに「ミッキ−マウス・マ−チ」のような、いかにも時代に迎合した歌が入ってきているのだそうです。

日本語再生のカギは、子供たちの情操を育む“国語教科書”にあるという。ところが、現在の多く国語教科書はボリュ−ムも少なく、内容的にも中途半端なものが多いのだそうだ。
とにかく子供たちには、最初から“本物”をぶつけるのが一番良いのだという。
子供たちは、
@「すごみ」のある文章に弱く
Aそこに、「あこがれ」が芽生え
Bバ−チャルなものではない「生の美意識」
を感じ始めるのだそうです。子供は挑戦することが好きで、自分がレベルの高いものに取り組みだすと誇りを持つのだということです。

そういえば以前、本で読んだことがある話なのだが、“目利き”とか、“鑑定”といった仕事をする人を育てる一番の方法は、いわゆる“本物”と呼ばれるものを繰り返し見せる事だそうです。そうすることによって贋物(がんぶつ、にせもの)などは自然にわかってしまうとのこと。

結局は、今後の日本の未来を、そして、日本の子供たちのことを考えたのなら、ゆがんだ知育・偏差値教育のみで育ってきたいわゆる「エリ−ト官僚」から、古き良き日本の文化を守っていかなければならないといった何とも変な?事態になっているようです。文部省といい、外務省といい、みんなおかしくなっているのは、そこで働く官僚のひとたちを育んできた戦後日本の教育システムがおかしいからと言うことがいえるのではないでしょうか。

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[61] “循環”型社会- 投稿者:道開き 投稿日:2002/08/03(Sat) 12:07  
現在、日本古来の何千年も繰り返されてきた生活形態で、ゴミ(余計な物・無駄な物)をいっさい生み出さないという“循環型のライフ・サイクル社会”の再評価がされています。

先日、県の神社庁で開催されたビデオ・フォ−ラムにおいて取りあげられたテ−マがそれでした。一応、そのフォ−ラムの担当を仰せつかっておりましたので、教材はかねてより準備しておりましたものを使用させてもらいました。JNN製作の特別企画番組で、一年半ほど前にテレビ放映された『藁(わら)一本の革命』という番組です。

たかが「稲ワラ」と簡単に言ってしまえばそれきりなのですが、「ワラ」は“循環型ライフ・サイクル社会の象徴”ともいえる物でした。「ワラ」の長所は何と言っても“土に帰る”という点にあります。だから“循環のサイクル”からは決してはみ出ることはありません。
「ワラ」は、日本の稲作文化においては、生活のあらゆる方面で活用されてきた必須アイテムの一つでした。「ワラ」で縄をない、蓑をつくり、俵をつくり・・・・といったように。その光景はつい数十年前まで身近でも目にすることが出来ました。
それがいつの頃からか、ビニ−ルや合成樹脂に取って代わられ、膨大なゴミの山が生み出されるようになりました。日本がアメリカ型の大量生産・大量消費型の社会に代わってしまったからです。

「ワラ」を一つの象徴として考え、現代風の“循環型のライフ・サイクル社会”の構築を計っていかなければならない時に来ていると思われます。地球の資源は決して無限ではなく、あくまでも有限なものなのですから。

最後に、『藁一本の革命』という著書を世に送り出し、番組にも出ておられた、福島正信という自然農法の大家の言葉を紹介します。氏は現在、88才で、四国の農村に暮らし、かつては世界各地の砂漠の緑化運動や農業指導に生涯をかけて取り組んでこられた方です。
「このわらは軽くて小さい。
だが人びとは
このわらの重さを知らない。
このわらの真価を
多くの人びとが知れば
人間革命が起こり
国家社会を動かす力となる。」

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[60] Re[59]: お供え物について 投稿者:カルパッチョ 投稿日:2002/06/25(Tue) 23:03  
やっとよく分かりました。本当に有難うございます。
 心が大切なんですね。


[59] お供え物について 投稿者:道開き 投稿日:2002/06/25(Tue) 11:53  
こんにちは、カルバッチョさん。
ご質問の件ですが、神さまへの“お供え物”については、基本的には、お供えして手を合わせ、祈願を終えた後は、すぐに下げて飲んだり食べたりしても構いません。
神社におけるお祭りでも、“お供え物”を上げてから、“祝詞”(のりと。神さまへの祈願の詞)を唱え、“神楽舞”、そして“玉串”を捧げた後すぐにお供え物を撤っします。
神さまにお供えすることによって“神気をおびたお供え物”をいただくことを「相嘗(あいなめ)」といい、その神さまと飲食を共にする儀式が“直会(なおらい)”です。それはお祭りにおける極めて重要な儀式となります。
よって、数日間、家を空ける程度でしたら、お供えしたままでも構わないと思います。一月も二月も家を空ける場合などは、神前にお供えして手を合わせた後はすぐに飲食した方が良いかと思いますね。そして、出先では心の中で手を合わせていればよいと思います

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[58] 長期の旅行の時悩むんです 投稿者:カルパッチョ 投稿日:2002/06/24(Mon) 23:36  
 今晩は。神棚の事で専門の方のご意見が伺いたいのです。
 家を長期空けなければならない時、神棚のお供えはどうしたらよいのでしょうか?
 上げっぱなしだと不潔で失礼だし、朝ちょこっと上げてすぐ下げるのも失礼な様な気がするし・・・・。ある人に聞いた所、出先の部屋の片隅にお水だけでもあげ、拝むといい、と言いますが、他家の場合かなり怪しく思われるし(笑)、ホテルなんかでは、浮かばれない霊なんかが寄ってきそうだし・・・・。要は心の問題なんでしょうけど、どの方法が一番よいのでしょうか?
 特に、1日、15日に外出して留守しているときなんか気になってしまいます。


[57] 神さまのお名前 投稿者:道開き 投稿日:2002/05/06(Mon) 10:49  
日本の神さまの名称は、古代人のアニミズム的「宇宙観」、「自然観」、「世界観」をそのまま端的に表しています。

たとえば、戦没学徒の手記を集めた『きけ、わだつみの声』や、現在、ヒットチャ−トNO.1にランクされている元ちとせさんの歌う『ワダツミの木』の“ワダツミ”とは、海神の御名で、正式には“大綿津見神(おおわだつみのかみ)”といいます。“綿”は海(わた)、“津見”は司る(つかさどる)の古語です。

『古事記』の神代巻の冒頭に出てくる“天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)”とは、「高天原(たかまのはら)の神聖なる中央に位置する主君(宇宙の根源神)」を意味します。

同じく『古事記』に記されている天地創造時代に、別天神(ことあまつかみ)として成れる神に、“宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)”という名の神さまがいらっしゃいます。
“宇麻志(うまし)”は「美しさ、善いもの」を表現する言葉であり、“阿斯訶備(あしかび)”は葦(あし)の芽、“比古(ひこ)”は男の名で彦と同義、“遅(ぢ)”は父(ちち)や舅(じじ)などの「ち」で接尾語です。つまり「盛んな勢いで萌え立ち上る力」という意味の神名です。
次に成られた神さまの御名は“天之常立神(あめのとこたちのかみ)”です。この神さまは「天」そのものに神格を与えたもので、“常(とこ)”は「底、床」と同義語で、「常盤(ときわ)」の意味もあり、「永遠」ということになります。すなわち、「上下、縦横、四方の極まるところ、つまり、天体より地球に至るまでを司る神」ということになります。

いずれにせよ、八百万神々は“一神が多神”に、“多神が一神”へと繋がっていますので、まるでインタ−・ネットの働きのようです。何億のパソコン一つ一つが別々のものであるようで、けれどもインタ−・ネットに繋がると、それら別々のパソコンの働きが「全体の働きの中の一つのもの」でもあるようで、といったところがあると思われます。 
ですから、インタ−・ネットを個々のパソコンのネットワ−クと捉えた場合は「多神教的」な見方、巨大なネットワ−クの中の一部として個々のパソコンを捉えれば「一神教的」な見方となるのでしょうね。

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[56] 小野田“自然塾” 投稿者:道開き 投稿日:2002/03/28(Thu) 10:37  
数年前、宮城県内のある大社で、フィリピンはルバング島生き残りの元陸軍少尉・小野田寛郎さんのご講話を拝聴する機会がありました。
氏は現在、隣県の福島で青少年を対象とした「自然塾」を主宰なさっていらっしゃいます。よくテレビに取り上げられてもいます。

そのお話の中で、現在でも心に残っている二つの内容について書き込みしてみます。
一つは、子供達に物ごとを教えるのに最も重要なことは、目的なり、心から好きなこと、興味のあることを見つける手助けをしてやるということだそうです。子供達はそういったものを見つけ出すと目の輝きが違ってくるのだそうです。その様子を見ているのが実に面白いとのことでした。

もう一つは、氏のジャングル生活の時のお話です。大自然の中で生活を送っていたので、「五官といったものがフルに活動していた」とのこと。馬は立ったまま寝ますが、当時の小野田さんはそういったことも出来たと言います。眠っている所のすぐ側を、ちょっとした小動物が通っただけでもすぐに目を覚ましたと言います。当時の小野田さんは、完全に野生の動物化していたようです。(山伏の様に山中で寝起きしていると、五官のみならず第六感〈シックスセンス〉も働きだし、霊能も開けてきたりもするみたい。)
収容されて、文明化された社会で暮らすようになってからはそういったものが萎えてしまったとのこと。その後の様々な体験や、紆余曲折もあり、「人は自然を忘れてしまうと本来的な姿を忘れてしまう」という信念に辿り着き、現在のように青少年たちに自然との触れ合いの場を提供する「自然塾」を主宰するようになったのだそうです。

やはり、人はパソコンなどの文明の利器と接する機会が多くなればなるほどに、進んで自然との接触をはかるようにするべきなのでしょう。そうしないと心身のバランスを失ってしまうことになるのでしょう。

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[55] Re[54]: 神殿奉斎の御祭り 投稿者:かんな 投稿日:2002/03/14(Thu) 09:54  
おはようございます。お答えくださってありがとうございます。
 主人と相談してみて、準備を始めたいと思います。
 また、そちら様に問い合わせさせていただく事があるとおもいますが
その時は、またよろしくおねがいいたします。
 


[54] 神殿奉斎の御祭り 投稿者:道開き 投稿日:2002/03/14(Thu) 09:41  
おはようございます。

かんなさんのお住まいが当社に近いのでしたらお伺いいたしても構いません、遠い所にお住まいのようでしたら神社を紹介もいたしますが。

準備するものは、しっかりと神符がおさまる大きさの「神殿」と「神棚」、そして、「御供物」としては、

神餞・神酒(みけ・みき)を始め、海川山野の種々の味物(うみかわやまぬのくさぐさのためつもの)
で、お米、お酒、魚、野菜、果物、塩、菓子、水などです。

出張祭典初穂料としては2万円納めていただいています。

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[53] Re[52][51]: 家に神棚を設置したいのですが 投稿者:かんな 投稿日:2002/03/13(Wed) 23:50  
お返事ありがとうございます。ご丁寧にお答えくださってうれしく思います。
 神様をきちんとお祭りして、心穏やかな日々を送らせていただけるようにお願いしたいと思います。
 
 もう一つうかがってよろしいでしょうか?道開きさんのところでは、
頼めないのでしょうか?(天照大神様、氏神様、信仰神を祭っております)
 その場合、どのような準備と、お礼をすればよいのでしょうか?
(目安箱のコーナーでお聞きしていい内容でなければもうしわけありません)

 再度お手数お掛けします。よろしくお願いします。


[52] Re[51]: 家に神棚を設置したいのですが 投稿者:道開き 投稿日:2002/03/13(Wed) 21:28  
今晩は、初めまして、かんな様。

出来るだけ神殿奉斎(しんでんほうさい)時のまつりはしっかりと行った方がいいと思います。今後のお守りを、御供物をそなえて、キチンと祝詞を唱えて神様にお願いした方がいいと思います。
おまつりしていた御神符が氏神様のものでしたら、そちらの神社に御依頼してみたらどうでしょうか。

ご祈祷料については、地域によっても、神社によっても異なりますので電話で直接問い合わせてみても構わないと思います。

でも、キチンと神棚をお祀りしようという様に気持ちが動いただけでも、かなり神様とのつながりが強まっている証拠だとも思えます。このHPより、かんなさんに、行く先かけて神々様たちの厳(いず)のミタマが霊幸(たまちわい)まさんことを祈念いたします。
それでは。 

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[51] 家に神棚を設置したいのですが 投稿者:かんな 投稿日:2002/03/13(Wed) 16:06  
 始めまして。神棚について教えて下さい。
 数年前に知人から神社の御札を頂いたことがきっかけで、小さな棚
を作り、その上にお祭りするようになりました。しかし、ホコリが被るし、お供え物を置くスペースも十分にないので、神棚を購入しようかと思っております。
 私達が住んでいるのはアパートなので、あまり大掛かりなものは取り付けませんが、その際に御祈祷をしなければならないのでしょうか?
 その時は、どちらの神社に頼んでもよいのですか?それともお祭りしている氏神様を受けた神社でないといけないのでしょうか?
 それから、ご祈祷のお礼は、おいくら位と考えたらよいのでしょうか?
 よろしくおねがいいたします。
 


[50] Re[47][46]: 御守りについて 投稿者:えりぴゅ 投稿日:2002/02/27(Wed) 09:37  
道開きさん。教えて下すってどうもありがとうございました!
今日もまたココで勉強させていただきます!
では…


[49] 『大祓詞』の概要 投稿者:道開き 投稿日:2002/02/22(Fri) 12:26  
●『大祓詞』は“三つのあらすじ”から成り立っている
@祖神の“ミコトモチ”(命(みこと)〈又は、御言(みこと)〉持ち)〈即ち、神様からのお言葉をいただいてその御心通りに生きて行く信仰〉として、人は清浄に、正直にして、睦まじい和の気持ちを持ってこの世を生成発展させていくことが正しい在り方だということ。そして、この祖神の御心を心とせられたお方が天皇である(国体論が唱えられている)。

Aしかし、人は祖神の“ミコトモチ”としての在り方を忘れたり、知らず知らずの内についつい罪穢れ(つみけがれ)を犯してしまう。その為、本来の姿に立ち返る方法として「祓い」がある。

◆◆◆「祓い」には二つの方法がある◆◆◆
★「祓物(はらえつもの)を出す」−悪かったことは悪かったと、これを形に現してつぐない物を出すことが大切。
★「天津祝詞の太祝詞事(あまつのりとのふとのりとごと)を宣(の)る」−立派な親神さまのお下しなされたお言葉(祝詞)を申すこと。〈「天津祝詞の太祝詞」説には諸説あり。
本居宣長=大祓詞全文説、卜部(うらべ)家=秘事説、平田篤胤=禊祓詞説、鈴木重胤=三種祓(みくさばらい)詞説、一切成就(いっさいじょうじゅ)祓説、石上(いそのかみ)神宮の鎮魂詞説、ひふみの祓詞説、今泉定介説〉

B後半は罪穢れ(つみけがれ)が祓われていく様子が、様々な比喩を用いて描かれている。

※“祓へ戸(はらへど)の神” −「天つ神、国つ神、八百万神々」が、一般にいう祓へ戸の神となる。これは古い形式です。“祓戸の神”といえば、只今では、「瀬織津比売(せおりつひめ)、速開津比売(はやあきつひめ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比売(はやさすらひめ)の四柱の神々のことと思われていますが、この四柱の神はもとより、天津神、国津神、八百万神等も皆ここでお聞き願っているので全部をさす。“祓へ戸”というのは「天地の神明に誓いを立て、祓い清めをする場所」のこと。

◆参考  『大祓詞の解釈と信仰』 岡田米夫著 (神社新報社)


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[48] 『大祓詞(おおはらえのことば)』の歴史的沿革  投稿者:道開き 投稿日:2002/02/22(Fri) 12:25  
○古くは『中臣(なかとみ)の祓詞』とも呼ばれ、『日本書紀』、『古語拾遺(こごしゅうい)』にも見えているので、奈良時代以前から既に存在していたことが知られる。

○“祓いの起源”は記紀二典(古事記、日本書紀)の「イザナギノミコトの禊ぎ祓い」と「スサノオノミコトと天照大神との罪のあがない」の二つの神話にある。

○大祓の「大」には公(おおやけ)の意味があり、“社会全体のはらへ”ということで、古くは国家が社会全体のために行った行事だった。

○「古式の大祓」は、宮城の正門・朱雀(すじゃく)門前において、六月と十二月の晦日(みそか)に、中臣(なかとみ)氏が「大祓の詞」を読み、忌部(いんべ)氏がお祓いをしたものです。

○『中臣の祭文(さいもん)』−平安末期頃から、大祓詞が平時の祈祷(きとう)にも用いられるようになった。これを『中臣の祭文』と呼び、『大祓詞』が皆に申し聞かせる言葉になっているのに対し、これは神に申し上げる形に改められている。これが今私共が祈祷の意味で、毎日奉読している『大祓詞』の最も古い形のもの。

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[47] Re[46]: 御守りについて 投稿者:道開き 投稿日:2002/02/16(Sat) 16:08  
こんにちは、えりびゅ☆さん。
確かに、あまり多くの御守りを身につけているとその人の願意とか、思念とかいつたもの、つまり神様に寄せる心持ちが定まらないということはあると思いますね。
自分の住んでいる所の産土さま(うぶすなさま、氏神さま、鎮守さま)のお守りと、何らかの理由で、崇敬(すうけい)している神社の神様のお守りの2〜3体も身につけていれば十分だと思いますよ。

なにせ神道では、“一即多”“多即一”で、「一神が八百万神々に」、「八百万神々が一神に」につながっていますから。
本人の敬心があまり分散してしまわないようにということで2〜3体がベストではないでしょうか。

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[46] 御守りについて 投稿者:えりぴゅ☆ 投稿日:2002/02/16(Sat) 09:46  
こんにちは!御守りについて伺いたく参りました。
御守りは多くもつとよくないと聞きました。
やはり数をしぼったほうが、効果があるのでしょうか。
教えてくださるとうれしいです☆


[45] 二宮金次郎、アゲイン! 投稿者:道開き 投稿日:2002/01/26(Sat) 11:52  
 二宮金次郎(二宮尊徳先生)、神奈川県小田原市の報徳二宮神社の御祭神としてもまつられており、冨士講の流れを汲む実行教等の教義との関連もあり、何かと神道との関わりの深い人物でもあります。かつて、日本中の小学校には金治郎の銅像がありました。その数は一人の人物の銅像としては日本一、いや世界一ではなかったかとも言われていますが、最近では余り目にすることもなくなったような気がします。彼の唱えた報徳思想とか農政といったものは、現在の様な社会構造からは時代遅れと取られるようになってしまったのかもしれません。
しかし、ここに来て金治郎を扱った映画やアニメ等も作られ始めていることもあり、極端なまでに戦前の教育を否定してしまった戦後教育の誤りの見直しも叫ばれている昨今でもあるようです。とにかく中高年にはやたらと懐かしく郷愁を誘う金治郎の像でもあります。

『二宮金次郎』 作詞作曲不詳/文部省唱歌

柴刈り縄ない 草鞋をつくり
親の手を助け 弟を世話し
兄弟仲良く 孝行つくす
手本は 二宮金次郎

骨身を惜しまず 仕事をはげみ
夜なべ済まして 手習い読書
せわしい中にも 撓まず学ぶ
手本は二宮金次郎

家業大事に 費をはぶき
少しの物をも 粗末にせずに
遂には身を立て 人をもすくう
手本は二宮金次郎

 二宮金次郎は天明7年(1787)、現在の神奈川県小田原市の農家に生まれました。
金治郎14歳の時、たび重なる河川の氾濫により田畑は借金の方に取られ家族離散の憂き目にあい、おじの家に引き取られました。叔父の家には蔵書があったようで、ここで学問に精を出すことになったといいます。やがて小田原藩の家老の学僕となり藩校へも出入りを許され四書五経を学ぶこととなります。また、荒地の開墾を自ら行い、実践的な農政を学んでゆきます。「積小為大」(小を積み重ねていって大と為す)の思想や報徳運動(金治郎の農政改革策を実際に実行に移す運動)の基礎はこの時期にできあがったと言われています。この頃には既に窮民に対する施しなどもおこなっており、社会事業家としての片鱗も伺えます。

 さて金治郎の 銅像がどうして日本中の小学校に広まったのかといいますと、一説には明治43年に、鋳金師の岡崎雪聲氏が制作した“柴を背負った姿”の銅像を御覧になられた明治天皇がたいそうお気に召されたことと、「教育勅語」の体現者としての評価とが相まり、昭和11年をピ−クとして全国的に競って建立されたと言われています。
やがて、銅で作られた二宮金次郎像は大戦中に軍の供出に遭い、多くの小学校から姿を消しました。そして戦後ともなると、金治郎像そのものが封建的な旧体制の象徴とも取られるようになったようです。そういった徳川の世に花開いた“儒教文化”の農政的体現者・実践者ともいえる金治郎が、どうして現代の日本において再び取りあげられ始めているのかを考えてみます。すると、やはり戦後の著しい西洋化の波に押し流されてしまった、そういった儒教的な、古き良き精神文化の再評価といったものがあると思われます。
今後、金治郎がそういった古き良き精神の象徴となれるかどうかは、時の移ろいと共にしっかりと見守っていきたいものと考えます。


http://www.michihiraki.org/


[44] Re[43]: こんにちは! 投稿者:道開き 投稿日:2002/01/09(Wed) 16:49  
ようこそ。今後ともより面白い、為になる情報を発信して行きたいと考えております。気楽にちょくちょく遊びに来て下さい。

http://www.michihiraki.org/


[43] こんにちは! 投稿者:えりぴゅ☆ 投稿日:2002/01/08(Tue) 20:50  
こんにちは!えりぴゅ☆です。
はじめて来ましたが、とても面白かったです!
色々わりやすく、見やすくて勉強になりました!
これからよろしくお願いします。 又来ます!
↑なんか突拍子もない文でごめんなさい。


[42] 明けましておめでとうございます 投稿者:道開き 投稿日:2002/01/01(Tue) 13:12  
本年もよろしくお願いいたします。

http://www.michihiraki.org/


[41] お守り 投稿者:道開き 投稿日:2001/12/31(Mon) 17:02  
ようこそいらっしゃいました。
当社では様々なお守りを授与致しております。
身につける「お守り袋」が欲しいのか、車につけるお守りが欲しいのかといった詳細はメ−ルでお知らせ下さい。

初穂料(お守り代としてお納めいただく金額) は送料込みで一律1,000円です。

http://www.michihiraki.org/


[40] すみません。。 投稿者:真子 投稿日:2001/12/30(Sun) 19:59  
はじめてここにきました。
ここは、なぜかとってもおちつくところですね。
ここで、おまもりとかは販売していないのでしょうか?
ずうずうしくて、すいません。どうしてもお守りが欲しいので。


[39] 『無用の用』 (むようのよう) 投稿者:道開き 投稿日:2001/12/12(Wed) 18:45  
あるとき恵施が荘子の言説をこう批評した。

「きみの理論は現実にはなんの役にも立たないね。」

荘子はすかさず切り返した。

「無用の何たるかを知っている人間だけが、有用なるものについて語る資格を持つのだ。たとえばだよ、われわれ二人が立っているこの大地は限りなく広いが、今われわれにとって必要なのは足を置くわずかなスペ−スにすぎない。しかし、だからといって足の大きさだけ残して、周囲を地底まで掘りさげてしまったらどういうことになるかね。それでも残した部分がわれわれの役に立つだろうか」

「そりゃあ役に立つはずがないじゃないか」

「それみろ、無用なるものこそ真に有用であることがこれでわかっただろう」
               『荘子』より

合理性のみを追求して、“あそび”のない社会や組織にしてしまったら、或いは、膨大な無意識の大海の領域を軽んじて、ちっぽけな池の様な顕在意識の部分のみを対象に物事を考えたのなら、世の中は本当につまらなく、いや、おかしくなってしまうでしょうね。人間の持つ創造力のダイナミズムといったものはそういったところから溢れ出てきます。

http://www.michihiraki.org/


[38] 通知 投稿者:道開き 投稿日:2001/12/11(Tue) 13:30  
[白鬚神社]メニュ−のみで御覧の方は、どうぞここから[神道][占い]メニュ−にお入り下さい。

http://www.michihiraki.org/


[37] 記帳 投稿者:太田伝也 投稿日:2001/12/04(Tue) 22:53  
祝 内親王ご誕生
皇太子殿下 雅子妃殿下 おめでとうございます。
われわれ国民は、首を長くしてお待ちしておりました。
白鬚神社のご神前(心の目で見て)に祝賀の記帳をさせていただきます。
岐阜県美濃市 上野 八幡神社宮司 太田伝也

http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/


[36] Re[35]こんばんは☆ひなたさん 投稿者:道開き 投稿日:2001/11/03(Sat) 20:55  
ひなたさん、こんにちは。
高校の方も11月ともなると、期末試験などで多忙な時期となっているのではないでしょうか?
特に高2は、進路決定などで大変でしょうね。

ご質問の守護霊云々についてですが、そのことに関してはスピリッチャリズムが詳しく説いています。
ここからサイト・インデックスに戻っていただき、そこから〔占い、祓いの窓口〕に入ってもらい、メイン・
メニュ−の内の〔掲示板〕の書き込み[112]、[114]、[116]をよく読んでみて下さい。それなりに説明が為されていると思います。
心霊科学は100年以上の長い年月を掛けて、数百、数千の優秀な霊媒と科学者が、心霊実験を繰り返して得た膨大なデ−タから体系化されたものです。それなりの信憑性を備えたものと私は考えています。シャルル・リシェ博士のようにノ−ベル賞を受けた程の優秀な科学者、「進化論」をいち早くうち立てながらも、喜びのあまり老練なダ−ウィン宛手紙を一通だしてしまったが為に手柄を横取りされてしまい、“ダ−ウィンに抹殺された男“としても有名になってしまった若き博物学者アルフレッド・ウォ−レス博士。そして、発明王エジソンなども参加しています。ステントン・モ−ゼスのような著名なキリスト教の神学者なども参加しています。モ−ゼスは自らも霊媒となって、レクタ−なる古代ロ−マ時代の古い霊からの通信(自動書記)を受けて著した名著『霊訓』を世に出したりもしています。日本で言えば瀬戸内寂聴、今東光、鈴木大拙さんのような、アメリカの有名な神父さんですね。彼のような常識人のスピリッチャリストの存在があったればこそ、心霊科学そのものが社会的に認められ得たとのことです。
科学者といっても大槻教授のような方ばかりではないのですね。ちなみに教授は宮城県の角田市出身です。小学校時代の恩師の先生の高校時代の同級生だそうで、師曰く「あいつ、そんなにずば抜けて頭よかったわけではね−な。でもあっち方面の勉強は好きだったな−。」とのことです。
そして、ご質問の件ですが、霊は球体だったり、人の姿をしていたり
するそうです。はい。

ひなたさん、今後ともちょくちょく遊びにいらして下さい。ではまた。



[35] こんばんは☆ 投稿者:ひなた 投稿日:2001/11/03(Sat) 01:58  
★道開き様>お返事有り難うございます☆神様の声が聞こえる方がいらっしゃるのですか!すごいです!きっと心の綺麗な方なんでしょうね。
守護霊の話なのですが、誰でも必ず居る存在とは聞いたことがありますが、守護霊に見放される人もいる、というのは本当なんでしょうか??そういう風に聞いたことがあるので。。というか、守護霊は人型なのかなぁ。それが見える方もいらっしゃいますよね?どんな姿なのかな、と、ちょっと疑問でした。


[34] ようこそいらっしゃいました。 投稿者:道開き 投稿日:2001/10/14(Sun) 20:38  
こんにちは、ようこそ。
そうですね。確かに行(ぎょう)をつんだり、誠実に神様に心を合わせた生活を送ったりしている内に“霊能が開ける”ということはあるようですね。ただし、その霊能にも様々な種類がありますけれども。
霊が見えることだけが霊能ではありません。神様からの言葉が聞こえるという方もいらっしゃるようです。
何にもしないのに少しずつ霊が見えるようになったという方も結構多いですね。

私の、小、中学校の同級生だった女性と、ちょっと前に話をする機会があったのですが、その際に彼女から質問を受けました。かなり勝ち気な女性なのですが、「ちょうどお葬式から今帰ってきたところなんだけど、雅文、あんた、神様(神職という意味でしょう)だから尋ねるんだけど。私、中学の頃から、葬式に行くと、祭壇の上の所に、いつも、死んだその本人が浮かんでいて、参列者をキョロキョロ見ているの。それで、今回も、死んだ本人と目がしっかり合ってしまったの。私も見てたし、その人も私の顔をジ−ッと見てた。気持ち悪い。」といわれました。とりあえず私は、「鴨居(かもい)の語源は、カムイ、つまり、神(霊のこと)のいるところという意味なんだ。」ぐらいの説明はしたのですが。「あんたも神様なんだから、当然見えるんでしょ?」と言われたのですが。「見えない。」と答えました。実際、私も霊というものは見たことがありません。寝ているときに枕元に何かに立たれるということはちょくちょく有りますが。

そうかといって、これまでに依頼を受けた、夜中に変なモノが現れるからご祈祷してくれとか、家の中が夜中にバリバリ音を立てる騒霊現象(ポルタ−ガイスト)をご祈祷して静めてくれとか、霊に憑かれた祓ってくれ、キツネに憑かれた・・・・・・といった様々な怪異現象を鎮められなかったことは一度もありません。これは本当です。ですから、なんとか神職としてやって行けてるのでしょう。でも結局は、その一切が神様のお力によるものなのでしょうが。
行をつんだり、神明奉仕の生活を送っていると、神様との関係が強まります。ですから、神職の仕事とは、霊が見えればそれに越したことはないのでしょうが、何よりも神様との繋がりを強められるように生活を行(ぎょう)じていくことではないかと、自分なりには考えています。

以前、よくテレビに出られていた三穂希祐月(みほきゅうげつ)なんかも、霊は全く見えないとおっしゃってました。直接に、神様の声が聞こえてくるのだそうです。神様にうかがって人々の相談事に答えているとのことでした。波長の荒くて粗雑な霊たちとは同調できないで、より高い波長の神様たちと同調出来るのだそうです。ヒ−リング(病気治療)の力も凄いみたいで、多くのスポ−ツ選手が三穂さんのもとに通っていたといいます。ひざの故障による再起不能を騒がれた柔道の斎藤仁選手(現全日本コ−チ)が三穂さんから、しぼんでしまった萎えてしまった気持ちをきつく叱られ、そして、それとは逆に、心のこもった優しい治療を受けて、確かソウルだったか、オリンピックで金メダルを獲得しました。当時のインタビュ−では「神様から、戦いの魂(古神道でいう“荒魂〈アラミタマ〉”)が、私の躰に入ってきたのだ」のようなことを答えていました。
三穂さんは、国常立命(くにのとこたちのみこと)、素盞鳴尊(すさのうのみこと)を崇拝していたから、おそらく“大本教”系列の方ですね。

もう一人、知り合いの霊能者にAさんがいます。週刊誌などによくでている方ですが。名前は伏せます。
國學院大學で、神職の資格を取り、東京の某神社で神職をしていたこともあります。イギリスにスピリッチャリズムを学びに留学したこともあります。
彼は、小さい頃から、霊が見えて見えてさんざんな思いをしてきたとのことです。道路を歩いていると、防空頭巾をかぶった親子が火だるまになって転げ回っているのを見たり、寝ていても血塗れの人に顔のまん前で息を吹きかけられたりで、さんざんだったそうです。霊を見ないですむようになる為に、一般の家庭で育ったのですが、神職になったとのことです。滝行をつんで行く内に、ようやく霊的バランスがとれるようになり、自分の守護霊に頼んで、普段は霊が見えない状態にしてもらっているとのことです。
彼と初めてあったのは、ある心霊サ−クルでですが。私の顔を見るなり、「あなたのお祓いは力がありますね。・・・・・・あなたの守護霊の行者さんが、あなたの首のことを心配して、私に病院に行くように話してくれと言ってますよ。頸椎の何番目かがズレてますよ。雨の日とかは大変でしょ。・・・・云々」と話しかけてきました。確かに家はもともとは、本山派・天台修験の家柄で二十数代を数えますが、首が云々はなんのことだかサッパリ理解が出来ませんでした。風邪をひくと肩が異常に凝っていたのも確かです。自分では血圧が高いのかな−位にしか思っていませんでした。その時は、肩を揉み揉み、首をグルグル回していました。
しかし、2年位して自覚症状がでてきて、首が回らなくなり、病院に行ってみたところ、やはりその部分がズレているとのことで、一年以上病院通いをして、なんとか楽にはなりました。

あれこれと、思いいずるままに色んな事を書き並べましたが、つまり、霊のことに関しては、私もハッキリしたことはわからないということです。研究、模索中といったところでしょうか。


[33] 初めまして! 投稿者:ひなた 投稿日:2001/10/13(Sat) 22:26  
はじめまして。ひなたと申します。ここのHPいろんな事が書かれてて素敵ですね。勉強になります。少し、疑問に思ったことがあったのでカキコさせていただきました。除霊などをしておられる方は、やっぱり霊が見えるんですよね?私は今までそういう体験はないのですが、ひょんなことから見えるようになるとか、こんな事をすると見える、ということはありうるのでしょうか。。私は、そういうものが苦手なので・・・。危険なものばかりではない。と分かってはいるのですが、やっぱりこわいです。あと、霊などは、犬が苦手、という話を聞いたのですが、本当なのでしょうか??お返事下されば幸いです。聞いて下さってありがとうございました。


[32] Re[31]:ようこそ。 投稿者:道開き 投稿日:2001/10/08(Mon) 21:11  
ようこそ、お久しぶりです。
京都の社寺仏閣を、私もゆっくりと巡ってみたいですね。
一週間以上かけて。
cocoさん、「今すぐリンク」も新たに開設しましたので、
是非リンクしておいて下さい。
よろしく。


[31] こんばんはです、そしておひさです。 投稿者:coco 投稿日:2001/10/07(Sun) 23:30  
こんばんは!
じっくりいろいろサイト内を見て回りましたよ〜
漫画とかでわかりやすく説明してるところが、
素敵でした。
宮城県には行った事ないんですけど、
京都にあるお寺とか神社とかまわるのは結構好きです。
建造物を見るだけですばらしく感じますよね。

それではまた!


[30] 人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま) 投稿者:道開き 投稿日:2001/07/13(Fri) 18:35  
中国の北の方に占いの上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時どういうわけか、その老人の馬が北の胡の国の方に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので、近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが福にならないとも限らないよ。」

そして、しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが禍(わざわい)にならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちが可哀想に思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが福にならないとも限らないよ。」

一年経った頃、胡の人たちが城塞に攻め入って来ました。城塞近くの若者は全て戦いに行きました。そして、何とか胡から守ることが出来ましたが、その多くは戦いで死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので戦いに行かずに済み、無事でした。

この話は、中国の古い書物『淮南子』(えなんじ)に書かれています。

「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは、日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。「塞翁(さいおう)」とは、城塞に住んでいる翁(おきな)=老人という意味です。

つまり、「城塞に住む老人の馬は、福から禍へ、そして、禍から福へと、老人の人生に転変をもたらしました。世の中のことは、何が福となり、禍となるのか予測することはできない。」ということです。

結局は、日々神仏に手を合わせて、良き方に導いてもらうのが最良の策と言えるのではないでしょうか。


[29] ジャポニズム 投稿者:道開き 投稿日:2001/06/03(Sun) 11:43  
ジャポニズムとは、19世紀後半のパリ万博以降の、日本の芸術文化の影響を受けた西洋美術のことです。“日本趣味”とも訳されます。
その当時のヨ−ロッパ社会にとって、日本文化から受けた衝撃はかなりのものだったようです。

下の[28]の書き込みに続きます。
更に、よくよく考えてみます。すると、もう一年さかのぼって、長野オリンピックの開会式と閉会式の催しにたどりつくような気もします。
開会式では、諏訪大社(すわたいしゃ)の御柱(おんばしら)がメインスダジアムの四方に立ちました。お相撲さんも総出演しました。道祖神の舞がありました。
閉会式では、諏訪太鼓ほか多種多様な太鼓の演奏が行われ、仕掛け花火が上げられました。世界中のアスリ−トたちも一緒になって楽しんでいました。

日本文化は海外、特にヨ−ロッパの人たちに受けます。19C中頃のパリ万博を機にヨ−ロッパ中を席巻したジャポニズム。日本庭園、着物の素材、構図、浮世絵・・・・・
戦後、日本人が世界中で一番、日本文化を無視してきたきらいがあります。それも敗戦がもたらした、というか、GHQによって刷り込まれた東京裁判史観による、過度の自己批判によるものです。

しかし、再評価の動きも外国からやってきたようです。日本という国そのものも、常に外国から文物を取り入れてきた国風ですから、批判や評価といったことも外国からのものを素直に受け入れる。
やはり自主性に欠けるのが日本の特徴とも言えそうです。
日本は島国なので、他国と陸続きで接しているような国の様に、常時緊張感を持ち続ける必要もなかったからなのでしょう。


[28] “伝統文化”再評価の動きあり 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/31(Thu) 11:42  
数日前、地区神社の総代の方々の集会がありました。
その際に、“天皇陛下御在位十年”をお祝いする国民行事の様を記録した『奉祝の灯(ほうしゅくのともしび)』のビデオ上映が行われました。

そこには日本全国からの郷土芸能、数多くの神社の御輿渡御(みこしとぎょ)、提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)といった古くからの日本の伝統文化が映し出されていました。
そして、政界、財界、芸能界、その他の各界からのそうそうたる顔ぶれも映し出されていました。健在している歴代首相の方々、安室奈美恵さん、グレ−の面々、松たかこさん、橋幸夫さん・・・・・。
皇居前の広場が、まるでオリンピックの開会式の会場に変身したようでした。
Xジャパンのヨシキさんの作曲の奉祝曲の演奏。会場を写し出す数多くのライトに浮かび上がる、日本古来の古いものと新しいものとがミックスされたの何とも表現のしようがない不思議な情景。独特の雰囲気、美しさ。
皇居前に集まった数万の民は、老若男女を問わず誰もが、ただただ魅了された様子でした。

その映像を見ていて、私は、ふと感じるものがありました。
「あれ、この光景ってどこかで見たな−」と、「そうだ。九州・沖縄サミットの各国首脳をもてなした時の、あのテレビに写し出された情景だ。」と。確かに規模の違いはありますが。

ここ一年位の間、テレビの番組を見ていて感じていました。日本の伝統文化の見直しが急速に進んでいるなと。
始めは、テレビを騒がす、青少年が興す数多くの事件等がそうさせるのかとも思っていました。が、
沖縄でのサミットの時の、ブラウンカンに映し出された安室奈美恵さんと世界のア−チストたち、そして沖縄伝統音楽の演奏者たちの“古今東西が“ミックス”された何とも表現の仕様がないエキゾチズム。それに魅了された多くの人たちが、その様なム−ブを興し始めたのだろうとも思うようになっておりました。

しかし、今回のビデオを観て思ったのは、昨年7月の沖縄サミットのレセプションのオリジナルは、案外、平成11年11月の国民奉祝行事にこそあったのではなかろうかということです。
はたして、国民奉祝行事の演出家と、沖縄サミットのレセプションの演出家との関連性はどんなだったのだろうか。関係が有るのだろうか、ないのだろうか?    私には判りません。


[27] “祀り上げ(まつりあげ)”と“祀り棄て(まつりすて)” 投稿者:道開き 投稿日:2001/05/11(Fri) 18:57  

“善と悪”、“禍と福”といった概念は特定し難く、単純に仕切りをするのはかなり困難とも言えます。
一人の人間の人格の中にも善的な一面と悪の一面が同居しています。台風などは災害をもたらしますが、恵を与えてもくれます。
「人間万事塞翁が馬」の故事の如く、幸福だと思ったことが禍(わざわい)の引き金となっていたり、不幸と思っていたことが幸福をもたらす原因となっていたりということは結構あるものです。

日本神話でお馴染みのスサノオの神は尊き神ではあるが、荒ぶる破壊神の一面も持っていたし、インドのヒンドゥ−教の最高神・シヴァ神なども破壊の神であると同時に再生の神でもあります。

日本的、東洋的な信仰形態であり、西洋人には理解しにくいようなのですが、どんな禍神(まががみ)、疫病神(やくびょうがみ)でも丁寧に祀ると、逆に福神に変貌するという信仰もありました。
御霊神(ごりょうしん、“祟り神”のこと)であった“天神さま”などもこの例です。全国各地にある“竜神伝説”なども、水害をもたらす竜神を村人たちが丁重にお祀りして豊饒を授かったというものがほとんどです。
民俗では、このような現象を“祀り上げ”、そして、その逆を“祀り棄て”と言います。

例えば、祟る(たたる)という現象は“祀り棄て”られた後に生ずるもので、御霊(ごりょう)・怨霊(おんりょう)などの“祟り神”の特性と考えられています。
各家々の先祖霊や氏神は、普段は“祀り上げ”られた結果、守護霊(神)として働く神格です。ところが、“祟り神”も丁重に“祀り上げ”ると、やがては守護してくれる神格に転化していくという場合もあるというのです。
それとは逆に、たとえ先祖霊でも“祀り棄て”た場合(祀ることを怠った場合も含む)、祟りとまでは行かなくとも、障り(さわり)の原因となったりすることもあります。

★結局は、人の心の持ち方が、祀るという行為によって、善神にさら なる善の働きをさせたり、強いては悪神に善神の働きもさせ得ると いうのです。
 さらに申せば、正しき神の善なるところに感応するか、邪神の悪な るところに感応するかはその人の心次第ということにもなるといいます。


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